2014/03/18

909【地震津波火事原発】行政境界にある街は大災害にどう対応しどう復興するのか


 岩沼市の井口市長の講演を聞いた(2014年3月16日、横浜国大にて)。
 地震津波大被災からの復興へ、最先端を走り続ける姿勢に敬服する。聞いていて、ふと疑問が頭をよぎった。

◆二つの市の境界上にある被災集落
 実は岩沼市を訪ねたことはないのだが、その北隣の名取市北釜集落、正確には集落があったが津波で消えた跡地を訪ねたことがある。
https://sites.google.com/site/dandysworldg/natori-kitakama

 そこは名取市の南端部であり、南隣は岩沼市相野釜集落である。空中写真を見ると北釜とまるで双子のようによく似た地区、というよりも一つに集落に見えるが、どちらの集落も消滅した。
 北釜は119世帯という記録を見つけたが、相野釜の世帯数は分からない。いずれにしても大差はないだろう。地名のどちらにもつく「釜」とは、昔は製塩集落だったことを現す。
 たまたまこの2集落の間に行政境界が入っているが、多分、歴史的にも民俗的にも産業についても似たようなものだろうし、両集落にそれぞれ親戚関係者もおおいだろう。つまりひとつのコミュニティーであったにちがいない。

 普通に考えると、これら二つはともに同じところに集団移転しそうなものである。ところが、津波で被災した今、ふたつの集落は全く異なった方向に移転してしまうのである。
 北釜は北の方の空港の北地区に、相野釜は南の方の玉浦西地区へと、集団移転するのである。どちらも他の集落と統合する新たな住宅地を形成するのである。
 
◆同じコミュニティでも行政が異なると異なる移転先
なぜそうなるか、多分、二つの集落が別の自治体に属するので、それぞれ別の復興計画に従うからであろう。
 余所者の余計な心配だが、このように密接に隣り合っていたふたつの集落が、その間にたまたま行政境界が入っていることによって、復興のために離れ離れになることは、普通のことなのだろうか。いや、今回初めての事件だから普通のことではない。
 防災集団移転は、制度上は市町村を越えて可能であるようだが、この2集落は同じところに集団移転したい、あるいは世帯によっては隣の集落の移転先に行きたいとか、そのような要望がどちらの集落側からも出なかったのだろうか。もちろん出なかったのなら、わたしの杞憂である。

 井口市長が強調しておっしゃっていた、避難所も仮設住宅も元のコミュニティを維持できるように配置し、集団移転もそのように計画しているとて、それは誠に良いことである。
 だが、市町村を超えると県の役割となって、難しいことになるのだろうか。
 他の被災地では、このような例はあるのかないのか、どうなのだろうか。

 東北被災地では、市街地が行政境界を越えて連担する地域はなかったのかも知れないが、関東や東海道地域となると、そうはいかない。
 行政境界をまたぐコミュニティは珍しいことではないから、自治体を超える難しい問題があちこちで起きる可能性がある。

◆津波は行政境界に無関係にやってくるのに
 市境を挟んで南の岩沼側は、防潮堤、千年希望の丘、貞山堀土手嵩上げ、市道嵩上げという何重もの構えで守りを固めるのに対して、北側の名取市側では、千年希望の丘のような事業はないらしい。

 もちろん岩沼側でも防潮堤や防潮林を整備しているのを、わたしは見てきたのだが、千年希望の丘のような特徴ある計画はないらしい。
 両市の復興計画図を見ると、名取市北釜では交通結節点としてなにか開発的事業をやるらしい赤丸が画いてある。一方、岩沼市相野釜の方では千年希望の丘をつくるらしい。双方につながりはないようだ。

 ここに限らないが、沿岸部自治体の震災復興計画をみていると、行政境界で図がつながらないことがあちこちである。
 しかし、津波は市境とは関係なくやってくる。
 千年の丘や緑の防潮堤の有無で、その被害がどう違うのか、その時になってみなければわからないし、どのような方策が最上であるか誰もわからないだろうが、線の1本で隣り合う行政が異なる対策をとることが、わたしには釈然としないのである。


 こうなるとしょうがないから、こんどおいでになる津波さんには、市の境で別々に襲ってもらうように、お願いするしかない。

●全文は
宮脇昭提唱の森の長城づくりと行政の現場【岩沼市相野釜】
https://sites.google.com/site/dandysworldg/iwanuma-ainokama

参照
・地震津波核毒原発おろおろ日録
http://datey.blogspot.jp/p/blog-page_26.html

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