現在の能楽界で能シテ方の人間国宝は、友枝昭世と梅若玄祥の二人のみである。これに野村四郎と大槻文蔵が加わって4名となった。
狂言方には人間国宝は、野村萬、野村万作、山本東次郎の3名がいるから、能楽界は野村3兄弟が人間国宝認定となった。野村家はスゴイ。
野村四郎は日本能楽会会長であり、野村萬は能楽協会理事長だから、野村兄弟がシリアスな能とコミカルな狂言の能楽界のリーダーとなった感じである。
さて、3兄弟の跡継ぎ息子たち、萬の息子の万蔵、万作の息子の萬斎、四郎の息子の昌司、これからどう芸を継承していくのだろうか。芸の家に生まれるとは、大変なことであろう。
●能楽師・野村四郎のプロフィル
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わたしは野村四郎先生に、20年ほど謡を習っていたことがあるから、わたしにとっては師匠である。
思えば、あの華麗な謡を目の前で聞くことができたのは、まこと幸せなことであった。
月に2回の個人授業は、その美声の謡もそうだが、その教え方の巧みさ、そしてなによりも豊富で深い造詣の能楽話に彩られるぜいたくな時間であった。
おかげで、わたしの謡の能力も能楽の知識も、大いに積み上がったものだ。実を言えば謡を習うことは2の次で、その芸談を聞きたくて通っていたのである。
能を観るのが趣味となり、いっときは毎週のように松濤や青山や水道橋の能楽堂に行った。
謡の稽古中に色々な話を聴いたが、その一部は「野村四郎師に能の観方を聴く」として、ここに載せた。
野村先生の師匠は観世寿夫であるようで、このように演技せよと教えられたとか、こう言っていたとか、その名が話によく登場した。
その話の中で覚えているひとつは、居グセ(長い地謡にジッと座ったまま)のときは、身体から四方八方にピイーンと張って出ている見えない糸をたるませないように演技する、と言われたとのこと。いつもそれを思い出しながら能を見ている。
野村先生は、世阿弥よりもその父の観阿弥の芸に惹かれるとのことである。だから、自分のことを能楽師というよりも能役者とよばれたいと語っておられた。
昨年、「狂言の家に生まれた能役者」という本を上梓されたが、ここに自分のことを「能役者」と表現しておられる。
自分史のような能楽論は、実に面白い。「伝統に爪を立てる」のだそうである。
常に新たな開拓を、能楽世界だけでなくオペラ界にまでも広げる。能は日本オペラだから当然かもしれないが、現実には野村四郎だからできるのかもしれない。
●能楽師 野村四郎サイト
●趣味の能楽鑑賞(まちもり散人)
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