アメリカで株屋が破産したとかで、今朝の新聞は大騒ぎである。
その株屋の名前が「利満」というのだから、こちとらは笑って、いや、哂ってしまう。
そういえばもう10年も前だったか、日本でも山一という株屋がつぶれて、社長がウェ~ンと泣き面漫画顔を見せたことがあった。この名前も、ヤマかけてイッパツ当てるっていうのかしら、利満に引けを取らないいかにも株屋らしい。
だがどちらも「名前負け」そのものだ。
それにしても腑に落ちないのは、山一がつぶれたときも、日本がいわばサブプライムローン状態であって、金融屋は貧乏人にもどんどん貸し付けた結果だったのじゃないかしら。その後に銀行もつぶれて、しょうがないから公的資金注入して、苦労しつつ何とか立ち直ったはずである。
で、今、規模はともかくとしても、アメリカで同じ問題が起きているなんて、金融界はかつての失敗に学ぶってことをしないものなのかしら。
そういえば、恐慌とか不景気とか何回でもやってくるもんなあ、学べない代物なのかしら、。
なんだかマスコミは世界金融不安をあおっている感じだが、株とは木の株と野菜の蕪しか知らないこちとら庶民にとっては、どうでもよいことである。ジマンじゃないが、金融とは金属を融かすこと、って思っていたくらいなもんだ。
もしかしたらどうでもよくないのかもしれないが、金に縁のないこちとらはさっぱり分からないから、とりあえず今日と明日の飯を食えればよいのである。
株と言えば、むかしむかし戦争をしていた頃、女子供しか残っていないわが家の母も駆り出されて、山で松の木の株を掘り起こしたのであった。負け戦の末期に石油がなくなったので、代わりに松根油なるオイルを抽出して飛行機の燃料か何かにするのだそうであった。
それでほんとに飛行機が飛んで、利満の国の愚羅満や駄愚羅須をやっつけたのだろうか。
そのときから、株といえばろくなことがないと思うようになっている。
0 件のコメント:
コメントを投稿