2023/06/26

1694【能楽鑑賞】三十年ぶりに能「二人静」を観てきた

 横浜能楽堂で能「二人静」(ふたりしずか)を観てきた。この能を観るのは3回目である。最初は1993年2月4日青山の銕仙会舞台での公演で、シテ野村四郎、ツレ清水寛二だった。これが実に強く印象に残っていて、かなり細部まで覚えている。
 実はその時に密かに録音したテープもあり、もう100回くらいは繰り返して聞いている。もう一回はどこで観たか記憶がない。

 今日の「二人静」は、喜多流であった。初めに歌人の馬場あき子さんと古典芸能解説者との肩書の葛西聖司さんの対談があった。というよりも、葛西さんは馬場さんの話の引き出し役だった。葛西さんはむかしNHKTVの古典芸能担当の司会アナウンサーだった記憶がある。

 馬場さんの解説は、これまで何回かこの能楽堂で聞いていて、なかなかに含蓄があり、興味深いものがある。今日も面白かったが、馬場さんの解説の解説が入る葛西さんが邪魔な感もあった。
 ひとつどうも気に入らない彼の言動があった。何かの話の途中で、「ハイ、こちら95歳で~す」と、いかにも歳にしては若いだろうと言外の動作に込めて、笑いを取るのである。
 馬場さんはちょっと見には謙遜している様子にみえたが、あれは明らかに迷惑がっていると、こちらが超高齢者だからよく分かる。年寄りの癖に若くて何がいけないんだよ、大きなお世話だよ、文句のひとつもを言いたいのだ。

 ところで、馬場さんもこれまで「二人静」を観たのは2回だけとのこと、10歳も年上の馬場さんがわたし同じ回数とは、どうでもよいことだが、なんだか近しいと感じる。ということは、あまり演じられない曲であるのか。
 それにしても馬場さんは今95歳だそうだが、その博識や論評はもちろんだが、切戸口からの舞台登場と退場の所作も舞台上の椅子で語る姿勢もキリリとしていて、口調も滑舌であることにただただ見とれる。こうありたいと思わされる数少ない超高齢者である。

 今日のシテの佐々木多門(1972~)もツレの大島輝久(1942~)も初めて観る能役者である。横浜能楽堂の企画で、馬場さんが推した「この人この一曲」であるとのこと。わたしから言えば、能役者よりもこの曲と馬場あき子と組合せを気にいって観に来たのだ。

横浜能楽堂サイトより引用

 能役者の上手下手は、よほどの下手でないとわたしには見分ける能力がない。二人静の見せどころの相舞は、それなりに合致していたのだろうが、良し悪しを言えない。
 このたびの座席の位置が、脇正面の橋掛かりから3列目後方から2列目で、これほど隅っこで観たのは初めてだった。鏡の間の気配を感じるし、登場する役者やその装束をごく近くで見ることができて、それなりに面白かった。

 この席からは舞台を真横で見ることになり、能の見巧者には能役者の所作の良しあしがよく分かるのだそうだ。観られる役者にはいやなものであるらしい。今日はその席で観たのだが、舞台正面に向かった並んで舞うシテとツレのふたりの動きを、真横から観るとほとんど重なっている。ふたりの相舞がぴったりと合致するとほぼ一人に見える。逆に一致しないと、ばらばらに見えることになるが、それをいかに面白がるか。

 多分、基本はぴったりと重なるように舞うべきなのだろうが、実際に見ていると重ならない方が面白い。二人が同じ動きをするのだが、それが微妙に時間差があって位置がずれると、舞台に奥行きが生じてくる。その時、その動きの違いを計測するが如くに観ていると、舞台に深みが生じるようだ。 

 能開演前の馬場さんの、二人静について大昔こんなことがあったとの話のひとつ。
 不仲の師弟の役者がシテとツレを演じた相舞で全く反対の舞をしたという昔人の書き残した話題を述べて、それも小書きになると面白いのに、と笑うのだった。
 やはり正面からあの華やかな装束が二つも舞台に左右に広がって、同じ様にきらめきながら二つ蝶のごとくに舞い続ける姿を観る方が良いと思った。あるいは見巧者になると、脇正面から観てその相舞のずれ具合の美しさを楽しむようになるのかもしれない。

 30年も前に見たシテ野村四郎の「二人静」では、舞台上にいるツレが、橋掛かり途中に腰掛けるシテの動きに操られているように動く、いや、動かされる印象的な場面があった記憶がある。でも今回それはなかったが、そのような演出もあることを、事前の馬場さんの話にあったから、わたしの記憶は確かなものと確認した。

 そういえば思い出した。その野村四郎シテの「二人静」を見てから10年以上たっていたころだが、その謡を習うことになり、ようやく謡本の1級に到達したのだ。
 その稽古の初めにわたしはこの曲の師の舞台を観たことを得意げに話したら、すぐにわたしの一部記憶間違いを指摘された。そうか、観た方よりも舞った方がよく覚えているのは当然だろうが、プロは自分の全部の舞台を細部まで覚えているものなのかと、ちょっと驚いたことがあった。その師もコロナ中に去ってもういない。

能「二人静」(喜多流)   主催:横浜能楽堂主催

私が選んだ訳」 馬場あき子(歌人)、聞き手:葛西聖司

シテ(静の霊)佐々木多門
ツレ(菜摘女)大島輝久
ワキ(勝手神社の神職)大日方寛
アイ(従者)野村拳之介
笛: 一噌隆之
小鼓: 飯田清一
大鼓: 佃良太郎
後見: 塩津哲生  狩野了一
地謡: 出雲康雅、長島茂、内田成信、金子敬一郎
    友枝真也、塩津圭介、佐藤寛泰、谷友矩

 横浜能楽堂は、自宅から近くて都心隠居の身には願ったり叶ったりの所だったが、改装のために1年ばかり休場するとのこと。
 コロナでながらく休場状態だったのにまた休場とて、年寄りにはまことに困る。休場が明けたころには、こちらの足腰が立たなくなっている可能性があるからだ。
 コロナで逼塞させられている間に、年寄りは再起不能になってしまい、まだ動けるし好奇心もある晩年の貴重な時間を奪われてしまう不幸に出くわした。もう取り戻せないのだ。

(20230625記)

筆者の能楽鑑賞記録一覧「趣味の能楽鑑賞瓢論集


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