2012/07/18

643少年時代の読書のことで幼馴染に60余年目の詫び状を書いた

読書に目覚めた小学生の高学年の頃は、戦争直後で世に子供の読むような新刊本がなかった。
親しい友だちどうしで、家にある古い少年雑誌や大人の本を見せあい、貸し借りした。
親戚や知り合いの家の書棚もあさったから、なかにはカストリ雑誌もあれば、漱石全集もあった。玉石混交で読んだ。

わたしの父の書棚に「講談全集」(大日本雄弁会講談社 昭和3、4年、全12巻、各冊千頁以上)があった。
言い回しは難しいが、筋は単純でわかりやすく、話にくすぐりがあり、漢字は総ルビだし、挿絵が多いので、少年仲間に大好評であった。

長じて東京の芝・愛宕山に花見に行った。
講談全集で読んだ「寛永三馬術」の間垣平九郎が、馬で登り降りした急階段はこれであったかと、四つ這いになって登った。

今年2月、故郷で講演をする機会に恵まれ、そのあとで聞きにきてくれた幼馴染たちと飲む集いがあった。その中に幼稚園から高校まで一緒で仲の良かったY君がいた。
実はわたしはY君を思い出すと、いつも心をチクリとさすある記憶があったので、思いきって聞いてみた。

「むかし講談全集を君に貸さなくて、ずいぶん恨まれたけど、覚えているか」
「ああ、覚えているとも。ほかのヤツには貸してオレには貸さなかった。大人になっても思い出して古本屋を探し、講談社にもいったけど見つからず、君を思い出すと条件反射で講談全集が頭に浮かぶ。いまだに恨み骨髄だよ」

ウワッ、覚えていたか。
あれは父の秘蔵本で、内緒で仲間に貸していたのがばれて叱られ、運悪く次がY君の番で、貸せ貸さぬともめたのだった。
60余年目の陳謝をしたが、両方とも永いトラウマになっていたのであったか。

帰宅して図書館蔵書検索したら近くの川崎図書館にあり、さっそく出かけて懐かしい本に再会した。表紙の布装丁の緑色は褪せ紙は赤茶け、わが身もそうかと歳月を思った。
いくぶんかの罪滅ぼしにと、第2巻の中の「寛永三馬術」を老人向けに拡大コピーして、60余年目の詫び状を添えてY君に送った。

受け取ったY君から返事が来た。
一気に読んで楽しんだ、永く探していたのをこんなにすばやく良くぞ見つけてくれた、少年の眼と心で読みたかったが、すっかり恨みが晴れた、と。
382ページ分のコピー作業は疲れたが、送った甲斐があった。

わたしも久しぶりに読んでみて懐かしかった。
しかし、講談は大人が眼で読んでも実につまらない、講釈師の語り口を楽しむものだと、いまさらながらよく分った。
面白くむさぼり読んだ少年の日は還らない。Y君に済まないと思う。

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