2020/02/06

1442【国家試験】昔々わたしも建築士と技術士の試験を受けたなア

●一級建築士試験には1回で合格
 Twitterに昨日(2020年2月6日)から、一級建築士試験合格した乾杯とか、また落ちた涙とか、悲喜こもごもtweetだらけ、そうか、今はそのシーズンなのか。
 わたしの時はどうだったか思い出せば、60年代中頃だったかなあ、1回で合格した。卒業後2年の実技経験で受験資格が発生するが、その年に受験するのに気がつかず、次の年の受験した。
 受験の動機は、所属の設計事務所での給与に資格給がつくから、その金を欲しかった。

 今のように学科と製図は別試験ではなくて一体だった。製図は楽だったが、学科には弱った。もう内容を忘れてしまったが、問題は5つから正解を1つを選んで番号に〇をつけるのだった。それがたくさんの問題の飛び飛びに3分の1くらいしか解らない。
 あとを埋めるには、出題者の心理を読んで、同じ番号を続けて解答にしないだろうと、〇の位置をばらまいた。これじゃあとても合格無理と思ったら、意外にも合格だったから、作戦成功。

 給与がちょっぴり上がったが、仕事上では必要なかった。自分の名で建築確認申請書類を出したのは、60年代半ば設計の父の家と、70年代半ばの自宅だけだった。
 必要もないのにその登録番号を第47879号(死ねば泣く)と記憶しているのはどいうわけか。ネットで調べたら現在では373490人登録だそうだ。

●技術士試験には面接で失敗
 そして90年代末からフリーランスの都市計画家になった。一級建築士の資格はあるとしても、都市計画の国家資格が必要になるので、技術士(建設部門 都市及び地方計画)の試験を受けた。
 わたしはもうベテランになっていたから、なんの事前勉強もしなくても合格する自信があった。実はそうではなかったのだが、。

 1次の筆記試験で、あれは夏、青山学院の冷房でない古い教室で、暑かった。前半はらくらくだったが、後半の論文で困った。長い論文を書くのにいつもはワープロのキーボードを打つのに、鉛筆でシコシコと書くものだから、手が痛くなってしまった。
 この1次試験に合格、合格率は1割くらいだった。

 2次試験は面接である。試験官二人よりもわたしのほうが年上である。どちらとも直接面識はなかったが、ひとりは建設省官僚の都市計画課の緑地担当者だった。
 いくつかの質問に、自信もってとうとうと答えた。ところが不合格、これには仰天した。現場主義のわたしの仕事で人と話すのは得意だったし、歳が歳だから専門分野の知識はある。不思議である。いったい何がいけなかったか、一生懸命に考えた。

 当時リゾート法が話題になっており、それについての意見を求められ、自然破壊や地域との軋轢が生まれて大きな問題になるだろうと指摘したのが、建設省の試験官の気に入らなかったのだろうと思いついた。リゾート法はのちにそれで失敗した。
 この面接で落ちるという合格率は1割くらいだったから、わたしは1次も2次も難関を突破したのであった。なんだか馬鹿らしくなった。

●2回目の技術士試験面接合格
 それでもフリーランスとしては資格が必要なので、次の年に2回目に挑んだ。当時はまた最初の1次試験から受ける必要があった。
 この時も1次の筆記試験に合格、さて問題は2次の面接である。今度も不合格ならもうやめると考えた。
 それでもさすがに嫌いな事前勉強をしようと考え、八重洲ブックセンターで2次試験参考書を、立ち読みした。そこに意外なことが書いてあるのを見つけて、昨年の不合格原因が明確に判明した。
 面接試験で技術士の倫理について必ず問われるから、技術士法第44条から46条を答えるべし、と書いてあった。あれ、これ去年聞かれたぞ、技術士法なんて読んでないな。

 確かに去年の面接で聞かれた。だが、わたしは「技術士」ではなくて「技術者」の倫理と聞き、技術者のあるべき倫理や役割などをとうとうと述べたのであった。今どき大臣の国会答弁である。
 試験官は困ったにちがいない。言ってる内容はごもっとも、問うたのはそれではないんだよ、時々こういうのがいるんだよなあ、って嗤いつつね、。

 そうして2回目の面接試験に臨んだ。試験官の一人は、ある委員会で面識のあるT大学のT教授だった。「これは聞かなければならないことですが、、」と前置きを付けて、技術士倫理についてご下問があった。
 待ってましたあ、とうとうと答えた。もちろん今度は合格、立ち読み事前勉強が役に立った。ずっとのちにT教授にこの話をしたが、もちろんご記憶になかった。

●受験勉強や習い事を嫌い
 昔もあったのかもしれないが、これらの国家試験事前受験勉強について、民間の受験スクールが繁盛しているらしい。
 わたしの二つの国家試験は、上に書いた本屋での立ち読みのほかは受験のための勉強を一切しなかった。自信があるのではなくて、国家試験というものはそういうものだと思っていた。それは既にその専門課程の大学を卒業し、一定の力量がある者をその力量に応じて免許を与えるのだから、力量がないのは受験資格がないと思うのだ。

 いまどきは国家試験準備でも趣味の遊び技術体得でも、人様に金を出してナントカ教室に通うのが普通のようである。
 例えばテニス教室なんてのは、私に言わせるとやんちゃらおかしい。あんなのはラケット振り回してれば自然にうまくなるもんだよ。パソコンだってそうだよ、キーボードたたいてりゃ何とかなるもんだよ、わたしのように。 

 わたしはどうも人様から習う勉強を嫌いである。大学までは仕方なかったが、その後に何かを教室で習うことをしたことがない。
 大学入学試験でも、準備の受験勉強するのは邪道だと思ってしなかったら、失敗した。でも大学浪人中は自宅で自主勉強をして次の年に合格した。前年にわたしを落とした大学に腹を立てて別の大学に替えた。思えばこの時のことが教訓になっていなかったから、技術士試験で失敗をしたんだな。

 だがなにごとも例外はある。わたしの人生における唯一の習い事は、能楽の謡を野村四郎師(今では人間国宝)に20年間も個人教授してもらったことである。
 習うのは嫌いでも、大学で教えることはしてきた。しかしデスクワークよりも現場に出ていくことをメインに据えていた。

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