建物が古いとか道路が狭いとかいろいろあるにしても、駅近くのけっこう便利な立地なのに売れない。
売れないのは個別の条件もあるが、今の日本の社会問題のひとつであることに、今さらながら気が付いた。日本全国が空き家だらけになっているらしい。
マクロな空き家問題はあれこれと話題になっているらしいので、そちらに任せるとして、ここではわたしがただいま体験中のミクロの空き家問題を書いておく。でも、これが典型的な空き家問題らしい。
1966年に父母が岡山市内に小さな家を建てて、郷里の高梁を離れた。この家はわたしの建築家としての処女作だった。
ここに引っ越して、たぶん、一番喜んだのは母だろう。それまでは広大な神社境内と社殿や社務所の掃除に追いまくられていたから。父も気楽になっただろう。
1966年竣工時 |
一番の大きな改装は、鉄板瓦棒葺きの屋根の上に瓦屋根が乗ったことだった。暑いし雨音がうるさくてたまらなかったそうだ。縁側がついて深い軒の出がなくなった。
エレベーションのプロポーションは悪くなったが、文句は言えなかった。だからわたしには未練のない建物だ。
でもまあ、当時の金融公庫仕様で、基礎をきちんと設計していたから、今でも傾いていないのが、わたしの唯一の自慢である。
父母が80歳を超えて高齢になったために、1993年に大阪の息子が住む近くに転居した。このときから岡山市内の家は空き家になったままである。
わたしたち3人の子らが、ときどき行って管理をしていた。隣りの方がこちらの庭で野菜つくりをしがてら周りを掃除してくださっていて、これも助かっていた。
だが、台風が中国地方にやってくと、心配だった。家は倒れても一向にかまわないが、近所迷惑は困る。
わたしは1957年に大学に入るために関東に移り、弟たちも次々を故郷を出た。そののちに父母も故郷を離れた。父母がなくなっても空き家のままだった。
わたしたちのような子の世代が、このようにして父の世代の空き家を持つことになった経緯は、じつは日本では珍しくもないことだろう。数多く日本にあるという空き家の大半は、このような事情だろうと思うが、どうだろうか。
いまでは、わたしの子の世代が同じようなことに直面しつつある。
その岡山の家は、売ろうという積極的な気もなくてズルズルきたが、3人の子たちも高齢化してきたから、このままでは孫世代が困ることになると思い出した。
そんな最近、岡山市から来る固定資産税の請求書に同封して、「空き家情報バンク制度」なるものを始めたとのパンフが入っていた。
それでも売れないのは、ひとえにその道路条件にあるらしい。集落の中の一角をミニ開発した場所で、表の道から2m幅の市道が10mほど突っ込んだ場所にある。だから自動車を入れることは無理である。このことが障害らしい。
買い物は近くでできるし、父の勤め先の岡山市中心部までは電車ですぐだったから、父母にとっては車がなくても一向に不便ではなかった。
そんなところだから、そのうち売ればよいとのんきに思っていたら、なんとまあ、今や空き家だらけの時代、車があることが当たり前の時代、そして人口減少が当たり前の時代になり、住宅需要が減る時代になってしまった。タイミングを誤ったなあ。
売れないままだと諦めて、そのうちに関東大震災でこちらを焼け出されたら、その岡山の家に避難してそのまま終の棲家にするかなあ。
あのあたりは、瀬戸内海からは遠いから津波はないし、地震は少ないし(わたしは関東に移ってしばらくはなんと地震が多い土地だろうと思ったものだ)、一番近い島根原発からも遠いし、軍事基地も近くにあると聞いたこともないし、交通は便利だし、いいかもしれないなあ。
いやいや、そういうことに遭遇したくない。
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