2018/08/16

1157【靖国8・15定点観測】夏まつり森の社のにぎわいは今日も戦をたたえる見世物

 境内にスピーカーで放送が流れる。「間もなく正午です。みなさなご起立下さい。一分間の黙とうをささげます」
 まわりに人たちが、いっせいに立ち上がる。やがて時報、みんな頭を垂れている。やがて元通りの暑い日のざわめきがあたりに戻る。
 この間、わたしは腰を下ろしたまま、まわりを観察していた。こんなにも大勢の人間が時を停めている中に、ひとり時を動かしている自分、そばには大砲と戦闘機……、SF的風景。
 
 今日は8月15日、ここは東京九段の靖国神社境内、わたしは去年のこの日もそうであったように、今年も定時定点観測にやってきた。この日にここで、ある社会の断面を見るためだ。
 観測報告まとめは、今年も相かわらずの風景だった、ということ。境内にねっとり暑苦しく淀む空気のなかに、ここの地中に眠る戦争人形たちが目覚めて、いつもの夏のこの日のように今日も出てきている。真夏の暑さにボケる頭、真昼の光にしょぼつく眼、これは現実かまぼろしか。
 今年は暑さのせいだろうか、人の出が少ないようだった。

  夏まつり森の社のにぎわいは 今日も戦をたたえる見世物

 では2018年8月15日真昼の靖国神社風景をどうぞ。実は毎年の風景と繰り返しであり、それは神社境内は昔から芸能の場であったことを再確認するようなもの。

毎年おなじみ九段坂ウヨ屋台




 今年はいくぶん人出が少ない感じ、暑さのせいか


 境内の毎年おなじみコスプレ 


爺ちゃん婆ちゃんの代理参拝か若者が多い

 遊就館では小学生に描かせた兵器の絵の表彰展示

マスメディアのカメラがセンセイたちを待ち受ける

うって変わって千鳥ヶ淵戦没者墓苑は静寂そのもの 



 8月15日、1945年のその日は、わたしの人生の出発点あたりで、その前の時からみると超大方向転換が待ちうけた日である。その日から、民主主義すくすく世代に入り込んだ。
 暑い晴れたその日、城下町盆地にある森の中の神社では、近所の人たちや疎開女児童たちとが、一台のラジオを取り囲んでいた。わたしの生家である。
 聞き終わった大人たちは、一様に黙りこくったままの列で、参道石段をとぼとぼと暗い森の中から、明るい盆地の街に下って行った。
 
 春にやってきていた疎開児童たちは、数日の内に阪神間の都市に戻って行った。そこはアメリカ軍の空爆で焼け野原であり、疎開中に戦災孤児になった子もいた。
 その月末、わたしの父が兵役解除されて戻ってきた。1年8か月前、今度こそ帰れぬだろうと号泣する母に送り出された父は、満州事変、支那事変、太平洋戦争と、十五年戦争中に7年半3度もの戦場をくぐり抜けた強運の人であった。その子のわたしこそ強運である。

 毎年、そのことを想う。そしていまだに戦争賛美する人々がいて、その人たちがやって来る8月15日の靖国神社を、定点観測のように訪れて、観察する。
 わたしは神社に生れたが、神仏を拝むことは決してない。それは思想ではなくて、神とか霊とかの存在をどうしても認めることができないという、単にプリミティブな科学的合理主義に過ぎない。

 実はわたしの叔父が、靖国神社に合祀されているのだが、そのことを思い出したのは、たった今である。過去に何度か靖国神社にいたときにも、一度もそれを思い出さなかったなあと、それもいま思い出している。
 わたしを可愛がってくれた叔父は、若妻と乳飲み子を遺して、フィリピンの山中に消えた。わたしの「父の15年戦争」の記録とともに、その叔父の悲惨な戦場のことも書いておいた(「田中参三叔父の戦場」)。

参照:靖国8・15定点観測記録
靖国神社815点々観測2019】その1 2019
◎【靖国神社815定点観測2018】今日も戦を讃える見世物2018
◎【靖国神社815定点観測2017】軍服若者がスマホいじる2017
◎【靖国神社815定点観測2005-2013】靖国神社風景2005、2013

参照:「父の十五年戦争:通信兵神主の手記を読み解く

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