捨てるのにいちばん悩むのが蔵書である。これまでの人生でどれだけ本を買って来たかよく分らないが、延べ冊数にしたらずいぶんの数で、万の単位だろう。
自宅もオフィスも本だらけだったが、どちらも何回も引っ越ししたから、その都度にたくさん捨ててきた。
いま、手もとに残った蔵書は、床から天井までの本棚の幅にして7m足らず、いったい何冊だろうか。半分くらいは、買ったままで読んでない「未読本」である。未読本の読破も終活の重要な仕事である。
どんな本が本棚のどのあたりにあるか、ほぼ頭の中に入っているので、物書きの時は引っ張り出す。無い本は近くの市立か県立の中央図書館に行けばほぼ間違いなくある。
だが、ウチの本棚を漁っていると、えっ、こんな本を持ってたっけ、ということもある。
最近も2冊を発見、発掘した。一冊は大正14年8月発行の雑誌「新建築」創刊号である。
といっても、本物ではなくて1975年12月号「新建築」の付録の復刻版である。
もう一冊は、「社寺建築構造」とタイトルがあるA5版、116ページの冊子である。紙が赤茶けてしまっている。母校の大学の講義用と書いてあるから、教科書らしい。
あれ、なんだろうとパラパラとめくると、まさに神社や寺院の建築構造について、足元から屋根まで、外装から内装まで、図も豊富な教科書である。これは面白そうだ。
でも、講義を受けた記憶がない。さっそく同期生たちにMLメールで問い合わせたが、誰も記憶がないという。わたしだけがサボったのではなかったと、ホッとした。
スキャナーで画像を取り込み修正、文字はOCRで読みこんで校正という作業を、数ページづつメールで交換しつつ進めた。
いまどきらしいやり方であるが、旧仮名遣いだし、印刷が悪いので、OCRの誤読が多くて骨が折れた。それでも2カ月でデジタル復刻版が完成した。
ところが、この本には発行年も著者も書いてない。旧仮名遣いだから戦前の執筆だろう。
そこで大学時代の恩師である平井聖先生にうかがうと、この教科書の原本は『高等建築學8 建築構造』(常磐書房 1936年刊)の中のひとつ、「社寺建築構造」(角南 隆著)であるとご教示いただいた。
角南は戦前に東京工業大学で非常勤講師をしていたことがあり、それをそっくりそのまま冊子にして教科書にした。戦前には印刷をもって謄写に替えるとして、著書を教科書に使うことがあったとのこと。
角南 隆(1887-1980)は、1916年東京帝国大学を卒業して明治神宮造営局、内務省神社局を経て、明治神宮、伊勢神宮をはじめとして数多くの神社建築に携わった建築家である。
特に明治神宮には創建時から携わり、太平洋戦争の空襲で焼失して戦後再建した現在の社殿は、戦前の形をそのままコピー再現するのではなく、角南による独自の設計が多く加わっているらしい。
季節がよくなったら、この本をもって明治神宮に行って、冊子の図と社殿とを見比べてみようかと思う。まことに意義深い紅葉狩りになるはずである。
これをわたしが所蔵していたのは、たぶん、藤岡研究室で京都御所遺構に関する卒業研究の時に、平井先生からいただいたのであろう。
そういうわけで、今ごろになって勉強した不肖の弟子の話で、これもわたしの本づくり趣味のひとつである。
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