2012/06/24

634横浜港景観事件(番外編)神戸の港でもコスプレ建築の結婚式場が

神戸の港あたりも、横浜と同じく結婚式場戦争らしい。
 最近、神戸に居を移した知人から、こんな妙な形の結婚式場が、神戸港の水際で工事中だよと、教えてくれた。
http://notredame-kobe.com/

 これが神戸でどういう評判なのかは、その友人もわたしも知らないが、ちょっとネットで検索したら、こんなサイトがあった。
http://koberun.blog56.fc2.com/blog-entry-185.html
 この結婚式場の格好について、こう書いてある。

 この建物のデザインですが、個人的にどうしてもアニメ「機動戦士ガンダム」に登場するモビルアーマー「ビグザム」とZガンダムに出てくる同じくモビルアーマーの「サイコガンダム(変形する前)」に見えてしまいます(歳がばれてしまいますね・・・)。

 ふ~ん、わたしにはもちろんそのカタカナがなんだか分らないので、またしても貧者の百科事典ウェブサイト検索してみた。
 あ、そう、アニメなのね、へえ~。
 ということは、この結婚式場もまたコスプレ建築なのである。

 さて、神戸の建築家はどう思っているんだろうか?
 そして、横浜の建築家はどう思いますか、これを?

参照 横浜港景観事件(9)http://datey.blogspot.jp/2012/06/633.html
   横浜港景観事件(1)http://datey.blogspot.jp/2012/05/620.html

2012/06/23

633横浜港景観事件(9)横浜新港登場「新擬洋風」建築は閉塞時代を拓くランドマークとなるか

横浜ご近所探検隊(隊員兼隊長1名)は、みなとみらい地区あたりへもちょくちょく徘徊に行く。5,6年前から、西洋お嬢様か、漫画の中から抜け出たような、奇妙な服装の若者が目に付くようになった。
近頃はいつも臨港パークあたりでは、そこここに仮装グループがいて、写真の撮りっこをしている。仮装行列でもなくて、ピクニック気分のようだ。

はは~ん、これが評判のコスプレってやつかと気がついて、じろじろと見て回る。
どうもアニメとか漫画とかの登場人物の真似らしいが、それぞれが勝手なものに扮してばらばらと歩き回っている。
知ってるものが見れば、それぞれがなに扮しているか分るだろうが、知らないこちらには、大勢がひとつのコンセプトにはないので、仮装行列からの流れ解散みたいに見える。

そうだよなあ、いまはなんでも参加の時代らしい。受身ではないのだ。
演奏会だって静かに聴くのじゃなくてポップ系コンサートでは客も立ってゆらゆらひらひらわーわー、レコード(CDか)だって聞くだけじゃなくてカラオケで歌うんだから、漫画だってアニメだって見るだけじゃなくてコスプレで参加するってことだろう。
先日、住宅展示場にいったら、コスプレ住宅さえあって驚いたものだ。

そうだ、結婚式こそ元祖コスプレだ、って思いついたら、新港地区に登場しようとしている例の結婚式場、あれはコスプレ建築なんだよなあ。
結婚式というコスプレイベントの会場としての建物は、当然のことながらコスプレ意匠をまとうのであろう。
ネットでコスプレの会を行う会場を見たら、横浜ではパシフィコでやっているとあるから臨港パークに出てくるのだろう。赤レンガの開港記念館でもやっているし、新港の赤レンガ倉庫でもやっている。どうもレトロな雰囲気が仮装撮影に気持ちがよいらしい。

やはりネットで結婚式場を検索すると、出てくる写真がどれもこれもコスプレ大会である。人物もそうだが、背景の建物やら庭園がどう見てもシンデレラの夢の中で、こちらもコスプレである。。
ならば、こういう結婚式場でコスプレ大会をやれば、建物だってコスプレしているのだから、これこそお似合いだろう。でも、会場費が高すぎで若い子たちには無理かなあ。

さて、いまコスプレ建築と書いた。これって悪意を持って書いているのではないので、ネンノタメ。
これから見世物建築とか、ハリボテ建築とかって用語も使うつもりだけど、同様に悪意はないので、ネンノタメ。もしかしたら褒め言葉かもしれない。

結婚式という儀式そのものが私的な集団の内側の儀式である。だからそのデザインはその私的な集団の意識を徹底して刺激する、ただそれだけを目的にしたデザインでしかない。だから張りぼてになってしまうのである
これは建築家の山本理顕さんが「景観の私物化」と題して、日刊建設工業新聞6月15日版に書いたコラムの一節である。
原因が私的な施設だから、結果が張りぼて建築になる、という因果関係は、間になにか説明を入れていただかないと、わたしには分らない。
でもとにかく、専門家が見て「張りぼて」なのだそうである。

張りぼてとは、なんだろうか。辞書を引くと、張り子とおなじで「木型に紙を重ね貼り、乾いてから型を抜き取って作ったもの」だそうだ。小さなものは縁起物のダルマ、大きなものは青森県のねぷた(ねぶた)である。
江戸時代は籠細工で巨大な仏像とか歴史上の人物像を作って、見世物にして大流行したこともあったそうだ。
それが転じて見かけだけで中身がない「見掛け倒し」という意味を持つようになった。

さて、建築の張りぼて、つまり見掛け倒しとは、どういうことだろうか。まさか竹籠細工に紙張りお絵かき御殿ではあるまい。
ここでこの結婚式場が問題になっているのは、その景観つまり外から見える姿なのである。専門家は見るだけで張りぼてと分るのだろうか。
鉄の骨組の上に石を貼ると、張りぼてか、そうするとそこらにある建物全部張りぼてだな、ということは、いまや張りぼては悪い意味ではないのであろう。

逆に、張りぼてでない建築はなにか、エジプトの王様のピラミッドだろう。石やレンガだけを積み上げて造るヨーロッパやアラブの中世教会もそうだろうか。日本の古典的木造建築もそうかもしれない。
現代建築はどうだろう、鉄やコンクリートの上に、になやかやと貼り付けているのが普通だから、どれもこれも張りぼて建築だろうか。
金がなくて内装も外装もしないコンクリート打ちはなしのままの家が、もしかしたら張りぼてでない建築か(うん、青山にあるな)。
三菱一号館美術館が純粋なレンガ造として最近建ったが、これは昔の建物のコピーだから、正確には現代建築ではない。
そうなると現代では張りぼて建築のほうが当たり前だろう。あ、公園や橋の下のダンボールのおうちは、意外に張りぼてじゃないかもね。

もしかして、この結婚式場建築は、あの中世西洋建築のように、本物の石やレンガを積みあげ、アーチやボールトを作り、鋳物の金物を作り、アルミサッシなんか使わないでつくるつもりかもしれないぞ。
え、これでも張りぼてか、って、事業者は怒ってるかもしれませんよ。
うん、たぶんそうに違いない、だって、これから続く永遠の誓いの幸せな時間を、フェイクの空間で過ごさせるようなことは、しませんよ、ね?
では、見掛け倒し建築の意味は、外見と中身が違うってことなのかしら。
ならば、結婚式場にはなにか決まった様式があるのだろうか。それはもう西欧キリスト教会こそがその様式だと、事業者は思い込んでいるようだが、建築家はそうは思わないのだろうか。

この結婚式場だって、それを設計する建築家がいるはずである。
横浜市都市美対策審議会景観審査部会議事録(2012年1月10日)の出席者名簿に、事業者の役員とともに小野公義(清水建設(株)設計本部グループ長)の名があるので、この人が当の建築家であろう。

おお、清水建設か、横浜開国時代にここで一発大儲けしようと内外からやってきた有象無象のなかに、清水喜助(2代目)とブリジェンス(アメリカ人)がいた。この二人は組んで土木建築工事で大活躍して大儲けした勝ち組である。
この清水喜助が、いまの清水建設の近代への礎を築いた人である。この結婚式場の設計者は横浜に深い縁がある人の流れを汲んでいるのだ。

そうか、清水喜助、横浜開港時代、ブリジェンス、そして彼らの作った建築のイギリス仮公使館、横浜町会所(横浜開港記念館の前身)、築地ホテル館、国立第一銀行へと連想が飛んでいく。どれも開国時代の日本の、あまりにも有名な建築である。


これらの奇抜な姿は、錦絵に描かれて横浜や東京の名所みやげであった。横浜町会所の時計塔は、さしづめ横浜スカイツリーであった。
そして驚くことに、これらはみな木造建築であったのだ。鉄骨ならぬ木骨瓦張り、木骨石造という、これぞまさに「張りぼて」建築であり、その和洋混交シッチャカメッチャカに見える格好はコスプレ建築である。

このコスプレ建築こそが、日本の夜明け時代を象徴するランドマークとして世に大きく迎えられていたのであった。そしてそのころ、あの鹿鳴館では、本当にコスプレ宰相とコスプレ芸者たちが、外国人たちと踊っていた。
そういう時代を拓いた一人が清水喜助であることを思うと、いま、横浜港にコスプレ建物が登場することは、なにか因縁があるだろう、、、え、何の関係もない?、そんなことないでしょ、だって清水建設設計だよ。

まあ、よろしい、開国時代の張りぼてコスプレ建築のことを、建築史の専門家は擬洋風建築といっている。
それは決してゲテモノ建築ではなく、ひとつの時代が終わって次に時代へとうつるときに、日本の技術者技能者たちが西欧型建築家へのステップを刻んでいた懸命の努力の賜物であり、だからこそ時代のランドマークたりえたのであった。

さて、清水喜助の衣鉢を継ぐ建築家のデザインする、横浜新港新登場「新擬洋風」建築は、いまの閉塞する時代を拓くランドマークとなるであろうか。
他の建築家から批判があるのだから、当事者の建築家として堂々と言葉とデザインで応えてほしい、ガンバレ。
(せっかくだからきりのよい10回目まで続けようかなあ)

●参照⇒横浜港景観事件(10)

2012/06/20

632横浜港景観事件(8)赤レンガ建築群が建ち並ぶ出島だったと思っていたら実は

赤レンガの建物は全国でいくつあるか知らないが、関東地方にあったもののほとんどは、1923年の関東大震災で姿を消した。  以後、日本全国でレンガ造で構造物を建てることはなくなった。
 だからこそ、現代日本でも生き残っているレンガ造の建物や土木構築物が珍しがられて、観光資源になる。
 最近、現代レンガ造建築を新築してしまった「三菱一号館美術館」なんてのもできた。東京駅も3階部分などの格好をコピー再現した。
 免震構造の発明によってレンガ造も息を吹き返す感もある。

 さて、横浜の赤レンガ造建築である。この連続“イチャモン”シリーズでとりあげているのは、横浜みなとみらい21の新港地区に計画中の結婚式場建築である
 デザインがナットラン、顔を洗って出直してこいって、横浜市美観審議会からお叱りを受けても、なんとかの顔になんとかで洗わないままに、ナットランデザインが進行中らしい。
 生真面目なアーキテクトやプランナーが怒りくるっている(らしい)。
 彼らが出した、横浜市は何とかせい、という市議会への請願は不採択となった。
 専門家はあれこれ言うが、市民を代表する議員がこうだとすると、一般市民はどう思っているんだろうか。

 審議会がなにをナットランと言ってるか、かいつまんで言えば、横浜市としてはこの島にある歴史的建築の赤レンガ倉庫をモチーフにしたモダンデザインによる風景を誘導してつくろうとしているのに、事業者が提案してきた結婚式場は、昔風西洋物真似寄せ集めハリボテへたくそデザインである、と。
 
 へたくそかどうかはさておいて、では、この新港地区という島は、かつては赤レンガ建築、赤レンガ防波堤、赤レンガ埠頭で埋め尽くされていたのだろうか、という疑問がとりあえずわいてきた。
 新港ができたのは19世紀末から20世紀初頭にかけてだから、当時の現代建築最先端技術である赤レンガがたくさん使われていたのだろうなあ、今ある2棟の赤レンガはほんの一部だろうなあ。
 そう思って、新港を造った大蔵大臣官房臨時建築課がだした「横浜税関新港施設概要」(1915年)と「横浜税関新設備写真帖」(1917年)なる本を見た。

 それによると、レンガ造建築は、3階建て倉庫が1号と2号の2棟(現存する赤レンガ倉庫)、3階建て事務所が2棟、発電所が1棟であり、そのほかは鉄骨あるいは木造の上屋が14棟であった。
 新港地区の創建時の建物をご覧あれ。



あれ、そうなのか、赤れんが建築で埋め尽くされていると思ったのは間違いだった。全部で19棟のうち、赤レンガはこの図の赤く塗ってある5棟だけだった(黄が木造、青が鉄造)。

 そして1923年に横浜をめちゃくちゃにした関東大震災で、新港も壊滅した。
現在見る赤レンガ倉庫2棟(正確には1棟半)だけが、倒壊、火災をかろうじて逃れて修復されて今に至っているのだった。
 震災から復興した後の新港地区の絵葉書をご覧あれ。

 と言うわけで、この新港地区は歴史的に赤レンガによる風景だった、というわけではない。
 赤レンガイメージが優先したのは、いつごろからなのだろうか。もしかして現存2棟を保全再生することになってから作り出されたイメージだろうか。
 それは大震災を生き残った記念物として、おおいに意義のある存在であることは確かだから、新港地区のリーディングイメージに祭り上げるのは的を射ていると思う。

 わたしは30歳からいままでの通算20年間を横浜市民であるが(勘定が合わないのは間の25年が鎌倉市民だったから)、港のイメージは実に薄い。
 仕事でちょくちょく行った県庁舎の食堂から見えるでかくて薄汚い屋根の倉庫群、ギャング映画でピストル持って追いかけっこする背景の汚れたレンガ倉庫とか貨物船の危険な荷役現場で争う荒くれ人足たち、ニュース映画の華やかな外国航路出航の賑い風景。
 わたしの横浜港イメージはこれくらいのもので、万国橋の向こうは近寄りがたい異界の出島であった。これは庶民の一般的な港イメージであったろう。
 だから赤レンガは違うよ、と、わたしは言っているのではない。横浜の新たな地域ブランド売り出し戦略として、見事に成功していることを賞賛しているのである。

 赤レンガ倉庫群ならば、舞鶴の方がよほど立派である。函館にもある。
 横浜赤レンガ倉庫は、かの日本近代化時代の大建築家の妻木頼黄の設計であるからすばらしいと、妙にマニアックなことをいわないと価値が分らないのが、なんだかおかしい。
 妻木頼黄なんて、建築マニアのほかに誰が知ってますか。
 わたしは思うのだが、あの県立博物館や日本橋をデザインした妻木が、このたかが倉庫のデザインをしたわけがあるまい。下っ端に任せたに決まっている。
 彼の設計による赤レンガ建築で有名なものに、カブトビール工場(知多半田市)と旧門司港税関庁舎があるが、これらと比べれても分るだろう。ましてや県立博物館と比べると、だれでも一目瞭然である。
 
 それでも赤レンガ倉庫に頼るしかないのが、横浜なのである。つねに新しいものを開いていった歴史、それが横浜なのだから。
 幸いにしてモダニズムの洗礼を受けた日本の建築は、あの倉庫のデザインの直截さに美を見出したのであった。あの横浜唯一の赤レンガ重要文化財・開港記念館の、ごてごてした様式コラージュよりも、まあ、美しい、と言える。

 ということで、もしもこの結婚式場屋さんが、先生方の仰せのとおりに横浜の赤レンガの歴史を踏まえましたといって、開港記念館そっくり建築を提案してきたら、はたして審議会はどういうだろうか。
 これまでの先生方の論の根底から言えばNOであろうが、これって一般には分りづらいだろうなあ。

 横浜の関内地区には、関東大震災で消えた華麗なるレンガ造建築が山ほどあった(横浜税関、横浜郵便局、ロイヤルホテル、横浜中央電話局、ドッドウェル協会など)。その種本を教えると「横浜・開港の舞台 関内街並絵図」。
 どうです、そのいくつかをコピー再現して並べて、新たな邸宅型結婚式場のビジネスモデルにするってのは、、。
 東京に最近現れたふたつの赤レンガ建築(東京駅三菱一号館美術館)の向こうを張って、港の歴史を伝える横浜の再興はこれだ!、、ああ、やっぱりラブホと間違えられるかなあ?!
まだつづくなあ、次はハリボテ建築論でもやろうかなあ)

2012/06/17

631わたしも日本に出稼ぎに行きたくなったあの人の豪邸

殺人事件犯人として服役していたあるネパール人が、新証拠で無実かも知れないと分って、それはよかったが、ここからがわたしにはなんだかわからないが、釈放されて、故国に戻って大歓迎というニュースでもちきり。

 わたしが驚いたのは、そのネパール人が帰宅したカトマンズの自宅が豪邸であることだ。
 今朝の新聞を見ると、ギリシャ建築オーダーつき柱の立つ3階建ての家のバルコニーから、凱旋したその人が手を振っている写真が載っている。
http://goo.gl/ke1vo
 
 それで思い出したことがある。
 昨年、ネパールに遊びに行ってあちこち見てきたが、新開地の住宅地にいろいろな家が建っている。
 その多くは1~2階建てで、細いコンクリ柱の間にレンガを積んだものだが、なかにまさに今朝の新聞のような豪邸がボツボツと建っている。

 そのあれこれ洋風デザインのディテール引用が、いかにも成り上がり的なのが気になってガイド氏に聞いた。
 彼が言うには、それら豪邸はイギリスの傭兵として働いてきたゴルカ兵が、引退帰国して建てたもので、かれらの給与や年金が故国とは大違いにハイレベルだからそうだ。

 こちらはポカラの街の郊外にある山岳博物館の敷地から外を撮った。
 金網は博物館の囲いだが、外に見える新住宅地の手前は低カースト階級の家で、その向こうに新築の家が建ちつつある。

 その住宅地の中で撮った豪邸。

 そこで今回の豪邸である。
 そうなのか、日本への出稼ぎもこんなに立派な家を建てさせるほどの高収入になるのか。
 わたしの住む家は、あのマイナリとかいうひとの豪邸の何分の一かの大きさである。
 なんだか、ネパールに遊びに行ったのがはずかしくなった。
 わたしも日本に出稼ぎに行きたい。

2012/06/15

630赤レンガの東京駅が花魁頭の姿を見せてきた

東京丸の内にある東京駅丸の内駅舎が、ながらく工事用の囲いで覆われていたが、姿を見せてきた。2012年6月13日に丸ビルの5階から撮った写真。

 復元工事前の2007年11月に同じく丸ビル5階から撮った写真。

両写真を比較してすぐ気がつくのは、3つのドームの大きさである。
 1914年の辰野金吾のドームはちょこんと乗っている感じで、意外にも伊藤滋(1947年修復時の国鉄の建築家)のドームよりもかなり小さいのであった。
 もうひとつは、辰野の設計はかなり装飾的であったということだ。こまかい窓割りとその周り、不思議な形の尖塔群などがうるさい。
 もちろんこれはモダニズムの洗礼を受けたものの眼からの感想である。

●参照→東京駅復元反対論
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tokyoeki

2012/06/14

629東京見物ぶらぶら新橋から銀座へ信仰心もないのに神社めぐり

よくまあ、こんな都心部でこんな広い道を作るもんだ、えらい金がかかってるだろう、土地代に。
 虎ノ門から新橋までの都心部を貫く、通称「マッカーサー道路」環状2号線の工事現場に出くわす。1946年に決めから66年、ようやくその姿が見えつつある。
 その道端に真っ赤な鳥居が汐留超高層群を背景に見える。近づいてみると「日比谷神社」とあって、真新しい鳥居と社殿。

 はて、今頃なんで新築かとみれば、石段の柱に「日比谷神社遷宮御造営」とある。そうか、環状2号線の道路用地に引っかかって、ここに移動して補償金で新築か。
 人間はまったく別のところに移転できるが、神社は地霊を抱えているからそうは行かない。できるだけ近くに遷座するしかない。

 社殿の前から鳥居を通して環2を見通すと、この道の上にどでんと建つ超高層建築が建築中であるのが、注連縄の向こうに見える。
 どうしても立ち退かない地主たちに、このビルに移ってもらって、環2はその股の下をくぐらせてもらうらしい。世の中には神様よりもえらい人がいるものだ。

  ◆◆◆
 新橋駅そばの「烏森神社」に来る。
 参道の飲み屋横丁に「夏越大祓」と幟旗がある。「なごしおおばらえ」と読むのだろう。おお、道の真ん中に、茅の輪があって、くぐる。
 懐かしや、わたしの生家の神社でも、夏祭りはこれをつくったものだ。縁起物として参拝者が一本づつ抜いていくので、祭りの終わりにはよれよれになっていた。東京あたりではどうするだろうか。
 茅の輪をくぐるのは厄払いの意味だが、飲み屋街で厄払いとは、飲む前にやるのか、飲んだ後にやるのか、どっちが効果的なんだろう。

  ◆◆◆
 銀座6丁目、上品に言うと低価格ファッション屋さんのユニクロが真新しいビルを構えている。
 ほかにも洋服の青山なんて低価格スーツ屋さんが、高価格エルメス・ダンヒル・ブルガリなどと肩の並べるのが、面白い。もうすぐドンキホーテもやってくるそうな(うそ)。
 で、はて、ここはユニクロじゃなくて小松ストアーがあったような気がする。
 裏のすずらん通りからみると上空にガラスの橋がかかっている。さっそく店に入って商品はぜんぜん見ないでエレベーターに登る。橋からのすずらん通りの景色。
 橋から階段があるので登って見たら屋上にでて、「三輪神社」とて、芝生の向こうに結界がある。昔の小松ストア屋上にあったのだろう。

 結界のなかは黒い石がひとつ。なるほど、大和の大神神社(三輪明神)の三輪山の奥に鎮座する磐座(いわくら)のモディファイであるか。
 それにしても大地から遠く浮かんだ磐座とは、それ自体がトートロジーであるような。

  ◆◆◆
 そういえば、デパートの屋上には必ず神社があったものだと思い出して、銀座4丁目の三越の屋上に出てみた。
 三原橋のそばまで裏のほうに増築して大きくなって、4丁目の角のビルの屋上が芝生の広場になっている。ありましたね、神社が。
 三囲神社(みめぐりじんじゃ)とある。隣に大きな石の地蔵さんが立っていて、「出世地蔵」とあるのが商売っ気がある。
 この屋上は見たところは芝生が気持ちよさそうで、木のベンチがるので休むことにした。
 ところが、左右の大きな機械室からドロンドロン、ビョンビョンと低周波の雑音がやかましく、とてもじゃないがいられない、早々に逃げ出した。この広場を提供する三越の人たちは何も感じないのだろうか。

  ◆◆◆
 銀座には超狭い裏路地があちこちにある。人が1人ようやく通れるほど狭いのだが、昔は汲み取り道だったのだろうか。
 そのひとつに「豊岩稲荷神社」があって、まっすぐ向いて拝めないくらい狭い路地に、真っ赤な祠が威容を放っている。

 よくまあこんな狭い牢獄のようなところに御鎮座を、と思うのだが、多分、ここには昔は広い屋敷があって、その庭にあったのだろう。地の霊が他に移動させなかったのか。

 わたしは、どこの神社も祠も寺院でも、拝むことはない。信心なるものにまったく興味がないのだ。多分、生家が神社だったせいの反動だろう。

2012/06/12

628横浜港景観事件(7)現代の結婚式場は鉄柵の中の異教徒礼拝所なのか

 向こうにあるショッピングセンターの手前にキリスト教会が見える。横浜都筑区の港北ニュータウンセンターの風景である。
 こんなニュータウンのセンターに教会とは、宗教団体は金持ちなんだなあ。

 横から見ると、なんだかいろいろな建物がごちゃごちゃくっついているようだ。
 しかもまるでどこかの旅館みたいに、後から後から増築していったらしく、いろいろな色や格好をしている。
 教会ってのはこれほど大きな建物が要るのかしら、修道院でもあるのかな。近くの歩道橋から見ると、なかなか巨大である。
 向こうのショッピングピングセンターに引けをとらない、いや、ショッピングセンターの別棟かしら。


 正面にまわってみたら、おおキリスト教会である。これははなんと言う様式だろうか。ゴシックというか、曲線もあってバロックか、球形ドームも見える。
 近づけば、まわりを鉄柵で厳重に囲ってある、しかも2重に。
 あれ、キリスト教会は普通ならいつでも誰でもは入れるぞ、ここはやっぱり修道院なのか。妙に敷居が高い施設である。

 案内板がある。なになに、
「ヨーロッパ文化を継承した聖なる祝祭の地、アニヴェルセルヒルズ横浜。丘の上のチャペルと3つの豪華な邸宅で行われるウェディングがテーマです」
 ウェディングがテーマってどういうことか、はて、アニヴェなんとかって聞いたような、って首を傾げていて、思い出した。
そう、ここは結婚式用の教会なのだ、しかも、いま、横浜みなとみらい21新港地区に進出しようとして、横浜市の審議会で問題になっている、あの事業者の結婚式場である。
 キリスト教会風建築はまさに儀式場であり、修道院風建築群は宴会場であった。
とたんにこの建築群がキッチュに見えてきた。うまいこと真似て作るものである。

 ここは港北NTセンターの地下鉄駅のすぐそば。
 まわりはいかにも高度成長時代の都市プランナーががんばった形の、広々とした広場とモールと現代的な建築群がある。
 その建築群が現代風のタイルやガラスを多く使い、屋根はフラット、壁は四角と平面を基調とした、モダニズム系統のデザインである。そして多様多色な広告が建築を彩る。
 良くも悪くも現代消費社会を、いかにも計画的に作りましたと、そういう風景である。

 それに対してこの結婚式場建築は明らかに異形である。一見すると白亜の西洋様式建築群が整っていて広告物は一切ない。実はよく見るとなんともばらばらな建築群だが、それは多分、玄人のわたしの目が見たからだろう。
 一般に異形であることをもって悪いといっているのではない。
 異形は時にランドマーク性を持って地域に個性を与えるが、ここでは異形がどこか地域から浮き上がり、あるいは地域を排他する異教徒的な風貌を持つのが気になる。
 人を寄せ付けない鉄柵、すくない開口部、さまざまな増築(のように見える)など、この日常の中の突然の非日常風景は、どこかうさんくさい雰囲気である。
 現代の結婚式場とはそういうものになっているのか、わたしには不思議きわまるのであた。

 一般の人たちはどう思うだのろうか。歩いている人に聞いてみる勇気はなかったが、多分、なんだかカッコウイイ、ちょっと素敵、なんて言いそうだ。
 わたしが見た日は平日だから式はないのだろうが、何組かの客らしい人たちが、黒い服のここに係員らしい人に案内されて鉄柵の中を歩いているのが見えた。
 この「ビジネスモデル」(事業者の言葉)は成功して繁盛しているのだろう。だから新港地区でもこれでやりたいのだろう。
 
 こうして実物を見てから、またはじめに戻って新港地区での例の計画の絵を見る。
この遊園地というかテーマパークのような姿が、実は鉄柵の檻の中にできる異教徒の世界を思わせる空間になるのであるかと、なんとも不思議な思いにかられるのである。
 まあ、いつもは信仰心もないのに、結婚式で一時的に異教徒になるのだから、そうなるのだろうか。

 それで思い出したのは、松本市の北の郊外にある「信州ゴールデンキャッスル」である。もとは四賀村といったがのんびりした山里に、突然にベルサイユ宮殿風(自称)の建物が出現して、度肝を抜かれる風景がある。
 これがまた鉄柵で囲まれた結婚式場建築である。ここは成功した居酒屋経営者の出身地で、その母親のために建てた御殿がその元だそうである。
この山間の異教徒的というよりもラブホテル風かレジャーランド風というか、そんな風景は、考えてみれば街の中にあるよりも過疎地にあるほうが違和感をかんじる人数が少ないから、まあ、いいか、、、これも不思議な風景である。
 港北センターの結婚式場がここにあると、まさに修道院風風景である。ベルサイユ宮殿風よりもそのほうが似合っただろうになあ。
 まだまだ、つづく、次は赤レンガの風景を考えてみたい)

参照→横浜ご近所探検隊が行く(横浜景観事件の連続コラム全編はこちらからどうぞ)

2012/06/08

627いまや高齢者はアホアホ老軍団になりつつあるらしい

近頃は、ふらふらと考えを変えるのは若者じゃなくて、年寄りらしい。
 今朝の朝日新聞の「私の視点」と言うコラム欄に、政治意識論を研究している松本正生さん(埼玉大)という人が、こんなことを書いている。

 調査によると、90年代以降、選挙のたびに「そのつど支持者」になって、ころころと投票先を変える傾向が著しいのが60歳代以上。
 その原因は、年取ると社会から縁が切れて、家の中でTVばかり見ている生活になって、世間のことはTVからしか知らないから。

 
 おお、そうなのかあ、年寄りは保守となって頑固、若者は無党派でいい加減と言う通説は、いまは違うのか。
 どうも小泉政権の頃から、選挙のたびにドドッと翼賛型になって票が一定方向に集まるのが、まったくもって気持ち悪かったのだが、それはアホTVを見ている年寄りどものせいだったのか参照→またもや翼賛選挙

 わたしも後期高齢突入1ヶ月目のれっきとした老人だが、TVは見ないし、選挙にも40年以上も行ったことないから、自分もそうなのか判断できない。
 でも、自己判断すると頑固かつ柔軟な革新派のような気がする。ようするにいい加減なる革新派か。

 それにしても、わたしが思っていたのは、こうだった。
 近頃増えた年寄りは、金はそこそこあるし、時間はたっぷりだし、経験を積んでいるから、社会的にはよい方向にあるだろう。社会貢献活動が増えるだろう。
 むしろ怖いのは、閑な不良老人が増えることで、その能力を生かした知的犯罪が増えるだろう。元銀行員と元IT屋が組めば、なんだかやれそうでしょ。
 
 ところがなんと、まったく予想が外れた。実はアホアホ老軍団が形成されているのであった。近頃の衆愚の原因はここにあったか。
 そういえば、万引き犯にいちばん多いのが老人だそうだから、知恵のないことである。
 選挙では付和雷同するし、こそ泥的にしかなれないし、まったくしょうがないよなあ近頃の年よりは、、、と、わたしはそのひとりとして思うのである。

 でもなあ、インタネット社会にどっぷりとつかって、TV離れした世代が老人になった時代が来たら、また違うことになりそうだ。
 これってつまり、「早すぎたネット年寄りの私のことだけどね。

2012/06/03

626横浜港景観事件(6)もっと楽しい風景にしてほしいと思わないでもない

前回と前々回では、横浜都心部にある既存の結婚式場建築とラブホテル建築の姿を見たのであった。
 その結果は、それらのデザインには共通するものが明確にあって、どこか西欧古典風の建築デザインボキャブラリーが登場するのである。
 どうして共通するのだろうか。

 事業者のアニヴェルセルのサイトには、結婚式場は「愛に満ちあふれた幸福の時間」であるという。
 つまりで縮めて言うと「幸の時間」、なるほど、ラブホテルが「愛の空間」(井上章一)だから、あわせて「愛と幸せの時空」なのか。分りやすい。
 下世話に言えば、どちらも男女の性的な結びつきが基礎にあるのだ。

 上野千鶴子に言わせると、結婚とは「たった1人の異性に排他的かつ独占的に自分の身体を性的に使用する権利を生涯にわたって譲渡すること」(「ザ・フェミニズム」)なのである。
 つまり結婚式場「幸せの時間」では生涯契約であり、ラブホ「愛の空間」では短期期限付き契約である。
 さてこれら二つの契約期間は、厳然として異なるものかと言えば、かなり怪しくなっているから、ラブホと結婚式場の境目にもその影響が及んでいるに違いない。

 だから、その儀式の場として「愛の空間」と「幸せに時間」とに共通的なものがあるのは分るような気がする。
 そして「愛の空間」が、当初は裏寂れた連れ込み旅館から進歩して、儀式性を表現するテーマパーク型に変身してきたが、いまは普通のホテルへと移行しつつあるのは、性的短期契約が珍しいことではなくなってきていることだろうか。
 それに対して、「幸せの空間」は普通のホテルが先にあって、今はそこから脱皮して儀式性を求めるテーマパークへと移行しつつあるとすれば、その先にはラブホのように普通のホテルに戻っていくのだろうか。
 それとも少子時代で結婚式が数少なくなると、ますます儀式性を増していくのだろうか。

 まあ、なんにしても、ラブホも結婚式場も「見世物としての建築」であることは間違いない。見世物小屋なのである。
 その中で見世物を演じるのは、観客たち自身である。これはカラオケにも似ている。そうか、いまにカラオケビルがテーマパーク性を帯びてくるに違いないぞ。
 結婚式場では新郎新婦を主役にして参列者たちが共同で劇を演じる。出演料を出し合って互いに見物しあうのだ。
 ラブホでは、主役の二人だけが出演料を支払って、互いに演技しあい見物しあう。
 どちらにしてもその一期一会の場が非日常的な演劇空間、豪華な芝居小屋つまり見世物小屋であって欲しいと思うのは、まことにごもっともである。

 さて、話を元に戻して、横浜みなとみらい21新港地区の結婚式場計画のことである。
 そもそもここで景観問題が起きたのは、都市美審議会景観審査会委員である生真面目な建築家たちには、ラブホ建築が我慢ならないことなんだろう。
 でも、ここにあの結婚式場事業者が登場するならば、こうなることは十分に分っていたはずである。ラブホ建築こそが「ビジネスモデル」なのであり、事業者はそのビジネスをここで展開するのだから。

 そして、事業者は実に巧妙にも、この立地の持つ現状としてのテーマパーク景観に身を寄せたのであった。そう、あのゴタゴタした大観覧車とジェットコースター遊園地風景に、このラブホデザインは見事に調和したのである。
 さて、横浜市はどうするのか。
 このラブホ景観がいやならば、できることはたった一つ、予定敷地内にある市有地を貸さないことである。
 貸さない理由はどうするか。結婚式場事業を拒否はしないが、地主としてラブホデザインはいやだと言えばよろしい。それは市民感覚的なひとつの見識である。
 ただしこのとき横浜市は覚悟がいるのは、結婚式場に人質にされたあの遊園地を、二度と人質にされないように排除しなければならないことである。

 ところで、もうひとつの市民感覚として、あの場所にあんな面白い建物ができるのもいいな、遊園地が広がって面白いな、あの場所であんな建物で結婚式をしてみたいなって、そんな世俗感覚も大いにありそうである。
 ここで悪乗りするが、あの新港地区の現状は、必ずしも楽しいとはいえない風景である。あのショッピングセンターはまことに無様なデザインだし、温泉施設もなんだか事務所みたいである。
 ラーメン博物館は建築家好みそのものである。全体に閉鎖的でもある。
 もっと楽しい見世物小屋のたち並ぶ祝祭風景にしてほしいと、わたしも思わないでもない。
「島」は、かつては「遊郭」を意味したことを思い出した。新港地区は現代の彼岸公園(横浜最初の遊郭の地)に見える。

 それに対して、生真面目な委員の先生たちが、ハリボテ建築とか模倣デザインとかテーマパークとかでいやだなんて非論理かつ感覚的な言葉ではなくて、もっと正面きって都市美とはこうあるべきと、なにかを説得性を持って毅然として標榜することができるのだろうか。
 事業者や市民から、景観とは個人的な感覚だと言われてはミモフタモない。
(もうこの辺でやめようと思うのだが、、まだ横浜港景観事件(7)に続く

2012/06/02

625やっぱりマンションは危ないと分ったのに止まらない世の中がオカシイ

東日本大震災に関するニュースで、東北地方の津波や原発災害はよく伝えられるが、仙台などの都市部での被害はあったのかしらと思うほど、そのニュースはすくない。
 でも、やっぱり深刻な被害があったのだ。今朝の朝日新聞に「マンション 傷そのまま」とて、被災共同分譲住宅問題が載っている。


 仙台では被災から一年以上経ってもいまだに修理や建て替えができないまま、住めない共同住宅がたくさんあるのそうだ。
 それは、分譲の所有者たちの合意ができないことに大きな原因があるという。

 やっぱりねえ、「名ばかりマンション」とわたしが悪口を言っている日本の分譲型共同住宅建築は、地震がきたら倒れなくとも住めないよ、危ないよ、買わないほうがいいよと、まえまえからここに書いているでしょうに。
 わたしの警告が不幸にして的中しているのだ。

 そして、現実にこうして問題が出ているのに、いまだに名ばかりマンションがどんどんと建ち、それを買う人たちがどんどんといる。止まらない。
 世の中がどうもヘンである。もう勝手にせい!

●借家か持家か
http://datey.blogspot.jp/2009/01/blog-post_20.html
●賃貸借都市の時代へ
https://sites.google.com/site/machimorig0/taikenteki-jutaku
●片思いの賃貸住宅政策
https://sites.google.com/site/machimorig0/kosya
●姉歯大震災が喚起すること
https://sites.google.com/site/machimorig0/anehajiken