丸の内側は赤煉瓦駅舎の大改造中で、仮囲いと工事幕ばかりでどうにもしょうがない。工事現場風景の好きな人には、この変遷を追いかけるのも面白いだろう。
大丸11階の便所の窓からまたも写真を撮ってきたので、1987年の旧大丸屋上から撮った写真とを見比べる。87年の写真は左右二つの違うアングルの別の写真をつないでいるので、よくみると若干変なところがあるのでご注意。
2010年1月6日
1987年10月3日
八重洲側は旧大丸の入っていた鉄道会館がソックリ消えて、新幹線が丸見えになっている。やがてここにも何かが立つらしいから、この風景もそのうちに変わってしまう。
赤煉瓦駅舎の復原工事が今たけなわであるが、保全から復原への論理が明確でないままに進んでいるようだ。復元(復原)は善であるという妄信的な何かが働いて、あの貴重な太平洋戦争とその戦後復興の歴史を表現する東京駅の戦後の見事な修復の姿を、すっかり消滅させて省みない建築界が奇妙である。
東京駅に関しては、わたしは1986年から仕事で調査(建設省と国土庁からの委託)をして、1988年に赤煉瓦駅舎保全を決めたレポートをつくったので、その間の動きの内幕をある程度知っている。
わたしも古老となったので、後世のためにそのあたりの経緯など書いておいて、保全と復原・復元の問題点を指摘するべく、当時の資料も机の上とPCにあるのだが、論としてまとめるのになかなか手がつかないでいる。
これを書くとわたしの人生の宿題が終わるような気がしているからである。
あ、そうか、年寄りのケチと出し惜しみとは、こういうことが元にあるのか、?でも今年こそまとめよう、東京駅復原工事が終わる前に。
参照→
◆まちもり通信(伊達美徳アーカイブズ)
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