田植えには都合悪くて行けなかったが、その2週間後の草取りに、同年の友人FとTの二人を誘って行ってきた。
地下足袋を履き、鎌を持って田んぼに入ると、ひんやりと気持ちが良い。
棚田だから田んぼと田んぼの間は高さ2~3メートルの急斜面で、そこに雑草がはびこっているのを刈り取る。
年寄りたちだから腰が痛くならないように、一生懸命にやらないでチンタラやろうよ、と注意しつつ鎌を振るう。
草刈機で刈ればわけはないのだが、そうすると田んぼの水面に刈った草が落ちてしまうから、手で刈って斜面に押し付けておくのだ。
ときどき腰を伸ばして美しい棚田風景を見渡すと、早朝の梅雨の晴れ間の陽はゆるゆると照って、暑くもなし寒くもなし、薄いもやがかかる緑の田や森や山が伸びやかである。
そばの林の中から、ウグイス、ホトトギス、カッコウがしきりに鳴き声を響かせる。ケキョケキョケキョとウグイスは谷渡り、ホトトギスはトッキョキョカキョク、カッコウはクックー、それぞれに面白く鳴くのをどうも頭がオノマトペにして聞いてしまうのが、われながらおかしい。
朝飯前の仕事にして9時頃に終えて食事をして、洗濯やら掃除そして昼飯の握り飯弁当を作って、今度は尾根道にトレッキングに出かける。
農道が棚田群を結んでいるから歩きやすいのだが、遊歩道ではないから案内板にはめったにお目にかかれない。2004年の中越大震災で棚田もあちこち崩壊して、土木機械で復旧工事をした。
昔からの棚田は、人力で小さな水平面をいくつも作って重ねてつくったから等高線に沿った曲線である。
これに比べて、土木機械で作った棚田は幾何学的な直線や円弧となっているから、すぐわかる風景である。
緑濃い中越の山の植生にも地形にも、震災がもたらした大きな影響が見える。
あちこちに大きな斜面草地が現れるのは、耕作を放棄した棚田である。茅が背丈ほどにも生い茂って、段々の地形も畦道も消えつつある。
放棄棚田を棚田に戻すことは耕作者がいないので不可能だろうから、これを早期に森に戻す方法はないものか。放棄のままでなく、農地から林地への適切な移行計画、農業から言えば縮退計画、林業から言えば拡大計画が国土の保全のために政策として必要なようである。
地図にある一周して戻るはずのたどっていた農道が、茅の茂る草地斜面の中でとうとう行きどまりになっってしまった。棚田を耕作放棄したので道も震災復旧しなかったからだろう。
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