今年の新潟は昨冬にも増しての大雪、その長岡の法末集落の小正月年中行事に行ってきた。
わたしたちの震災復興支援仲間の活動拠点の「へんなかフェ」は、すっかり雪のふとんをかぶり、雪の綿の中に沈みこんでいる。玄関にたどりつくにはその雪をかき分けかき分けて、谷間のような廊下のような道をつくらねばならない。
外の集落の道ももちろんどこもかしこも真っ白な谷間の廊下である。除雪車が毎日走って壁はどんどん高く、谷間はどんどん深くなる。久しぶりに大好きな囲炉裏に炭火をおこして粟餅を焼く。この餅は仲間が粟の実を畑に蒔くところからはじめてつくったものである。美味い。
もちろんこれで暖をとるには寒すぎるか石油ストーブが燃えている。わたしは炭火をおこし、その火を見るのが好きなのである。ほかの仲間はどうも興味は無いらしい。
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集落の小正月の行事は、賽の神という。
会場は、集落の中ほどにある森の中のキャンプ場で、雪を均してある。朝早くから集落の家々から稲藁を持ち寄ってくる。
集落の男達は、てっぺんに葉を残した竹竿を雪中に数本立てて、これに稲藁を添えて縄でまきつけて8mほどの上すぼまりの塔状に仕立てる。
わたしたちも田圃の米つくりでとっておいたたくさんの藁束を、橇に載せて曳いて持って行った。10時半ごろ塔は建ちあがった。
午後一時から行事を開始とて、集落の人たち、今日の行事に里帰りしてきた子供連れの家族、そしてわたしたち震災復興応援団17名も混じって、総勢40人余が取り囲む中を、恒例により年男二人が塔の裾の稲藁に点火した。
配られたコップ酒の越の寒梅をそれぞれ手に持って、燃え上がる火を見つめる。
90歳の長老が集落独自の祝い歌「天神囃子」のゆったりとうたい始めると、それに合わせてみんなで歌う。
炎と勢いよく燃えあがり、森の中に煙が舞うと、黒い灰がみんなの上に降り、あたり白い雪も灰色になってくる。
この灰を身にかぶり、コップに入った灰を酒と一緒に飲むと今年は健康に過ごすことができるのである。
雪の上に立っったままでガヤガヤとしゃべりつつ、酒を飲み、火で焼いたするめや餅を食べる。
集落にはいつもはいない少年や幼児たちが、よろこんで走り回っている。
身内に不幸があった人たちは不参加なので、今年はなんだか参加者が減ったような感じである。
いつも陽気な何でも知っている主婦のTさんが暮に逝った。歌の上手い長老のKさんは寝込んでいるそうだ。集落のリーダー格のSさん夫妻は、親戚の不幸で遠出だそうだ。
でも元気な子供、幼児がやってきてよかった。
降るったりやんだりの雪の日の賽の神のときだけ晴れ間が見えたのが不思議である。
1時間ほどで藁の塔は焼けおちてしまって、解散。
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さてその後は、新年大茶会である。
これは賽の神のような伝統行事ではないが、仲間の女性建築家たちに茶道の心得のあるものたちがいて、5年前からはじめたのだ。今では集落の年中行事になっている。
元小学校の「やまびこ荘」の食堂に集った一同は、神妙に机にむかって腰を掛け、正面で立礼式でお茶をたてている和服の女性たちのお手前を神妙に見ている。
やがて配られたお菓子、抹茶をいただく。これを始めた頃はみんな戸惑っていたが、今は、お作法にそって堂々といただいている。
幼児たちも神妙に、大きな抹茶茶碗に顔を突っ込むようにして飲んでいる。男の子は、ニガ~イとすぐ口を離して顔をしかめ、女の子はオイシ~イと飲んでいるのがおかしい。
外は雪や霰の吹雪が降ったりやんだり、時には青空も見えたりと忙しく天候が変わっている。冬の中越のいつもの天気である。
参照→豪雪の山村で考えこんだ
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