マンション販売屋の大手8社が調査した、首都圏での住みたい街アンケートが発表されている。http://www.major7.net/contents/trendlabo/research/vol013/
2005年から2010年までのランキングを見ると、毎年ベストテンに登場しているのは、吉祥寺、自由が丘、横浜が毎度のトップ御三家である。そのほかは二子玉川、恵比寿、広尾、鎌倉が毎回登場している。ふ~ん、そういうものなのか。
マンション屋のアンケート調査だから、共同住宅を買って住みたい街はどこかという問いであり、一戸建て住宅や賃貸住宅は回答の対象ではないであろうことを前提に考えなければならない。
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この中で横浜と鎌倉はほかと比べてエリアが広すぎるけれど、多分、共同住宅が多く建つところでそれなりに地域イメージがあるのは、横浜ならば関内あたり、鎌倉ならば旧鎌倉の市街地を言っているのであろう。
東京では下町はでてこないし、千葉方面もない。ベスト20くらいまで入れると、豊洲や浦安が出てくる。
川崎は、武蔵小杉だけが登場する。最近になって、大希望工場跡地ににょきにょきと超高層共同住宅群が登場した。マンション屋としてはイメージ作戦で武蔵小杉をベストテンに入れさせたかったのであろう。でも、あの街のどこがよいのかしら。環境とか景観よりも、比較的交通便利で比較的安価が理由であろう。
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吉祥寺と自由が丘が毎年トップを争っているが、どちらもわたしには縁が深い町である。
自由が丘は大学時代は遊ぶ街であったし、家庭教師アルバイトの街であった。その後も日吉に住んで通勤の行き帰りに何かと縁がある。いまでもたまに昔からの飲み屋に行く。あんなゴチャゴチャしたところが、どうして住みたい街なのかしらと首を傾げたくなる。
吉祥寺は1970年代に、まちづくりに通っていた街である。その伊勢丹ができてからがらりと変わった。まあ、住みたくなるような街を作ったひとりかもしれないとも思う。でも、東京でトップになるってのがよく分からない。
二子玉川は、学生のころは山岳部トレーニングでマラソンしてよく行った。その後は幼い息子をつれて遊園地に行った。あのあたりは上野毛からの台地にお屋敷があって、庶民が住みたいと思うようなところではなかった。それが高島屋のショッピングセンターができてから、ガラリと雰囲気が変わった。いまは遊園地であったところに超高層マンションが建ちつつあるらしい。
恵比寿も昔はどうってこともないところだった。大きなビール工場があり、あたりは起伏の多いゴチャゴチャとした住宅街であった。ビール工場の跡地開発が街のイメージをがらりと変えた。
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ここまでを見て、自由が丘だけがずいぶん違うことに気がついた(横浜と鎌倉は別格)。どこも何か大規模な開発があってガラリと転換して行ったのだが、自由が丘は特にそのようなこともなく、狭い道のままに、じわじわと住宅街に商業が滲み出しつつ、なんとなく賑わいが出てきた街である。駅前の姿なんてわたしの学生時代と大差がない。ちょっと妙な街である。
鎌倉は四半世紀住んだところ(ただし共同住宅でない戸建住宅)、横浜の関内の隣の関外に現在は住んでいる(ただしマンションではない賃借共同住宅)。東京の吉祥寺や自由が丘には住めなかったが、わたしもまあまあのミーハー居住地選択だった。そうだ、学生時代には自由が丘の隣の緑ヶ丘に住んでいたぞ、大学の中の寮だけど。
●参照→251百貨店時代の終わり
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