2012/08/15

656古本41冊403円の寄付とは申し訳なかったなあ古本屋さん

 このブログの8月9日記事に、津波被災地の陸前高田市の図書館再建支援について、ささやかな寄付をするために、古本を送ったことを書いた。

 前に同じようなことで送ったのが、なんだかよくわからないままなので、こんどは試験的に安価な古本を送ったのであった。
●参照⇒653陸前高田市の被災した市立図書館再建プロジェクトに古本を送った http://datey.blogspot.jp/2012/08/653.html
 今日、きちんとした寄付受領書が来た。
 わたしの送った古本の買い取り金額は、なんとまあ403円で、これが寄付金額である。
安い、ささやかとは思っていたけど、41冊で403円とはねえ。

 これでは着払いで受け取って買い取った古本屋さんは、送料も出なかったことになる。
 以前に変なことがあったので慎重になったとはいえ、誠に申し訳ないことであった。
 こんな安いエンタテインメント系の本ばかり受け取っても、迷惑であったろう。

 次は専門書も入れて、少しは高く売れる本を送ろうと思う。 
 でも困った、わたしには古本のこちらの買値はわからぬでもないが、あちらの買値は見当がつかないから、さてどれにしようか。
 わたしがこれは貴重だ高いぞって思っている本が、世の中ではただの屑紙かもしれないからなあ。

2012/08/14

655邪魔なオリンピックがようやく終わってもまだ高校野球が、、

 今日(2012年8月14日)の朝日新聞朝刊の全36ページのうち、オリンピック記事がおよそ7ページ半も占拠した上に、高校野球の3ページを合わせると、なんと記事の3割がスポーツである。
朝日新聞はスポーツ新聞になったのかよ~。
わたしが読まないそのページ分を除いて、新聞購読料を7割にせよ。

それでもパラパラとめくると、目にひっかる記事もある。
韓国のサッカープレイヤーの一人が、竹島(独島)の領有に関する主張を書いた紙をもって、競技の直後に会場を歩いたとかで、オリンピックに政治を持ち込んでけしからんとて、罰せられそうだとか。

オリンピックてのは、筋論としては個人競技なのだそうだ。
それなら、国歌をなぜ流すのか、国旗をなぜ掲揚するのか、なぜ国旗をまとうのか、なぜ新聞は国別メダル個数を書くのか。
他の新聞やTVは見ないからどう報道されているか知らない。ほかじゃあオリンピック報道を全然やってなかったりして、、。

あのね、オリンピック競技を国別対抗にしてこれだけ煽っていながら、政治を持ち込んでけしからんなんて、チャンチャラおかしいじゃんかよ。
そもそも国家ってのは政治そのものなんだから、あおられたおバカにして純粋な?プレイヤーが、そんなことするのも当たり前でしょ。
そもそも国対抗競技会にしちまったのが大間違いなんだから。

そうだ、こうなったら、領土紛争をオリンピックで解決するってのはどう?
紛争国に所属するチームやプレイヤーが競技をして、勝ったほうが所属する国の領土にすることにするのはどうか。
それでもまだもめているなら、4年後に再競技でまた次の4年の帰属を決めるのだ。
8年後、12年後、16年後、20年後、、、あれ、紛争解決にはならないかもなあ、。
それでも、人殺し戦争で解決するよりも、はるかに良いだろう。

なんにしてもオリンピックがようやく終わってくれて、これからはちゃんとした新聞が来ると思うと、ほっとする。
アッ、そうじゃない、まだ高校野球があるんだ、いやンなっちゃうよ~。

2012/08/12

654オリンピックマラソンでTVロンドン見物したけどつまらない

初めてロンドンオリンピックをTVで見た。
正確に言うと、競技じゃなくてマラソンで走っているロンドンの風景を見た。

競技はどうでもよいので、音を消してロンドンの都市風景だけを見るのだが、奇妙なことに同じ風景がまた現れた。
あれ、録画したのを見せているのかと思えど、どうもさっきとは違うようだ。それが3回目ともなると、ああそうか、同じところをぐるぐる回らせているんだとわかった。

なるほど、こうすれば沿道の応援見物人たちは何度も見られるし、警備の人員数も減らせるし、道路の交通規制範囲も狭くて済む。
でも、風景を見たいこちとらには、つまらないことになった。

時々、半秒くらい選手たちがパッと止まることがある。さすがにオリンピック選手たちはすごい、こうまでみんな揃って一時停止姿勢は普通はできまい、すごいなあ、と思ったら、沿道の応援客も止まっているので、なんだ、電波のせいか。
画像がグラグラ揺れる時もあるが、ロンドンから日本に来る電波が、宇宙の人工衛星にでも引っかかるのだろうか。

3回も同じ風景となると、さすがに飽きて、TV見るのをやめた。
これを書いている今も走ってるが、もう興味はない。
風景を見ていて大して面白くもなかったが、街のビルに看板がほとんどないのが不思議なくらいだったのが印象に残った。

●参照
032オリンピックマラソンの風景
http://datey.blogspot.com/2008/08/blog-post_24.html
オリンピックで浮かれても戦争したイギリスと日本は複雑な間柄
http://datey.blogspot.jp/2012/07/644.html
645オリンピックをやってるらしい、その上に高校野球まで、困ったもんだ
http://datey.blogspot.com/2012/07/645.html
027オリンピックをやっているらしい
http://datey.blogspot.jp/2008/08/blog-post_08.html
008水泳競技特別措置法
http://datey.blogspot.jp/2008/06/blog-post_10.html

2012/08/09

653陸前高田市の被災した市立図書館再建プロジェクトに古本を送った

 陸前高田市では、被災した市立図書館を再建するとて、行政と民間が連携するプロジェクトを行っている。
 図書館づくりを支援したい人は、特定の古本屋に古本を送ると、古本屋はそれを買い取って、その買い取り金を陸前高田市に寄付として送るのだそうだ。
 わたしは本日、ひと箱30冊余を送った。
●参照→陸前高田ゆめプロジェクト
http://books-rikuzen.jp/

 実は、今年1月にも似たような活動を知って、陸前高田の「一般社団法人 星の陸高・陸前高田応援会」なる団体に古本を送ったことがある。
●参照→576陸前高田に古本図書館
http://datey.blogspot.jp/2012/01/576.html

 これは今回の件とは別のことらしいのだが、その後はどうなっているのだろうか。
 送ってもうんともすんとも言ってこない。言ってこなくてもよいが、その大元らしいサイトを見ても、なんだかわからない。どうなってるのか。

 この「星の陸高・陸前高田応援会」ってのは、もしかして詐欺団体なのだろうか。あの30冊余りの    古本はどこかで眠っているのだろうか。
 それとも避難所にでも行って、被災者が読んでくださっているだろうか。
●参照→陸前高田に世界に誇れる図書館を
http://m.facebook.com/RikuzenLibrary?_rdr

 という前科があったので、今回も警戒しているのだが、全国紙に報道されたので陸前高田市のサイトを見るとこのプロジェクトのリンクバナーがあった。それなら一応信用をおけるだろうと、再度送ることにしたのだ。
 でもまだ信用できないので、古本としては安価なエンタテインメント系だけにした。きちんとした行方の知らせが来たら、次は高く売れる古本を出そうと思う。

652新聞のスポーツ記事はポピュリズムの権化であるよなあ

「回り道の先、夢の舞台」
「日はまた昇る、どん底からのメダル」
「心は今も一つ、姉の声を力に」

あのなあ、新聞てのは修身(ちょっと古いか)道徳の教科書かい、
これらは今朝の朝日新聞の1面と社会面のオリンピックの見出しである。

中身は読まない、いや、こういう見出しだと読む気にならない、
はっきり言って、気持ちが悪い。

読む欄が少ないのでしょうがない、
いつもは見ないスポーツ欄も眺めるか、

あれ、野球もオリンピックでやるのかい、3面もつかって報道、
あ、違った、高校野球と書いてある、
なに、「ぶれない!!勇気!!」
もう、勘弁して。

「中国、「金」、首位でも敗北感」
そもそもスポーツ競技を国家間競争にした奴は誰だよ、
これって、戦争したい奴らのガス抜きかい。

試合をしてない日でも、女球蹴り記事面が広いのはなぜか、
ほかにはたとえばホッケーなんて日本の女はやってないのかい?
あるいはヨットとか、テコンドーとか、
負ける競技は報道しないのか、

勝ったら勝ったで戦争に勝ったように突然大記事になる。

新聞てのは特にスポーツ欄にポピュリズムがよ~くあらわれて、怖い。

2012/08/08

651安売り屋の居直り広告はどこか傲岸な雰囲気で嫌だ

今朝(2012年8月8日)の朝日新聞の一面全部買い占めた広告は、安売り量販店のイオンのビールの宣伝である。

そういえば先ごろイオンのビールダンピング販売のニュースがあった。
イオンへのビールの卸売業者が仕入れ値より安く売り、だからイオンは他の安売り屋よりも安く売った。それが、ダンピングで不当な競争をしたと公正取引委員会からお咎めをこうむったのである。

仕入れ値よりも安く卸して、どうやって生きていけるんだよ、、なんと、ほかの商品を高く卸して、合わせて儲ける仕掛けなのだそうだ。
ということは、イオンもビールは超安値、ほかのなにかは超高値で売っていたのだろうなあ。
店から買うこちとらは、このビールは安いって買ったら、ほかを高く売りつけられていて、どっちにしても安売り屋に儲けさせているのである。

で、今朝のイオンの広告は、安いビールを安く売って何がいけなんだよお、なあ、酒飲みどもよ! 公正取引委員会のお咎めなんて実にけしからん、そういう趣旨である。

おお、お上にたてついて、よくやるよなあ、安売りがんばれ、てな風に読むよりも、なんだか安売り屋のさもしい根性が透けて見える。
俺んちさえよければ、ほかがどうなるかは知らん、ほか奴らも努力すりゃいいんだよ、それをお上がイチャモンつけるのはけしからん、何と言おうと知るもんかよ! そういう雰囲気である。

イオンはこれまでそうやって、資本の力づくで地方都市の郊外に出店して、町の中心部を疲弊させてきた。つまり「まちづくり」の向こうを張って「まちこわし」をやってきたのだ。

この安売りビール事件が、これまでのイオンの態度を象徴している。傲岸さが見え見えで嫌だ。

●参照
http://datey.blogspot.com/2009/03/110.html
110高速道路休日1000円のバカ

http://datey.blogspot.com/2009/03/109.html
109イオンの反省だって?

http://datey.blogspot.jp/2012/02/583.html
583イオンの森と津波

http://datey.blogspot.com/2012/02/584.html
584イオンの津波(続き)

2012/08/04

650半世紀ぶりに行った国会前デモ風景


2012年7月13日のこと、17:00~19:00まで、わたしは国会議事堂前の道路の歩道際の石垣に座りつくしたまま、「再稼働反対」の合唱に耳を傾け、52年前に車道を埋め尽くした渦巻デモの中のひとりであった自分を思い出していた。

●18時半、人々が集まってきだした
http://www.youtube.com/watch?v=UN-SDv_Clr8

●19時前、鼓笛隊がやってきた
http://youtu.be/wSkU-iCuo4c

2012/08/03

649歴史とは継続する文化の重層であるはずだが突然百年飛ぶ東京駅

今朝の新聞の広告に、東京駅の写真が出ている。こう書いてある。

100年の歴史に、
新しい100年が積み重なる。

Over The century
東京の玄関として歴史を歩んできました。数えきれない思い出を見つめてきました。
戦災で姿を変えていた東京駅丸の内駅舎が、世紀を越えこの秋ついに創建時の姿によみがえります。
それは、残っている部分を活かしながら原形に戻す「復原」。
これまでの100年に積み重ねられた歴史と文化を、これからの100年へ。

この広告文については、わたしは異議がある。なんだ歴史認識がおかしいよ。

「これまでの100年に積み重ねられた歴史と文化」のなかで、もっとも重要なことは「戦災で姿を変えていた」ことである。
その変えていた姿こそが、現代に生きている私たちの世代が見詰めてきて、ここで再会や離別の人生模様があった空間であった。


それよりも重要なことは、その姿こそがあの日本の悲劇であった太平洋戦争による破壊と、その後の復興の姿を象徴する記念碑であったことだ。
西の広島原爆ドームに匹敵する、東の東京駅丸の内駅舎という、人間の愚行と再生の記念碑であったのが、それがまったくなかったの如くにきれいに消え去った。

あの「戦災で姿を変えていた」姿は、下半身が第1次大戦の戦勝記念碑、上半身は第2次大戦の敗戦記念碑であり、まさに「これまでの100年に積み重ねられた歴史と文化」を表現していたのであった。
「戦災で姿を変え」る前の姿は、1914年から1945年までの31年間に対して、「戦災で姿を変え」た後の姿は、1947年から2007年までの60年間であった。



   その長い歴史の重層する姿を消し去ったのが、この「復原」工事の結果である。うっかりすると美名に聞こえる「復原」だが、そこには戦争と復興の歴史的証人の抹消という、負の事実もあるのだ。

この日本の悲劇のシンボルを消し去ったという新たな歴史も、決して忘れないように、後の時代に伝えてほしいものである。
もうすぐ8月15日がやってくる。
こうやって、次の時代へと歴史は歩んでいく。

東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)

2012/07/31

648日本人は5度目の大被曝体験をしても原発を動かす

朝日新聞(2012年7月30日東京版)の朝日歌壇で発見した歌がある。永田和宏選のトップにある。

あれしきの被曝で何を騒ぐかと言ってはならぬ我は被爆者
                                                    (アメリカ  大竹幾久子)


日本人は広島原爆、長崎原爆、ビキニ環礁水爆実験、東海村JCO臨界事故、そして福島原発事故と、なんとまあ、ただ今5度目の大被曝体験の真っ最中である。懲りないのだ。
その被曝の軽重を比較することなかれ、軽重でその罪をはかることなかれという、最も深い傷をおった体験者の言葉の重さを、選者は汲み取っている。

大竹幾久子氏には、「Masako's Story Surviving the Atomic Bombing of Hiroshima」という著作がある。2007年に初版(日英対訳版)、2011年に改訂増補版をアメリカで出版している。
1945年8月6日の灼熱の光を浴た広島の焦土の中を這いずりまわるようにして、奇跡的に生き延びた過酷にして壮絶な記録である。

彼女は幼ない身に悲劇が深すぎて、被爆の記憶が脳裏からかき消されているそうだ。だが、放射線の毒牙は、幼いほど鋭く身に突き刺さるものだ。
長じて偶然にもその毒牙を剥いたアメリカに暮らすようになった。
そしてアメリカでこそ原爆の記録を世に伝えるべきと考え、その悲劇を語ろうとはしなかった母親から、老いたある日にようやく聴きだしたオーラルヒストリーである。

その本の著者紹介によれば、彼女は被爆の時は5歳、母と兄と弟とともに爆心地から2㎞弱の家の中にいた。外にいたら確実に死んでいたが、4人とも偶然に命を取り留めた。だが、外傷と原爆症に苦しむことになる。
家は完全に倒壊焼失、母は3人の子と生き延びるために、その後に待ちかまえる被爆ゆえの数々の塗炭の苦しみを抜けて、戦後の時代を生きることができたが、爆心地近くの兵営にいた父はいまだに行方不明のまま。

母親の語る広島弁は、地獄篇の詩である。


  まあ  ねえ

  あんときのことはねえ


/  一体どう言うたらええか

  この世の生き地獄じゃった

  とても言葉では言い表わせん


  ほんまに
  もう

・  あんとうな地獄は


ああ

もう続けられん


  Ah,that time on the sandbank,

  I don't know how to describe it all.

・  It was truly a living hell on earth.


  Never

  Oh, never again.
・  ・・・・・・・・・

Oh, I can't continue to speak of it!


わたしはその隣の岡山県生まれだから、広島弁の細かいニュアンスまで、ほぼわかる。
一方、対訳の英語でそれがアメリカ人にどう伝わるのだろうかと、わたしの英語力ではつかめないのがもどかしい。

大地も街も人間も襤褸となった広島をようやく逃げ出した避難先で、外傷と原爆症で倒れこむ。
身動きもできず枕を並べる幼女を看病もしてやれない母ができることは、童謡を教えるだけ。
わたしの人形はよい人形、うーたを歌えばねんねして、一人でおいても泣きません、、、、

言うて
二人で泣いたんよ

And then we cried, you and me.


そして2001年冬、その母が逝く。そのときの大竹幾久子氏の句作。

寝たきりの母も越えゆく新世紀

寝たきりになれど母在り冬灯す

Even my mother who was bed-ridden for so long
lived to see
the 21st century

And now in the dim light of winter
my moteher is still clinging to
a light spark of life

わたしは昨年、その夫とともに里帰りしてきた大竹幾久子氏に会った。夫はNASAでロケットを飛ばしていたエンジニア、こどもに恵まれ、カリフォルニアで元気に暮らしている。
実を言えば、その夫はわたしの大学の山岳部の同期生、その兄は大学の学生寮での同期生でどちらも親友、国会前でデモ行進をした60年安保世代である。

もうすぐ8月6日が来る。そして今、福島原発事故による被曝問題は、原発反対運動に広がり、60年代とは異なるデモの形の市民運動は、日本に新たな展開をもたらすだろうか。

7月13日に国会周辺原発反対デモに行ったのは、この本が肩を押してくれたのだった。

(注:青字部分は「日本語訳詩付Masako's Story  Surviving the Atomic Bombing of Hiroshima」By Kikuko Otake 2007からの引用)
●参照
500カリフォルニア歌人  
http://datey.blogspot.com/2011/09/500.html
641原発反対で52年ぶりの国会議事堂デモに参加して思うこと多々
http://datey.blogspot.jp/2012/07/641.html

2012/07/28

647横浜港景観事件(11)新港地区という島全体をこれからどうしたいのだろうか

 これまでこの事件についてあれこれ書いてきたことは、もともとは景観という目に見える姿について起きた事件がきっかけであるが、書いているうちに、この新港地区という島全体のまちづくり計画は、いったいどうなっているのかと気になってきた。
 ここにある施設群は、どのような計画に基づいているのだろうか。

 よくある話では、横浜市の総合計画があり、これに基づくMM21の開発計画があり、それを実現していくための実施計画があり、そして現場の規制誘導策として都市計画があり港湾計画があるということだろう。
 あまり大局的な計画を見ての概論では面白くない、あまり現場的なことは実情を知らないからかけない。
 だから、法的な規制とか誘導策はどうなんだろうかと、ネットで調べて見た。

 まず重要な結論から先に書くが、この新港地区には住宅を建てることを禁止している。 すぐ隣のMM21地区の中央地区が、やたらに超高層共同住宅群が建っている(私は嫌いであるが)のと比べて、こちらには一戸も建てることができないのは、なぜだろうか。

 人が住んでこそ都市であるのに、人を住ませない都心とは、どういうわけか。部分的には住宅が望ましくないエリアもあるかもしれないが、この島全部がどうしてそうなのか。
 これには私の想像だが、実は現実的な立地条件ではなくて、港湾行政と都市行政の狭間の問題があるのだろうと思っている。

 ここには臨港地区という用途規制がかかっている。これは港湾行政が都市行政よりも優位に立つ制度である。つまり、都市計画法よりも港湾法のほうが上にあるのだ。
 日本の港湾は、歴史的に大蔵省、運輸省、建設省と所管争いがあり、現在では国土交通省港湾局と都市局・住宅局の所管争いになっている。

 臨港地区は、港に接する陸域の土地について都市計画で決めるのだが、発議者は港湾行政側である。 
 その基本となる考えは、この土地は港湾行政の縄張りであるから港湾事業に関係する施設のほかはつくってはならん、という縄張り宣言である。都市計画の線引きみたいなものか。

 そしてその臨港地区のなかをいくつかに区分して、それぞれの土地の用途を決める分区を指定する。その土地の用途指定は、都市計画の用途指定を外れて、市町村が条例で定める分区指定によって決まることになる。

 横浜市が条例で定める分区は、商、工業、マリーナ、修景厚生(レクリエーションのこと)の各港区があり、そこに建てることができる施設の用途を決めて、それ以外を禁止している。
 臨港地区全部の土地に分区を定めているのではなくて、臨港地区だけで分区のない街区もある。分区のない街区の用途は、都市計画の用途によることになる。

 さて新港地区の中を見ると、たとえばワールドポーターズの街区の分区指定は「商港区」である。
あのショッピングがここに建ったのは、分区条例に商港区に建てることができる施設として挙げてあるうちの「港湾関係者の利便の用に供するための日用品の販売を主たる目的とする店舗及び飲食店」を適用したのであろう。

 これがなんだかおかしいのは、ワールドポーターズで売っているものは、「港湾関係者の利便の用に供するための日用品」なのだろうか、ということである。
 あるいは「港湾関係者の利便の用に供するための船用品販売店及びその附帯施設」、あるいは「港湾関係者の利便の用に供するための銀行の支店、郵便局及び保険業の店舗並びにこれらの附帯施設」も、中にはあるのかもしれないが、わたしは知らない。

 ホテルのナビオス横浜が建つ土地も商港区である。条例によれば、「港湾関係者のための休泊所、診療所その他の福利厚生施設」にあたるのであろう。
 このホテルの公式名称が「横浜国際船員センター」であり、経営者が(財)日本船員厚生協会であるので、それとよくわかる。
 だが、実際のところは、ネットの情報を見ると宿泊者を船員に限っているとは思えない。実は私も一泊したことがある。

 赤レンガ倉庫は、「修景厚生港区」の中にある。条例による規制でみると、これは多分「港湾関係者の利便の用に供するための物品販売業を営む店舗及び飲食店並びにこれらの附帯施設」なのであろう。これも「港湾関係者の・・」とあるところが引っ掛かる。

 つくってよい施設で「港湾関係者の・・」とついていないのは、「図書館、博物館、水族館、展示施設、公会堂、展望施設及び海事研修施設並びにこれらの附帯施設」と、海や貿易関係の官公庁施設のみである。

 どうして赤レンガ倉庫のような、あるいはワールドポーターズのような、海や港と関係なさそうな商業施設ができるのか、そこがわからない。なにか少しでも関係(たとえば輸入品を売って店が一軒)があればよいのだろうか。
 もっとも、法令には臨港地区の利用を港湾関係者に限るとは書いていないから、港湾関係者でなくても利用してもよいのだろう。
 でもそうとなると、なんで臨港地区なんだ、ということになる。単にショバ争いの結果か。

 赤レンガパークの西隣の空き地も、修景厚生港区である。
 これからどのような港湾関係者の利便に供する施設、あるいは図書館、博物館、水族館、展示施設、公会堂、展望施設及び海事研修施設ができるのか、楽しみである。

 いま、話題になっているアニヴェルセル結婚式場が建とうとしている土地は、分区無指定であるから、都市計画の用途地域と地区計画の規制がはたらく。商業地域だから結婚式場はOKである。
 だがしかし、ここで疑問が生じる。都市計画法第9条の22項には、「臨港地区は、港湾を管理運営するため定める地区とする。」とある。

 分区は指定していなくても臨港地区内であることは変わりないから、この結婚式場は「港湾を運営管理するための施設」、つまり「港湾関係者の利便の用に供する」結婚式場なのであろう。
 他の分区無指定の街区にある万葉倶楽部、カップヌードルミュージアム、コスモクロック、JICAなど、いずれも「港湾を運営管理するための施設」であるらしい。

 まあ、硬いことを言いなさんな、なんていう声もあるだろうが、もとが法令の定めなのだから、ここは厳密にならざるを得ない。
 そもそもどうしてまだら虫食いに分区を指定しているのか。全部指定して港湾行政で一元化するほうがすっきりするような気がするが、そういうものではないのか。
(わかってます、12年通知のⅡレベルで手を打ったのでしょ、と、突然にマニアックコメント)

 あるいは逆に、実態からして「港湾を運営管理する」とか「港湾関係者の利便の用に供する」とかのための施設ではない施設が立地している現状からすると、臨港地区を解除してしまって、都市行政に一元化するほうが実際的という考え方もできる。
 まあ、港湾行政当局からいえば、都市行政に縄張りとられるっってことで、お気にいらないでしょうが。タックスペイヤーからいえば、どちらになっても同じことなんですがねえ。
 へんに2重行政では余計な手間がかかるばかりで、行政にも開発事業者にも余計なコスト負担になる。

 この話の出だしが新港地区での住宅禁止のことであった。話を戻す。
 これは今もあるのかどうか知らないが、わたしが昔あるところで臨港地区開発にかかわった時に建設官僚から聞いた話だが、臨港地区に住宅をつくることは都市行政が絶対に許容しない方針であるとのことである。
 それは臨港地区をめぐる運輸省対建設省の長い領土縄張り争いがあり、その確執のひとつらしい。それゆえかどうかしらないが、この新港地区でも住宅は地区計画で禁止してしまっている。

 中央地区では住宅を許容し、新港地区では住宅を禁止するのは、どうもしっくりこないい。
 この地区では中層の質の高い海辺の環境を生かした住宅をつくれば、かなり面白い計画になるだろうと、わたしは思うのだが、そういう考えはこれまでなかったのだろうか。
 港湾行政と都市行政の狭間に落ち込んだ都市住宅、いや、都市生活者が哀れである。ここに賃貸の公的住宅を作ってくれたら、わたしは今いる関外から大喜びで移転する。あ、津波が怖いか。

 わたしは1980年代に横須賀港でウォーターフロント開発にかかわったことがあり、運建戦争と揶揄された臨港地区問題に巻き込まれた。
 そのいっぽうで、世界の港での開発をいくつも何度も楽しく視察した経験がある。
 記憶に残るのは、バンクバーのグランビルアイランド、サンフランシスコのピア39、ロサンジェルスのマリナデルレイ、サンディエゴのシーポ-とビレッジ、ニューヨークのサウスストリートシーポートビレッジ、ボルチモアのインナーハーバー、シドニーのダーリングハーバーなどである。
 日本バブル期ににそれを真似したものがいくつか実現したが、今は大苦戦らしい。神戸のハーバーランドが今大苦戦らしい。

 都市生活が海の生業や遊びと密接な関係を持つような、アメリカやオーストラリアの暮らし方は、どうも日本では無理のような気がしている。
 しかし、これからはありうると思うので、新港地区では中央地区のような高密度高層開発ではなくて、結婚式場も遊園地も小売店もよいが、歴史と文化と水辺の景観を満喫できる都心での暮らしの場をぜひ作ってほしい。

 ここでさらにやってほしいことは、水面の積極的な利用である。レストラン船、デッキテラスカフェ、海水浴場(海の上のプール)、水上シアターなど、静かな運河水面をもっと使ってはどうか。

 新港客船ターミナルは、どれくらい使われているのだろうか。昨年の横浜トリエンナーレ期間中に、ここで興味深いアートイベントが開催されて、わたしも何度か通った。
 ただし、建物の中だけであり、港としての立地には関係なかった。
 ということは、あれだけ長い期間をあの大きな建物建物全部を、港湾と関係ない利用をしても差し支えないということなのだろう。
 ならば、ここも新たな住宅とかアートの場とかを誘致して、港と一体のなった開発をしてはどうか。そのような開発をシドニーのダーリングハーバーで見てきた。

 はなしが景観よりも新港地区全体のあり方に身が入りそうになってきたので、ここらあたりで一段落する。
 また新展開があったら、面白がって何かイチャモンを書いていきたい。(一応,終わり)

  追記(120821)  と思ったのだけど、8月20日に横浜市から結婚式場計画のGOサインの発表があり、ついつい続きの(12)を書いた。
 参照⇒横浜港景観事件(12)
http://datey.blogspot.com/2012/08/660.html

●参照→横浜港景観事件(1)~(12)一覧