2009/02/27

100【各地の風景】京都の街並み本物偽物? 

 京都西陣電話局をはじめてみてきた。1922年竣工のいわゆるモダニズムというにはオーダーの柱見たいのながあったりして、ちょっと奇妙なデザインの建物である。
 当時の逓信省営繕課科の建築家・岩元禄のデザインで、NTTのものとなってから修復して記念的建築として貸しビルのようにして使っている。となりに典型的な電話局建築が建っていて、そちらがメインの機能らしい。
 これについている抽象化した裸婦像二つについて、岩元デザインの東京青山電話局にもつける予定だったのを、そちらはつかないで建っていたが今はもうその建物はない。

 その裸婦のトルソの粘土模型を、岩元の下で作ったという山口文象の話がある。山口の話では岩元と山口はかなり深い付き合いだったから、そんなこともあったかもしれないが傍証はない。山田守もこのトルソの粘土模型を作った話をしているが、こちらはありそうな話だ。

 中立売通りは狭い道で、これが建った当時は木造の町屋が立ち並んでいたろうから、モダニズムにあこがれる時代、新しい物好きの京都ではあったにしても、その町並みの中では異様な風景だったろうと思う。

 三条通りに中京郵便局があるが、こちらは1902年竣工の赤レンガにコーナーストーンのネオルネッサンスというのか様式建築である。
 ただしこれは1978年に道側の1スパンだけ保全してそのほかは建替えているから、いわばハイブリッド建築である。これにしてもその頃の京都の町並みとしては威容というよりも、むしろ異様であったろう。

 三条通りにはこれが嚆矢だったのだろうか、いくつもの洋式建築が建っていて、新らし物好きの京都人らしいのだが、今はそのレトロ性が商業性を持ってきている。
 その三条通りと烏丸通りの角に立派な赤れんがネオルネサンス様式の、実に堂々たるみずほ銀行の建物がある。
 三条通りのたくさんの歴史的建造物について写真入り解説板が、これもまた三条通りの洋式建築の京都文化博物館の前に建っているのだが、意外にもそこにはこのみずほ銀行の建物については何の解説も無いのである。

 中京郵便局よりも博物館より立派なそれがなぜか。
 はたと思いついた。そう、あれはもう10年も前であったか、京都第一勧業銀行の様式建築が建て替えされたのだが、それは外観は元のデザインままに再現して建て、内部を3階建てだったのを4階建てにして床を増やしたというのである。
 建築家や建築史家たちが、それは偽物つくりなので建て替え反対と騒いだことがあったが、これがそれであったかと気がついた。

 それにしてもこの偽物は、本物という中京郵便局や文化博物館よりも本物らしく見えるのに、冷遇されるのはなぜだろうか。
 街並みにおける景観としては、その二つの建物よりもはるかに忠実に保存しているではないか。工事中を除いて、街並み景観に関して時間的断絶は無いのである。

 中京郵便局は裏手に回ると全く今風のビルだが、みずほ銀行はとことん昔のままである。
 それでも冷や飯を食わされるのは、何かがおかしいと考え込んでいる。これもまた京都は新し物好きだからか。
 時間的断絶のある丸の内の三菱1号館の再現との違いを考えている。

参考→怨念の景観帝国
https://sites.google.com/site/machimorig0/entsuji

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