2020/07/19

1477【横浜コロナ風景その2⑦】粋な下町横浜橋通り商店街はコロナはどこ吹く風で生き抜く

 1476【横浜コロナ風景その2⑥伊勢佐木モール】のつづき

 世界中が新型コロナウィルス感染大流行騒動の中、日本ではさすがに首都たる東京都内
に感染者がもっとも多く、毎日のように前日の感染者数を超える新規感染者が登場する。
 非常事態が解けて都道府県を超える移動自粛要請も解けたら、東京からの各地への感染が起きてきた。この調子だと、また非常事態になってあれこれ休止要請を言い出すかもしれない空気がある世の中、もしかして第2波が来てるのかな。

 そして東京都に隣接する神奈川県も、東京ほどではないが毎日多くの感染者がでて、今日は「神奈川警戒アラート」を知事が発令とか、よく知らないが、知事がそういうほどに感染が増えてきたという子なんだろう。
 その神奈川県の中では、県都たる横浜市が最も多いのも仕方がない。わたしはコロナでも平気で徘徊の日常をやっているのだが、その私でさえなんだか徘徊自粛圧力を感じる。

 その横浜都心部の関内・関外の繁華街をふらふらと回って、コロナの前、最中、一時たるみ状態のいま、そして明日からまたコロナの波がくるかもしれない街、その様子を観察して感想文を書くのだ。
 特に何かを考察したり、提案するなんてめんどくさいことはしない。わたしの人生の末路あたりで、この珍しい事件に遭遇したことを奇禍として、単に感想を書いておくだけである。

 さて、これまでコロナ感想報告した街は赤煉瓦パーク中華街元町馬車道伊勢佐木モールであったが、今回は「横浜橋通り商店街」である。これまでの場所は、それなりに横浜を代表するような歴史とか観光的な面を持っている名所でもあった。
 ところが今回の「横浜橋通り商店街」は、同じ横浜都心繁華街であっても、知る人ぞ知る、知らない人のほうがはるかに多いだろう。純粋に地域対応の市場的商店街である。

 コロナとこの商店街の関係を一言でいえば、コロナどこ吹く風の様子であった。
 コロナ緊急事態自粛要請だから休業すると店頭に書いて休業の店は、数えるほどしかなかった。ほとんど影響がなかったようだ。人出もあまり変わりがなかった。
コロナ前の横浜橋通り商店街の賑わい 2010/03/11
コロナ緊急事態真最中の横浜橋通り商店街の賑わい 2020/04/19
コロナ緊急解除後の横浜橋通り商店街風景 2020/06/29
 いや、もちろん見えないところで変化や苦労(街路や店舗の消毒や感染防止対策など)はあるのだろうが、わたしのような一介の徘徊者には見えない。コロナ真っ最中の日々も、コロナ前のいつもの賑わいが続いている。マスク姿ばかりになったのが、大いに違うけれど。
これまでここに書いてきた街とは、明らかに違うのである。周りは高層中層の共同住宅ビルや低層戸建て住宅地であり、伊勢佐木モールと同じ立地環境だから、それらのあいだでのこの違いが面白い。

 長さ約360mの一直線の道は、日中は歩行者専用路となり、その上空には半透明なオーニング、雨の日は閉め晴れた日は開ける。伊勢佐木モールや馬車道が取り払ったアーケードを、ここでは守りつづけている。
 端から端までびっちりとまさに密な状態にたくさんの小さな小売店舗が、数軒の飲食店とサービス店舗をまじえて軒を並べている。地元組合のサイトには130店舗とある。
 毎日一日中人出が多い。店からの物売りの声が景気がよく響く。そう、ここは市場の雰囲気なのである。ぜんぜん気取っていない。元町とは対極にある。

 ここは、この地域の住民たちを対象とする、最寄り品ばかりの商売の街である。コロナでも日々の生活をしなければならない地域の人たちは、コロナであろうといつものようにやってくる。
 遠くから遊びにくる物好きがいるだろうが、わざわざ来訪する普通の観光客が来ることは無い。だから日曜日に休む店が結構多い。
 横浜にはこのような下町市場的商店街があちこちにあるらしい。わたしが知っているのは洪福寺商店街、六角橋商店街、藤棚商店街などである。

 この街の売り文句を、地元商店街組合のパンフにこう書いてある。
 「粋な下町 よこはまばし 街を取り巻く変化に歩調を合わせる様にこの商店街も変貌してきました。これだけ外国人経営の八百屋、魚屋、スーパーがひしめく商店街も珍しく、買い物客も中国、韓国、フィリピン、タイ、ベトナム、インド等々で、今ではアジアの台所と変化した様相を示しています。(以下略)」

 関内や関外の街には、商人にも顧客にもアジア系外国人が多いが、ここ横浜橋あたりでは決してインバウンドと呼ばれる観光外来者ではなく、この地域に住みつく人たちである。店先から聞こえる会話が日本語でないことは珍しくない。
 多くは二世や三世であろうから外国人と分類することがおかしい。わたしも西日本生まれだから、要するに同じような移民一世である。
 横浜橋通り商店街は、横浜が歴史的にアジア国際都市であることを端的に示している。

 わたしは歩いている人たちの顔を見ても、どれが外国にルーツを持つのかほとんどわからないのは、日本人の出身地をわからないのと同様である。
 だが10数年も徘徊をしていると、横浜橋通りあたりはコリア系の人たちが多く住んでいる雰囲気がある。小公園で遊び子供の声が、日本語でないのも普通に聞こえる。
 中華街あたりがチャイナ系が多く、このあたりにコリア系が多いのだろうか。
横浜橋通り商店街のコリア系の店舗 2020/07/16
コリア系とチャイナ系店舗が多いように感じたので、表から見てそうとはっきりわかる店を数えてみたら合計14店舗だった。商店街の営業総店舗数を数えると118だったから、12%弱で数量的には少ないが、視覚的には意外に多く感じるものである。
 空き地空き家が24件もあるが、意外に目立たないのは、空き店舗前の路上に隣の店が張り出しているせいもある。空き家が増えつつあるのかどうか、これまで注意して見たことはないが、コロナ後にはどうなるのか興味ある。

 わたしは買い物をほとんどしないが、どこの街でも市場的な雰囲気を好きである。ここ横浜橋通り商店街を徘徊する目的は、たくさんある八百屋と鮮魚屋の見物である。
 四季に応じて替わる野菜果物が、華やかな色彩で並ぶのを眺めるのは実に楽しい。野菜の名前をはじめて知ることもも多い。

 同様に魚屋が面白いのは、なんだか知らない生き物が、不思議な姿で並んでいて、次々と店を見て歩くとまるで水族館にいるようで見飽きない。買わないで店前に立ちんぼするわたしは、商売の邪魔だろうなあ。
 同じ野菜果物魚を売っていても、パックされたり切り身だったりする食品量販店では、そんな気分には全くならない。



 そういえばチェーンストアは、2軒の百円均一店だけのようだ。それと2軒のパチンコ店もチェーン店かもしれない。
 パチンコ屋2軒のうちの1軒はコロナ緊急事態自粛要請でピタリ休業したが、もう1軒は踏ん切りが悪かった。あちこちで休業しないパチンコ屋が話題になっていたころ、この店も営業を続け、そのうち休業したかと思うとまた営業したりしていた。多分、当局から直接要請された店だろう。そのうちに休業してしたが、もちろん要請解除とともに素早く開店した。
 この商店街でコロナの影響が最も大きかったのは、このパチンコ屋かもしれない。

 アベノミクスをもじってアベノマスクと揶揄される政府支給のマスクが、わたしのところに来たのはずいぶん遅く6月になってからだった。わたしの顔にはかなり小さすぎるし、うちにはたくさんのマスクストックがある。
 どうしようかと考えていたのだが、ここ横浜橋商店街名の中ほどにある組合事務所の前に、必要な人に回すというマスク収集箱があることに気づいて、入れておいた。商店街のサイトを見ると約1000枚集まったとある。

箱の絵はこの街出身の噺家・桂歌丸(故人)
店は密集密着密接して並んでいるのだが、屋根のかかる商店街だから、雨の日も晴の日も店頭を開け広げて、路上にはみ出す商売は、昔ながらの街の姿だが、図らずもコロナ時代の新しい商売様式になっているのが、なんだかおかしい。
 行き交う人たちはいずれもマスク姿だし、しばらく遠慮していたらしい店からの大きな売り声も、いまはマスクをとおして響いている。
 大鷲神社が商店街と背中合わせにあり、毎年11月の酉の市で大いに賑わうが、さて、今年は開催できるのだろうか。コロナを熊手で掻きよせるかも、(こちらを参照)。
酉の市の夜の横浜橋商店街風景 2007/11/11
酉の市の大鷲神社風景 2008/11/06

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