2009/06/21

144【世相戯評】エコさえつけば何でもOKでエコポイ、エコツーのバカ 

 ちかごろエコがつけさえすれば、なんでも許されるみたいな風潮がある。
 省エネ家庭用電器電製品を買うとエコポイントなんて点数がついてきて、それの点数に応じて271の商品・サービスと交換する「おまけ」つき制度を、政府が作るのだそうだ。
 買い替えがどうしてエコなんだよと、いちゃもんは既につけた。→120エコ商品購入補助金のバカ 

 こんどはポイントと交換できるものを決めたらしい。そこにはビール共通券があるそうだ。
 え、ビール飲むとエコロジーなのかい、なんでだろ、でもうれしいねえ、わたしは痛風になりそうで減ビール中なのだが、それなら飲むの復活するかなあ。健康よりも大切なエコのために、、。

 商品券、電子マネーなんてのもある。ということは、全然エコロジーでない品物を買うこともできるのだから、なにがエコポイントなんだよお、おい、ええかげんにせえよ、。

 旅行券もあるそうだ。旅行してエコロジーになるのかしら。
 世界遺産となった屋久島に観光客がわんさとやってきて、例の縄文杉のあたりは人間が踏み付ける、ゴミ捨てる、オシッコする、ウンコするで、自然破壊がものすごいそうである。
 そこで「エコツーリズム推進法」の初適用を目指して、入山制限をしようと検討中とか、。え、そんな法律あるの?

 「エコツーリズム推進法=過剰利用地域の立ち入りを制限して観光資源の保護を図ることで、ブランド力を高め、観光振興との両立を目指す。環境保護意識の高まりを受け、議員立法で成立。罰則もついた。屋久島は霧島屋久国立公園の一部だが、国立・国定公園以外でも適用できる」 (とYOMIURI ONLINE)

 なにいってんのよ、観光で人を呼び込んだら自然は荒れるに決まっている、両立なんてありえないって、わかりきっていることでしょうに。
 基本的に人間てものは、自然にとっては天敵であって汚いものなんですよ。

 自然環境をよくしようなんて言って「親水空間づくり」が流行ったことがあるが、あれって水を汚す一方なんですね。親水どころか遠水して、人間を遠ざけるほど自然環境にとっては良いのだ。
 エコってのは、自然に対する人間の介入をやめるか、できるだけ少なくするしかないはずである。

 製造工場でCO2を出すビールを飲んで、ゴミや交通負荷を増す自然探訪観光旅行をして、原子力廃棄物を出すし排気ガスもだすハイブリッド自動車に乗って、それでエコロジーだなんてチャンチャラおかしい。

2009/06/20

143【法末の四季】法末にさわやかな夏が来て田んぼの草取り

 今年も棚田の米つくりである。
 田植えには都合悪くて行けなかったが、その2週間後の草取りに、同年の友人FとTの二人を誘って行ってきた。
 地下足袋を履き、鎌を持って田んぼに入ると、ひんやりと気持ちが良い。

 棚田だから田んぼと田んぼの間は高さ2~3メートルの急斜面で、そこに雑草がはびこっているのを刈り取る。
 年寄りたちだから腰が痛くならないように、一生懸命にやらないでチンタラやろうよ、と注意しつつ鎌を振るう。
 草刈機で刈ればわけはないのだが、そうすると田んぼの水面に刈った草が落ちてしまうから、手で刈って斜面に押し付けておくのだ。

 ときどき腰を伸ばして美しい棚田風景を見渡すと、早朝の梅雨の晴れ間の陽はゆるゆると照って、暑くもなし寒くもなし、薄いもやがかかる緑の田や森や山が伸びやかである。
 そばの林の中から、ウグイス、ホトトギス、カッコウがしきりに鳴き声を響かせる。ケキョケキョケキョとウグイスは谷渡り、ホトトギスはトッキョキョカキョク、カッコウはクックー、それぞれに面白く鳴くのをどうも頭がオノマトペにして聞いてしまうのが、われながらおかしい。

 朝飯前の仕事にして9時頃に終えて食事をして、洗濯やら掃除そして昼飯の握り飯弁当を作って、今度は尾根道にトレッキングに出かける。
 農道が棚田群を結んでいるから歩きやすいのだが、遊歩道ではないから案内板にはめったにお目にかかれない。

 2004年の中越大震災で棚田もあちこち崩壊して、土木機械で復旧工事をした。
 昔からの棚田は、人力で小さな水平面をいくつも作って重ねてつくったから等高線に沿った曲線である。
 これに比べて、土木機械で作った棚田は幾何学的な直線や円弧となっているから、すぐわかる風景である。
 緑濃い中越の山の植生にも地形にも、震災がもたらした大きな影響が見える。

 あちこちに大きな斜面草地が現れるのは、耕作を放棄した棚田である。茅が背丈ほどにも生い茂って、段々の地形も畦道も消えつつある。
 放棄棚田を棚田に戻すことは耕作者がいないので不可能だろうから、これを早期に森に戻す方法はないものか。放棄のままでなく、農地から林地への適切な移行計画、農業から言えば縮退計画、林業から言えば拡大計画が国土の保全のために政策として必要なようである。

 地図にある一周して戻るはずのたどっていた農道が、茅の茂る草地斜面の中でとうとう行きどまりになっってしまった。棚田を耕作放棄したので道も震災復旧しなかったからだろう。
 しかたないので来た道を戻って、往復6時間半、約10キロのぶらぶらハイキングだった。

参照→●中越震災の山村で棚田米をつくる

2009/06/19

142【世相戯評】政府がなんでも低額給付金ってのをくれるとか

 金持ち財閥のアソウさんがポケットマネーから配ってくれる(のであろう)低額給付金を、わたしの銀行口座に振り込んだと、横浜市からお知らせが来た。

 この時期は、県市民税とか固定資産税とか健康保険料とか諸会費とか、いっぱい請求書が来るので、夫婦二人分4万円では文字通り低額(もしかして定額だったかも)過ぎて、口座に記録はあれどもあちこち引き落しの中に溶け込んで薄まって消えてしまった。

 日本の世帯数は約5千万、ここにお知らせ葉書を2回配ったり振込み手続きをすると、なんだかんだでどれくらい費用がかかるものだろうか。
 1世帯あたり100円としても50億円、エッ、計算違いじゃないよな、。

 そこでまじめに調べたら、総務省から都道府県や指定都市の担当部局宛の「定額給付金給付事業に係る留意事項について」(2008年12月20日付け)という事務連絡書類がインターネットに公開されている。
http://www.soumu.go.jp/menu_news/s-news/2008/pdf/081220_3_1.pdf

 それを一部引用する。
「本日、政府は平成20 年度補正予算(第2号)案を閣議決定したこと。
 今回の補正予算案においては、「景気後退下での生活者の不安にきめ細かく対処するための家計への緊急支援」として定額給付金を給付するために必要な経費2兆395 億13 百万円(給付金額1兆9,570 億円、給付に要する事務費825億13百万円)を計上していること。」 

 そうかあ、50億円でびっくりなんて貧乏人素人のあまりにいい加減で、なんと825億円もかかるのだ、ひょえ~っ。
 これを減税にすれば通常の徴税費用でまかなえるだろうに、なんでだろうか。多分、税金を払えない低額所得者にも低額給付金をと、アソウさん流の施しであろう。

 上の書類に「景気後退下での生活者の不安にきめ細かく対処するための家計への緊急支援」とあるから、家計支援に消えたわが低額給付金はそれなりに役に立ったことになるのかしら。
 アソウさんちでも「家計への緊急支援」となって、多分、大根でもお買いになったことだろう。

2009/06/18

141【言葉の酔時記】買い物問答

 このところつれあいがぎっくり腰なので、近くのセルフサービス店に買い物に行く。
 いつもは自分の呑む酒類しか買わないのに、今は野菜や肉を買う。あまりに色々あって、何を買ってよいかわからない。

 必要なものや必要でないものやらを籠に入れたら、出口でまとめて精算をする。そこで現金を払うときに、その勘定係のおばさんとか姉ちゃんからいつも質問される。
「ポイントカードはよろしいですか」
「え~っと、それってポインカードを買えって宣伝ですか、それがないとこの店では売ってくれないの?」
「あ、いや、むにゃむにゃ、」
てな会話をする。

 時にはこうも言われる。
「ポイントカード大丈夫ですか」
「え~っと、それって暗証番号の記憶とか、期限切れとか、そんなことが大丈夫かって心配してくれているの?」
「あ、いや、むにゃむにゃ、」

 時にはこうも聞かれる。
「ポイントカードをお持ちでしょうか」
「いいえ、持っていません」
「はい、わかりました」
 なんだ、そういうことかよ。

2009/06/10

140【老い行く自分】死ぬ前に買えとか経験せよとか年寄り脅迫市場に乗せられつつある

 モデルチェンジを次々とやって新製品を出しては売りつける、そんな商売人に乗せられないぞって抵抗してきているが、実は好奇心旺盛な新し物好き人間だから、大人の玩具にはあれこれと結構ひっかって無駄にしている。ワードプロセサー、パソコン通信、マイクロレコーダー、iPodなどである。
 若いときはあれこれ好奇心はあれども金はなしで、でもいつかはそいつをに入れるさと気長に構えて、モデルチェンジで初期故障がなくなった頃に目的を達成していた。

 ところが自分が高齢者になった今は、好奇心と寿命とが競合を起こしつつあることに気がついた。
 気長に構えていたら自分の命が尽きて、物もよくなり金もあっても、手に入れることが絶対に不可能になるのだと気がついた。まったくもって今頃になって、である。

 これから高齢者が数が多くなるから高齢者市場が有望であると、だいぶ前から世の中は言っているが、そうなのか、高齢者になにかを売りつけるには、そういう脅迫を裏に含ませれば容易に市場は広がるのだ。
 われとわが命に急きたてられて生じる脅迫観念が、要りもしないものを求めるようになる。

 新製品やモデルチェンジの製品のキャッチフレーズは、「熟年のあなたに、今だからこそこれがお役に立ちます、後でよいと言っていると遅いですよ」と言えば売れるのだ。
 そういえば旅行だって、高齢者というか中高年オバサンが特に多いのも、今のうちに行かないと、亭主がボケたら行けなくなる、自分が足腰立たなくなる、目が見えなくなる、ボケる、今のうちに行っとこう、てなことである。
 どうもこの年寄り脅迫市場にひっかりそうである、あぶない。

 ただ、コンピューターの類は、アメリカから来たらしく若い者を相手にしている風潮であるが、これだっていずれは老人市場に入ってくるだろう。
 そのときにはどう脅迫するのか興味があるが、その頃こちらは脅迫されても、もうなんのことかわからぬ歳だろうなあ。残念。

2009/06/09

139【怪しいハイテク】何回も何回もモデルチェンジしつつそのたびにMachintoschも稼ぐのか 

 昨日はWindowsのモデルチェンジで稼ぐガメツイMicroSoftのことを書いたら、今日はMachintoschが同じようにモデルチェンジだって。iPhoneのことである。
 Macもモデルチェンジで稼ぐのだ。
 そういえばiPodが初めて出て、すぐにiPod miniが出たので、喜んで買った。
 結構便利にしていたが、その後なんだか色々なiPodが出てきて、miniはまるで時代遅れ廃棄物扱いになってしまった。付属部品なんか廃止になって売っていないのである。 今は使っていない。

 前々からどうしてpersonal computerとmobile phoneとが別のアドレスを持たねばならぬのか、どうして家にあるip phoneとmobile phoneとは、番号が違わなければならないのか、疑問であるのだ。
 技術的な何かがあるのだろうが、それはわたしが知ったことではない。
 その面倒な別々システムについて、なんで世の人たちは文句を言わないのだろうか、不思議なのである。技術者もそんなことを思っていないのだろうか。

 わたしはもう40年以上も大昔に、ラジオ、テープレコーダー、カメラ、時計、計算機を一体化「ラテカトケ」なる製品を、既に考案していたものだ。もちろん名前だけだが、。
 まあ、それらしい、あるいはそれ以上の機能一体化した製品は出てきつつあるが、どこかもうひとつの感がぬぐえないのだ。

 iPhoneが初めて出たときに、Macならばやってくれそうだ、買おうかなと喜んでみたが、どうもどこか違うのである。
 インターネットができる携帯電話だというのだが、プロバイダーもメールもPCとは別契約だというので、余計な金払うのも馬鹿らしいので買うのをやめた。
 今度の新しいiPhone3GSとかはどうなんだろうか、宣伝動画を見たのだが、まあ、なんだかんだと機能があるが、ガキの遊びが多すぎて、ジジのビジネスにはどこかチグハグ感を免れない。

2009/06/08

138【怪しいハイテク】何回も何回ものモデルチェンジで稼ぐマイクロソフトの戦術にひっかかった 

 こんどはウィンドウズ7だってさ、年末発売のマイクロソフトのOSだそうである。
 ついこの間、VISTAなんてのが出たような気がするのに、またかよ。
 えーと、95、98、ME、2000、XP、VISTAと来て七つめだからセブンなのか、。平均2年に1回のモデルチェンジであるな、MSさんもえげつない商売に励んでいることよ。

 ま、わたしは今のXPで結構ですので、関係ないけどね。もっとも、その前に98、Meと買わされているのが癪である。
 でも、わがPCもいつか寿命がくる。自分の寿命が先に終わるかもしれないが、今のところ多分PCのほうが短命だろう。
 そうしたら買い換えるときに、XPがまだあるかどうかが問題となる。

 いっそのことMACに戻るかとも考えるが、MACからMSに転向して長いから、昔のMACと違うので覚えるのが大変だよなあ。
 いや、まてよ、先日VISTAにちょっと触ったが、XPとはとんでもない大違いで、面食らって早々に退散したのだった。
 だから、MSの新OSに乗り換えようが、MACに乗り換えようが、面食らうのは同じだろうから、これはまたMACにするかなあ、。

 でもなあ、どっちにしても新しいOSの操作に慣れるまでとか、愛用するソフトウェアのインストールとかの面倒なことといったら、あれほど馬鹿らしいことは無い。
 だって、その作業には何も創造的なことは無くて、わかったとき、インストール終わったときがゼロからの出発点であり、それまではせっせとマイナスの作業ばかりやらされるのだ。

 まあ、ボケ防止にはなるか、いや、腹がたって頭に血が上り、脳梗塞とかでボケが進行するかも、、。

2009/06/06

137【くたばれ乗用車】車に乗らないでこそエコなんだからオレにEV補助金240万円よこせ

 もう、怒ったぞ、自家用車に乗らないわたしに税金(補助金)をよこせ。
 今日の新聞(2009年6月6日、朝日、東京版)を見ると、三菱自動車が電気自動車(EV)を売り出す記事がある。
 なんだかもてはやしている感があるのが、気に食わない。
「発電過程時などを含めても排出量はガソリンの3分の1」ですみ、「東京電力の試算では全ての乗用車がEVになると日本のCO2排出量は8%減少する」とある。

 本当だろうか、根拠を知りたい。
 EVの生産、買替え廃棄車の処理、原子力発電の廃棄核物質の処理(処理方法がないから未来にツケを送っている)にかかる排出やコストを計算した上でのことだろうか。
 あちこちの関連ウェブサイトを見ても、それが具体的に分かるものはない。製造業者や政策担当者は、それをぜひとも示してほしいものだ。

 一番気に食わないのは、その三菱のEVは460万円のところを、例えば横浜市で買うと国と県市補助金を合わせ240万円も出るので、220万円で買うことができることだ。エコ政策らしい。
 これってホントかよ~、おい、でもこれってホントならずいぶんおかしいぞ。
 だって、自家用車を持たないで、普段は歩くか電車かバスに乗るわたしが一番のエコなんだぞ、おれに240万円よこすのが当たり前だろ、何でくれないんだよ。

 220万円も払える金持ちの個人の所有物に税金をやってどうするのだよ~、わたしのような貧乏人で自家用車にも乗れない者には、大大大不公平である。憲法89条違反だぞ、、、でも、オレにもくれたら違反じゃない、低額(定額だったかしら)給付金みたいにね。

120エコ商品購入補助金のバカ 
116エコカーに買替え補助金のバカ

2009/05/29

136【お遊び】友人の畑に作業小屋を設計施工で建てたのだが、、

 何十年ぶりだろうか、建築の実施設計図を描き、しかも初めて施工までした。
 といっても、わずか1間半×半間の物置小屋である。家具というには大きく、建築というには小さすぎる。

 韮崎に大学同期の友人Mが住んでいる。ロボット工学(情報工学かもしれない)が専門らしい国立大学名誉教授だが、自宅のそばにざっと千平米もの大農園があって、なにやら農作業もしている。
 その半分以上は雑草を育てている気配だが、その中にリンゴ、サクランボ、ナシ、クリ等の果樹が、まだ背丈くらいだがあちこちと植わっていて、その下にはてんでな方向の畝に、イチゴ、アスパラガス、トマト、チンゲンサイなどが育っている。ミョウガやフキは適当に生えてくる。てな具合の楽しい農作遊びをしているらしい。

 この3月に遊びに行ったとき、「雨水貯留装置プロジェクト」を手伝った。畑にやる水を、家の水道からバケツで運ぶのがいやなので、畑で雨水を貯留しようというのである。
 ようするに畑よりちょっと高い道端の地面に青テントを敷いて、そこに降った雨を低いほうの角に流して如雨露でタンクに流し込友人も畑にむという、不精なものである。一応は水がよく貯まっているという。
 雨が降らないと役に立たないのが難点であるが、雨が降ると畑に水をやる必要がないという矛盾もある。

 その次は、畑の隅に「肥料や農機具の収納小屋プロジェクト」であり、手伝ってくれと、Mは言い出した。

 家の裏壁に寄りかかる半間角の農具の物置があり、Mが木材と塩ビ板で自作しているのだが、どの面も長方形ではなくて平行四辺形というデザインに、少しは自覚して困っているらしい。

 そこで、昔々建築家のわたしに、既製品物置が簡単だけど、味気ないから設計しろ、という。ふん、面白そうだ、たかが物置だ、それくらいなら設計できる腕前は、まだ残っているだろう。
 で、二人でホームセンターに行って、日曜大工用品売り場をうろうろしながら、あれを使いこれを使いとアイデアを出し合った。
 それから2ヶ月くらいあれこれとメールやり取りして、設計図はできた。もちろん自分たち素人が施工するのだから、それなりの能力に見合うものでなければならない。
農作業小屋の設計図 
型枠用36べニア7枚から部材をきりだして組み立てる
建築設計やる者は当然に施工もやるものだと、Mは思い込んでいるらしかったが、わたしは施工なんてしたことがない。現場で施工業者に文句をつけた経験はある。
 1間半×半間の大きさにすると決まって、CADソフトなんて持っていないから、ペイントで設計図を描いたのだった。

 設計の一番のポイントは、2つの既製品スチール製棚を買い求め、これを1間半×半間の床板の上に左右両方に向かい合わせに立てて、この周りをベニヤ板で囲めば、スチール棚が定規になって、素人でも直方体がかっちりと建ち上がる、という点にあった。

 さて、基礎のブロックまではMがひとりでやって、5月27日午後、わたしとMは例のホームセンターに材料買出しである。
 ベニヤ板はコンクリート型枠用の、片面に防水コーティングしてあるものを求め、これを設計図にしたがってホームセンターで裁断してもらった。
   
 次の日からいよいよ施工である。朝5時起床でとりかかる。わたしはいつもは10時頃起きているので、時計が5時間も戻った。
 なにしろ、オーナーのMが早起きだから、設計施工出稼ぎお遊びボランティアのこちらは、泣く泣く目ヤニをこすりながら従う。

 まず、床板をブロック基礎の上に置く
 この上に、組み立てておいたスチール棚を持ってきて立て、3方にベニヤ板を取り付けていく。
 ここでもう、大変な見込み違いに気がついたのであった。

 そのスチール棚が定規になるどころか、なんとヘナヘナ鉄板づくりでベニヤ板のそりに負けてしまうくらいだし、直方体どころかM自作の物置なみの平行四辺形になるのだ。え、ナンだよー、おまえは鉄だろ、木に負けてどうする~。

 でもいまさらしょうがない、ヘナチョコ鉄棚をなだめすかし、ぶったたきながら、ベニヤ板をボルトで取り付けていくと、何とか納まったようである、まあ、近くによって見なければ、、。
 この治しきれないスチール棚ひずみが、後々まで響いた。この次には(そんな機会はないが)スチール棚を使わないぞ、ベニヤ板だけでやるぞ。

 そうやって片方の棚が立ち上がり、もう一方が立ちあがりそうな時に、突然の雷鳴、土砂降りになった。あわててビニールテントなどかけて、家に退避して休憩である。
 わたしの予定では1日で組立完了、次の日は補修とペンキ塗りで全部完了のはずが、この日は、昼寝(朝早いので)、雷雨で4時間あまり作業しなかったので、両方の棚を立ち上げて繋いだところで日没、床と壁はあるが屋根も扉もなくて終了となった。
施工順序
次の日も5時起きである。空が怪しい、そのうちにしとしとやって来た。いそいで屋根板を組み合わせ、乗せて取り付ける。
 雨は降り続き、雨具を着て作業である。とにかく屋根の取り付けまですれば、なんとか文字通りに雨露をしのげる。結局のところ、扉の取り付けと、細かい補修や補強を残して、昼過ぎに引き上げ、今回の工事はここまでとした。

 材料費は3万円ちょっとくらいだったから、既製品を買うよりもかなり安い。
 久しぶりの建築もどき日曜(正確には水木)大工仕事は、実に楽しかった。設計中も、久しぶりに昔のようなものづくりの知的興奮をちょっとだけ持った。
 Mも喜んでいたから、あとは畑作業の合間にぼちぼちとやるだろう。

(追記:6月9日)完成したとMから写真が来た。まあまあのできである。

 関連→119桃と桜花そしてブナの森へ

2009/05/24

135【横浜ご近所探検】横浜の磯子の海岸段丘の上にあった天皇家の王子様の夢の跡

 横浜の南の東京湾沿いに磯子という地域がある。昔は高い海岸段丘の下まで海が押し寄せていて、東京の別荘地だったらしい。
 昭和天皇の義弟の東伏見宮邦英(1910-)が、1937年に磯子別邸を段丘の真上に建てたのも、海の風景を眺めるのがひとつの目的だったろう。
 だが、海は1960年代に工業用地として埋立てが進み、目の前は豪華仏壇のごとくたくさんのお灯明がちらつく工業コンビナートが広がる。もう、保養地ではない。
 もっとも、ちかごろは工場萌えなんて変なマニアが出てきて、あの風景を愛でるとかであるから、見直されてまた保養地になるか、まさか、。 
→萌える工場達http://f.hatena.ne.jp/wami/20050215040849

 海の水ばかりじゃなくて、陸の緑のほうの埋立ても進んできた。東伏見宮別邸まわりの緑の丘陵が、住宅群にどんどんと埋めつくされていくのである。その変遷の様子を、この60年の航空写真に見ると興味深い。
 その東伏見宮別邸を買い取ったのが西武の堤康次郎であったのは、猪瀬直樹の書く「ミカドの肖像」のとおりで、王子様のお屋敷だからプリンスホテルになるのである。
 そして1954年に客室4室、60年に28室の横浜プリンスホテルが開業する。もうその頃は目の前の海の埋め立てが決まっていたか始まっていたはずである。とにかく営業をするが、次第に土地の切り売りをして住宅地にしていく。
 1990年、一挙に建て直しをして440室の大ホテルになる。あんな不便で景色もよくないところに、なんと村野藤吾の設計の豪華ホテルなんて、どうして?、という感じであったことを覚えている。一度だけ、なにかの会議だったかで行ったことがある。

 それからわずか16年、2006年に営業終了、2009年の今は歴史的建築の旧東伏見の別邸の木造建築の一部だけがあるが、そのほかは村野設計の15階建ての大ホテルもなにもかも、きれいさっぱりと取り払われて巨大な空き地となっている。
 風景はどうやら半世紀前に戻ったことになる。跡地は共同住宅開発のSPCが買い取って、いまは土地利用転換のための都市計画提案を地元などに説明中であるという。
 つまり、これで磯子は海の水側も陸の緑側も、両方共に埋立てが完了するのである。
 それにしても、あの大ホテル建築、しかも名手村野藤吾の作品が、たったの16年しか寿命がなかったというのが、おかしいというか、不審というか、もったいないというか、そういうものというか、奇妙な感じがする。

●横浜プリンスホテル史
http://www.k2.dion.ne.jp/~hkg/page287.htmlから抜粋、加筆)
・1937年 東伏見宮磯子別邸が竣工(設計施工竹中)
・1945年 終戦連絡局長鈴木九万が官邸使用(~947)、GHQフランス使節が使用
・1953年 西武鉄道が買収
・1954年 横浜プリンス会館開業食堂7室・客室4室
・1960年 横浜プリンスホテル新館開業(28室)
・1964年 根岸線(桜木町-磯子間)開業
・1966年 西武鉄道が磯子台分譲
・1977年 西武不動産が日本住宅公団にゴルフ場跡地売却
・1987年 横浜プリンスホテル営業終了
・1990年 横浜プリンスホテル開業(441室)、旧館は宴会場「貴賓館」
・1993年 「貴賓館」を横浜市が歴史的建造物に認定
・2000年 西武不動産が磯子プリンスハイツ販売
・2001年 「プリンスブリッジ」開通
・2005年 横浜プリンスホテルの売却検討を発表
・2006年 横浜プリンスホテルを特定目的会社に譲渡、
     東京建物が大規模住宅開発を発表、
     横浜プリンスホテル営業終了

 東伏見宮邦英なる人のことをウィキペディアで見ると、磯子の土地を手放した頃から京都の有名な寺院の青蓮院門跡の門主となって、京都古都税問題で京都市と争ったときの京都仏教界リーダーだったそうだ。8年の抗争の末に京都市はその税の廃止をしたから、勝ったことになるのだろう、頑固坊主らしい。
 大昔に、偏屈な将軍として有名な足利義教がここの門主だった。
 わたしは学生のときに卒論研究の調査で行ったことがある。話が逸れてしまった。
 ◆横浜ご近所探検隊が行く