2012/04/28

613横浜戦後復興の痕跡がまた消えた

 鎌倉から横浜に引っ越してきた10年前の2002年、ご近所探検を始めてうろうろ、裏通りでものすごい蔦の葉の緑に包まれた街並みを発見して興奮した。
 どうやらもう住んでいない公的な賃貸住宅らしい。

 その緑の家のと背中あわせの大通り沿いに、これも汚れがものすごい5階建ての共同住宅が2棟建っている。これも公的な賃貸住宅らしいが、こちらは一階が店舗群となっていて営業している。住宅も空き家が多いが一部に住んでいるらしい。
    
 これらはどうやら戦後の公的な住宅開発として建てられたものらしい。戦後復興遺産としてどう位置づけられているのか興味がわいた。
 発見の次の2003年に、その緑の家は壊されて、倉庫が建った。5階建て共同住宅はまだそのまま。

 それから2年ほどで、共同住宅の北半分が壊されて、2008年には高層の共同住宅ビルに建て替わった。こんどは民間事業者の区分所有型分譲住宅である。

 残りの棟もすぐにたて変わるかと思ったら、どうも入居者ともめているらしく、永らく秋や状態であったが、ついに2012年の春、こちらも民間事業者の分譲型共同住宅がたった。
        
 元の建物は、普通の人が見たらただの汚い古ビルだろうが、わたしには横浜の戦後復興の努力の記念碑のように見えていた。
 ここにあった住宅のことを記録したものはもうないのであろう。誰か戦後復興の研究で、これも記録されているのだろうか。
 戦後復興の時代の痕跡は、東京駅の復原に見るごとく、その評価をされることなく、どんどん消えていく。

●参照→347横浜ご近所再開発
http://datey.blogspot.jp/2010/11/347.html
 

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