2012/06/03

626横浜港景観事件(6)もっと楽しい風景にしてほしいと思わないでもない

前回と前々回では、横浜都心部にある既存の結婚式場建築とラブホテル建築の姿を見たのであった。
 その結果は、それらのデザインには共通するものが明確にあって、どこか西欧古典風の建築デザインボキャブラリーが登場するのである。
 どうして共通するのだろうか。

 事業者のアニヴェルセルのサイトには、結婚式場は「愛に満ちあふれた幸福の時間」であるという。
 つまりで縮めて言うと「幸の時間」、なるほど、ラブホテルが「愛の空間」(井上章一)だから、あわせて「愛と幸せの時空」なのか。分りやすい。
 下世話に言えば、どちらも男女の性的な結びつきが基礎にあるのだ。

 上野千鶴子に言わせると、結婚とは「たった1人の異性に排他的かつ独占的に自分の身体を性的に使用する権利を生涯にわたって譲渡すること」(「ザ・フェミニズム」)なのである。
 つまり結婚式場「幸せの時間」では生涯契約であり、ラブホ「愛の空間」では短期期限付き契約である。
 さてこれら二つの契約期間は、厳然として異なるものかと言えば、かなり怪しくなっているから、ラブホと結婚式場の境目にもその影響が及んでいるに違いない。

 だから、その儀式の場として「愛の空間」と「幸せに時間」とに共通的なものがあるのは分るような気がする。
 そして「愛の空間」が、当初は裏寂れた連れ込み旅館から進歩して、儀式性を表現するテーマパーク型に変身してきたが、いまは普通のホテルへと移行しつつあるのは、性的短期契約が珍しいことではなくなってきていることだろうか。
 それに対して、「幸せの空間」は普通のホテルが先にあって、今はそこから脱皮して儀式性を求めるテーマパークへと移行しつつあるとすれば、その先にはラブホのように普通のホテルに戻っていくのだろうか。
 それとも少子時代で結婚式が数少なくなると、ますます儀式性を増していくのだろうか。

 まあ、なんにしても、ラブホも結婚式場も「見世物としての建築」であることは間違いない。見世物小屋なのである。
 その中で見世物を演じるのは、観客たち自身である。これはカラオケにも似ている。そうか、いまにカラオケビルがテーマパーク性を帯びてくるに違いないぞ。
 結婚式場では新郎新婦を主役にして参列者たちが共同で劇を演じる。出演料を出し合って互いに見物しあうのだ。
 ラブホでは、主役の二人だけが出演料を支払って、互いに演技しあい見物しあう。
 どちらにしてもその一期一会の場が非日常的な演劇空間、豪華な芝居小屋つまり見世物小屋であって欲しいと思うのは、まことにごもっともである。

 さて、話を元に戻して、横浜みなとみらい21新港地区の結婚式場計画のことである。
 そもそもここで景観問題が起きたのは、都市美審議会景観審査会委員である生真面目な建築家たちには、ラブホ建築が我慢ならないことなんだろう。
 でも、ここにあの結婚式場事業者が登場するならば、こうなることは十分に分っていたはずである。ラブホ建築こそが「ビジネスモデル」なのであり、事業者はそのビジネスをここで展開するのだから。

 そして、事業者は実に巧妙にも、この立地の持つ現状としてのテーマパーク景観に身を寄せたのであった。そう、あのゴタゴタした大観覧車とジェットコースター遊園地風景に、このラブホデザインは見事に調和したのである。
 さて、横浜市はどうするのか。
 このラブホ景観がいやならば、できることはたった一つ、予定敷地内にある市有地を貸さないことである。
 貸さない理由はどうするか。結婚式場事業を拒否はしないが、地主としてラブホデザインはいやだと言えばよろしい。それは市民感覚的なひとつの見識である。
 ただしこのとき横浜市は覚悟がいるのは、結婚式場に人質にされたあの遊園地を、二度と人質にされないように排除しなければならないことである。

 ところで、もうひとつの市民感覚として、あの場所にあんな面白い建物ができるのもいいな、遊園地が広がって面白いな、あの場所であんな建物で結婚式をしてみたいなって、そんな世俗感覚も大いにありそうである。
 ここで悪乗りするが、あの新港地区の現状は、必ずしも楽しいとはいえない風景である。あのショッピングセンターはまことに無様なデザインだし、温泉施設もなんだか事務所みたいである。
 ラーメン博物館は建築家好みそのものである。全体に閉鎖的でもある。
 もっと楽しい見世物小屋のたち並ぶ祝祭風景にしてほしいと、わたしも思わないでもない。
「島」は、かつては「遊郭」を意味したことを思い出した。新港地区は現代の彼岸公園(横浜最初の遊郭の地)に見える。

 それに対して、生真面目な委員の先生たちが、ハリボテ建築とか模倣デザインとかテーマパークとかでいやだなんて非論理かつ感覚的な言葉ではなくて、もっと正面きって都市美とはこうあるべきと、なにかを説得性を持って毅然として標榜することができるのだろうか。
 事業者や市民から、景観とは個人的な感覚だと言われてはミモフタモない。
(もうこの辺でやめようと思うのだが、、まだ横浜港景観事件(7)に続く

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