今年という年が始まった。地球が回って365日前からちょうど一周したというだけだといえば、それだけのこと。なにもかわりはありはしない。
若いときからずっとそう思っていたが、年とってくるとすこしは何か思わないとバカにされそうな気がしてきた。
バカにされてもかまわぬが、バカにされる前に、なんだか年が改まるってことについて、なにかを感じるようになってきた。
つまり、人生の残り時間が少なくなってきて、この今日という冬の日(春でも夏の日でも良いのだが)と同じような日が、次の地球1周目にもあるかどうか分らない、となるとこの年の改まる日も次はないかもしれないと、そう思い出したのだ。
人生にまったく同じことはないが、同じようなことはあるだろう。今はこれができなくても、いつの日にかそのようなことができる機会が来るに違いないと希望を持って、また次の日から生きてきたのだが、年とると次の機会がない可能性が高いのである。
これはどうもちょっと弱ったことである。
これに対処するには、何でも思いついたらすぐにやる、これしかないと気がついた。無鉄砲でもなんでも、今やるしかない。これがことしのわたしの人生訓である。
う~む、こうやって“憎まれっ爺 世に憚る”のであるか。
さて、では今年の思いつきは最後の海外旅行だな、それもちょっとアブナイヤツをね。
というわけで、不良老年思いつき行動煽動の年賀状とあいなりました。
今年もまた退屈しない1年でありますように。ぜんぜん年賀じゃないな。
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