2018/06/01

1136【山口文象作品遍歴:北鎌倉「宝庵」】ゆったりと流れる時の中で関口泰と山口文象が仕組んだ空間を味わう

初夏の午後、緑したたる北鎌倉・浄智寺谷戸の奥、山口文象設計の茶室「宝庵」を旧友たちと訪ねた。いずれも山口文象の謦咳に接した弟子たちであり、中には40年ぶり訪問の者もいる。
2018/005/31 宝庵露地
2017/12/13 宝庵露地
わたしは40年前、去年、今年に訪ねているから、これで4度目の訪問である。今回は贅沢にも、わたしたちだけで借りきりである。
山口文象事務所が描いた設計図を広げて、実物を見まわし、例えば炉の位置、あるいは天井竿縁の方向とか、図と現物の違いを発見し、それは当時の現場変更か、後世の修復時の改変か、それは誰のどんな意図か、などと謎解きを楽しむ。
 正方形ばかりで数寄屋を構成するとはさすが山口文象だ、などと作品論も交差する。写した高台寺遺芳庵のほかにも京都には遺芳庵があるが、どちらが本物だろうか、などと京都に話が飛ぶ。
 そして今日の締めとして、一同は茶室に座り、静かにゆったりとくつろぎながら、茶をたてて喫してきたのだった。

 常安軒の4畳茶室で、開け放った広縁の向こうに庭を眺めながら、仲間のお点前で茶を楽しむ。この茶室からの庭の眺めは、京都大徳寺孤篷庵・忘筌の写しである。
 上を軒から吊る障子で見切り、広縁の横長の額縁の中に、野趣に富んだ草花に蝶が舞い、林から鶯が鳴き、時には霧雨のお湿り、風景の明度と彩度がわずかに微妙に変化する。
 ゆったりと流れる時の中で、抹茶を喫する贅沢な時間、関口泰と山口文象が意図したこの空間を、身体で味わう豊かな午後だった。お世話いただいた島津さんたち宝庵メンバーに感謝。
2018/05/31 宝庵 常安軒4畳茶室から忘筌写しの庭の眺め
茶室前の広縁に座れば、左向うの梅の実のなる葉隠れに、大きな真ん丸真っ白障子の吉野窓の夢窓庵が見える。この茅葺草庵は丸ごと、京都高台寺・遺芳庵の忠実なる写し茶室である。ただし、左右反転の鏡写し。
 そのまん丸吉野窓障子を左右に一尺ばかり引き分けて、吉野太夫が美しいかんばせをチラとのぞかせる風景を夢想する。
茶室広縁から遺芳庵鏡写しの夢想庵の吉野窓を眺める



鎌倉の谷戸に居ながらにして、京都の忘筌と遺芳庵をひとつところで楽しもうと、なんとも粋な写し茶室を企画した数寄者オーナーは、朝日新聞論説委員だった関口泰氏、それに応えたのがモダニスト建築家山口文象であった。
 二人はこの構想を1931年にベルリンで語り合った。その頃のベルリンでは近代建築の潮流が大きく渦巻いていた。そこで日本伝統茶室建築を企画する。

 そして、関口亡き後いっときは荒れていたこの茶室を取得し、復元修復して昨年まで保ち伝えた後継オーナーは、鎌倉の名建築家榛澤敏郎氏でああった。
 そして今のオーナーは、この谷戸の地主である名刹浄智寺(金宝山浄智禅寺)に移り、今春から公開されて、茶会の場はもちろんのこと、各種の市民文化活動の場になった。
 山口文象の戦前作品で、いまも当初の形態を保ち、かつ当初の機能のままに生きる建築は、これのほかには黒部川と箱根湯本の発電所がある。

詳しくは下記を参照
・「宝庵由来記」https://sites.google.com/site/dateyg/houan
・「宝庵 北鎌倉」https://www.houan1934.com/

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