昨日、久しぶりに映画を見てきた。「キャメラをもって男たちー関東大震災を撮るー」と題して、撮影者に焦点を当てた映画であった。その道の人たちには面白そうだが、被害の様相を見たいと思って行った私には生煮えであった。そのせいもあり、明日は震災中に起きた朝鮮人虐殺「福田村事件」を見に行ってこようと思う。
●今日は関東大震災百年目
今日2023年9月1日は、ちょうど百年前の今日1923年9月1日の昼、神奈川県を震源とする巨大地震が発生した日である。「関東大震災百年」とて特別なイベントがあちこちであるようだ。
その発生ゆえに多くの人間が死んだからとて、その日から地球が太陽を百周回したとて、生物的にあるいは物理的には何の意味もあるまい。
だが文化を持つ人間の側では、覚えやすい日に意味づけをする。初七日とか誕生日とかも同じことらしい。多くの人間が死んだことがなんと言ってもその日を100年間とかの節目に思い出すことになる。「関東大震災」で死んだ人間は約10万5000人だそうである。
ではその「関東大震災」なるものは、地球上の人間のどれほどに影響を与えたのか。地球全体の人類から言えばそれによって影響の度合いはどの程度か。
その頃の地球人口は約20億人だったから、105千人の死は誤差範囲である。一方、日本人口は約5800万人だから0.18%となる。このように大局的な数字で見るのは意味がなさそうだ。つまり、人間の側が思うほどには地球の側には大したことではなさそうだ。
●近現代日本巨大震災の比較
では人間側の問題として見ることにして、近現代の日本での大地震による被害を比べてみよう。この表を見て、死者数と被害額(GDP比、GNP比)では、関東大震災がダントツにもの凄い事件であったと分る。
こうやって比べると記憶に新しい東日本大震災被害額が、意外にランクが低いものだと不思議である。被災区域の広さでは多分ダントツに広かったであろうが、大都市を含まないとこのように評価されるのかと、興味深い。
ということは、今話題になる次の関東大震災は、この100年で東京一極集中より富が集中しているから、これまでと比較にならない巨額の被害になるだろう。
その一方で100年前の関東大震災よりも死者は少なく見積もられているのは、100年前と比べて都市人口は増えたが、耐震耐火建築が多くを占めているということなのだろう。
●震災とは地震+津波+核毒
ただし、ひとつだけこれまでの大震災とは決定的に違うことが起きそうなのは、核問題である。12年前の福島原発事故が今も国際的な問題を引き起こしているように、次の地震でどこかでも同様なこと、あるいはそれ以上のことが起きると、復興は実に複雑なことになる。
巨大地震が振動による被害だけでなく、巨大津波を伴う水害を引き起すが、これに加えてもうひとつの引き起こす巨大災害に核毒拡散があることをわれわれは知った。
振動や津波被災は国内で済むが、核毒拡散は海外にも広がるし、その被害発生時間が一時的なものではなくて、人間の生命を超える時間を要することに、われわれは対処できるのだろうか。
現に最近になって起きた国際問題は、フクイチの核毒汚染処理水の海洋放出に対して、大陸やオセアニアの諸国が懸念や反対を示していることである。とくにチャイナは日本の海産物輸入禁止に至って、経済問題から外交問題へとことは広がりつつある。
ということは、日本国内時だけじゃなくて、大陸や半島諸国にある核施設において巨大震災が起きると、日本が被災国になる恐れが十分ありうる時代が来ているということだ。
次の巨大地震でもこの新たな核毒問題が起きることを前提に考えなければならない。さて、それを考えて対策があるのだろうか。これはもうお手上げのような気がしている。
おもえば100年前の関東大震災も、28年前の阪神大震災も、12年前の東日本大震災もその時は絶望的な被害だったが、なんとか復興しているのだから、人間は偉いものである。
だから、つぎの関東大震災が来ても何とかなるのだろうと思う、というか、そう思うしかないのである。ただし、その時はこのわたしはもうこの世にいないはずである、というか、そう思いたいのである。 (20230901記)
参照:地震津波核毒おろおろ日録
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