コロナってなんだ可愛らしいねえ、「コロナちゃん」と言おうか思っていたところへ、WHOが「COVID19」と名付けたと言うので仰天、なんと「コビトのコロナちゃん19歳」かい。
●豪華船は過密スラムか
今や地球上のあちこちで次々と発病、病気もグローバル時代でしかも伝染速度が速い。発信(発菌か)元が中華人民共和国(中国)らしいが、かつて日本人が団体旅行で世界各地にでかけたようなことが、いまの中国人にブームなんだろう。
日本は観光立国といって、外国人旅行者受け入れに躍起になってきているが、同時にコロナインバウンドリスク状態になっているのだ。どでかい船で病原菌を運ぶばかりか集中的に感染者を生産してしまった。
それにしてもあの船(ダイアモンドプリンセス)には驚いた。しかも私の家から4キロ
横浜港のダイアモンドプリンセス 20200212撮影 |
船旅行なんて、わたしは金はないし閉所恐怖症だから、まったく興味なかった。それが今回の件で船の中がどうなっているのか知って、これは過密居住スラム街だなと思った。
あんなところに4000人近くの大勢が、ぎちぎちに住んでいるのだ。町のスラム街との違いは、住んでいる人が船では金持ち、街では貧乏人という点だけらしい。スラム街で病気が蔓延するのはよく知られていることであり、豪華客船というスラムも同様であった。
●武漢と聞いて戦争を連想するか
今のところ中国での感染者が群を抜いて多いのは、配信元の武漢があるからだが、なんとなく新興国の覇権ぶりを見せている。
中国に負けるのが嫌だけど、もうとても追いつけない日本は、それでも第2位を行く感染覇権ぶりである。もっともミニ武漢船のおかげだから、威張れないけどね。
さらにそれに続くのは、何事につけても日本に追いつけ追い越せの大韓民国であるのは、この場合も同様らしい(2020/02/24現在感染者数:中77000人、日855人、韓833人)。さすがに中日韓アジア3大国の威厳?を保っている。
1938年10月27日朝日新聞 |
私が武漢と聞いて最初に頭に浮かんだのは、かつて日中戦争における有名な戦場となった地名「武漢三鎮」だった。今は武漢市となっている漢口、漢陽、武昌の三つの町のことである。
1938年に日本軍は50万人以上の兵でここを攻め落とし、日中双方に数万人の死者を出した「武漢作戦」は、日本政府はこれで日中戦争が終わるとみていたが、中国軍はさらに反撃と抵抗を続けて、日本はずるずると沼戦争に引き込まれたのであった。
わたしにとっての武漢は、そのようなイメージだったから、これは蒋介石の亡霊の復讐かな、かつて日本軍に土足で踏み込まれ荒らされた武漢、こんどは武漢から送り込んだ病原菌で日本を荒らすのか、なんてつい思ったのだ。
もちろん冗談だが、武漢に日本が侵攻した歴史を誰も思い出すことはないのかと、ちょっと気になっているのである。
なお、武漢作戦は父の時代の戦争だから、わたしは直接は知らない。しかし、亡父の3度の兵役時記録の整理(「父の15年戦争」)のときと、中越震災復興支援で出会った村の長老から戦争聞き書き(「大橋正平さんの戦場」)をしたときに、日本の戦争を幾分か調べたから、武漢作戦のこともそこで知った。
●身近なコロナちゃんインフル君
第1次大戦のときに、スペイン風邪という感染症が世界に流行し、大勢の死者が出た。このときはその流行の源泉はアメリカ合州国(アメリカ)であり、これが世界に流行したのはヨーロッパ戦線に投入されたアメリカ軍兵士に感染者がいたからだったそうだ。
さて、今も戦争はなくなっていないし、アメリカ軍兵士は世界の国々に出かけている。そしていま、アメリカではインフルエンザが猛威を振るっていて、ものすごい数の感染者と死者がでているが、新型肺炎流行の陰でニュースから漏れているらしい。
わたしの住む横浜では、港には遭難ダイアモンドプリンセスがいるし、隣にはアメリカ軍横須賀基地があるし、手近なところにコロナでもインフルでもそろっている。
先日、ダイアモンドプリンセスから釈放された人々大勢が、横浜駅から電車で帰宅したらしいが、その帰宅者から感染者発見とのニュースが出てきたから、もしかしたらうちのあたりにもコロナちゃんが、故郷の武漢に戻りたいなあと遊んでいるかもしれない。
太陽コロナ 黴菌コロナ |
それでもまだ咳なし熱なしであるのは、これは口の周りから体内にかけてアルコール消毒を同時進行していたからに違いない。
参照【コロナショック】コロナ船が近隣に来訪中で早期治癒解放を願うだけのわたしは閉所恐怖症
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