2009/07/18

156【老いゆく自分】昔々の大学山岳部員だったころ岩場から落ちて死にかけた

中高年の山登りが流行とかだが、その60歳前後の山登りツアー客が北海道の山で10人も一日のうちに死んだという報道である。
 それもなんと、雪崩や岩崩れではなくて、寒さによる凍死だそうである。
 お気の毒とは思うが、そのひとびとの歳が歳だから、大学山岳部OBとしては、この山行きはどこかおかしい。
 ガイドに率いられて10数人が出発し、男女年寄りが風雨のなかで疲れた人の度合いによって、ばらばらになって離れて歩いていったというのは、常識はずれの言語道断である。まずガイドの資質を疑う。
    ◆◆
 思い出せば半世紀も前のこと、大学山岳部では若かったから、結構無茶もしたような。
 夏の剣岳合宿でのこと、仲間と2人でその日の行動に出たところ、わたしはうっかり雪の急斜面を滑落したのだ。
 すぐにピッケルを刺してとめようとしたところ、雪面が切れて急な岩壁になってしまった。
 岩壁ではごつごつした岩に跳ね飛ばされるからもう駄目だと観念して、ひょいと下を見たら小さな岩棚がある。
 うまい具合にその棚めがけて飛び降りて、ようやく滑落は停まった。下は絶壁である。
 死ぬ直前だったから、しばらくはショックで息が切れて、座り込んでいた。
 どれくらいそこにいたろうか、上にいる仲間の声にわれにかえって、のそのそと落ちたところを登って仲間の隣に戻った。 
 わが身を見れば、擦り傷はあちこち、すねに打ち身、ズボンはビリビリになっていた。岩場のせいである。
 その日の予定行動は取りやめてキャンプ地に戻った。
 それでも歩けるから、すねの打ち身を揉みながら合宿は続け、岩登りもしたし穂高までの縦走もした。
 そのときは合宿が終わってから横尾に残り、屏風岩の第2ルンゼを登ったのが、わが岩登りの最大ルートであった。つまり全く反省しないのであった。
◆◆
 この滑落は、わが人生の最大ショック事件で、それから半世紀後の去年、山岳部同期生のあつまりで、そのときに一緒だった相棒にこの事件を話して、ショックだったよな~って言うと、そんなことあったっけ覚えていないよ、と言う。これまたショックであった。
 不思議でさえあったが、人の生とは人それぞれにそういうものなのである、、自分でも言ってることがなんだか分からないが、、、。
 この山岳部同期仲間からどえらいやつが出た。ノーベル化学賞の白川英樹である。
 合宿テントの中で俺があいつに化学を教えてやったからなんだよって、受賞当時にヨタ話をしたものであった。
 なにで受賞したか当人から話を聞いたが、何のことだかさっぱり分からなかった。
 ときどき中高年の山登りに誘われるが、行かないのである。昔の山と今の山とは、風景も人もおおいに違うだろうから、それを見たくない。が、本音は、もしもバテたら昔山岳部として恥だからである。
 大学山岳部時代には夢のまた夢だったヨーロッパアルプスの山登り(正確には山降りだが)に、2006年に行ったからそれで満足である。
参照◆昔山岳部その2
参照◆ヨーロッパアルプスは棚田だった(2006)
参照◆アイガー北壁

2009/07/16

155【怪しいハイテク】出るばかりで浄化できずに貯まるばかりの電気のウンコ 

 電気はクリーンエネルギー、つまりきれいな動力源だから、電気自動車も環境によいのだって風潮がこのところあるけど、ほんとうかしらと疑問に思っている。
 今朝の朝日新聞東京版10面に、『使用済み核燃、貯蔵限界 再処理動かず原発ピンチ 「中間貯蔵」整備急ぐ』とて、原子力発電所で使い終わった核燃料がたまり続けている記事が載っている。
 ようするに発電したあとのゴミ処理ができないで、どんどんたまっているのだ。そのゴミが簡単には始末できない放射性物質だから、処理は容易なことではない。

 その処理工場を青森県六ヶ所村に作って試運転しているのだが、不具合続きで本格運転ができないのだそうである。
 工場にはこれまでの12年間に、ウランの量にして2500トン分が貯まっており、満杯に近づいている。各原子力発電所の敷地内にも核燃料ゴミは置いてあるのだそうだ。

 核燃料ゴミの量と環境汚染との関係は知らないが、なんにしても処理できない放射能ゴミが貯まり貯まっていけば、問題が起きるに決まっている。
 素人考えで不思議なのは、処理方法が確立しないのに、どうして放射能ゴミを出す発電を平気で行なうのだろうか、ということである。

 例えてみれば、口から美味いものを食うばかりで、尻からウンコは垂れ流しなのである。いやまあ垂れ流しはできないから、ウンコダメをあちこちに作っているが、そこで盛り上がっているままにしているのである。いつか溢れて流れ出すだろう、キタナイ、、。

 これでもクリーンエネルギーなのだろうか?
 江戸のウンコは下肥として、例えば川越のサツマイモになった。
 電気のウンコは、何か美味いものになるのだろうか? 
  
参照→・くたばれ乗用車

2009/07/14

154全国市長会で講演「伝統文化を活かした地域再生の可能性」

 「全国市長会」から講演の依頼が来た。
 日本各地の市長さんの会であって、税金で運営されているという。 そこの経済部の地方の活性化に関する検討会とて、「伝統文化の再生と地域の活性化』というテーマで、なにか話をしてほしいとのこと。
 おお、市長さんがたには言いたいことがいっぱいある。伝統文化にかこつけて、言いたいことを言ってこようと、喜んで引きうけた。

 7月7日の午後、東京は平河町の全国都市会館には、東北から九州まで25市長と、その随行の市役所職員が倍くらいいた。
 わたしが市長さんたちに訴えたかったことのひとつは、地方都市の郊外部のあまりに汚いので、これに気がついて早くなんとかしてほしい、ということである。
 わたしが撮り貯めている全国各地のいくつもの汚い郊外風景の写真と、その街の中心部の美しい風景とを対置してみてもらった。玄関にこんなにゴミを積んでおいて、それで観光に来いといっても駄目なのであ る。 
   参照→日本全国醜い風景アルバム

 もうひとつは、どこでもなんでも再生とか活性化とかの政策ばかりに金がつくが、人口減少する日本のどこもかしこも再生や活性化はできっこないのだから、もう一方の政策として山や村や街を閉じる政策、しかもそれを幸せに閉じる政策が必要である、ということである。
 このことは市長も役所の人も、心に思っていても絶対に言えないことだ。たちまち大反対にあうだろう。つまり総論としては必要だが、各論としてどこを閉じるかとなると大騒動になるからだ。わたしのような、何のしがらみのない者だからこそ言えることだ。

 多分、政策として理解されるのが難しいだろうが、今すぐ始めなければならないのだ。現実にやむをえず閉じつつある農山村や商店街が日本にいっぱいあるはずだ。
 今のように多くの人たちが、超高齢化してやむをえず農山村から街に移り住んでも、それは幸せなこととはいえないことが多い。

 それに対して何の政策の手を伸べずに、負け組だからほっておけでは、もう見過ごせないときが目の前にきているのだ。もう遅いかもしれないくらいだ。
 このことは誰もがわかっていても、簡単には言い出せない。 
 さあ、どうする、市長さん?(090707)

 参照→地域のしまいかたを考える
 
 講演全文→伝統文化を生かした地域再生の可能性

153【言葉の酔時記】こちらアイスクリームとなりますと言うので、そうなるまで待っていたら、 

 このごろ「・・・となります」と、言葉尻を結ぶのをよく聴く。
 居酒屋で、「こちらビールとなります」(未だ醸造中なのか、出来立てビールになるにはどれくらい待つんだよ)
 喫茶店で、「こちらアイスクリームとなります」(なるまで待ってると溶けちゃうよ)
 鉄道駅で、「まもなく列車の到着となります」(人間が運転するものと思ってたら、自然にやってくるものだったか、)
 旅行の広告に、「このツアーは2人部屋となります」(と言うことは、これまでは1人部屋か3人部屋だったのか、)

 もともと「・・なる」とは、「現象や物ごとが自然に変化していき、そのものの完成された姿をあらわす」(広辞苑第4版)ことである。
 転じて特殊な使い方では、「(そのことが自然に生ずる意から)〓高貴の人の行為をあらわす」とある。 ビールや列車が高貴の方になったのではあるまい。

 普通なら、「アイスクリームでございます」、「ビールでございます」、「列車が入ってまいります」、「2人部屋でございます」というのだ。
 世の中、普通でないことが多くなった。こちら老人となります、、、。

2009/07/08

152【言葉の酔時記】まったくもって無礼な電話屋の言葉遣いだぞ

 電話屋のNTTから「ひかり電話ルータの不具合に関するお詫びとバージョンアップのお願い」なんて長たらしい郵便が来た。
 ルータってなんだ、バージョンアップったあなんのことだ、日本語で言えよ。

 要するに、NTTが売った電話機と電話線をつなぐ機械(これをルータというらしい)が欠陥商品と分かったので、買った客が自分で治せ、というのである。
 そりゃないでしょ、欠陥商品なら治しに来るか、欠陥のないルータを持って取替えに来るのが、世の常識だろうよ。

 治し方を書いてあったので治したけど、来た文書を読み電話機に取り付いて治しおわるまでに20分はかかったぞ、それに加えて本当に治ったか確認のために天気予報にかけたから、その人件費と諸経費と通話料はどうしてくれるんだよ。
 そりゃまあ、たいした金額じゃないけど、でも100円くらいになるだろうよ(時給300円か、安いな)。光電話加入が何件あるか知らないけど、仮に100万件なら合計1億円だぞ。そんだけNTTは自分が原因の損失を免れて、消費者に負担をかけたのである。

 わたしの場合は一番簡単なやり方で治ったけど、それで治らなかったらという方法の、ひかり電話サイトにPCをつかって入ってやることになったら、もっともっと時間がかかるはずだ。
 お詫びとは言いつつ、こっちで治すのが当然の言い方、誰でもこれくらいは知っているみたいなカタカナ用語(ルータ、バージョンアップ、ファームウェア、プログラム、アラーム、INIT,CONFIG)を使って、とにかくそれが気に食わない。

「バージョンアップを行ないます」なんて、いかにも性能を高くするのをタダでやらせてやるみたいな言い方だが、要するに欠陥の修理である。
 「修理を致しますので、お手を貸してください」と言いなさいよ。

 コンピューター関係業者も礼儀知らずだけど、電話屋も無礼である。
 それにしても、買ってから6年9ヶ月経ったら、電話が自分で死んでしまうんだってさ、、バッカみたい。

 多分、この光電話を始めてから今頃が6年9ヶ月なんだろう、どこかでうんともスーとも言わない電話になってしまって、どうしたんだよって文句が出て、おやそうなのかってはじめて「ファームウェア(機器のプログラム)の不具合があり」って、欠陥商品だったことが分かったのだろう。

 この次はどんな欠陥が出て、どんな修理のご指示をいただくのか、タノシミである。
 あ、そうだ、これからは何か間違ってたら、ではバージョンアップします、って言おうっと。

2009/07/05

151【老いゆく自分】長い会議でも疲れない術は話の半分も聞かないでいること 

 一昨日は横浜都計審であった。2時間半ほどのけっこう長丁場の会議だった。会議のあいだを、きちんと聞いたり見たり読んだり言ったりしてすごごすのは、けっこう疲れるものだ。
 横浜都計審でのわたしは、多分、委員発言のうちの半分近くの時間を占拠してしゃべっていた筈である。でもちっとも疲れないのだ。

 それには、わが師匠から45年前に伝授してもらった秘訣があるのだ。わたしも歳とったから、このあたりで公開することにした。
 藤田邦昭という日本の都市再開発コンサルタントの草分け的な人がいた。8年前になくなったが、わたしが大学出てかけだしの頃、再開発にかんする地域の人たちのとの会合に、かばん持ちでついてまわったことがある。

 たいていはそのような会は夕方7時頃からはじまり、とりとめめのない話がだらだらと8割以上はあって、とりとめあることは1割くらいである。だからといって、とりとめないことを省くことはできない。
 午後10時、11時頃までつづき、いろんな人のいろんなことを聞いていると、若くて体力はあっても、頭がへとへとに疲れるのである。

 ところが藤田さんは平気で、話をしたり笑ったりしているのである。わたしよりも10歳も年上である。
「ねえ、藤田さん、どうしてそんなに平気でやっていられるのですか」と聞いたものだ。
 藤田さん曰く「わしなあ、みんなの話の半分も聞いとらへんねん、なんかほかのなあ、例えばええ女のこととかそんなこと考えとるんや、そやけどなあ、なんか質問あったらさっとそれなりに答えることできるんやで、それがプロちゅうもんや」

 それ以後のわたしは、これを座右の銘にして世の中をわたってきたのである。
 体力と知力の両方の衰えを感じる昨今であるが、一昨日の都計審もこの秘伝の技で乗り切ったのであった。


2009/07/04

150【横浜都計審】都市計画審議会の市民委員は疲れるもんだなあ 

 昨日の横浜都計審は、無事に(文字通り)終った。
 つまり、わが提案やお願いは一蹴されて、議事は原案とおりに事も無く可決されたのだ。
 会場にはまちづくり仲間数名が傍聴にきてくれて嬉しかった。

 ご期待に応えるべく提案やお願いにがんばったのだが、やっぱりドンキホーテか寅次郎、あれあれというまに一蹴二蹴されたのであった。
 これまで2回の審議会で上手く主張が通らなかったので、今回は作戦を変えて、議案に附帯決議をつけるという提案をしたのだった。

 今度はうまく行って、これについて審議をシッカリとしてもらえた。
 結論はNOだったが、審議してもらえただけでもわが進歩はあったと思うこととする。
 ♪奮闘努力の甲斐も無く~♪というところを、少しは甲斐のあったかもしれない審議会だった。

 それにしても、議事資料がきてから5日間しかないから、暇人のわたしでも結構忙しかった。
 一番の問題だった廃棄物処理場付近の土地利用に関しては、現地に2回も足を運んで見てきのだ。それでこの地域に住宅を禁止する措置を取ることが、どうしても必要と提案したのだが、通らなかった。 

 審議会で感じたのだが、どうも、現地を見ている委員がいないらしい、いてもごくわずからしいのである。議員委員の方はご自身の選挙区ならよくご存知であろうが、。
 現地を見ないで都市計画を審議するのは、都市計画の本質から言って大問題だと思う。

 孤軍奮闘又負けた。
 疲れるような、楽しいような、こりゃボケ防止になりますねえ、。

●参照→横浜市都市計画審議会を改革せよ

2009/06/30

149【横浜都計審】都市計画審議会の市民員は忙しい

 横浜市の都市計画審議会の公募市民委員となって、3回目の審議会が2009年7月3日にある。この前は1月だったから半年振りである。
 その議事内容の詳細を記した議案資料が来たのが6月27日、開催日まで中5日間しかない。
 その間に、議事内容を読み、都市計画を決める現地を訪ね、議案書を読んでもわからないことを横浜市の担当者に聞きに行くのだ。これは忙しい。

 都市計画は土地にかかるものだから、現地を見ないとわかりっこないのだ。
 今回は現地を見る場所が3箇所だからまだよいほうだが、前々回は20箇所以上、それも横浜市全域に散らばっていたから、もう忙しいったらなかった。
 新米委員はこうなのだが、ほかの委員はどうなさっているのだろうか。

 まさか現地を見ないままで審議会に出席されているのではあるまい。
 でも、ベテラン議員委員や学識者委員は、現地を見ないでもおわかりになるのかもしれない。
 わたしも早くそうなりたいものだと思うが、なにしろ任期が2年しかないから、そうなった時点でクビである。

 この前の土曜日は、廃棄物処理施設の現地を見てきて、今日は横浜市で景観関係部局の担当者に質問に行った。なんと市の担当者が8人も雁首揃えていただいて恐縮してしまった。
 明日の朝も市の廃棄物処理施設担当の方に質問と、午後はもうひとつの現地見学である。その上で審議会提出用の意見をまとめていると、おお、もう開催日となるぞ。

 引退している今のわたしは時間があるからよいのだが、仕事の現役にいらっしゃる委員たちはどうなさっているのだろうか。
 とにかく新米素人委員は、審議会の当日にどうでもよいようなバカな質問で本質的な審議の邪魔をしないように、議案に対して審議すべき提案をきちんとできるように、事前に準備をするのである。
 マジメマジメクソマジメ、、だって私が当選したために落選した48人の応募者の代わりにがんばらなくっちゃ、。

参照→都市計画審議会を改革しよう

2009/06/29

148【東京風景】清澄庭園と震災復興共同店舗付き住宅

 東京の江東区に清澄庭園がある。
 元はあの蜜柑舟の紀伊國屋文左衛門の屋敷、19世紀末に三菱の岩崎弥太郎に渡り、今は東京都の公園となっている。
 久しぶりでたずねて、まずは公園の外で特異な建物が未だ健在であることを確認した。

 その庭園は変形5角形敷地なのだが、その2辺にそって薄くへばりついて、道路のほうに向って店を開く2階建て長屋があるのだ。
 これがまあ、なんともいえないレトロモダンというか、ライト風というか、ヘタウマというか、奇妙なデザインでえんえんと続くのである。
 いつだったか、このあたりをふらふら歩いていて、おお、なんだよこれは、不思議だよなあって「発見」してからもう20年以上はたっているから、もうあるまいと思ったのだが、一部歯抜けに取り壊されているが、ほぼ健在である。

 通称・清澄長屋と呼ばれて、関東大震災復興のときに建てたもので、東京市営の店舗つき住宅であったそうだ。当時の東京市の建築家が、同潤会に負けまいとがんばったのかもしれない。
 建て直してパークサイドマンションなんてしゃれて共同住宅にすることもできそうなものだが、いまだに2階建てに自主個別増築してほぼ全部3階建てである。
 あちこちに色々と手が加わっているが、よく見ると当初の面影が色濃く見えて楽しい。

 この清澄長屋発見のときに、もうひとつ「発見」したのが街角に立つ妙な古臭い鉄筋コンクリート3階建てアパートであった。
 四つ角に向けて角を丸くしたところに階段のある入り口があり、格好つけた階段を登り廊下を見ると各戸の玄関が引き戸であった。
 これは同潤会清砂アパートという、やはり震災復興によるものであった。

 このたびここも訪ねたら、あんとまあ、超高層ビルになっていた。再開発事業で建て直したのであった。例の角の丸い階段のところは、今度はガラス張りで丸くなっていた。

 清澄庭園にも入ってみた。
 美しい日本庭園の向うに、にょっきり、ぼっくり、ひょっくりと、ベタ~っと、現代押しかけ借景ビルが頭や胴なかをのぞかせているのは、どこの庭園も東京にあれば宿命なんでしょうね。

2009/06/25

147【怪しいハイテク】ケータイをドジモからソフトバカに替えた

 懐中型無線式情報通信装置、いわゆるケータイを買い換えた。
 2年前まではドジモって通信屋のケータイを使っていたが、ソフトバカって通信屋が安い料金コースで売り出してきたし、番号を変えなくてもよくなったので、そちらに乗り換えたのだった。
 よくわからないが2年間のうちにまた乗り換えたら多額の金を取るぞって、契約書に書いてある。まあいいやと、そうした。
 ところがそのソフトバカ電話機は、あちこちつながらないエリアが多いのである。数名の仲間と一緒に行動しているときに、わたしだけつながらないことも多い。よく行っている中越山村の法末がまさにそうである。
 でも貧乏人は2年を我慢したのだ。ドジモに替えることにした。
   ◆◆
 さて、ドジモであるが、何でもいいから一番安い機器と料金にしてくれと、店のお姉ちゃんに頼んだのである。
 なんでもいいっていいながらも、デザインが気にかかる。年寄り向けのもあったが、あれはデザインが悪すぎるぞ、バカにするな。
 一番安いのにしても、変更イニシャルコストは、手続料金5250円、電話機代金7245円(どういうわけかいろいろな理由をつけて2万円以上も割引である、それならはじめから安くしてもよさそうなものを、)がかかった。あ、この原資は低額給付金だな。
 なんだかいっぱい分けのわからない料金コースやらガキの喜ぶ機能があるけど、電話がかかってくればいいよ、たまにはこちらからもかけるけどね、インタネットはモバイルPCでやるし、テレビもゲームも嫌いだしね、なんて頼む。
 で、月当たりランニングコストは、基本料金980円+利用料金(40円×利用分数ー1000円≧0)で、見かけ上は安いが本当に安いかどうかわからない。
 それでもその手続きやら設定に1時間以上かかった。これが普通なのか彼女がドジ子ちゃんなのかわからないが、けっこう大変なんだなあ、人件費もかかるなあと思ったのであった。
   ◆◆ 住所のわかる身分証明を見せろという、ちょうど持っていた健康保険証と健康保険料領収書をだした。で、それをスキャンしてデータコピーしようとする。
「おい、ちょっと待った。なんでそのコピーがいるんだよ、住所確認できたらそれでいいのだろ、わたしの保険料まで知る必要ないでしょ、個人情報についてもっと注意しなさいよ」
 彼女はびっくりして、となりの先輩らしい女性に聞いている。で、コピーは、やめになった。
 でも、こんなこと誰も言わないのか、教育受けてないのかって聞くと、
「ハア、流れで作業していて、すみません、たまにあります」 
 またもやうるさい爺でした。
 外で人と話をするのが、だんだんといやになってくる。相手をいやなるではなくて、あれこれとひっかる自分がいやになってくるのだ。