横濱都心徘徊ルート図 |
横浜都心繁華街のコロナ風景観察シリーズは、赤煉瓦パーク→中華街→元町→馬車道とやってきて、今回は横浜でもっとも有名な伊勢佐木モールである。
そのまえに、今のコロナ感染状況を書いておこう。去年暮れに東アジア大陸の一角から始まった感染の波は、半年のうちに地球規模のパンデミックとなり、世界史的大事件のさなかにいる。
何事もチャイナのシーチンピンに追い越されたくないアメリカのトランプは、コロナ騒ぎの出足こそチャイナやヨーロッパ諸国に遅れをとったが、いまや死者13万人(対世界24%)、感染者343万人(対世界26%)を誇る世界最悪の地位を獲得している。その増加の勢いは衰えないどころか、日々勢いを増している。アメリカって怖ろしいね。
これに次ぐのがブラジル、インドだが、実は統計上では出にくいアフリカ諸国がどうなっているのか、世界の専門家たちから心配されているらしい。地球の近未来が見えない。
そして日本では、4月に感染ピークがあって全国を緊急事態発令の緊張下に陥れてきたが、6月半ばに落ち着いた感じとなり緊急事態を解除した。
それで緊張がゆるんで遊びに出歩き宴会をやるやつが多くなり、7月になるとまた感染者が増加しつつある。特に東京新宿あたりの夜の繁華街が最も問題発生地域らしい。
わたしが住む横浜も、東京からのもらい感染があるのだろうか、徐々に増加している。さて、また緊急事態発令を検討するべきだとの声も専門家から出ている。
そんなところに、政府は産業界から、特に壊滅状態の観光業界からの要望を受けて、観光旅行に税金で助成をする「GoToTravel」なる施策を開始するという。そりゃ早すぎるだろう「ゴッツイ、トラブル」と揶揄されたり、地方の知事も医師会も反対や慎重論を言いだし、では一番危険な東京トラベルを除いてやろうとか、今や世間はすったもんだ最中である。
コロナに感染して苦しむか、商売あがったりで貧乏に苦しむか、悩みは深い日々である。
●横浜最大の商店街・伊勢佐木モールとコロナ
コロナのない頃の伊勢佐木モール風景 2010年11月13日 |
今回レポートするする「伊勢佐木モー」ルに、近頃なんだか飲み屋それも安居酒屋がずいぶん増えたような気がするが、コロナと関係あるのだろうか。この2,3年のうちに、飲み屋に限らず安物屋がずいぶん店を出してきているから、コロナとは関係ないかもしれない。でもコロナがそれを促進するかもしれない。
コロナ緊急事態下の伊勢佐木モール 2020/04/14 |
同上 2020/04/26 |
緊急事態中は、大きな間口の店ほど、あるいは全国チェーン店ほど、休業が多かったが日常必需品店舗は営業を続けた。
コロナ緊急事態解除後の伊勢佐木モール 2020/07//12 |
同上 居酒屋が隆盛 2020/07/17 |
たくさんの安居酒屋も休業していたが、これらの営業再開がなんだかモールの景気づけに役立っている気配だった。そう思えるほどに、モールには居酒屋がおおい。
それもこの5年くらいに増えたような気がする。居酒屋に限らず、物販店も大小の安物屋が増えてきたようだ。
大きい店は、地下から5階まである激安売り物の「ドン・キホーテ」、その次が安物衣料の「ユニクロ」となんでも百円の「ダイソー」(文具類を買いに行く)が入る5階建ての店舗ビルである。これらが伊勢佐木モールで最大級の店舗であるのを、どう考えようか。
大型店と言えば、伊勢佐木モールからあの堂々たる建物の「松坂屋デパート」が撤退したのが2008年だった。2012年に3階建てに改築(当時の記事を参照)されて、今は食品量販店や安物衣料などなどテナントビルになっている。
モールの中ほどにある3階建ての大型総合量販店「ピアゴ」が、先日から閉店セールを始めた。店の名はいろいろ変ったようだが、ずいぶん昔からあった大型店で、3年ほど前に改築したばかりなのに、どうしてだろう。コロナと関係あるのだろうか。
モールの中でコロナで休業したまま、いまだに営業再開しない大きなビルがある。それは中央競馬会の場外馬券売り場である。この建物は、元は松坂屋デパートの新館だったが、その撤退後にそっくりおそのまま改装して馬券売り場となっている。
これもわたしには無縁なのでよくわからないが、それなりに街の賑わいとなり、商売繁盛に役立っていたのだろう。建築だけは風格のある姿であることが、往時のこの街の風格を見せているのだが、コロナでこれも失われるのだろうか。
安物店といえば、モールのあちこちに古物屋が増えつつある。10年くらい前までは古物と言えば古書だったが、古書店は少なくなるなり、いまは古着も古道具も中古電気用品も何でもかんでも売買する「●●リサイクルショップ」と銘打った古物店があちこちに増える。
環境問題対応と考えると時代の差先端を行く店だろうが、骨董品屋ではないから、どうも貧乏くささを免れない。コロナ貧乏社会が蔓延すれば、ますます安物屋が増えるだろう。
緊急事態中に店内に意外に人が多かったのは、有隣堂書店本店であった。コロナ逼塞中に自宅で読む本を買うのだろうか。
わたしはもう本さえも買い物しないのだが、書店は徘徊中の立ち眺めに立ち寄る店で、他に3軒の古書店がある。そういえば、古書店は更に2、3軒あったのが、いつの間にか消えた。5年ほど前に「ブックオフ」が進出してきたからだろうか。
コロナ以前もその変化はよく見られたがシャッター通りになることは無くて、さすがに横浜一の繁華街であると思っていた。
近頃は特に変化が多い。上に書いたように、安物店へ安居酒屋への流れが見える。昔々のことは知らないが、老舗はもうほとんどいないような気がする。
●防火建築帯の街並み
私は買い物をめったにしないから、コロナ以前の店の具合は、大きく目立つ店のほかは、あまり観察をしていない。
この近所に住むようになって19年、あちこち都心徘徊を続けてきたが、このモールに来ていることが最も多いような気がする。でも目的は買い物ではない。
そもそもわたしがこのモールを歩く当初の目的は、この商店街の主要な建築群を構成する「防火建築帯」の観察であった。かつてわたしも大阪で携わったことがある、戦後都市復興期のの建築である。
全国の都市で防火建築帯事業があったが、横浜の都心部は全国でもまれにみるほどに、関内関外にそれが多く建てられ、今もそれが伊勢佐木モールの中にも、その外にも生きて使われている。
近頃は次第に建て替えられて主として高層共同住宅になっていくのだが、その変化を観察すると、都市の変化が目に見えて面白いのだ。
その建築防火帯の多くは、隣近所の店が共同してビルにしたので、一階の外向きには小店舗が連続して並んで営業している。
一般に日本の繁華街の商業建築は建て替えが著しいのだが、共同建築駄るために一店舗だけでの建て替えが不可能であり、共同の権利者たちが一致して建て替えなければならない。その再建のための話し合いが困難で、防火建築帯共同ビルが今も多く使われているのだが、中の店舗は時代の要請に応じて変化する。
●じわじわとフーゾク化の気配
安物移行はまあ貧乏な私にはありがたいことだが、なんだか気になるのは風俗系への移行が、じわじわとやってきている感がある。モールから言えば裏通りに当たる曙町や福富町方面からのやってくるのだ。
伊勢佐木モールの裏あたりの曙町や福富町は風俗店が多い。緊急事態中に通ってみると、ほとんど人が通っていなかったが、それは私の観察が昼間だからだろう。
ソープランドなる店はさすがに休業のようだが、ほかの何するのか知らないが女性(あるいは男性かも)従業員と遊ぶらしい店は、灯りがついて客引きのお兄さんが立っているから、ほそぼそでも営業を続けていたようだ。
この商売こそ濃厚接触しないと成り立たないだろう、と思うのは素人考えか。今コロナ感染激増で有名になった新宿のホストクラブってのは、ここにもあるのかしら。いまにここも新宿に負けないようになるのかもしれない。
気になるのは、風俗系かどうかわたしは知らないが、それっぽい看板が目立つ「タイ古式マッサージ」店が、モール内外のあちこちにやたらに増えてくる。肩こり治しなら日本式があるだろうに、そういう店は一向にない。ここで何するのだろうか。
モール内とその近くにパチンコ屋が6軒もある。緊急事態になって5軒がすぐに休業した。関内駅に最も遠い1軒だけが数日間頑張っていたが、これも休業した。もしかして名前出すぞと当局から言われたのかもしれない。もちろん今は営業しているが、盛衰のほどを知らない。
「ナムコ」のゲームセンターも同様だったが、近頃いつ見ても以前のようには若者がいないのは何故だろうか。
休業が続くギャンブルの場外馬券売り場も風俗営業のひとつだろうが、横浜ではIRとかいって、埠頭にギャンブル場を誘致する構想があるから、これからどうなるのだろうか。
●地元型アジアン混合エスニック
元町と比べると店も通る人たちも、明らかに庶民の町であり、ほとんど観光的要素はない横浜の街である。そしてアジア諸国、特にチャイナ系とコーリア系のの度合いが高い。
わたしは、このモールを歩いていて、横浜が開国以来の国際都市であるという感覚を、アジアの国際都市なんだと体験的に知った。
ここのアジアンエスニックは、外来観光客からの借り物ではなくて、この町に暮らすアジア系外国人たちである。相対化すれば日本人もエスニック、そうここに住むわたしもそのひとりなのである。
それは外来観光客に頼る街がコロナで壊滅状態になったのと比べて、この街の強みであろう。
コロナ後のいま、ほとんどの店は営業しているが、注意しながら歩くと、コロナ以来閉店したままのところも結構多い。関内駅から遠くなるほどそれが目立つ感がある。この長すぎる商店街は、垣生となる大型店を次々と失って、いまや短縮する時期に来たかもしれない。コロナがそれを促進する。
これまでの観察から思うのは、伊勢佐木モールの街並み(戦後復興の防火建築帯建築群)は徐々に変化するとしても遅いだろうが、商売は時代に合わせて変幻自在に移り変わって、力強く生きてゆきそうな感じがする。
さて次は「横浜橋商店街に行こう。
◆参照:「コロナ大戦争おろおろ日録」
それもこの5年くらいに増えたような気がする。居酒屋に限らず、物販店も大小の安物屋が増えてきたようだ。
大きい店は、地下から5階まである激安売り物の「ドン・キホーテ」、その次が安物衣料の「ユニクロ」となんでも百円の「ダイソー」(文具類を買いに行く)が入る5階建ての店舗ビルである。これらが伊勢佐木モールで最大級の店舗であるのを、どう考えようか。
大型店と言えば、伊勢佐木モールからあの堂々たる建物の「松坂屋デパート」が撤退したのが2008年だった。2012年に3階建てに改築(当時の記事を参照)されて、今は食品量販店や安物衣料などなどテナントビルになっている。
モールの中ほどにある3階建ての大型総合量販店「ピアゴ」が、先日から閉店セールを始めた。店の名はいろいろ変ったようだが、ずいぶん昔からあった大型店で、3年ほど前に改築したばかりなのに、どうしてだろう。コロナと関係あるのだろうか。
モールの中でコロナで休業したまま、いまだに営業再開しない大きなビルがある。それは中央競馬会の場外馬券売り場である。この建物は、元は松坂屋デパートの新館だったが、その撤退後にそっくりおそのまま改装して馬券売り場となっている。
これもわたしには無縁なのでよくわからないが、それなりに街の賑わいとなり、商売繁盛に役立っていたのだろう。建築だけは風格のある姿であることが、往時のこの街の風格を見せているのだが、コロナでこれも失われるのだろうか。
かつて百貨店だった場外馬券売り場ビル |
環境問題対応と考えると時代の差先端を行く店だろうが、骨董品屋ではないから、どうも貧乏くささを免れない。コロナ貧乏社会が蔓延すれば、ますます安物屋が増えるだろう。
緊急事態中に店内に意外に人が多かったのは、有隣堂書店本店であった。コロナ逼塞中に自宅で読む本を買うのだろうか。
わたしはもう本さえも買い物しないのだが、書店は徘徊中の立ち眺めに立ち寄る店で、他に3軒の古書店がある。そういえば、古書店は更に2、3軒あったのが、いつの間にか消えた。5年ほど前に「ブックオフ」が進出してきたからだろうか。
コロナ以前もその変化はよく見られたがシャッター通りになることは無くて、さすがに横浜一の繁華街であると思っていた。
近頃は特に変化が多い。上に書いたように、安物店へ安居酒屋への流れが見える。昔々のことは知らないが、老舗はもうほとんどいないような気がする。
●防火建築帯の街並み
私は買い物をめったにしないから、コロナ以前の店の具合は、大きく目立つ店のほかは、あまり観察をしていない。
この近所に住むようになって19年、あちこち都心徘徊を続けてきたが、このモールに来ていることが最も多いような気がする。でも目的は買い物ではない。
そもそもわたしがこのモールを歩く当初の目的は、この商店街の主要な建築群を構成する「防火建築帯」の観察であった。かつてわたしも大阪で携わったことがある、戦後都市復興期のの建築である。
伊勢佐木モールの防火建築帯共同ビル 2020/07/16 |
同上 |
近頃は次第に建て替えられて主として高層共同住宅になっていくのだが、その変化を観察すると、都市の変化が目に見えて面白いのだ。
その建築防火帯の多くは、隣近所の店が共同してビルにしたので、一階の外向きには小店舗が連続して並んで営業している。
一般に日本の繁華街の商業建築は建て替えが著しいのだが、共同建築駄るために一店舗だけでの建て替えが不可能であり、共同の権利者たちが一致して建て替えなければならない。その再建のための話し合いが困難で、防火建築帯共同ビルが今も多く使われているのだが、中の店舗は時代の要請に応じて変化する。
●じわじわとフーゾク化の気配
安物移行はまあ貧乏な私にはありがたいことだが、なんだか気になるのは風俗系への移行が、じわじわとやってきている感がある。モールから言えば裏通りに当たる曙町や福富町方面からのやってくるのだ。
伊勢佐木モールの裏あたりの曙町や福富町は風俗店が多い。緊急事態中に通ってみると、ほとんど人が通っていなかったが、それは私の観察が昼間だからだろう。
ソープランドなる店はさすがに休業のようだが、ほかの何するのか知らないが女性(あるいは男性かも)従業員と遊ぶらしい店は、灯りがついて客引きのお兄さんが立っているから、ほそぼそでも営業を続けていたようだ。
この商売こそ濃厚接触しないと成り立たないだろう、と思うのは素人考えか。今コロナ感染激増で有名になった新宿のホストクラブってのは、ここにもあるのかしら。いまにここも新宿に負けないようになるのかもしれない。
気になるのは、風俗系かどうかわたしは知らないが、それっぽい看板が目立つ「タイ古式マッサージ」店が、モール内外のあちこちにやたらに増えてくる。肩こり治しなら日本式があるだろうに、そういう店は一向にない。ここで何するのだろうか。
古書店の2階にもタイ古式マッサージ 2020/07/16 |
「ナムコ」のゲームセンターも同様だったが、近頃いつ見ても以前のようには若者がいないのは何故だろうか。
休業が続くギャンブルの場外馬券売り場も風俗営業のひとつだろうが、横浜ではIRとかいって、埠頭にギャンブル場を誘致する構想があるから、これからどうなるのだろうか。
●地元型アジアン混合エスニック
元町と比べると店も通る人たちも、明らかに庶民の町であり、ほとんど観光的要素はない横浜の街である。そしてアジア諸国、特にチャイナ系とコーリア系のの度合いが高い。
わたしは、このモールを歩いていて、横浜が開国以来の国際都市であるという感覚を、アジアの国際都市なんだと体験的に知った。
ここのアジアンエスニックは、外来観光客からの借り物ではなくて、この町に暮らすアジア系外国人たちである。相対化すれば日本人もエスニック、そうここに住むわたしもそのひとりなのである。
それは外来観光客に頼る街がコロナで壊滅状態になったのと比べて、この街の強みであろう。
コロナ後のいま、ほとんどの店は営業しているが、注意しながら歩くと、コロナ以来閉店したままのところも結構多い。関内駅から遠くなるほどそれが目立つ感がある。この長すぎる商店街は、垣生となる大型店を次々と失って、いまや短縮する時期に来たかもしれない。コロナがそれを促進する。
これまでの観察から思うのは、伊勢佐木モールの街並み(戦後復興の防火建築帯建築群)は徐々に変化するとしても遅いだろうが、商売は時代に合わせて変幻自在に移り変わって、力強く生きてゆきそうな感じがする。
横浜都心部で唯一(多分)の戦前モダンデザイン建築「不二家」 |
(つづく)
◆参照:「コロナ大戦争おろおろ日録」
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