そう、今、わたしは、300年前の元禄赤穂浪士事件、今風に言えば集団テロ事件の確信犯人たちの墓所の泉岳寺にきている。あ、そうだ、もっと今風に言えば、「AKG47」か、、。
18世紀初頭のテロ事件犯人・赤穂浪士たちの墓所 |
そそっかしい武林が主君の頭をカミソリでたたくとか、吉良邸討ち入り前日に両国橋の上で俳人其角と出会う大高、兄の羽織を前に酒を飲む赤垣、敵討ちで大活躍の堀部、箱根山で馬方にバカにされる神崎等、しょうもないことを覚えているものだ。
泉岳寺駅近くで会合があり、ひょいと思いついて赤穂浪士の墓があることで有名な泉岳寺に立ち寄ってみた。ここに来るのは初めてではないはずだが、すっかり忘れていた。
駅から行く途中でなんだか妙なビルが眼についたので、さっそくパチリ、どっちも西洋クラシック様式の真似事デザインが、なんとも違和感がある。どちらも新興宗教関係だろうか。
企業のビルらしいが、、 |
瓦屋根の伝統的な仏教寺院のとなりは白亜の新興宗教ビル |
さて目当ての泉岳寺の正面近くから眺めると、寺の背後には2本の超高層ビルが建っている。
おや、泉岳寺の門(ネットで調べたら「中門」というらしい)の前には、「建設反対」と大書した幟や立て看板が立ち並んでいる。寺にしてはなんとも生臭い違和感を漂わせている。そうか、あの超高層建築に反対をしているだろう。
まさか、泉岳寺の敷地の容積率を使って、あの超高層が建っているのではあるまいなあ。
泉岳寺中門の向こうの境内の上にそびえるタワービル |
そうだよなあ、あの向こうにある山門の上に乗っかって立つ超高層建築と、その横の高層建築(大学らしい)も、寺の風景としては邪魔なことはよく分るよなあ。
中門を入って山門までの間の境内に立ち並ぶ土産物屋の街並み風景 |
などと思いながら山門の手前で振り返る。
山門から中門方面を見れば、先ほどの土産物屋の街並みも、向こうのビル群も、まあ、よくある猥雑な町場の門前町の風景である。もう少し賑わいがあってもよさそうにも思う。
山門から中門の方を振り返ってみる土産物屋の街並み風景 |
ふむ、本堂の背後のビルが邪魔である。景観破壊である。
でも、このあたりは市街化が著しいのに、けっこう空が広いのは、さすがに泉岳寺は広大な境内地をもっているらしい。
山門から本堂を見ると背後の超高層ビルがスカイラインを乱す |
赤穂浪士たちの墓所に寄ってみることした。途中に「首洗い井戸」とて、テロ事件に由緒あるらしい物騒な立札がある。案の定、本所から持ってきた吉良上野介の首を洗ったのだと書いてある。
わたしの興味をひいたのは、その井戸を囲む石の玉垣に「川上音二郎建之」と刻んであることだ。あのオッペケペー節の川上も、忠臣蔵の出し物が当ったことがあるのだろうか。
墓所にやってきての感慨は、最初に書いた通り、わたしの少年時を思い出したことである。その思い出を通じて歴史上の人との交感のようなものはあるが、墓石には興味がまったくないから、手をあわせもしない。
18世紀初頭の集団テロ事件の犯人たちも、いまでは時代劇の中のヒーロー群となって、こうやって明るい高台から街を眺めている。
「赤穂義士記念館」なる建物の前の掲示板に、「8階建てマンション建設反対」と合成写真がある。
あれ、いま建っているあの超高層ビルのことではないのかと見れば、入口門の横にこれから建つ高層ビルのことらしい。そういえば、工事をしていたなあ、あれのことか。
皮肉なことに、現在の景観を壊している背後の超高層ビルのひとつの目隠しに役だっているが、これはこれでうっとおしいことである。
この場所には、以前には4階建てのビルが建っていたらしい(注:読者より指摘あり、正しくは3階建てとのこと)。
泉岳寺はいまや後門の狼風景と前門の虎景観に攻められているらしい。そればかりか、門内においてさえも、あの土産物屋の街並み景観をナントかしなければなるまいなあ。
そして門外のおどろおどろしいあの宗教?建築の風景も、もう、なんともならないことだろうなあ。
泉岳寺あたりは、いま300年を経て、あの墓所に埋められた切腹テロ男たちの怨念が、今やビルの形になって地上に湧きだして来つつあるのか、怖いよなあ、、なんて。
0 件のコメント:
コメントを投稿