2017/05/06

1264【銀座に戻った観世能楽堂】超便利になったけれども地下3階しかも狭くなって閉所恐怖症にはどうも苦手だなあ

 渋谷の松濤にあった「観世能楽堂」が、銀座に移って開業した。そこでの「野村四郎傘寿特別公演」能楽鑑賞と、それが入る松坂屋の建て替えによる銀座景観の変化を見物に、久しぶりに銀座に行ってきた(2017年5月5日)。
観世能楽堂がやってきた銀座風景 スカイラインが高くなり狭くなったナア
まずは能楽堂の話である。能楽堂は「GSIX」なるビルの地下3階にある。そのビルの正面入り口は、もちろん銀座通りにある。だが、能楽堂への入り口は、東の三原通りから入る。まあ、裏口である。
 松濤では、能楽堂に近づいていく道のあたりから能楽鑑賞気分になったものだが、ここではそうはならない。見所に入って初めてその気分になる。つまらない。

 入ると直ぐ能楽堂があるのじゃなくて、直ぐにエスカレーターを3本、下へ下へと乗り継ぐ。もちろんエレベーターもある。
 ようやく能楽堂がある地下3階についたが、ロビーやホワイエが狭いなあ、狭い、、、今日はお祝いとて、たくさんの胡蝶蘭の花が飾られているせいもあるが、ホントに狭いなあ。
 松濤の観世能楽堂のホワイエもそれほど広くもなかったが、前庭がガラス越しみえたし、休憩にはそこに出ればよかったのだが、ここのビル内では外に出てもエスカレータやエレベータでないと出られないので面倒だ。
 出た先も商店などの通路だから、ゆったりと舞台を思い出して休憩するには、どこかの店に入らざるを得ない。あるいは屋上広場があるのだろうか。

 特に終演直後の一時に大勢の退出時が問題だろう。昨日も終ってから出口で待たせて、調整して少しづつを送りだしていた。たまたま最後のあたりで出たのでわかったが、出る人の長い待ち行列ができて、かなり時間がかかった。
 なんだかなあ、閉所恐怖症のわたしには、大げさに言えば心理的に息がつまりそう。いっそのこと屋上庭園があるなら、そこに舞台を建てて野外能楽堂にしてほしかったな。
幅が足りないなあ、天井が低いなあ
さて見所に入ると、松濤から移してきたらしい舞台が懐かしい。だが見所の広さ形態が変った。
 縦長のシュウボックス型になっている。能楽堂は一般に正方形で、舞台がその右奥の一角にあるのだが、ここでは縦長で正面席が奥に長く、中正面と脇正面の席が左方から攻められている。橋掛かりも短くなったのだろうか。
 ここも広さが足りない感じがするが、まあよろしいでしょう。でも、貧乏人のわたしは安い中正面席をいつも買っているのに、そこが減ったのは痛いなあ。近ごろは能の見料が高くなったしなあ。
国立では後方の席では舞台がけっこう遠い感じがする。
観世ではさらに遠いから、左を広げて後ろを縮めたらよかったのに。
 見所に床の段差をなくしたのはよろしい。なにしろ能の客には、ヨロヨロの年寄りが多いからなあ。
昨日も、そのような老人たちがゆっくりと前を進んで入るので、ちょっと苛ついたのだが、それは数年後のわたしの姿であると気が付いた。
 千駄ヶ谷も横浜もスロープでよいのだが、松濤は階段だらけの見所だった。どこの音楽ホールも2階から上は階段、しかも踏面幅や蹴上げ髙さが不揃いの階段を登るしかないが、わたしもこれがつらいもんなあ。

 日本一と言ってもよい商業床価値のある銀座のビルの中で広い床面積を取得するには、さすがに超高級住宅地松濤の土地を売っても(たぶん)足りなかったのであろうと、観世宗家に同情するしかない。
 江戸時代にはこのあたりに能楽師たちが住んでいたのは、今も金春通りの名に残されているが、観世家もいたから戻ってきたことになる。
 松濤よりも格段に便利な場所になり、能楽の振興にもなるだろう。多目的ホールとも案内にあったから、能に限らず使われるなら、若い人たちが能へのアクセスにもなるだろう。

 では、能楽の話に移ろう。
 能番組は、安宅(野村昌司)、末広がり(野村萬斎)、羽衣彩色之伝(野村四郎)で、能も狂言もシテが野村家であるところがすごい。
 四郎から見て昌司は息子、萬斎は次兄の万作の子であり、このほかに長兄の萬の孫である野村太一郎(故五世野村万之丞の子)が安宅のオモアイで出ていたから、野村3兄弟関係者がそろった。
 お祝いで、観世宗家3兄弟も、仕舞で出そろった。
内祝いとて金平糖のおみやげは金沢産の金箔入り
野村太一郎をはじめて見た。プログラムの名前をみて、はてどの野村狂言家かと思っていたのだが、舞台に登場して分かった。おお、これは野村耕介の声だと。
 野村耕介は野村萬の長男であり、伎楽面の研究者としても著名であり、実験的な狂言も演出・出演して将来を嘱望されながら、その働き盛りに逝ったのだった。
 父そっくりの声で、ふと、耕介が演出した「唐人相撲」を思い出した。
 能楽師の遺児と言えば、安宅の同山のひとりに関根祥丸がいた。これも嘱望されながらある日突然逝った関根祥人の子、先般逝った観世の最長老だった関根祥六の孫である。ここにも跡継ぎが育っている。

 安宅のワキは福王和孝で、羽衣のワキは殿田謙吉、若手には若手をベテランにはベテランの組み合わせだが、羽衣のワキは宝生閑(故人)であってほしかった。
 羽衣の地謡にひとりだけだが女性がいた。四郎の弟子の渡辺瑞子である。ようやく女性能楽師が、男性能楽師とともに普通に出演する時代が来たらしい。
 さて昌司は、父であり師である名匠の四郎に追いつくだろうか。

 観世能楽堂が入った再開発ビルの話は、また後で。

参照:能役者野村四郎http://nomura-shiro.blogspot.jp/


2017/04/27

1263【言葉の酔時記】「ナニナニするものとすることにするものとすることにすることとすること。」

 ほほう、法律用語っていうのか、役人用語っていうのか、こんなにもいちいち「ものとすること」と繰り返している。
 これが無くても十分に意味が通じるのに、なぜこれを全文に付けるのかしら。
「ナニナニする。」で終わろうとしたら、ちょっと筆が(いやキーボードが)滑って、「ナニナニするものとする。」となっちゃったところで終ろうとしたら、また滑って「ナニナニするものとすること。」ってなっちゃったのか。
 だったら、ついでに、「ナニナニするものとすることにするものとすること。」って書いてはいかがかな。
 いや、「ナニナニするものとすることにするものとすることにすることとすること。」の方がよろしいか、いやいや「ナニナニ、、、

 あのお方のことを書くのだから、慎重かつ念入りに、間違いないようにしかも確実に実行するようにと、お書きになったのでしょうねえ、たぶん。
 わたしは中身には興味はないが、この言葉遣いに目が触れて、うっかり読んでしまった。でも内容を理解する能力がない。
 だって、いまどき、こんな人権無視の制度自体がおかしいんだもの。
 
 もしかして、これができたら天皇退位が容易になるんだったら(そうかどうかわからないけど)、次期継承者の病身の奥方のことを思っての制度改訂として、けっこうなことと思いますよ。
 だったら、少しは人権擁護になることとすることになることになるのでしょう。
 あ、そうだ、就位辞退制度があれば、あの気の毒の方のためになるのになあ。
◆◆
わたしのフェイスバカツッツイタアに最近に掲載した「言葉の酔時記」記事をまとめて載せておく

4月26日
【新聞サカサ読み】アレアレ、このお方はまことに正直なんだなあ、思ったことをすぐ口に出してしまうんだもんなあ、ほんとに良いお方なんだなあ、でも正直な人は大臣なんて職業には向かないって、証明してくれましたね、次はどなたが証明するんでしょうか。

4月18日
【新聞サカサ読み】この方のおかげで、学芸員なる日本の文化を支えている人たちがいるってことを、ひろく世に知らしめたから、その功績を讃えたいなあ。
 いちばん怒ってるのは「癌」だろうなあ、おいおい、覚えてろよ、お前に取り付いてやるぞって。それと「観光」も怒ってるだろうなあ、おいおい、おれたちは文化の邪魔者かい、なんて。また「文化」も怒ってるだろうなあ、おいおい、おれたちは観光の邪魔者かい、なんて。

4月9日【新聞サカサ読み】
おお、キズナ(正しくはキヅナだろうな)って言葉の本来の意味で言ってるんだろうなあ、さすがトランプからの「初めてのお使い」だなあ、
「絆=飼っている馬、犬あるいは鷹などを、逃げないように繋いでおく綱」
4月1日
一瞬、本気にしたぞ、ありそうだもんなあ、4月1日でよかった、よかった、、、ウン?

3月29日
【新聞サカサ読み】あちらでソンタク、こちらでソンタク、おやあそちらもソンタクかい、とかくこの世はソンタクだ、ソンタク忖度損得だ、!
3月11日
【新聞サカサ読み】面白いなあ、検査院からか政府からか、朝日がイチャモン付けられたんだろうなあ。
 元の記事と訂正後の記事の違いは、元記事は「安保関連法支出全部についての憲法違反検査する」とあるのに、訂正後は「文書だけについて憲法違反検査をすることもある」ってんですね。
 この文書への支出って、書類を作るためにかかった人件費や印刷代てことかしら。ってことは、安保関連法による南スーダンへの自衛隊派遣への支出は、検査対象じゃないんだなあ。来年の検査でやるのかしら、いや、やることももあるってのかしら。
 見出しの「憲法判断へ」と、「憲法判断も」との違いは、「へ」だと「やることにした」ってことになり、「も」だと「やるかもしれない」ってことになるんだなあ、ふ~ん。

2017/04/17

1262【横浜ご近所探検】半世紀前に建ったモダンデザインの防火建築帯ビルは生きながら廃墟化の道を進む

ふらふらと長者町通りの商店街を徘徊していたら、「長者町8丁目共同ビル」一階の店にシャッターが下りて、張り紙に「閉店のお知らせ」と書いてある。
 その理由として、「ビル老朽化の為」とある。

 でも、この店のあるビルは4階建ての共同建築だから、この店1軒だけが老朽化ではなくて、ビル全部がボロボロになったのだろう。
 他の店には張り紙はまだ無いが、そのうちに閉店のお知らせが順々に登場するのだろう。

 このビルは、今から60年ほど前に、土地所有者8人が共同して建築した「防火建築帯」である。いよいよ、今度こそは本当に取り壊して、新ビルに建替えるのだろうか。
 「今度こそは本当に」と書いたのは、だいぶ前にも同じことがあり、このブログに書いた記憶があるからだ、探したら、あった。
 2013年6月19日 http://datey.blogspot.jp/2013/06/797.html

 4年前にも、別の店が「建物老朽化に伴い、お客様の安全が確保できない為」に閉店すると張り紙をしていたのだ。
 だがこのビルは今まで取り壊しもせずに建っている。
 たぶん、建替えしようとしているのだが、8人の持ち主の気持ちがそろわないので、いまだに壊せないのだろうなあ。

 ビルはどんどん汚れてきている。
 上のアパート階の外廊下には、手すりがわりのベニヤ板がボロボロにめくれていく。プレコンに塗ったペンキがボロボロと剥げていく。
 中央図書館への往復で前を通るたびに、この生きた廃墟化の過程を興味深く観察している。

 この建築デザインを専門家筋から見ると、戦後モダンデザインとしてなかなかよいものである。さすが横浜の名建築家・吉原慎一郎の設計だ。
 きちんと改修すれば見栄えの良いビルに変身するはずだ。ほったらかしは惜しいなあ。

●参照:「横浜ご近所探検隊が行く
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_19.html
 

2017/04/16

1261【新聞ハテナ読み】チャイナとコーリアの外国人名表記はいったいどうなってるんだ?

 前々から新聞読みながら変だなと思っていることに、チャイナ(China)とコリア(Korea、DPRKorea)の人名の振り仮名である。今日はそれらを纏めて拾ったので、あげつらっていく。
 まずはチャイナ系である。かの有名なシュウキンペイもしくはシーチンピンさんである。チャイナの人には、現地読みに近い振り仮名をカタカナで書くしい、、。

 と思ったら、こちらはなんと、たいせいごさんと、振り仮名がひらがなである。ひらがなってことは、つまりこれは日本流音読みなんだな。同じチャイナ系でどうしてちがうんだろ。まさかご本人が、こう発音しているのじゃないでしょ。

 そこで他のページでチャイナ系を探したら、あった、あった、スポーツ欄でピンポン選手名である。でも、どういうわけか、カタカナもひらがなも振り仮名がないのである。なんと読めばよいのだろうか。
 丁寧さんて名の人がいるよ、テイネイさんと呼び、ホントに丁寧なピンポンをやるのだろうなあ。

 次は、コリア系である。南系は、ムンジェイイン、アンチョルスと、カタカナ振り仮名である。では北系の方々はどうかと見れば、キムイルソン、キムジョンウンと、カタカナ振り仮名である。

つまり、振り仮名では南北統一である。でもなあ、コリアでは漢字を使ってるのかなあ、廃止したとか聞いてるけどなあ、だったら初めからカタカナだけで書けばいいでしょ、なぜそうしないのかなあ。
 
 まあ、どうでもいいような気もするけど、国際交流で話す時に、ついシュウキンペイさんこんにちわとか、キンショウオンさんこんにちわとかって言って、気分悪くされるようなことがあるような気もする。
 中国の革命時代の騒動をかいた「ワイルドスワン」という英語ペイパーバックを読んでいたら、周恩来とか毛沢東とかが出てきてもsyuonraiとかmotakutoとかじゃないから、それがそうだとしばらく分らずにいて、当惑苦笑したことがある。

 ネットでちょっと調べたけど、相互主義とかいって、アチラがそうだからこちらもそうするんだとかってあるらしいけど、バカみたいだね、大人げないねえ。
 このいい加減な表記のバカ朝日新聞しか読んでないけど、他の右翼産経新聞とはどう書いてるんだろうか。
  

2017/04/09

1260【花見と戦争】あの戦場に消えた人や戦場に送りだした人のことを改めて思う花の春の日だった

 久しぶりに日吉の慶応大学キャンパスを訪れた。花見ではなくて、戦争と大学についてのお勉強会である。
慶應大学福澤センター、戸倉武之さんの講演「大学は戦争の何を『引き継ぐ』のか?ー慶應義塾における実名と実物の継承の試みー」。
 慶應義塾関係者の戦争体験を、兵士となった本人はもとより、その周辺の家族や恋人など、ひとりひとり個人史としての戦争を追う研究をしているのだそうだ。その中間報告の講演会であった。

 これまでよくある政治や戦況や勇将による戦争史ではなくて、参加した兵士個人とその周辺人物が語る言葉と保存する実物からの視線で戦争の時代を問い直す研究は、この分野を拓いた白井厚さんの研究をひきついだのだそうだが、実に興味深い。
 慶應大学という広範で強力なネットワークをつかって、人間情報と実物情報の収集は膨大なものになるらしい。

 慶應大学の日吉キャンパス自体が、海軍地下壕遺跡という戦争を語る重要な物証であり、ここから戦争の現場につながっていることも、この研究を地に足が着いたもの入しているのだろう。この講演会主催者は、その「日吉台地下壕保存の会」であった。
 白井厚さんも会場のおられて、三田キャンパスが空襲で炎上したのだが、今はその跡が全く見えないないので、それを教えることも必要と発言しておられた。

 戦場に消えた人や戦場に送りだした人々の、いくつかのエピソードを聴かせてもらった。個人的な生々しい資料を発掘して、戦争を平地から見る視線には興味深い展開がある。
 例えば、学徒兵の遺稿集『きけわだつみのこえ』に登場する、自由主義者として死ぬと書いた特攻隊員の上原良司のことである。安曇野の上原家に保管されていた膨大な資料を発掘して、あの有名な「所感」をとりまく上原の家族の幸福と悲劇を、庶民史の断面として見せてくれる。

 もうあの時代を自身のこととして語る人たちはほとんどいなくなる中で、このような発掘仕事は困難なことであるらしいが、それでも意外に多くの人や物が貴重な資料として登場してくる。
 戸倉さんは、実名と実物に語らせることに大きな意義があるとしている。
戦争の呼称や期間が人によって論争になる

 情報収集の範囲は、慶應大学関係に限るとしておられるらしいが、他の大学でもやっているだろうか、あるならそれと連携することで新展開があるだろうか。
 戦争の研究となれば、右や左の喧しい人々が妙な口を出すのではないかと、ちょっと心配になるが、戸倉さんは心得ておられるようだ。
 終わりのない研究になるようだが、ネット公開するとのことなので、楽しみである。

 そういえば昨年、わたしの家族の戦争史とでもいうべき「父の十五年」をお読みになった、海外神社研究者からお問い合わせをいただいた。わたしも興味を持ってその公開研究会傍聴に行ったが、これもまた別の意味での戦争研究の新地平かもしれない。
 以前に戸倉さんの著述を読んで、『戦争に翻弄された大学とモダン建築ー谷口吉郎設計の慶應日吉寄宿舎』の一文を書いていたので、本日、それをプリントした冊子を渡して、お礼を言って辞した。

 外に出て、1970年代に住んでいた南日吉団地のあたりを久しぶりに歩いてきた。団地は建替えられて風景が変り、まわりの田園風景は密集する住宅地に変っている。
 なにしろ今では地下鉄の駅ができているのだから、変るのも当たり前だ。
それでも丘陵の裾あたりは、かつて子どもを連れて散歩した田畑と山林の入りまじる風景があり、いまちょうど満開の桜と菜の花が美しい。花だらけで食傷する名所の桜よりも、このような自然の樹木の取り合わせの素朴な風景が目に染みる。

2017/04/06

1259【お花見宴会】母校キャンパスの満開桜の下で楽しむ花見を来年もできるだろうか

  同期仲間5人を誘って、ふらりと母校の大岡山キャンパスに、春の花見に行ってきた。去年やってきた4月1日は満開だったのに、今年の4月5日は7分咲きだった。
花見には絶好の本館正面広場は、いつもの春のように花見客が大勢すわりこんでいいる。特に走り回る幼児を連れた母親たちが多くいのが目立つのは、ここが飲酒禁止のキャンパスだからだろう。わたしたちのような年寄りもいる。子どもにも老人にも好かれる花見の場である。なかなかよろしい。
 花は美しいが、その花を咲かせる桜の木が、黒々とした太い幹、あちこちにコブや穴があり、枝はよじれて地を這うよう。昔々この庭で山岳部トレーニングしたころは、細くて背丈ほどだったのになあ。
 人の少ない桜を求めて、キャンパスを貫通する呑川河畔は満開の花、そこにかかる木橋の上にちょうどよい枝が伸びている。

おお、ここは川の上だからキャンパス外にちがいない、禁酒じゃあるまいと勝手に決めて、持ちよりの酒やつまみを橋の上に広げて宴会開始。
 天気よし、花よし、酒よし、仲間よし、酒と肴に花びらが散りこむ。 
 宴半ばにガードマンらしき二人の男がわきを通る。もしもし、構内は飲酒禁止です、あー、はいはい、ご忠告ありがとう。でも宴会は続く。

◆◆

 本館前の新図書館の横、この場所には名建築家・谷口吉郎設計の出世作「水力実験室」が建っていた。
 今は取り壊されて空き地である。実験のために使った水銀汚染が残るので、取り壊さざるを得なかった。
 でも、わたしはそこにあった実験用のプールで泳いだよなあ、いいのかなあ、ここまで元気に生きたのは、水銀のせいかもなあ、やっぱりよくないか。


 水力実験室はなくなったが、そこから本館寄りには、谷口設計の70周年記念講堂が建っている。そして本館そのものも、若い時の谷口が関わったデザインで健在である。
 桜名所の本館前広場には、谷口吉郎の一番弟子の建築家・清家清設計の大学本部や、その弟子の篠原一男の設計になる百年記念館もある。
 更にその篠原の弟子である安田幸一設計の新図書館が最近の広場の建築であるが、それは一部しか地上に顔を出さずに、多くを広場地下にいれている。
 こうして花見で師弟四代にわたる建築を見ることができるのである。

参照:1183【花見と老木】願わくば花の下にて春死なむ卯月朔日想い出の地に

2017/03/24

1258【横浜ご近所探検隊】戦後復興期まちづくりの防火建築帯について若い人たちが地域に入って研究する時代が来たのは嬉しい

●横浜戦後復興都市建築の歴史化

 横浜の伝統的都心部(関内と関外)まちづくりの歴史というと、一般の人々には開港時から戦前の歴史的建築のことをイメージし、都市や建築の専門家たちはさらにそこから飛んで20世紀も終り頃の「みなとみらい」とか都市デザイン行政とかになるようだ。

 ところが、関内と関外の都心景観を現につくっている主流は、その頃ではなくて20世紀半ば1950~60年代につくられた街並みである。
 つまり、第2次大戦でいったん壊滅した横浜都心部を、そこから復興したときに新たにつくった建築群が今の横浜都心の姿なのである。それを載せる基盤となる道路や街区は、関東大震災復興でつくったものである。

 20世紀初めの都市基盤に20世紀半ばの建築が乗っているという、考えようでは歴史がないし、いや、今となってはそれも歴史になる時が来ているとも思える。
 さすがに21世紀ともなれば、それらの変化が著しくなり、さらに消滅も珍しいことではなくなってきている。その変化と消滅と再生は、まさに都市のダイナミックな歴史の動きそのものであり、研究対象として面白そうだ。
市街地再開発事業で再生した防火建築帯 日ノ出町駅前

事務所と強度住宅に建て替えした防火建築帯 長者町3丁目

●研究は大学の机の上から街の中へ

2017/03/22

1257【横浜ご近所探検隊】横浜市市街地環境設計制度による公開空地を公開しないで緩和された床面積や高さ部分を食い逃げしてるビル二つ

 陽気がよくなってきたので、今日も今日とて、横浜都心関内徘徊がはかどる。
 立派なオフィスビルや共同住宅ビルが立ち並び、道には歩道もあるけど、さらに歩道から建物を引っ込めて、歩道状や広場状の公開空地も多くて気持ちよろしい。さすが横浜市のまちづくり指導はちゃんとしているんだなあ。

 なんて思いつつ横浜球場の近くにふらふら、立派なビルが二つ並んでいて、公開空地が広くとってあって、おお、なかなかよろしいと、近づいてみる。
 ひとつは「帝蚕産関内ビル」なる事務所ビル、もうひとつは「ヴィルヌーブ横濱」なる共同住宅ビル(いわゆるマンション)。

帝蚕産関内ビル」にはハローワークがはいっている。歩道につながって敷地に広い歩道状の空地があり、植え込みもある。

近づこうとしたら、あれまあ、道路と敷地の境界にロープが張ってあり、公開空地に「立ち入り禁止」の札がぶら下がっている。工事中の様子もない。
左上の植え込みの中に公開空地表示掲示板が見える

 アレッ、ここは誰もが入ってもよいと、法で決められた公開空地ではないのか。
 変だなあと見回すと、植え込みの中に公開空地表示の掲示板があり、立ち入り禁止を侵して、ロープをまたいで近寄って見れば、チャンと書いてある。
「この公開空地は横浜市市街地環境設計に基づく建築物の許可条件として設置されたもので、どなたでも日常自由に通行又は利用できるものです。
  平成7年2月 横浜市中区北仲通5-57 帝蚕倉庫株式会社」

さてさて、「どなたでも日常自由に通行又は利用」が正しいのか、それとも「立ち入り禁止」が正しいのか、帝蚕倉庫株式会社はいかがなものでしょうか?
 「横浜市市街地環境設計に基づく云々」、と書いていあるから、ここは法による公開空地としか考えられないよなあ。
 ここままだと、横浜市市街地環境設計制度に違反しているような気がするのですが、どうですか帝蚕倉庫さんよ~。。

 この制度は、建築や都市の法律により、建築物を建てるときに誰もが利用できる公開空地を整備して街の環境を良くすることに貢献するのと引き換えに、都市計画の容積率制限や高さ制限を緩和して建築物の床面積を特別に大きくすることを許可するのである。つまりそれだけ不動産収入が増えるのだ。
 そして建物のオーナーは、この公開空地を公開するという誓約書を、市長に出している筈である。この制度にそう書いてあるから、帝蚕倉庫さんもお出しでしょうね。

 このビルは20年ほど前にできたが、そのときから立ち入り禁止にしているのかどうか分らないが、これはどうも違法行為であるとしか思えない。それとも何か特別に立ち入り禁止してもよいと許可を取っているのだろうか。
 帝蚕倉庫会社と言えば、横浜港の絹貿易と共に歩んできた伝統ある名門企業だろうに、これでよいのかしら、ハローワークという公共機関が違反建築に入っていてもよいのかしら。
 公開空地を「公開」しないのだから一方的に儲けただけ、緩和の食い逃げですよ。
 緩和を受けて基準よりも増えた床面積や基準を超えた高さの部分の建築物を削り取る必要があると思うのだが、どうなんだろうか。
 
 と、頭をかしげながら、隣の「ヴィルヌーブ横濱」なる共同住宅ビルに来た。
左上に見える黒いものは首都高速道路
この柱の向こうのピロティも公開空地のはず


 こちらのビルは、一階に歩道状空地があり、更に建物の一階の一部はピロティ広場になっていて、これらが「どなたでも日常自由に通行又は利用」との公開空地の表示看板がある。

ところが、違反行為は伝染するものらしい。ピロティに入ろうとすると、どの柱と柱の間にもプラントボックスが置いてあり、そこに「関係者以外立ち入りご遠慮ください」の表示があるのだ。
 おやおや、大きなビルが並んでそろって違反だよなあ。

こちらは歩道状空地は自由に通行しても良いらしいから、帝蚕倉庫よりも若干は違反度が少ない。
 それでもピロティの公開空地に対応する床面積と高さの緩和部分の建物を削り取る必要がありそうだなあ。それとも特別にピロティは公開しなくてもよい許可を取っているのかなあ。
 
 なお、「ヴィルヌーブ」ってなんだろうって、ネットで調べたら人名が出てきたが、それではあるまい。フランス語で気取って「Ville neuve横浜」つまり「新町横浜」かなあ、ふ~ん、。
 「帝蚕倉庫」というのも珍しいが、もとはたぶん「帝国蚕糸倉庫」といったのだろう、絹糸貿易の保税倉庫のことかしら、連想したのは「帝国人造絹糸」のテイジン。
 「ハローワーク」も珍妙なネーミングであるよなあ、むかしは公共職業安定所といっていたなあ、。
 もっと珍妙なのが「マンション」であるよなあ、なんともはや、ウサギ小屋(この揶揄も今や通じなくなったかも)共同住宅ビルを、マンションmansionとは、よく言うよ。
 
 さて、徘徊でタマタマ違反建築2件が並んでいたのを見つけたが、じつは他にもいっぱいありそうだなあ。
 こういう緩和措置の食い逃げ行為は、誰が取り締まるのかなあ、建築警察とかってあるとは聞かないなあ。食い逃げ得なのかなあ。
 今年の徘徊は、都市計画違反建築発見を目的にしようかなあ、あ、目的があるのは徘徊とは言わないんだな、。

●参照⇒横浜ご近所探検隊が行く

2017/03/18

1256【オペラ見物】モーツアルト「魔笛」を勅使河原三郎演出で観てきたがバレエ・ミュージカルだったなあ

 う~ん、川瀬賢太郎指揮のオーケストラの出来はわからないけど、勅使河原三郎の演出・装置・照明・衣装は、よいともわるいとも、なんとも言い難いなあ。
 今日、神奈川県民ホールでモーツアルトのオペラ「魔笛」を観てきた。忘れぬうちに感想を書いておこう。


勅使河原の演出については、全体にバレー・ミュージカル(というジャンルがあるのかどうか知らないが)だった。つまり舞踏と歌唱がメインで、歌手に演技というか芝居を求めないオペラだったのである。
 だから、歌手に台詞を一言もしゃべらせないで、ダンサーによる日本語ナレーション(佐東利穂子)で繋ぐのであった。
 佐東の語りの発声とダンスはよかったのだが、語り内容そのものがなんともつまらなかった。なんだか高校生に初めてオペラを見せて解説しているいるみたいな内容だった。この支離滅裂オペラには、支離滅裂ナレーションの方がよろしい。
 歌手にセリフを吐かせないから、シチュエーションごとの演技もほとんどなくて、歌うばかりなのであった。見るこちらも不満だったが、オペラ歌手のほうも不満だろう。

 分りやすくしようとてこうしたのなら、これってちょっと違うよなあ。トントンと歌とセリフが勢いよく進むのがモーツアルトオペラだろうに、このナレーションでたびたび一時停止するのが、いらいらする。
 もともとこの魔笛ってオペラは、はっきり言って支離滅裂、コミックもシリアスも、恋愛も憎悪も、宗教もニヒルも、もうなんでもありのパッチワークめちゃめちゃバラエティ番組だから、スジなんかどうでもいいのである。これは見世物つき音楽なのである。
 わたしもそのあたりをどう演出するか見たいとは思わなくて、とにかく魔笛の素晴らしい音楽を聴きたくて行ったのである。
 今回はそれにバレエダンスがついていたので、そこの見世物演出はなかなかよかった。もっともわたしはバレエダンスの上手いも下手も全然わからないので、単に視覚的な興味だけで言っている。

 勅使河原の舞台装置は、巨大な金属質のリングが、舞台の上に吊り下げられて登場する。直径が5m位のが9個、20m位のが1個、状況に応じて出たり入ったり、並んだり重なったり、垂直だったり傾いたり水平だったり、いろいろに変化して登場する。
 舞台に不思議な奥行きを与えて面白く観たが、はじめから終いまでこれだから、そのうちに飽きてきた。
 そのほかは照明によって舞台上に格子や道の形を映し出すだけで、魔笛によくあるおどろおどろしい装置は何もなかった。紗幕への映像投影もなかった。

 おどろおどろしいと言えば、最初に登場してオドロオドロ芝居だぞって見せる大蛇は、灰色のバレエダンサーたちが列になって舞う演出なので、全くオドロしくない出だしであった。まあ、いいでしょう。
 衣装でオドロオドロシかったのは、モノスタトスと神官で、珍妙な着ぐるみで苦笑してしまった。これと3童子が、モーツアルト好みのオドロだった。これらの着ぐるみはどういう意味なんだろうかと、首をかしげつつ苦笑した。
 特にモノスタトスのあの珍妙さは、魔笛芝居のユルキャラ狙いかよ~。
 だのに、タミーノとパミーナは、まったく普通の街着のような衣装、もうちょっとなんとかしたらどうだ~。

 パパゲーノの衣装が、定番のあのモジャモジャバサバサ鳥の羽じゃなくて、なにやらえらく格好のよい真っ白な毛皮のようだった。
 パパゲーナの衣装もそれに対応していたが、それよりも彼女の歌の出番が、パ、パ、パ、パの歌のたったの1回だけ、セリフがないから例の老婆から美女に変身する面白い場面がなくて、つまらん。
 狂言回し役のパパゲーナとモノスタトスからはセリフを奪わないで、しっかり芝居させてほしかった。
 まあ、ゴチャゴチャイチャモン付けているが、全体的には音楽は素晴らしくて、オペラを楽しんだひと時だった。
◆◆◆
神奈川県民ホール3階席から舞台を見る
 今回、はじめて県民ホールの天井桟敷とも言うべき3階の最上部どんつまりの席だったが、音も視野もけっこうよかった。
 舞台装置のリングの変化と人物の動きとが重なって見えるのは、なかなか楽しかった。これからも3000円の最安席に限るなあ。
この前にここに来たのはいつだったかなあ、あそうだ、2年前の「オテロ」だった。

 これまでに劇場で見たモーツアルトの歌劇は「ドンジョバンニ」だけである。魔笛について知ったかぶりして書いているが、実は劇場じゃなくて、TVとyoutubeによるものである。なにしろ西洋オペラは、見物料金が高くて貧乏人にはとても無理だ。
 わたしのオペラ見物は、もっぱら日本伝統オペラ、つまり能楽ばかりで、こちらはこれまで100回以上見ている。もっとも、近ごろは能楽も高価だなあ、いや、こっちが貧乏になって相対的に高価になったか。
  
 これまで観た西洋オペラを思い出してみる。
 ドンジョバンニ(ウィーン・フォルクス・オパー、これは2階の真ん中あたりで3000円ほどだった)、ローエングリン(新国立劇場)、マダムバタフライ(横須賀芸術劇場)、オテロ(神奈川県民ホール)、オルフェーオ(神奈川県立音楽堂、東京北とぴあ)、カーリューリバー(神奈川芸術劇場)、こうもり(2回見てるけど、どこでだったかなあ)、椿姫(神奈川県民ホール)、他にあったかなあ、、少ないなあ。
ウィーン・フォルクス・オパー ドンジョバンニ公演の夜景 1994年 
ついでにミュージカルとバレエも思い出してみるか。
 キャッツ(新橋?キャッツシアター、ニューヨークのどこか忘れた劇場)、ヘア(ニューヨークオフブロードウェイ)、レミゼラブル(帝劇)、42nd Street(帝劇)、、、白鳥の湖(よこすか)、くるみ割り人形(よこすか)、、、、他にあったかなあ、、。
 でもまあ、現代ではありがたいことに、youtubeにほとんどのオペラでもミュージカルでも登場するので、貧乏人には嬉しい時代に人生が間に合ったものである。

2017/03/09

1255【五輪騒動】新国立競技場設計騒動が鎮静したら次は絵画館前サブトラック常設でまたひと騒ぎありそうで楽しみだなあ

 おお、これも揉めるぞ、たぶん、景観保存原理主義者たちが、ケシカランと騒ぐだろうなあ、久しぶりにまたヒマツブシにもってこいだな。
神宮外苑創建時の絵画館玄関より見る広場と銀杏並木
現在の絵画館前広場と銀杏並木
●今度は絵画館前広場にサブトラック常設とか?

 2020オリンピックの陸上競技会場になる新国立競技場は、競技期間中に使うサブトラックを絵画館前広場に仮設すると聞いていた。
 昨日の新聞によると、オリンピックばかりか、大きな陸上競技会をやるにはサブトラックが必要なので、陸上業界(というのか?)が言うには、オリンピックが終わってもそのまま常設施設にしてくれと。
サブトラックに?

 そうか、競技する側としてはごもっともである。あんなにでっかい新競技場にサブトラックがない方がオカシイと、わたしも思う。
 建築で言えばオペラハウスを作ったのに、大ホールはあるがリハーサル場がないようなもんで、これじゃあ半端物だな。

 さて常設となると、これまたひと騒ぎありそうだ。陸上業界じゃなくて景観業界(っていうのか?)からイチャモンつける人たち登場するに違いない。
 明治神宮外苑は明治大帝の偉業を顕彰する場であり、聖徳記念絵画館なる聖なる施設の前庭を、騒がしい運動競技の場にするとはけしからん、戦前そうであったように美しい芝生の広場に戻せ、、、とか。

 ようやくあの生ガキデザイン新国立競技場を駆逐して、不十分ながらも日本的デザイン競技場に変えることにしたのに、今度は高層ホテルが建つとて、聖徳絵画館の背景景観が乱れようとするところに、更にまた前面景観も運動場になって乱れるとは、なにごとであるか、、、とか。

 なによりもかによりも明治大帝に申し訳ない、、造園設計者の折下吉延にも申し訳ない、、とか。
 歴史的景観を大切にして、昔の姿に復元するべきだ、あの東京駅のように、、、とか。
 
●さて、これからどんな騒ぎになるか楽しみ

 でもなあ、あの絵画館前広場は敗戦直後に占領軍に接収されて静かな芝生じゃなくなって、今やもう70年以上も経ったのだよなあ。静かな芝生期間の戦前20年よりも、戦後こっちの歴史がはるかに長いよなあ。庶民の運動広場だよなあ。
 おまえはそういうけど、あの東京駅も昔の姿は30年間、戦後の姿は60年間だったのに復元したぞ、外苑だってそうするべきだよ、なんて、おっしゃるでしょうねえ、そうなんです、トホホ、わたしはその復原反対をずっと唱えて来たけど、蟷螂の斧で無視されたんですよ。

 景観も建築もなんでもかんでも最初の姿がいちばん良かった、昔に戻せ復元せよという風潮が世間を風靡しているけれど、これって復元帝国主義といいましょうか、景観原理主義と言いましょうか、なかなか思い切りがスゴイもんですねえ。
 なにしろ、それができてからあとの時代の影響というか要請による変化の歴史を、いっさい無視しようってんですからねえ。
 あ、帝国とか原理とか言ってますが、わたしはレーニンも秋水も読んだことないし、神学にも触れたことなくて、そのお、オチョクリムードで言っておりますです、ハイ。
どうせならなにもかも、ここまで復元しましょうよ、とか
あえて言えばあそこは、キチンとしたスポーツグラウンドになれば、兵士となる青年の体育に熱心であった明治大帝もお喜びでしょう。外苑にスポーツ施設をたくさん作った由縁はそこにあったのですからね。
 さらに言えば、入ってみたい気にならない絵画館だって、これをスポーツマンたちのクラブハウスとして有効に使えばよろしい。今ある絵画はそのまま展示してあれば、歴史文化に無関心なスポーツマンたちも競技会の度に大帝のご聖徳に触れる、、、これも大帝はお喜びか、、タイテイのことはお許しが出るのか、それともタイテイにせいってお叱り受けるのか、、な~んて。
スポーツクラブハウスに?
●立体公園決定を廃止して元に戻せという提言は?

 ところで、これは若干旧聞になったが、去年5月、新国立競技場と緑の環境のあり方について日本学術会議からイチャモンが出された。これはその後どうしてるんだろ?
 参照「神宮外苑の環境と新国立競技場の 調和と向上に関する提言
  http://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-23-t211-1-1.pdf
 ザハ案に合わせるために立体公園制度の趣旨に反して無理矢理公園変更したのを、白紙見直し案に沿って元に戻せ、更に渋谷川を復活せよ、と言うのである。
 ごもっともである。

 わたしはやり直しコンペに応募した2案を眺めていて、どちらも立体公園にしなくても済むような配置に気が付いて、そうか、立体公園をやめるだと思った。
 てっきり当然そうするのかと思ったら、なぜだかそうしなかった。
 白紙見直しの看板を掲げながら、新競技場のために新規や変更決定した公園計画や都市計画は一切見直さないという、実に奇妙な白紙見直しだった。白紙じゃなくて灰紙だな。

 この公園緑地系の学者たちの異議申し立ては当然であるが、さて、事業者がそれを受けてどうするのか、その後はなんにも聞かないから、言いっぱなし、言われっぱなしなんだろうか。
 設計者としてしゃしゃり出る隈研吾さんも、大学の学者建築家なんだから、何とか言うとかなんとかするべきだろうに、だんまりを決め込んでいるのは何故か。工事はどんどん進む。

 さてさて、これらばっかりじゃなくて、近いうちに青山通り沿い大企業用地に外苑容積移転で超高層開発騒ぎが起きるんだろうなあ、神宮球場と秩父宮ラグビー場の土地交換も面白そうだなあ、超高層ホテルつき神宮球場ができるかもなあ、当分まだまだ楽しみがあるなあ。
最も景観が変りそうなラグビー場とその隣の青山通り沿い
 オリンピックにゃ興味はないけど
便乗騒ぎにゃ興味津々

参照記事●五輪騒動瓢論集:新国立競技場と外苑再開発
http://datey.blogspot.jp/p/866-httpdatey.html