2013/04/02

750建て直し五代目歌舞伎座の姿に斬新さは全く無いのは歌舞伎はもう傾奇時代じゃないってことか

建て替え前の歌舞伎座
(吉田五十八設計、1950年改修竣工、2009/03/03撮影)

熊五郎 こんちわー、ご隠居、花見に行きましょうよ。
ご隠居 おお、熊さん、花見もいいけど芝居に行こうよ。
熊 え、そりゃまたなんで。
隠 ほら、東京の歌舞伎座が新しくなったって聞いたからね、行ってみたいなと。
熊 そうそう、なんでも元のまんまの形で建て直して、上に超高層ビルを乗っけたとか。どうせ建て直すのなら元のまんまより、なんか新しい形にすりゃよさそうなもんですがねえ。
隠 おや、そうかい、わたしは違うね、やっぱり伝統芸能の場は伝統を踏まえて、もとの形を伝えるもんだよ。

熊 おお、面白いことになってきましたね。あのですね、歌舞伎ってのはもともとは、傾奇(かぶき)といって斬新で派手な格好をすることで、傾奇モンてえと時代から飛んでるへんちくりんな格好した奴らのことでしょ。
隠 ああそうだね、出雲阿国が大人気者になったのも、そういうことだったようだな。あのころはアンダーグラウンド劇団だったからね。変ったことや斬新さが売り物だった。
熊 なのに、なんです、こんどの歌舞伎座の格好は、なんの斬新さもないですよね、どこに時代の最先端の風俗を採りいれてるんですかねえ、どこが歌舞伎なんです?

隠 おお、きついことを言うねえ。いまや歌舞伎はアンダーグラウンドじゃなくて、陽の目を見過ぎてる大御所芝居だからなあ。う~む、なんだな、こんどの時代の最先端の形ってのは、まあ、その、上に建ってる超高層建築のことなんだろうなあ。
熊 あ、なるほど、伝統衣装の上に山高帽子をかぶってるって、それが傾奇モンなんですかねえ。まあ、大学の卒業式で、袴はいた女性が革靴を履いてるみたいなもんですね。なんだかさえない傾奇モンですね。劇場が元のまんまなら、せめて超高層部分ででも傾奇デザインにしてくれればよかったのになあ、ほら、新宿の包帯ミイラみたいなデザイン学校のように。
隠 そういえば、今度は5代目の建物だけど、初代は洋風だったからこれは当時としては傾奇デザインだったな。 
熊 なるほど、洋館に瓦屋根の玄関がついてる。

初代の歌舞伎座建築は洋風デザイン
(高原弘造設計、1889年竣工、1907年改修、 wikipedia)

隠 元のまんまのデザインにしたのは、興業元の松竹の営業方針もあったのかもしれないね。これまでの歌舞伎を見る主要な客層の保守派ばあさんたちから、あらガラス張り建物なんていやよ、なんて嫌われないように、とかね。
熊 じゃあ、この格好は誰が考えたんですか。やっぱり松竹の舞台装置をつくってる人でしょうかね、和風はお得意でしょ。それとも建設会社ですかね。
隠 歌舞伎座のウェブサイトを見ると、設計監理は三菱地所設計、意匠・デザインは隈研吾建築都市設計事務所、劇場監修は杉山隆建築設計事務所の今里隆と書いてあるね。

熊 え~とね、設計監理とか意匠デザインとか劇場監修ってなんのことですか。建物ってのはゼネコンというか建設会社が設計して建てるんでしょ。あ、そうか、建設会社にその三菱とか隈とかが雇われているんだ。
隠 そうじゃないよ。建物ってのは設計事務所とか建築家が設計して、その図面をもとに建設会社が建てるんだよ。
熊 あ、そうなんですか。その建築家って、なんです。家を建て築くって書くんですから、やっぱり家を建てる工事屋さんでしょ。
隠 いや設計だけをする人だよ。
熊 設計だけするなら建築設計士っていうんでしょ。
隠 まあ、めんどくさいから、もういいや、とにかく設計する会社や人がいて、建てる会社があるってことなんだよっ。

熊 はいはい、で、あの元のまんまの格好にしたのは、その中のだれなんです?
隠 うん、それは意匠・デザイン担当の隈研吾ってことになるな。この人は東大教授の建築家なんだよ。
熊 あら、東大教授なんて偉い人なんですね。じゃあ、ボランティアでタダでデザインしたんでしょうね。だって国家公務員だから、よそから報酬もらっちゃいけないんでしょ。
隠 おまえね、偉い先生にそんな下世話なこと言っちゃいけないよ。

熊 えへへ、庶民はついつい。で、ちょっと伺いますが、できあがったのは元あったのと同じ格好、つまり意匠・デザインなんでしょ。それがどうしてわざわざエレエセンセに頼む必要があるんですか。元と同じならだれでも設計できるでしょ、まあ、いっちゃなんだけど、あっしだってできますよ。
隠 アッ、そりゃそうだ、でもね、エスカレーターがついたり、舞台機構が新しくなったそうだよ。
熊 そりゃあデザインじゃなくて技術でしょでしょ。技術的なことはわざわざトーデー教授でなくても、もう一人の三菱のほうが丸の内であれだけやってるんだから、よっぽどうまいような。

隠 う~む。マイッタね、あのね、これはわたしの勝手な推測なんだがね、初めに隈研吾を意匠デザイン担当で入れたときの松竹の考えは、隈の傾奇デザイン、つまりだな、変わったデザインを期待していたのだろうよ。なにしろ隈が世に有名になった建築のデザインは、実にへんちくりんなものだったからなあ。あれこそホントの傾奇デザインだったよ。ところがだんだんと設計を煮詰めていくうちに、世間の要望やら松竹の営業方針がカブくのをやめて、もとのままがよろしいって保守的回帰した、で、せっかくの隈傾奇デザインは封印されてしまった。たぶん、こうなんだろうよ。もちろん実際はどうなのか知らないよ。これなら熊さん、じゃなくて隈さんがいるわけがわかる。

熊 あたしと同じクマさんだけど、腕が振るえなくてさぞがっかりしたでしょうねえ。でもね、報酬もらえないんだからからしょうがないやって、あきらめたかもね。
隠 いや、報酬はもらっているだろうよ、だって東大教授個人じゃなくて、隈研吾建築都市研究所が仕事してるって建前だからね。
熊 あ、なるほど、そうなんだ。でもね、もとのコピーなら技術だけの仕事で、意匠とかデザインとかの仕事じゃないでしょ。そこが建築家の仕事ってよくわかりませんね。
隠 ああ、三菱一号館美術館、東京駅、歌舞伎座とコピーデザインが続くと、建築家の創造性ってなんだろうねえ。あ、そうだ、今思い出したけど、大阪に村野藤吾が1950年代に設計した新歌舞伎座ってのがあってね、これはあの時代のいかにも傾奇ってな感じのデザインだったねえ。

熊 あっしもご隠居に負けずに勝手な想像ですが、建設中に東日本大震災があったから、このご時世じゃあ、やっぱり歌舞伎→傾奇→傾き建築はまずい、ってことかも。
隠 そりゃまあともかく、下司がかんぐってもしょうがないから、こりゃやっぱり芝居見物に行って、どこが傾奇デザインか確かめなきゃしょうがないね。天井桟敷の一幕見なら安いよ。

●関連ページ「歌舞伎座の改築」
http://datey.blogspot.jp/2009/02/blog-post_04.html

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