2012/04/08

603花見は花街で(横浜ご近所探検隊)

 今はなんといっても花の話。昨日今日と天気が良くて、ふらふらとご近所探検隊も花見に出かけた。
 花を見るには、やっぱり花街でなくっちゃと、元がつく花町だけど黄金町界隈へ。
 今日は家族連れも大勢出てきて、大岡川沿いの満開桜の下で、道でのフリーマーケットやら飲み屋の屋台やらや川の上での音楽イベントやらを楽しんでいる。

 だが10年前には家族連れが来るところではなかった。
 黄金町あたりはいわゆる青線街だったところで、戦争直後の混乱時代は麻薬の魔窟といわれた街だったし、安定した時代が来ても非合法下半身商売地帯だった。
 だから元花街である。それが今は本当の花の町になったのだ。
 遊びに来ている家族連れたちほとんどが知らないだろうが(知る必要もないが)、間口1間程度の店に間仕切られた2階建てアパート風の建物があちこちにあるが、これらが売春店舗だった。

 10年ほど前に夕方に通るとそれぞれの店の前に、モモもあらわな茶髪ミニスカラテン顔ネエチャンが立ち並んで客引きをしていたものだ。
 道を歩くのはわたしのような野次馬はともかくとして、横須賀基地からやってきたと思しい若い男どもが多かった。
 ある日の朝10時頃に通ったら、もう立ち並んでいて驚いた。
 そのアダ花の咲きようがものすごいので、街歩き仲間を誘ってわざわざ散歩に来たものだった。

 ものの本(「黄金町マリア」八木澤高明2006)によれば、一時はこのあたりに250軒の「チョンの間」があり、約500人の娼婦がいたそうだ。
 その国籍は、中国、タイ、中南米、東欧そして日本と多様であった。でも歩いていて目に付くのはラテン系、つまり中南米系だった。
 チョンの間利用料金は20分で1万5千円が相場、そのチョンの間営業のために借りている娼婦は月家賃20万円とか。

 さて、今はソメイヨシノの花が咲き誇り、家族連れが花の街を行き逢っているが、いろいろな言葉が聞こえてきて、やはりここは多国籍の街である。
 こうしてこの街が昔のことを忘れていけば、新たな都心生活の場として再生するに違いない。
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 その再生への大きな動きが、黄金町につづく日ノ出町で始まった。
 もう6年ほども前に都市計画決定しながら、一向に動きが見えなかった駅前の市街地再開発事業が動き出したらしい。事業地区内の営業店舗のほとんどが閉店していて、そろそろ撤去作業が始まるようだ。
 その一角を占めるのが、1950年代の防火建築帯の共同建築である。戦後復興の象徴のような事業であったが、今、ようやくにして次の復興の時代を迎える。

 日之出町あたりも黄金町の続きで、その戦後史的な土地利用の名残が、ストリップ劇場とかエロ映画館とかが健在である。
 その一方ではそばに野毛山公園があり、市立中央図書館があり、古書店がいくつかあるという雰囲気も持っている。
 日ノ出町再開発が都心再生にどう機能するか、注目である
   ◆
 さて、横浜の花町といえば永真遊郭である(であった)。
 黄金町から南へ300mほどのところに真金町・永楽町という、こちらは赤線地帯があった。つまり公認の遊び場であった。
 その中のメインストリートの中央に分離帯があって、今桜の花の並木が咲き乱れている。でも、だれもこちらには花で騒ぐものはいない。
 まわりは高層の共同住宅が立ち並んでいて、黄金町とは違ってすっかり様変わりの元花街である。

 もうだれも昔は赤線地帯だったとは知らないみたいに過ごしているようだ。
 だが、なんとなく何かがありそうだ。それは高層共同住宅のネーミングに、真金町とか永楽町とつけているものがないので、どうやらイメージ上では避けているらしい。
 ネーミングで地名をつけるときは、「大通り公園」(公園は元が川だからかなり長いのでこれでは場所特定はできないだろうに)、「関内」(ここは関外だから明らかに地名詐称、それとも1kmも遠くのJR線駅名か)、「長者町」(隣の隣の町の名前)等としている例ばかりだ。「阪東橋」と言うのがあったが、これはもう川がなくて橋もなくなったから地下鉄駅名である。
 そのなかで「永楽」とつけたものをひとつ発見、どうやら遊郭イメージも忘却のかなたにきつつあるようだ。

 数ヶ月前まで、遊郭建築らしい建物が一軒だけあったのだが、今日見たら駐車場になってしまっていた。
 公衆浴場も消えて共同住宅になったし、残る遊郭街の延長の土地利用は、永楽町にある5~6軒のラブホテル街だけになったようだ。
 ラブホには夜桜がよく似合う。
 

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