熊五郎:こんちわ、ご隠居、生きてますね。
ご隠居:おお、熊さんようこそ、しばらく見えなかったが、どこかにGOTOナントカやってたかい。
熊:いや、ちゃんと家に籠ったり仕事に行ってましたよ。一向にコロナが収まらないのでご隠居とコロナ談義で一杯やりたくて来ました。ほらこれがコロナ銘柄のビールです。
熊:そうですねえ、今朝の新聞から拾うと、アメリカでは累計1000万人を超えるのに、依然として毎日2万人もの感染者を新規に発生、国民は真っ二つに割れていがみ合っている。エチオピアとかアルメニアとかアゼルバイジャンとかでは戦乱だし、香港もなんだかきな臭い。そして宗教テロはどこで起きるか予測がつかない。
隠:さすがのコロナも呆れているだろうね。こうやって時々はコロナの地球状況を話して書いておくと、ずっと後から見て何かの参考になるだろうと思うから、大いに話そう。
熊:日本での感染状況は、専門家が今や第3波到来であると言ったそうですよ。なぜそうなったのか理由は簡単なこと、いったんは自粛していた人々の外出や旅行が、再開したからだという。あまりに当たり前すぎる理由で、わたしにもわかりますよ。
隠:感染防御の先進県として当初から競争?してきた2県でさえも、今や岩手41人、鳥取51人となっているありさまだ。ワーストの方は、東京3万人超、大坂1.5万人弱、わたしの住む神奈川1万人弱、以下愛知、埼玉、福岡とつづく。そして日々増えるばかりだ。
熊:じゃあ、なぜ人々は出歩くようになったのか、出歩く人たちは、身近にいたコロナ患者が減ったと実感したからでしょうか。実際は、ほとんどの人は身近にコロナを実感していないはずですよ。
隠:それでも自粛をやめたのは、世間がそうしているからだ。では世間が何故そうしたか、それは政府の政策で緊急事態を解除した上に、GOTOナントカニンジンをぶら下げる出歩き奨励政策をやったからだ。
熊:実際にGOTOナントカを利用し得感染する人は少ないのだろうか。そうであっても、その出歩き推奨政策がなされていることで、コロナはもう落ち着いた、いまや一部の現象だと、世間は思い込んだにちがいない。
隠:逆の言い方をすれば、GOTOナントカはコロナ感染拡大政策になっているに違いない。それが証拠には、観光旅行先に多い沖縄と北海道の感染者数増大だ。だれか数字的に証明してくれることを期待している。では狂歌をひとつ。
政府からそれ行けやれ行けGOTOとてがんばっておりますおいらコロナも
熊:イベントだって復活中、そう、わたしは先月末から今月にかけて、すでに3回のイベントに出かけましたよ。その前にはイベントに行きたくても、イベントがないのだから仕方なかったから、嬉しい。だが、もちろんこれには感染リスクを伴います。
隠:一人一人が感染リスクを背負い防御絶縁の姿勢をとりながらも、人々の交流で経済的損失から少しでも立ち直ろうという、その両者の行動配分がどのあたりが適切なのだろうか。
それをだれも分からないで生きているなんて、手探りで行く暗闇の時代である。芝居の「だんまり」をやっている毎日だね。
熊:面白いと言うと語弊があるが、これだけ長期にわたると、人間社会にもコロナへの対応に党派性が生まれるらしいですね。アメリカの大統領選挙で分かったのは、共和党トランプ支持派は、コロナ対応無視とて大規模集会にも多くがマスクをしない。マスクをしないことでトランプ支持を表現する。一方の民主党バイデン支持派はその逆だな。コロナの方は全く党派性に無頓着に感染を広げているはずだから、そんなアメリカ人を理解できない。アメリカの州ごとのコロナ感染者数と政治的支持の相関を示す地図を観たいものだ。
隠:そういうわたしは身近にコロナ感染者がいないものだから、深刻さが一向に分からないままに、平気で横浜都心の繁華街をコロナの街観察徘徊を日々やっている。
でも、外で密着して他人と話すような機会が全然ない。それは実に寂しいのだが、相手がいないから仕方ない。
それでも先日、東京でのシンポジウムに行ったときに、知人たちに出会って密着とはいいがたいが立ち話をしたのが、久しぶりの他人との会話だった。
年相応に人名を急に思い出せないのは仕方ないとしても、話し言葉さえも忘れているような気がして、オレはちゃんと話しただろうかと、後から気になったものだ。コロナは老人のボケを進行させる。
熊:街に出てもマスクが人々の顔にあるほかは、見たところは変化を感じないですね。店舗に入るときに体温を測られたり、手指消毒を促されて、コロナ禍にあることをハッと思い出すけれど。
わたしも外ではマスクを着けるますが、面倒でたまらない。外出するときに必ず忘れて、玄関を出て数歩歩いて気が付いて取りに戻るありさま。
隠:マスクをしていないと、まるで非国民として排除される雰囲気が怖い。電車の中に1車両に1人か2人くらいはマスク無しの人がいる。信条に忠実なのか、単に忘れたのか。
わたしは忘れたまま外出した時のために、カバンには3枚の予備マスクを忍ばせている。まあ、ハンカチにもなるからいいですよ。
それにしてもマスクはまだまだ衛生用具であり、ファッションというレベルには至っていないと思う。ファッションに定着すると、人間はコロナに負けたと思うでしょうかね。
熊:アメリカの製薬企業がコロナのワクチン開発に成功しそうだというニュースがあります。たとえ成功してもいきなりコロナ退治ではなくて、消滅には1年以上かかるらしい。
そのワクチンを人間に接種するには、量的にも時間的にも順番待ちが必要となるでしょうね。政策的には身体的弱者から、つまり幼児や高齢者優先でしょうかねえ。
隠:大量の救護者のための投薬の順位を決めるのは、選良という差別問題との撞着を避けられない。わたしは高齢者として、高齢者だからこそ、あえて言えば、十分に生きてきた高齢者をあとまわしにして、若者から接種優先にしてほしいと思う。無限の未来のあるものたちにこそまず生きてもらいたい。
熊:おお、ありがたい仰せだなあ、これも一種のトリアージュですよね。パンデミックにおけるトリアージュ論はあるのでしょうか、知りたい。ではわたしも狂歌をひとつ。
天災か人災なるか病む天体いつものごとく淡々と冬
(2020/11/12)
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