直ぐに気がついて、そのあたりをかき回したが、ごみ袋の間か袋の中に紛れこんでしまったらしく、どうにも見つからない。徹底的にかき回すほどの根性はない、あきらめた。
玄関カギはスペアがあるから問題ないのだが、スペアがない自転車カギについては、さてどうしようか。
2015年5月に自転車から落ちて、腰椎圧迫骨折なる大事故を起こして、危うく寝たきり老人になりそうだったから、それ以後は自転車乗りを慎重に控え気味にしている。
今、ここで鍵がなくなったのは、もう乗るなとの御神託か、ウ~ム。
たしかに、自転車乗りをやめるようかとも思うのだが、いっぽうで老人になった今だからこそ自転車が必要なようにも思うのだ。
歩くのなら何時間でも平気だったわたしも老いてきて、近ごろは徘徊老人をやっていると、1時間くらいで脚が疲れて、ちょっと腰を下ろして休むようになったのだ。
15分も休めば回復して、つづきの徘徊をやることはできるのだが、それでも歳と共に徘徊エリアが縮小の傾向にあるのがつまらない、情けない。
だから脚が疲れにくい自転車こそが、徘徊老人には必要であると思うのだ。徘徊やめてボケるよりは、ボケ防止にそれがよいだろう。もっとも、ボケて徘徊ということもあるにはあるが……。
問題は、自転車がふらついたら、とっさに立てなおす能力が衰えていることだ。まあ、ゆっくりと乗っていればよいのだが、つい能力限度を忘れてスピードだしたりするのがいけない。
あ、そうだ、自転車に「スピード出すな、老人よ」と、自分に向けてハンドルのあたりに書いておこう。
なんの話だっけ、そうだ、鍵のことである。
近くの商店街の自転車屋で、カギをなくしたらどうすればよいかと聞いたら、金属切断用レンチまたは鋸で、錠前のバーを切断するのだそうである。
ただし自転車屋に持ち込んで開けるとなると、それが盗品でないことを証明する必要があり、そのためには持ち込んだ自転車には盗難防止登録をしてあり、それが持ち込んだ当人のものであることを、警官に認めてもらう手続きがいるのだそうである。
わたしの自転車はその登録をしていない。
そうだ、インタネットに自転車カギ開け術が載っているかもしれないと、探したらあった。なんとも簡単なピッキング方法が書いてあるのだが、オカシイのは「悪用禁止」と注意書きがあることだ。それだけで免責になるのだろうか。
でも、残念ながらわたしの錠前はそのタイプではない。
これでまた自転車の乗ることができる。
次の日曜日に、「B級横浜まちあるき」と称して、10人ばかりを案内するのだが、ガイドが先につぶれないように、この自転車で行こう。
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