2014/11/07

1022【言葉の酔時記】「徘徊」じゃなくて「ひとり歩き」と言えってまたもや「痴呆」につづく老人言葉狩り

 また言葉狩りが始まったらしい。こんどは「徘徊」だそうである。
 今日の新聞に『「徘徊」言い換えませんか」の見出しで、「ひとり歩き」と呼び替えようとある。
 なんでも、徘徊は差別用語なのだそうである。「徘徊」とは「意味もなく歩き回る問題行動」で、いけないのだそうである。

 へえ~、わたしは「徘徊老人」を自任しているのに、なんとまあ、驚いた、いけないのかあ、困るなあ、意味もなく歩くのが大好きなのになあ、。徘徊大好きで、しょっちゅうやっている。
 意味もなく歩く徘徊が、結果として意味を持つことはある。徘徊中になにか発見することもあれば、思い出して買い物したりもする。
 わたしは徘徊をしたいのだから、そういう時はいったん戻ってきて、あらためて買い物やら発見に出かけなければならない。でないと徘徊ではなくなってしまう。面倒なことである。

 ちょっと前に、ボケ老人とか痴呆症がいけないないとて、「認知症」なる言い換えになったことがある。
 これもなんともはや妙な用語である。認知することが病気の一種なのかしらねえ、認知できないことが病気でしょ、ならば「認知不全症」あるいは「認知病」というべきのように思う。

 例えば、懐胎した母の子を、自分の子であると認知した父は「認知症」なのかしら。あるいは向こうから歩いてくる人を、自分の知人であると認知したわたしは「認知症」なのかしら。

 言葉を言い換えるのは、いろいろ現場の事情で仕方ないことかもしれないが、間違いやすい言葉に言い換えないでほしいものだ。
 まあ、そのうちに「認知症は差別用語」だから、なにか別の言葉に言い換えようってことになる時が来るだろう。

 言葉を言いかえると、とりあえずは何かいいことしたような気分になる人もいるだろうが、それはどうぞその人が勝手におやりください。よそにまで言い換えを強要しないでほしい。
 つまり、わたしが自分のことをボケ老人とか徘徊老人とか言うのはケシカランなどと、糾弾しないでいただきたく、なにとぞよろしくお願い申し上げまする。


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