2012/08/12

654オリンピックマラソンでTVロンドン見物したけどつまらない

初めてロンドンオリンピックをTVで見た。
正確に言うと、競技じゃなくてマラソンで走っているロンドンの風景を見た。

競技はどうでもよいので、音を消してロンドンの都市風景だけを見るのだが、奇妙なことに同じ風景がまた現れた。
あれ、録画したのを見せているのかと思えど、どうもさっきとは違うようだ。それが3回目ともなると、ああそうか、同じところをぐるぐる回らせているんだとわかった。

なるほど、こうすれば沿道の応援見物人たちは何度も見られるし、警備の人員数も減らせるし、道路の交通規制範囲も狭くて済む。
でも、風景を見たいこちとらには、つまらないことになった。

時々、半秒くらい選手たちがパッと止まることがある。さすがにオリンピック選手たちはすごい、こうまでみんな揃って一時停止姿勢は普通はできまい、すごいなあ、と思ったら、沿道の応援客も止まっているので、なんだ、電波のせいか。
画像がグラグラ揺れる時もあるが、ロンドンから日本に来る電波が、宇宙の人工衛星にでも引っかかるのだろうか。

3回も同じ風景となると、さすがに飽きて、TV見るのをやめた。
これを書いている今も走ってるが、もう興味はない。
風景を見ていて大して面白くもなかったが、街のビルに看板がほとんどないのが不思議なくらいだったのが印象に残った。

●参照
032オリンピックマラソンの風景
http://datey.blogspot.com/2008/08/blog-post_24.html
オリンピックで浮かれても戦争したイギリスと日本は複雑な間柄
http://datey.blogspot.jp/2012/07/644.html
645オリンピックをやってるらしい、その上に高校野球まで、困ったもんだ
http://datey.blogspot.com/2012/07/645.html
027オリンピックをやっているらしい
http://datey.blogspot.jp/2008/08/blog-post_08.html
008水泳競技特別措置法
http://datey.blogspot.jp/2008/06/blog-post_10.html

2012/08/09

653陸前高田市の被災した市立図書館再建プロジェクトに古本を送った

 陸前高田市では、被災した市立図書館を再建するとて、行政と民間が連携するプロジェクトを行っている。
 図書館づくりを支援したい人は、特定の古本屋に古本を送ると、古本屋はそれを買い取って、その買い取り金を陸前高田市に寄付として送るのだそうだ。
 わたしは本日、ひと箱30冊余を送った。
●参照→陸前高田ゆめプロジェクト
http://books-rikuzen.jp/

 実は、今年1月にも似たような活動を知って、陸前高田の「一般社団法人 星の陸高・陸前高田応援会」なる団体に古本を送ったことがある。
●参照→576陸前高田に古本図書館
http://datey.blogspot.jp/2012/01/576.html

 これは今回の件とは別のことらしいのだが、その後はどうなっているのだろうか。
 送ってもうんともすんとも言ってこない。言ってこなくてもよいが、その大元らしいサイトを見ても、なんだかわからない。どうなってるのか。

 この「星の陸高・陸前高田応援会」ってのは、もしかして詐欺団体なのだろうか。あの30冊余りの    古本はどこかで眠っているのだろうか。
 それとも避難所にでも行って、被災者が読んでくださっているだろうか。
●参照→陸前高田に世界に誇れる図書館を
http://m.facebook.com/RikuzenLibrary?_rdr

 という前科があったので、今回も警戒しているのだが、全国紙に報道されたので陸前高田市のサイトを見るとこのプロジェクトのリンクバナーがあった。それなら一応信用をおけるだろうと、再度送ることにしたのだ。
 でもまだ信用できないので、古本としては安価なエンタテインメント系だけにした。きちんとした行方の知らせが来たら、次は高く売れる古本を出そうと思う。

652新聞のスポーツ記事はポピュリズムの権化であるよなあ

「回り道の先、夢の舞台」
「日はまた昇る、どん底からのメダル」
「心は今も一つ、姉の声を力に」

あのなあ、新聞てのは修身(ちょっと古いか)道徳の教科書かい、
これらは今朝の朝日新聞の1面と社会面のオリンピックの見出しである。

中身は読まない、いや、こういう見出しだと読む気にならない、
はっきり言って、気持ちが悪い。

読む欄が少ないのでしょうがない、
いつもは見ないスポーツ欄も眺めるか、

あれ、野球もオリンピックでやるのかい、3面もつかって報道、
あ、違った、高校野球と書いてある、
なに、「ぶれない!!勇気!!」
もう、勘弁して。

「中国、「金」、首位でも敗北感」
そもそもスポーツ競技を国家間競争にした奴は誰だよ、
これって、戦争したい奴らのガス抜きかい。

試合をしてない日でも、女球蹴り記事面が広いのはなぜか、
ほかにはたとえばホッケーなんて日本の女はやってないのかい?
あるいはヨットとか、テコンドーとか、
負ける競技は報道しないのか、

勝ったら勝ったで戦争に勝ったように突然大記事になる。

新聞てのは特にスポーツ欄にポピュリズムがよ~くあらわれて、怖い。

2012/08/08

651安売り屋の居直り広告はどこか傲岸な雰囲気で嫌だ

今朝(2012年8月8日)の朝日新聞の一面全部買い占めた広告は、安売り量販店のイオンのビールの宣伝である。

そういえば先ごろイオンのビールダンピング販売のニュースがあった。
イオンへのビールの卸売業者が仕入れ値より安く売り、だからイオンは他の安売り屋よりも安く売った。それが、ダンピングで不当な競争をしたと公正取引委員会からお咎めをこうむったのである。

仕入れ値よりも安く卸して、どうやって生きていけるんだよ、、なんと、ほかの商品を高く卸して、合わせて儲ける仕掛けなのだそうだ。
ということは、イオンもビールは超安値、ほかのなにかは超高値で売っていたのだろうなあ。
店から買うこちとらは、このビールは安いって買ったら、ほかを高く売りつけられていて、どっちにしても安売り屋に儲けさせているのである。

で、今朝のイオンの広告は、安いビールを安く売って何がいけなんだよお、なあ、酒飲みどもよ! 公正取引委員会のお咎めなんて実にけしからん、そういう趣旨である。

おお、お上にたてついて、よくやるよなあ、安売りがんばれ、てな風に読むよりも、なんだか安売り屋のさもしい根性が透けて見える。
俺んちさえよければ、ほかがどうなるかは知らん、ほか奴らも努力すりゃいいんだよ、それをお上がイチャモンつけるのはけしからん、何と言おうと知るもんかよ! そういう雰囲気である。

イオンはこれまでそうやって、資本の力づくで地方都市の郊外に出店して、町の中心部を疲弊させてきた。つまり「まちづくり」の向こうを張って「まちこわし」をやってきたのだ。

この安売りビール事件が、これまでのイオンの態度を象徴している。傲岸さが見え見えで嫌だ。

●参照
http://datey.blogspot.com/2009/03/110.html
110高速道路休日1000円のバカ

http://datey.blogspot.com/2009/03/109.html
109イオンの反省だって?

http://datey.blogspot.jp/2012/02/583.html
583イオンの森と津波

http://datey.blogspot.com/2012/02/584.html
584イオンの津波(続き)

2012/08/04

650半世紀ぶりに行った国会前デモ風景


2012年7月13日のこと、17:00~19:00まで、わたしは国会議事堂前の道路の歩道際の石垣に座りつくしたまま、「再稼働反対」の合唱に耳を傾け、52年前に車道を埋め尽くした渦巻デモの中のひとりであった自分を思い出していた。

●18時半、人々が集まってきだした
http://www.youtube.com/watch?v=UN-SDv_Clr8

●19時前、鼓笛隊がやってきた
http://youtu.be/wSkU-iCuo4c

2012/08/03

649歴史とは継続する文化の重層であるはずだが突然百年飛ぶ東京駅

今朝の新聞の広告に、東京駅の写真が出ている。こう書いてある。

100年の歴史に、
新しい100年が積み重なる。

Over The century
東京の玄関として歴史を歩んできました。数えきれない思い出を見つめてきました。
戦災で姿を変えていた東京駅丸の内駅舎が、世紀を越えこの秋ついに創建時の姿によみがえります。
それは、残っている部分を活かしながら原形に戻す「復原」。
これまでの100年に積み重ねられた歴史と文化を、これからの100年へ。

この広告文については、わたしは異議がある。なんだ歴史認識がおかしいよ。

「これまでの100年に積み重ねられた歴史と文化」のなかで、もっとも重要なことは「戦災で姿を変えていた」ことである。
その変えていた姿こそが、現代に生きている私たちの世代が見詰めてきて、ここで再会や離別の人生模様があった空間であった。


それよりも重要なことは、その姿こそがあの日本の悲劇であった太平洋戦争による破壊と、その後の復興の姿を象徴する記念碑であったことだ。
西の広島原爆ドームに匹敵する、東の東京駅丸の内駅舎という、人間の愚行と再生の記念碑であったのが、それがまったくなかったの如くにきれいに消え去った。

あの「戦災で姿を変えていた」姿は、下半身が第1次大戦の戦勝記念碑、上半身は第2次大戦の敗戦記念碑であり、まさに「これまでの100年に積み重ねられた歴史と文化」を表現していたのであった。
「戦災で姿を変え」る前の姿は、1914年から1945年までの31年間に対して、「戦災で姿を変え」た後の姿は、1947年から2007年までの60年間であった。



   その長い歴史の重層する姿を消し去ったのが、この「復原」工事の結果である。うっかりすると美名に聞こえる「復原」だが、そこには戦争と復興の歴史的証人の抹消という、負の事実もあるのだ。

この日本の悲劇のシンボルを消し去ったという新たな歴史も、決して忘れないように、後の時代に伝えてほしいものである。
もうすぐ8月15日がやってくる。
こうやって、次の時代へと歴史は歩んでいく。

東京駅復元反対論集(伊達美徳「まちもり通信」内)
まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)

2012/07/31

648日本人は5度目の大被曝体験をしても原発を動かす

朝日新聞(2012年7月30日東京版)の朝日歌壇で発見した歌がある。永田和宏選のトップにある。

あれしきの被曝で何を騒ぐかと言ってはならぬ我は被爆者
                                                    (アメリカ  大竹幾久子)


日本人は広島原爆、長崎原爆、ビキニ環礁水爆実験、東海村JCO臨界事故、そして福島原発事故と、なんとまあ、ただ今5度目の大被曝体験の真っ最中である。懲りないのだ。
その被曝の軽重を比較することなかれ、軽重でその罪をはかることなかれという、最も深い傷をおった体験者の言葉の重さを、選者は汲み取っている。

大竹幾久子氏には、「Masako's Story Surviving the Atomic Bombing of Hiroshima」という著作がある。2007年に初版(日英対訳版)、2011年に改訂増補版をアメリカで出版している。
1945年8月6日の灼熱の光を浴た広島の焦土の中を這いずりまわるようにして、奇跡的に生き延びた過酷にして壮絶な記録である。

彼女は幼ない身に悲劇が深すぎて、被爆の記憶が脳裏からかき消されているそうだ。だが、放射線の毒牙は、幼いほど鋭く身に突き刺さるものだ。
長じて偶然にもその毒牙を剥いたアメリカに暮らすようになった。
そしてアメリカでこそ原爆の記録を世に伝えるべきと考え、その悲劇を語ろうとはしなかった母親から、老いたある日にようやく聴きだしたオーラルヒストリーである。

その本の著者紹介によれば、彼女は被爆の時は5歳、母と兄と弟とともに爆心地から2㎞弱の家の中にいた。外にいたら確実に死んでいたが、4人とも偶然に命を取り留めた。だが、外傷と原爆症に苦しむことになる。
家は完全に倒壊焼失、母は3人の子と生き延びるために、その後に待ちかまえる被爆ゆえの数々の塗炭の苦しみを抜けて、戦後の時代を生きることができたが、爆心地近くの兵営にいた父はいまだに行方不明のまま。

母親の語る広島弁は、地獄篇の詩である。


  まあ  ねえ

  あんときのことはねえ


/  一体どう言うたらええか

  この世の生き地獄じゃった

  とても言葉では言い表わせん


  ほんまに
  もう

・  あんとうな地獄は


ああ

もう続けられん


  Ah,that time on the sandbank,

  I don't know how to describe it all.

・  It was truly a living hell on earth.


  Never

  Oh, never again.
・  ・・・・・・・・・

Oh, I can't continue to speak of it!


わたしはその隣の岡山県生まれだから、広島弁の細かいニュアンスまで、ほぼわかる。
一方、対訳の英語でそれがアメリカ人にどう伝わるのだろうかと、わたしの英語力ではつかめないのがもどかしい。

大地も街も人間も襤褸となった広島をようやく逃げ出した避難先で、外傷と原爆症で倒れこむ。
身動きもできず枕を並べる幼女を看病もしてやれない母ができることは、童謡を教えるだけ。
わたしの人形はよい人形、うーたを歌えばねんねして、一人でおいても泣きません、、、、

言うて
二人で泣いたんよ

And then we cried, you and me.


そして2001年冬、その母が逝く。そのときの大竹幾久子氏の句作。

寝たきりの母も越えゆく新世紀

寝たきりになれど母在り冬灯す

Even my mother who was bed-ridden for so long
lived to see
the 21st century

And now in the dim light of winter
my moteher is still clinging to
a light spark of life

わたしは昨年、その夫とともに里帰りしてきた大竹幾久子氏に会った。夫はNASAでロケットを飛ばしていたエンジニア、こどもに恵まれ、カリフォルニアで元気に暮らしている。
実を言えば、その夫はわたしの大学の山岳部の同期生、その兄は大学の学生寮での同期生でどちらも親友、国会前でデモ行進をした60年安保世代である。

もうすぐ8月6日が来る。そして今、福島原発事故による被曝問題は、原発反対運動に広がり、60年代とは異なるデモの形の市民運動は、日本に新たな展開をもたらすだろうか。

7月13日に国会周辺原発反対デモに行ったのは、この本が肩を押してくれたのだった。

(注:青字部分は「日本語訳詩付Masako's Story  Surviving the Atomic Bombing of Hiroshima」By Kikuko Otake 2007からの引用)
●参照
500カリフォルニア歌人  
http://datey.blogspot.com/2011/09/500.html
641原発反対で52年ぶりの国会議事堂デモに参加して思うこと多々
http://datey.blogspot.jp/2012/07/641.html

2012/07/28

647横浜港景観事件(11)新港地区という島全体をこれからどうしたいのだろうか

 これまでこの事件についてあれこれ書いてきたことは、もともとは景観という目に見える姿について起きた事件がきっかけであるが、書いているうちに、この新港地区という島全体のまちづくり計画は、いったいどうなっているのかと気になってきた。
 ここにある施設群は、どのような計画に基づいているのだろうか。

 よくある話では、横浜市の総合計画があり、これに基づくMM21の開発計画があり、それを実現していくための実施計画があり、そして現場の規制誘導策として都市計画があり港湾計画があるということだろう。
 あまり大局的な計画を見ての概論では面白くない、あまり現場的なことは実情を知らないからかけない。
 だから、法的な規制とか誘導策はどうなんだろうかと、ネットで調べて見た。

 まず重要な結論から先に書くが、この新港地区には住宅を建てることを禁止している。 すぐ隣のMM21地区の中央地区が、やたらに超高層共同住宅群が建っている(私は嫌いであるが)のと比べて、こちらには一戸も建てることができないのは、なぜだろうか。

 人が住んでこそ都市であるのに、人を住ませない都心とは、どういうわけか。部分的には住宅が望ましくないエリアもあるかもしれないが、この島全部がどうしてそうなのか。
 これには私の想像だが、実は現実的な立地条件ではなくて、港湾行政と都市行政の狭間の問題があるのだろうと思っている。

 ここには臨港地区という用途規制がかかっている。これは港湾行政が都市行政よりも優位に立つ制度である。つまり、都市計画法よりも港湾法のほうが上にあるのだ。
 日本の港湾は、歴史的に大蔵省、運輸省、建設省と所管争いがあり、現在では国土交通省港湾局と都市局・住宅局の所管争いになっている。

 臨港地区は、港に接する陸域の土地について都市計画で決めるのだが、発議者は港湾行政側である。 
 その基本となる考えは、この土地は港湾行政の縄張りであるから港湾事業に関係する施設のほかはつくってはならん、という縄張り宣言である。都市計画の線引きみたいなものか。

 そしてその臨港地区のなかをいくつかに区分して、それぞれの土地の用途を決める分区を指定する。その土地の用途指定は、都市計画の用途指定を外れて、市町村が条例で定める分区指定によって決まることになる。

 横浜市が条例で定める分区は、商、工業、マリーナ、修景厚生(レクリエーションのこと)の各港区があり、そこに建てることができる施設の用途を決めて、それ以外を禁止している。
 臨港地区全部の土地に分区を定めているのではなくて、臨港地区だけで分区のない街区もある。分区のない街区の用途は、都市計画の用途によることになる。

 さて新港地区の中を見ると、たとえばワールドポーターズの街区の分区指定は「商港区」である。
あのショッピングがここに建ったのは、分区条例に商港区に建てることができる施設として挙げてあるうちの「港湾関係者の利便の用に供するための日用品の販売を主たる目的とする店舗及び飲食店」を適用したのであろう。

 これがなんだかおかしいのは、ワールドポーターズで売っているものは、「港湾関係者の利便の用に供するための日用品」なのだろうか、ということである。
 あるいは「港湾関係者の利便の用に供するための船用品販売店及びその附帯施設」、あるいは「港湾関係者の利便の用に供するための銀行の支店、郵便局及び保険業の店舗並びにこれらの附帯施設」も、中にはあるのかもしれないが、わたしは知らない。

 ホテルのナビオス横浜が建つ土地も商港区である。条例によれば、「港湾関係者のための休泊所、診療所その他の福利厚生施設」にあたるのであろう。
 このホテルの公式名称が「横浜国際船員センター」であり、経営者が(財)日本船員厚生協会であるので、それとよくわかる。
 だが、実際のところは、ネットの情報を見ると宿泊者を船員に限っているとは思えない。実は私も一泊したことがある。

 赤レンガ倉庫は、「修景厚生港区」の中にある。条例による規制でみると、これは多分「港湾関係者の利便の用に供するための物品販売業を営む店舗及び飲食店並びにこれらの附帯施設」なのであろう。これも「港湾関係者の・・」とあるところが引っ掛かる。

 つくってよい施設で「港湾関係者の・・」とついていないのは、「図書館、博物館、水族館、展示施設、公会堂、展望施設及び海事研修施設並びにこれらの附帯施設」と、海や貿易関係の官公庁施設のみである。

 どうして赤レンガ倉庫のような、あるいはワールドポーターズのような、海や港と関係なさそうな商業施設ができるのか、そこがわからない。なにか少しでも関係(たとえば輸入品を売って店が一軒)があればよいのだろうか。
 もっとも、法令には臨港地区の利用を港湾関係者に限るとは書いていないから、港湾関係者でなくても利用してもよいのだろう。
 でもそうとなると、なんで臨港地区なんだ、ということになる。単にショバ争いの結果か。

 赤レンガパークの西隣の空き地も、修景厚生港区である。
 これからどのような港湾関係者の利便に供する施設、あるいは図書館、博物館、水族館、展示施設、公会堂、展望施設及び海事研修施設ができるのか、楽しみである。

 いま、話題になっているアニヴェルセル結婚式場が建とうとしている土地は、分区無指定であるから、都市計画の用途地域と地区計画の規制がはたらく。商業地域だから結婚式場はOKである。
 だがしかし、ここで疑問が生じる。都市計画法第9条の22項には、「臨港地区は、港湾を管理運営するため定める地区とする。」とある。

 分区は指定していなくても臨港地区内であることは変わりないから、この結婚式場は「港湾を運営管理するための施設」、つまり「港湾関係者の利便の用に供する」結婚式場なのであろう。
 他の分区無指定の街区にある万葉倶楽部、カップヌードルミュージアム、コスモクロック、JICAなど、いずれも「港湾を運営管理するための施設」であるらしい。

 まあ、硬いことを言いなさんな、なんていう声もあるだろうが、もとが法令の定めなのだから、ここは厳密にならざるを得ない。
 そもそもどうしてまだら虫食いに分区を指定しているのか。全部指定して港湾行政で一元化するほうがすっきりするような気がするが、そういうものではないのか。
(わかってます、12年通知のⅡレベルで手を打ったのでしょ、と、突然にマニアックコメント)

 あるいは逆に、実態からして「港湾を運営管理する」とか「港湾関係者の利便の用に供する」とかのための施設ではない施設が立地している現状からすると、臨港地区を解除してしまって、都市行政に一元化するほうが実際的という考え方もできる。
 まあ、港湾行政当局からいえば、都市行政に縄張りとられるっってことで、お気にいらないでしょうが。タックスペイヤーからいえば、どちらになっても同じことなんですがねえ。
 へんに2重行政では余計な手間がかかるばかりで、行政にも開発事業者にも余計なコスト負担になる。

 この話の出だしが新港地区での住宅禁止のことであった。話を戻す。
 これは今もあるのかどうか知らないが、わたしが昔あるところで臨港地区開発にかかわった時に建設官僚から聞いた話だが、臨港地区に住宅をつくることは都市行政が絶対に許容しない方針であるとのことである。
 それは臨港地区をめぐる運輸省対建設省の長い領土縄張り争いがあり、その確執のひとつらしい。それゆえかどうかしらないが、この新港地区でも住宅は地区計画で禁止してしまっている。

 中央地区では住宅を許容し、新港地区では住宅を禁止するのは、どうもしっくりこないい。
 この地区では中層の質の高い海辺の環境を生かした住宅をつくれば、かなり面白い計画になるだろうと、わたしは思うのだが、そういう考えはこれまでなかったのだろうか。
 港湾行政と都市行政の狭間に落ち込んだ都市住宅、いや、都市生活者が哀れである。ここに賃貸の公的住宅を作ってくれたら、わたしは今いる関外から大喜びで移転する。あ、津波が怖いか。

 わたしは1980年代に横須賀港でウォーターフロント開発にかかわったことがあり、運建戦争と揶揄された臨港地区問題に巻き込まれた。
 そのいっぽうで、世界の港での開発をいくつも何度も楽しく視察した経験がある。
 記憶に残るのは、バンクバーのグランビルアイランド、サンフランシスコのピア39、ロサンジェルスのマリナデルレイ、サンディエゴのシーポ-とビレッジ、ニューヨークのサウスストリートシーポートビレッジ、ボルチモアのインナーハーバー、シドニーのダーリングハーバーなどである。
 日本バブル期ににそれを真似したものがいくつか実現したが、今は大苦戦らしい。神戸のハーバーランドが今大苦戦らしい。

 都市生活が海の生業や遊びと密接な関係を持つような、アメリカやオーストラリアの暮らし方は、どうも日本では無理のような気がしている。
 しかし、これからはありうると思うので、新港地区では中央地区のような高密度高層開発ではなくて、結婚式場も遊園地も小売店もよいが、歴史と文化と水辺の景観を満喫できる都心での暮らしの場をぜひ作ってほしい。

 ここでさらにやってほしいことは、水面の積極的な利用である。レストラン船、デッキテラスカフェ、海水浴場(海の上のプール)、水上シアターなど、静かな運河水面をもっと使ってはどうか。

 新港客船ターミナルは、どれくらい使われているのだろうか。昨年の横浜トリエンナーレ期間中に、ここで興味深いアートイベントが開催されて、わたしも何度か通った。
 ただし、建物の中だけであり、港としての立地には関係なかった。
 ということは、あれだけ長い期間をあの大きな建物建物全部を、港湾と関係ない利用をしても差し支えないということなのだろう。
 ならば、ここも新たな住宅とかアートの場とかを誘致して、港と一体のなった開発をしてはどうか。そのような開発をシドニーのダーリングハーバーで見てきた。

 はなしが景観よりも新港地区全体のあり方に身が入りそうになってきたので、ここらあたりで一段落する。
 また新展開があったら、面白がって何かイチャモンを書いていきたい。(一応,終わり)

  追記(120821)  と思ったのだけど、8月20日に横浜市から結婚式場計画のGOサインの発表があり、ついつい続きの(12)を書いた。
 参照⇒横浜港景観事件(12)
http://datey.blogspot.com/2012/08/660.html

●参照→横浜港景観事件(1)~(12)一覧

2012/07/27

646横浜港景観事件(10)横浜の景観行政は凄腕だと評判なので本当かと新港地区に現場を見に行く

1●横浜みなとみらい21の新港地区を見に行く
横浜のみなとみらい21地区のなかの新港地区で、アニヴェルセルなる結婚式場の建設計画が出された。横浜市の都市美対策審議会で、そのデザインがよくないと否決された。
だが今日までのところ、なんとなく聞こえてくるのは、横浜市はその否決された計画でGOサインを事業者に出す気配である。
審議会の委員はもちろん怒っているだろうし、周りのキマジメな建築家たちも怒っている声が聞こえる。

でもねえ、その結婚式場を設計するのも、日本の建築家のひとりなんですね。
似たような結婚式場が近くにいくつもあるけど、これまで建築家がそれらにNOといった形跡はないなあ。高島地区や紅葉坂や本町通ではよくて、新港地区ではいけないのは、そこがなにか特別のところなのかしら。
そういうデザインを世の結婚年齢層が好むのがけしからん、というつもりか。
では、あのどこが悪いか、世の若者たちにわかるように、建築家は言ってもらいたい。

これまでの横浜市の景観行政はなかなかに凄腕でよくやってきたのに、こんどの事件は残念という声もある。
ということは、さぞやその腕前がこれまでの新港地区での建築に発揮されていて、それらと比べると今度のアニヴェルセル結婚式場は相当に下手くそなのであろう。
と、新港地区の建築群をしげしげと眺めてきたのである。これから順番に、それらをあげつらっていく。


2●あっけらかんの赤レンガ倉庫
まずは、何と言っても赤レンガ倉庫である。20世紀初めにつくった港の倉庫である。
その昔は何しろ倉庫であるから、飾り立てる必要はないので、汚らしいごたごたしたやっちゃ場風情だったろう。
レンガ造としたのは、貿易の保税倉庫として防火防犯や防湿などの機能で最先端の技術を使ったからであろう。
それがデザインが良いから使ったのではない。 

今ではそれをこうやって磨き立て、まわりに何もなくて見通しが良くし、バックには海と大桟橋や橋が見えるようになり、赤レンガパークなる公園施設として再生すると、赤レンガの色がなかなかの風情である。もしあれがほかの倉庫のようにトタン張りだったら、こうはならなかっただろう。

外のあっけらかんさは、野外イベントがあると、突然に生き生きとした空間となる。図体ばかり大きな赤レンガ倉庫も生きる。
ただ、わたしが嫌いなのは、樹木が一本もなくて、今どきの暑さの季節はとてもいられないことだ。少しは樹木を植えなさいよ、赤レンガと緑の樹木は似合いますよ。

3●草ぼうぼうの地と運河べりの官庁はどうなる
その西隣あたり、つまり馬車道から万国橋をわたって新港3号線道路を来ると、右側は何ともわびしい。まだ売れ残っている土地らしい。茫漠たる風景である。いっそのこと生え放題の草原にすると、子どもが喜びそうである。
ここあたりは何ができるのだろうか。都市計画の土地利用規制を見ると、臨港地区の修景厚生工区という分区指定だから、たいていの都市的な施設を建てることができる。

万国橋をわたって右に、どうってこともないそこら辺にあるような事務所ビルがある。港湾官庁や税関のオフィスらしいが、これはまたなんとも愛想がない建物である。赤レンガ倉庫の引き立て役であろうか。
このブロックには総合庁舎のような計画があるらしい。さて、赤レンガ倉庫に対応してどんな建築ができるのだろうか。玄関口にふさわしいデザインを期待する。

4●汽車道を通したナビオス横浜
万国橋を渡って左には、「ナビオス横浜」なるホテルがある。汽車道から赤レンガ倉庫を見通すラインの建物をぶち抜いて、大きなゲート状のトンネルが特徴的である。
そのゲートの汽車道側の広場は、運河パークの一部に見えるが、じつはこのホテルの敷地らしい。汽車道を敷地の中を通すためにこのような配置にしたらしい。
それにしても思うのだが、こんな無理して(?)建物を貫通させるプロムナードにしたのは、わざとそうしてのだろうか。
もともとの汽車道を、赤レンガ倉庫まで延長して公共の道路、あるいは地区計画の地区施設に指定しなかったのは、なぜだろうか。かつて赤レンガ倉庫のそばまで列車が入っていた歴史を示すにはそうするべきであった。このゲートをくぐると汽車道は消えるのが残念だ。
全体としてはバランスのよいデザインだが、何しろホテルだから外に開かないのが残念である。


5●新港地区を分断した臨港幹線道路
新港地区は一つの島である。ここを東西に貫く広すぎる道路・臨港幹線がある。今の交通量に比較してあまりに広いのは、今後、どこかの幹線道路とつながるのだろうか。
この広すぎる道路は、新港地区の土地利用にかなり致命的な感じがする。島を海側と運河側に分断している。これをわたるのは一苦労である。

だからだろうが、万国橋から来る新港3号線道路と臨港幹線道路との交差点に、巨大な楕円ドーナツ歩道橋がかかっている。
わたしは歩道橋が大嫌いで、基本的にはわたらないで無理しても(時には命がけで)地上を行く主義である。
ここでは道があまりに広くて、しょうがないからドーナツ歩道橋を渡るのだが、これ揺れて揺れて、気持ちが悪い。ここからあたりを眺めていると、あっ、また地震だ、とたびたび思うくらいである。
丸いデザインもいいけど、耐震構造を何とかしてもらいたい。景観以前の問題である。 
道路になんだか広い中央分離帯があって、なかにトンネルのようなもの見える。使っていないのだが、何だろうか。高速道路にでもつながるのか。
その分離帯がまた広いばかりで無駄にしか思えない。どうせなら森にでもしてはどうか。

歩道橋から西を眺める。左のワールドポーターズの向こうに、遊園地「コスモワールド」の巨大な観覧車の輪が顔をのぞかせている。この異様さに目が行って、ワールドポーターズの下手くそデザインに目がいかない仕掛けであるのか。
異様さといえば、その右向こうにはスイカの切り身か出刃包丁のようなホテル・インターコンチが立ち上がっている。
この二つの円弧を描く建築物は、他の建築物とは明らかに異なるイメージをもっていて、この臨港道路のランドマークとしての役割をもっている。
この対の関係は意図した景観計画によるものか、偶然の産物か。意図したとすれば、それなりにうまいと思う。それは沿道の建築があまりにもつまらないことと、大いに関係がある。

6●どうにも邪魔なワールドポーターズ
さてそのドーナツ橋で揺すられながら臨港幹線の景観を鑑賞するのだが、これがどうもねえ。
まことに困るのは、左に見えるワールドポーターズなるショッピングビルである。これこそ港の流通倉庫そのものデザインで、でかい壁に描いた落書きのような絵も変だし、丸見えの駐車場ビルも流通倉庫につきものの風景である。
まあ、考えようでは倉庫の島であった新港地区に、まことにふさわしい景観をつくっているかもしれない。

このワールドポーターズが新港地区という島の真ん中に、でんと大きな図体を構えたので、メインアクセスの汽車道から海への見通しがいかにも悪い。
建物デザインが悪いから特に気になる。新港地区におけるワールドポーターズの唯一良いところは、屋上からの眺めが良いことっである。しかもここに来ればワールドポーターズが見えないから、まことによろしい。もっとも、眺めをゆっくり鑑賞するような快適な屋上ではない。

わたしが想像するに、最初にこのブロック割を考えたときに、この位置にはラウス社が世界各地の港でやったフェスティバルマーケットのような施設を想定していたのだろう。
それならば、運河パークと一体になって、シドニーやボルチモアのような楽しい空間になるはずだ。
現実は閉鎖的な普通のショッピング施設になってしまっている。ここでなければならないようなデザインでも業態でもない。
これだけでかいと大きな吹き抜けのアトリウムがあり、そこから運河側の風景を眺めながらエスカレーターで上るようになっているに違いないと、中に入ってみたが各階にぎっちりと店が詰まっていた。

駐車場出入り口が、運河パーク側の区画道路にあるため、ここの交通量が多くて運河パークとショッピングとがつながらない。こちら側の駐車場出入り口ををなくして、区画道路を歩行者専用にすれば、ずいぶん雰囲気がよくなると思う。
本来ならば臨港幹線側をセットバックして、駐車場出入り専用レーンを作ればよかったろうにと思うが、手遅れである。
運河パークに、ホテルやショッピングの楽しさがにじみ出てこないのが、残念である。

7●ちょっとピンとこないJICA、そして空き地 
さてまた元に戻って、丸い歩道橋の上からの眺めである。
右側の手前にJICAと書いてあるビル、その向こう隣は空き地、その向こうに赤い豆腐のようなビル、さらにその向こうにガラス張りの事務所のようなビルが見える。
JICAは研修所らしい。なんだか凝ったつもりの立面だが、45度のひねりがしっくりとこない。外回りを赤いレンガ色にしておけばよいだろうという程度の建築で、特に論評に値するデザインではない。海側に回ると倉庫かと思うような壁が連なる。

その向こう隣の空き地には、結婚式場が建つらしい。今の話題のアニヴェルセル結婚式場とは別物である。
このあたりは結婚式場だらけになる。そのうちにどれかがつぶれて、葬儀場になるだろう。これからは婚礼需要は減っても、葬儀需要は増えるばかりだから。

8●赤レンガ倉庫建築元祖カップヌードル・ミュージアム
さてその向こうにある赤い箱が問題である。愛想のない真っ四角な豆腐に、レンガ色のタイルを貼り付けている。近づいてみても、なにも看板がない。なんだろう、倉庫か。
入ってみてわかったが、これが日新チキンラーメンの発明者・安藤百福の記念館、題して「カップヌードル・ミュージアム」であるのか。

ずいぶん前に新聞報道でその記念館ができるとあって、これは絶対にカップヌードル型の建物ができるに違いない、横浜市の美観審議会はどう判断するかと興味を持っていた。
もうできていたのであったか。これはまた、なんということか、赤レンガ倉庫建築の元祖のようなデザインであるとは、、、。唖然とするほどの思い切りの良さである。
もしこれが真っ白なら豆腐そのもの、建築史でいえばモダンデザインのハシリの下手なやつ、ということになるだろう。
よく見ると壁に縦に筋が2本入っているのは、多分、あまりに単調な大壁なので、分節したのだろう。もしかしてこれは、デザインガイドラインにある分節デザインとして、都市美審議会の指導によるのか。

単体としてみるこの建築デザインは、わたしとしては好ましいと思っている。しかし街並みとしてみると、どうもねえと思うのである。
このような箱をみて、ごく普通の人はどう思うのだろうか。まさかカップヌードルのミュージアム、つまり食文化のエンタテインメント施設とは思うまい。
あ、安藤百福記念館だから、エンターテインメントじゃないのか。いや。こういうミュージアムこそエンタテインメント性を持ってほしい。

ワールドポーターズからのアプローチは、広い臨港幹線道路を横断歩道で横切るのだが、それと知っていれば渡っても行くだろうが、知らなければ寄ることはないだろう。
とにかく、運河側から海側ブロックへのアクセスが、広い臨港道路にさえぎられてしまっている。せめて、ワールドポーターズの2階から、こちらにデッキをつないではどうか。運河パークからのデッキを貫通させるのである。

このデザインが、どのような協議がなされて登場したのだろうか。
初めからこうだったのだろうか。それとも初めはヌードルカップデザインだったのが、協議の結果でこうなったのか。
今の話題の結婚式場のようなやり取りが、実は裏であったのだろうか、なかったのだろうか。

この建物の愛想のなさは、北の新港パーク側に回るとさらによくわかる。せっかくの公園側の道路からは荷捌き等の車の出入り口であって、公園とはつながっていない。わずかに屋上テラスからこちら側の海を眺めるようになっている。
このことは、JICAビルもそうであり、海側の公園とは何の関係もない壁の連続で、車の出入り口があるばかり。
もっともこれは設計側に問題があるのではなく、横浜市の示す土地利用規制が、車の出入りをこの公園側にするように定めているからである。
これは土地利用規制策が間違っている。このブロックは新港パークとつながって利用するようにし、車の出入りは、臨港幹線にそのためのレーンを設けるべきであった。こうすればこのブロックの施設群は、新港パークと一体になって楽しいだろう。

9●万葉倶楽部はどう見ても共同住宅つき事務所
ところがである。カップヌードルミュージアムの道を挟んで西隣の「万葉倶楽部」なるお風呂付宿泊施設は、海側に道はないから新港パークと敷地はつながっている。しかるに、施設側から積極的に公園側に顔を出している様子はない。ほとんど閉じている。
入場料金を取る施設なので、オープンにできないのだろうか。それにしてももったいない。

で、この万葉倶楽部の建築デザインであるが、とてもそのようなレジャー施設とは見えない姿である。どう見てもオフィスと共同住宅のビルである。倉庫には見えないが、ここには赤レンガイメージさえも見えない。
突飛ではないが、面白くもなく、上手でもない。

10●ひとり気を吐く異形のコスモワールド
万葉倶楽部の臨港幹線道路を隔てた向いが、遊園地の「コスモワールド」である。この大観覧車がどうやら目玉施設らしい。
いろいろな人にみなとみらい21地区の印象を聞くと、「ああ、あの大観覧車がある」と、これが大きな役割を果たしていることがわかる。観覧車の下にはジェットコースターなど定番の遊園地施設がひしめいていて、ワーキャーゴーッとかまびすしい。
この遊園地は運河の対岸の、日本丸パークにも及んでいる。

ところで、この遊園地は横浜市の都市景観計画ではどのような位置づけになっているのだろうか。ほかの施設と比べてあまりにも異色で、比べようがない。
つまり、景観としてはかなり異様なものを持ち込んでいることになる。異様なものが一概に悪いというのではない。ランドマークとしてのそのエリアを象徴する景観としての位置づけもあるだろう。
その意味では、一般の人々が観覧車コスモクロックに、港みらい21地区の象徴性を与えていることから、明確な位置づけにあるといってよいだろう。

問題は、これを景観計画として位置付けて誘導したのだろうか、ということである。
今回のアニヴェルセル結婚式場計画が、そのテーマパーク的異形をもって審議会から否決されたとすれば、このコスモクロックのふもとにそれがあることで、異形同士の取り合いの妙が生まれたことをどう見ればよいのか。
計画的に誘導したのであれば、新たな延長としての異形を排除する論理が無理となる。
あるいは計画的誘導ではなくて、何かの手違いで登場したのなら、それを排除することをなぜしなかったのか、それを排除しないでこの結婚式場計画を排除するのはなぜか、ということになる。
アニヴェルセル結婚式場計画は、巧妙にもコスモクロックを人質にとったのである。
遊園地も結婚式場も楽しい施設であって、それらを新港地区から排除する論理は考えにくいだろう。特にコスモクロックはいつの間にかシンボル的な位置を獲得してしまったのだから。
この騒ぎの根本は何かがおかしいように思うのだ。

12●新港地区の島全体を眺めて考える
ここまで、新港地区の建物などをいろいろ見てきたが、全体としてわかったことは、建築が敷地の中で完結していて、外部との連携がほとんどないのである。唯一の例外がホテルナビオス横浜である。
それはみなとみらい21地区の中央地区の開発が、モールや公開空地をつなげて敷地間の連携をしていることと比べて、対照的である。

都市デザインとは、個々の建築の姿かたちをどうこうすることも重要だが、それらが街並みとして連携するときに、景観という言葉として登場させる技である。
新港地区では、ひとつひとつの建築もどうかと思うデザインであり、それらが連携することもない。都市デザインというものがあるのだろうか。

水辺に公園を作れば都市デザインだ、というのではあるまい。
赤レンガ倉庫を保全したから歴史景観だというのでもあるまい。汽車道が運河パークで消えるのは、歴史のデザインとは言えまい。
導入機能も含めて、この島全体を見通すマスタープランの視点が欠けているような気がする。あるのかもしれないが、もう古くなっているのか。

新港地区からの帰りに万国橋を渡って、新たな好ましい街並みができていることに気が付いた。
古いUR団地の建て替えをしているのだが、隣の旧生糸検査所(現:合同庁舎)の立面に調和するようなデザインである。
それ自体が特に素晴らしいデザインではないが、街並みの形成となると、いかにも自然にできがっていて、まことに好ましい。新港地区も見習ってはどうですか。

(つづく。今回で一段落のつもりだったが、もう一度、臨港地区と審議会の制度のことを書いてひと区切りにしよう)

●参照⇒横浜港景観事件(11)
●参照⇒これまでの11編の記事一覧

2012/07/26

645オリンピックをやってるらしい、その上に高校野球まで、困ったもんだ

オリンピックをやっているらしい。
近頃なんだか新聞にスポーツ記事が多くなってきたなあと、いやな気になっていたら、ついに1面から社会面までスポーツ記事である。

しょうがないから読んだら、なんとオリンピックをやっているらしい。その上、高校野球までやっているから、始末に悪い。
とっくにTVは見ないことにしているから問題ないが、新聞がこうでは困る。この期間だけスポーツ欄は除いて配達して、購読料を安くせい!。

それでも、いつも見ないTVを、オリンピックのマラソンだけ見る。なに、競技は見ていないのだ。沿道の都市景観を見て、いろいろと思うのである。
この都市景観を世界に見せようという政治的意図がわかることがある。北京オリンピックはまさにそうであった。だからつまらなかった。アテネは面白かった。さてロンドンはどうなんだろうか。

お暇なら、わがオリンピックイチャモンブログをどうぞ。
http://datey.blogspot.jp/2008/08/blog-post_24.html
http://datey.blogspot.jp/2008/08/blog-post_08.html
http://datey.blogspot.jp/2010/03/245.html