2020/07/06

1475【横浜コロナ風景その2⑤】横浜馬車道商店街の変化はコロナにあまり関係無さそうだが、、

 横浜コロナ風景その2④横浜元町からのつづき

 コロナ緊急事態で不要不急外出自粛要請される日々、それなのに横浜都心の繁華街を3日にあげす不要不急のご近所徘徊をしている。これはコロナ前からの日常そのままを続けているにすぎないのだが、コロナで街がどう変わるか新しい興味が加わった。
 そしてコロナ出現でにわかに人出が見えなくなった街を見て、単なる好奇心からの感想を書くこのシリーズは、これまで赤レンガパーク、中華街、元町とやってきたが、今度は「馬車道商店街」である。

 馬車道商店街のコロナ緊急事態最中の状況は、人出はかなり少ないのはたしかだが、中華街や元町のようにほとんど無人の街ではない。それなりに人がいる様子である。どうも印象としては、コロナ前と極端な違いがないような気がする。
 人通りがわずかなのに何故そう思うのか、自分でも不思議である。関内ホール前広場のベンチに座り込んで眺めながら、ちょっと考えた。
 その変らなさの原因は、歩道に緑が多いので、元町のように人通りの見通しがきかないせいなのかもしれない。また、ここは歩行者専用道路ではなくて、自動車の行き来がけっこうあるので、コロナ最中の商店街にも動きがあることによるかもしれない。

 そもそもコロナ前の馬車道は、人通りが多かった記憶が、わたしにはない。でもさびしかった記憶もない。中華街の喧騒はもちろんないし、元町のウィンドショッピング型の人出もない。
 もっとも、わたしは買い物や食い物にあまり関心がないので商店街の店の客になることはかなり稀である。馬車道商店街には、博物館と関内ホールとギャラリーと古本屋くらいしか用がない。店や人通りにあまり興味がないから、商店街としての記憶が薄いかもしれない。
32年前の馬車道風景 1988年11月23日
29年前の馬車道風景 1991年2月8日

27年前の馬車道風景 1993年5月11日

16年前の馬車道風景 2004年10月2日
 わたしはここの街並みを好きである。中華街や元町のような風景が一律になっているよりも、ここは品の良い多様さがある。それぞれ多様な一般の商業建築にすぐれたものはないが、要所に県立博物館、関内ホール、日動ビル、旧富士銀行などの公共施設や歴史的建築物があり、防火建築帯の共同ビルもあって、全体として街並みが一種の風格を見せている。
道路空間と建築セットバック空間とが、外部デザインとして、快く作りこまれているのもよい。よそから来ただれかを商店街に案内するとしたら、ここにしたいと思う。
コロナ緊急事態下の馬車道 2020年4月14日

同上 2020年5月17日

コロナ緊急事態解除直後の馬車道風景 2020年7月2日
同上 2020年7月2日


 ところで、コロナ前の馬車道では、街並みに大きな変化が起きようとしていたことを思い出した。横浜都心では関内と関外の主な通り沿いに、戦後復興期に計画的に建設した「防火建築帯」が数多くあり、これらが都心街並み景観形成に大きな影響を持っている。
 防火建築帯には単独ビルもあるが、複数の隣り合い連続する地権者たちによる3-4階建ての共同ビルが多い。それらは一階に表向きに小規模な店舗が並んでおり、全体は間口も広くて特徴的である。

 馬車道通りにも早川ビル、馬車道会館、商栄ビルなどの防火建築帯共同ビルがあり、連続する街並みを特徴づけている。
 「商栄ビル」は、馬車道通りに面して間口が一街区分あり、3・4階は共同住宅、1・2階に6店舗があり、街並み景観の特徴となっていた。3年ほど前からこれを建て替えすることになり、ながらく空き地そして工事仮囲いとなっいて、商店街の連続を断ち切っていた。この商店街の街の中心部であるだけに、これが街を寂れさせていた観があった。
60年ほど昔の商栄ビル(『BA』12より引用)

16年前の商栄ビル 2004年10月2日
 商栄ビルがなくなって塀ばかりでくつまらなく思いながらも、新しいビルでどんな商店街としての街並みが再出現するのか楽しみだった。
それがコロナ禍の真っ最中の今年になって完工したようだが、なんと4つの高層ビルに分かれている。共同ビルを解消したらしい。
 馬車道沿いの2棟の一階には馬車道に面して外向きに、処方箋薬局、小さなファッションブチック、またも処方箋薬局と3店舗が並んだ。こんなに薬屋が必要なのかと思う。6店が3店に減って商店街としては寂しくなった。
 だが、高層となって上層階にたくさんの共同住宅が乗ったから、それなりに商店街の客が増えたのかもしれない。
商栄ビルは4つに分割して建て替え、馬車道側の2棟 2020年4月14日
同上の2棟の馬車道側にセットバック歩道が出現 2020年5月17日
 関内ホール前ベンチから、コロナ緊急事態が終わったこの街のこの新ビルの前の人通りを眺めても、人出が特に戻ってきた雰囲気を感じない。改めて街にある店を眺めてみると、飲食店が結構多いのに気が付いた。まったくグルメじゃないからわからないが、居酒屋もあるが、なんだか老舗のような癖のある飲食店も多いようだ。そこが元町とは違うし、この後で行く軽薄な伊勢佐木モールとも違うようだ。

どうも、コロナというショックの視点からこの街をとらえにくい。コロナ前、コロナ中、コロナ後もあまり変わりない感じ(あくまで個人的な感じ)で、それはこの商店街の何を意味するのだろうか。
 このさき、そう遠くないうちに、早川ビルも馬車道会館も、商栄ビルのように建て替えられるだろうが、さてそれでどうなるだろうか興味がある。そう、コロナがこの街の不動産的変化にどう影響するのか、しないのか、興味がある。
防火建築帯のひとつである馬車道会館 2020年7月2日

 あ、そうだ、昔々、馬車道で奇妙な女性を見かけた記憶を書いておこう。それは1980年代半ば頃だったろうか、何かで通りかかった馬車道、あるビル前の小広場の椅子に頭も顔も衣装も真っ白づくめで、異様の厚化粧女が座っている。いや、頭髪は紫色だったかな、若くはなかった。
 その後にも2回だったか同様に見かけて、横浜という都会には不思議な人がいるもんだと思った。ずっとのちに通称浜のメリーなる数奇にして奇矯なる娼婦であったと知ったのは、五大路子が彼女をモデルにした演劇で話題となった1993年だった。
 その場所は、りそな銀行(当時は協和銀行だった)があるビル前の、セットバック歩道だったような気がする。あるいはアートビル前だったか。そう、馬車道が演劇舞台であった。
浜のメリーさんがいた記憶がある場所 1988年11月23日
さて次は伊勢佐木モールへ。   (つづく

追記2020/07/19
 最近になって、伊勢佐木モールでちょくちょく出会う不思議な格好の女性がいる。これが、なんだか浜のメリーさんが生まれ変わって出てきたかと思わせる雰囲気なのだ。
 大柄な女性(だろう)で、派手な色彩ではないが、短い丈のひだが多くあるスカート、襟周りにもヒラヒラが付いているブラウス、頭にはリボンと帽子が載っている。
 どうも女性の服装をうまく言えないが、まあ、コスプレである。それはまるで小学生が着飾って誕生会にでも行くようだ。モールをしゃなりしゃなりと流していく。
 顔を見れば、その皺の様子はけっこうな年齢の様だ。わたしが昔々に浜のメリーさんを見かけたときも、顔を見てエッと思ったものだった。
 

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