2020/06/29

1473【横浜コロナ風景その2④】横浜元町も中華街や港観光街並みのコロナ風景だったが、、

 【横浜コロナ風景その2③】のつづき
横浜元真理商店街 左:コロナ緊急事態中、右:同解除後
横浜都心の繁華街をめぐって、コロナ禍の影響を観察するともなく眺めて、だらだらと感想を書くシリーズで、赤煉瓦パーク、中華街の次は「元町商店街」である。
 商店街のランキングがあるのかどうか知らないし、横浜元町商店街のことだって実のところよく知らないにしても、多分、横浜でもっとも有名であるような気がする。

 驚いたのは、コロナ緊急事態のただなか、このまちは真昼間に人っ子一人見えない風景であったことだ。
 港あたりの観光街はもちろん、中華街チャイナランドも観光専門の街だから、無人になって当然と思ったのだが、ここ元町も観光客でにぎわっていた街だったのかしら、だからこんなに無人なのかと、ちょと意外におもった。
コロナ禍で無人の横浜元町商店街 2020年4月21日
真昼の無人の元町をゆけば、街並み模型の中に入り込んだ気分である。無人の中華街では、アニメ映画に入り込んだ気分だった。この違いはもちろんそれらの風景の極端な違いからくる。
 中華街と元町とは対照的な風景で、中華街の姿かたちも色もとりどりで自由気ままに見える風景に対して、元町商店街は一定の枠内に秩序づけられており、窮屈な感覚をもたらす風景である。

 中華街では面にひろがりパースペクティブな視線を拒否するが、元町ではリニアーに伸びて透視を強要する。この対照的な風景感覚をもつ街が、川を隔てて隣り合わせにあることが面白い。両者は決してまじりあうことはない風景である。
 そんなことを強烈に感じたのは、真昼に無人の街となって、いわば街の裸身が出現したからである。人々が行き交うことで繁華街は街として成立するのに、その人々を拒否すると素っ裸になってしまう。それぞれの恥部を見たような気恥ずかしい風景だった。

 いま、中華街が自由気ままで、元町には秩序があると書いた。たしかに元町には建築。看板などについて、かなり厳しい規制を布いている。一定の枠にはめられると窮屈な風景をもたらす。
 一方、中華街にも街づくり規範を布いているが、その記述内容は元町ほどに厳しくない。だが、皮肉な言い方になるが、実際は元町よりも厳しいかもしれない。
 街づくり規範に具体的に記されていなくても、その基底には何しろチャイナランドという特異特別な異国風景を強要されているにちがいないからである。建築家ならば、中華街よりも元町のほうがデザインに自由さがあると思うだろう。

 元町が中華街と同様に観光客で成り立っているから、コロナ禍最中に無人の街なったと思ったのだが、なんだかそれは違うようだ。
 元町も休業店が多かったが、中華街ほどではなかった。その違いの元は、中華街がいわば中華料理一本やりであるのに比べて、元町には多様な店があるからだろう。中華街と違って、日常的な需要がそれなりにあるはずだ。
 いわゆる特色ある高級なファッション性の高い内容の店が多くを占めるが、特色ある工芸品や飲食店が仲通りにはある。居酒屋もある。
 
 コロナで流行文句となった「不要不急」の度合いから言えば、中華街へは年に一回行けばよいレベルに対して、元町は月に1回のレベルと言おうか、そのような違いを感ずる。
 物理的な位置は同じように市街地の中にあるが、中華街が日常世界から外れた独立的なレジャーランドであるのに対して、元町は日常の延長上の境界あたりに位置しているのだろう。そう、山手に続く住宅地のイメージを抱いている。
 こんなことは、街を徘徊するけれども買い物をほとんどしない私だけが知らないことで、実はだれもが知っていることだろう。
人が戻ってきた元町商店街 2020年6月20日
さて、コロナ緊急事態解除となって初めての休日、元町にも人々は戻ってきた。中華街にも戻ってきた。このときは外国人観光客はほぼゼロのはずだ。
 二つの街の歩く人々を見れば、ずいぶん違うことに気が付いた。中華街は若者中心のいかにも遊びに来た風、そう、ナントカランドの客である。これに対して元町を行き交う人たちは、大人中心の客層が中心で、ウィンドショッピングしつつ、なにかを買い求める様相である。
 その風景をうまく言えないが、コロナの闇がようやく開けようとする喜びの表現に、両者では大きな違いがあるようだ。

 話はコロナと関係ないほうに行く。前々から思っていることで、元町通りの西側にそって中村川があるのだが、せっかくのこの都市内水路空間が、街にまたく生きていないのが残念である。
 中村川の上空を首都高速道路が覆っていて、元町には騒音と排ガスが一日中降ってくる。川辺には高架を支えるコンクリ柱が不愛想に立ち並び、陽のささない水面は陰気に暗い。同じ横浜都心の川でも大岡川とは大違いで、単なる排水路である。
中華街と元町を分断する中村川と首都高の風景 2020年4月24日
中村川とその上空の首都高が、城塞の堀と石垣のように中華街からの攻撃に、身を守っている。つまり二つの繁華街を分断している。
 このところの観察で、どうもこの分断が両者によい効果をもたらしているような気がしてきた。
 たまたま隣りあわせだが、両者は月とスッポン水と油で、あまりに違いすぎる。川がと首都高がわざと隔てているようだ。そのほうが個性を際立たせて良いのかもしれない。

 ところで、東京では日本橋川上空の首都高を撤去するらしいので、横浜でも中村川と堀川上空についてもそうして欲しいものだ。中華街と元町を隔てるのは、中村川だけでよろしい。
 あの高架がなくなると、どんなにかすっきりした横浜都心風景が出現することだろうと夢想する。これについては別に詳しく書いている(都市プランナー田村明の呪い)。

 さて次は「馬車道商店街」に行こうか。
 (つづく

◆参照:「コロナ大戦争おろおろ日録

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