聞きしに勝るたくさんの外国人買い物客たちである。どうもアジア系、特にチャイニーズ系らしい。爆買いって、この人たちのことかなあ。
かつては銀座にはなかったような店もある。大きな安売り電器屋があるし、おおきな安売り衣料屋もできている。もちろん私がよりつけないフェラガモとかナントカカントカって高売り店もある。
おもえば、1970~80年頃、ジャパニーズ観光客が、パリやミラノやロンドンの有名繁華街の高売り店で、爆買いしていたよなあ。
モンテナポレオーネ通りを、若いジャパニーズネエちゃんたちが、ブランドショップの名を書いた大きな袋を膨らませて行進していたなあ、懐かしい時代だよなあ。
それが今は、銀座でチャイニーズネエチャンオバサンオジサンたちが、それをやってるんだ、ふ~ん、そういう時代になったんだと、徘徊お上りさんは感慨を催す。
あ、もしかして、チャイニーズネエチャンたちもやっぱり、ヨーロッパに行ってるかな。
銀座通りの建物群が、昔よりもずいぶん高く建て替えられて、なんだか空が狭くなった。ただ、一軒一軒の幅はそのままで、のっぽビルになるばかりである。
ところがその一角で、妙に空が広いところがある。クレーンが建っている。再開発中であるか。
はて、ここに何が建っていたっけ、あ、そうだ松坂屋デパートだったよなあ。
ドレドレと工事看板を見ると、もとの松坂屋よりも広い範囲、しかも裏通りの向うのブロックまで広げての、共同ビルに建て替えらしい。
よくまあこんな地価の高すぎるところで、よくまあこんなに広く、よくまあこんなに大勢の権利者たちを纏めたもんだなあ、いったい、だれの仕業なんだろうか。
表示看板のひとつに、設計プロジェクトマネージャーとして、森ビル・アール・アイ・エー共同企業体と表示してある。
なーるほど、この両者なら日本の市街地再開発事業の雄であるから、纏めることができたのだろうし、これからの難しい進行マネージもできるのだろうと、納得したのである。
そう、あの新国立競技場が不様なことになったのも、プロジェクトマネージャーが不在だったからと、第三者検証委員会レポートにもあったように、大きく複雑な事業にはその役割が重要である。
それにしても、プロジェクトマネージャー名を工事現場に表示してあるのも珍しいが、森ビルもRIAも銀座通りに名を出すのは、多分、初めてであろう。
これもそういう時代になったんだ(どういう時代かうまく言えないが)、感慨を催すのであった。
それで思い出したが、1953年に建って今なもうない第1森ビルの設計が、RIAであった。この2社の組み合わせはそれ以来だろう。
0 件のコメント:
コメントを投稿