2013/04/30

758東北被災地徘徊譚4【名取1】あの大津波にこの平地でも社叢林の中にあった神社が耐えたとは!

 
 仙台空港から東へ貞山堀の橋を渡って、津波被災で何もかもなくなった名取市北釜集落跡の野原に踏み出した。
 まずは神社らしい疎林に行ってみよう。
 むき出しの土の上にコンクリート舗装の長い参道があるから、鳥居や灯篭が立ち並んでいただろうが、消え去っている。

 参道の先のまばらな木立のなかに10段ほどの石段があり、両側に狛犬1対と灯篭2対(うち1対は新品)があり、ほんの少しだけ高いところに二つの社殿が並んで建っている。どちらも小さくて祠というほうがふさわしい。
 下増田神社と紙に書いてベニヤ板に張り付けた。急ごしらえの案内がある。

 あたりに建物らしいものが何も見えないのに、この祠二つは、まさか津波前のままであったわけではあるまい。しかし流されてしまったのでもなく、壊れた様子も見せずに建っているのは、修復したのであろう。
 あとで調べてみたら、WEBサイトに震災前の写真があり、ここに拝殿などもあったらしい。震災後の夏に撮った本殿と脇社の二つだけがある写真(2011.07.31下増田神社)もあったから、被災した住民たちがいち早く復旧したらしい。
 住宅は破壊されたらいち早く片付けてしまうが、寺社の社殿はいち早く復旧するところが、いかにも日本的というか、興味深い。

 それにしても下増田神社は、この真っ平らな野原のなかで、わずかに高くなったところに(それとて周りのとの差は2mもあるかどうか)、小さな社叢林に囲まれて建っていたのだ。
 その微高地は、神社をここに勘定したときに盛り上げたのだろうか。
 その故に本殿だけでもいち早く復旧できたのだとすれば、3.11津波から被災をのがれた神社が各地に多いという事象のひとつなのであろう。
 

 山裾ならわかるが、ここのような4mもの津波に襲われた平地の真っただ中というのは珍しいだろう。社叢林が効果があったのだろうか。神社の隣に観音寺という寺院があったが、こちらは破壊され流された。そこは周りを囲む森はなかった。新しい本堂らしい建物を建築中であった。

 寺の裏には墓地があったらしく、今は野の中に石塔が立ち並ぶので近づいてみる。新しい墓石も多いのだが、傷があちこちについてる墓石も立ち並ぶ。津波の傷跡だろう。
 津波は墓石群をも倒して、もしかしたら骨壺も流したのかもしれない。被災直後の墓地の空中写真では、墓石群は見えない。
 今この形になっているのはいち早く修復した結果だろう。墓碑銘に新しく刻んだ戒名に、あの惨事の日付をいくつか読んだ。


 神社本殿といい墓地といい、人間は肉体の棲む家はきれいさっぱり片づけてもも、心の世界の棲家は消えることを許さない。神社で生まれ育ちながら無神論者のわたしには、なかなかできないことだが、、。

●全文は「東北に大津波被災地を訪ねて【名取市北釜地区】」
https://sites.google.com/site/dandysworldg/natori-kitakama

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