●初徘徊はメデタイ名の寿町から
2022年の元旦、全く雲の影も見えない快晴で寒い。いつものように横浜都心部徘徊に出かける。さてどこに行こうか、初詣に神社にお参りなんて縁起担ぎなんてことを、わたしは全くしない。
どこに行くあてもないが、無理に正月らしいところを探し、おめでたい地名の場所に行こうと思う。そして「寿町」に足を向ける。とにもかくにも寿であるが、正月にわざわざ寿町に行こうなんて考える奴はいないだろう。だが、実はそうでもないのだ。
寿町中心部の小公園近くに来ると、大勢の人たちの長い行列が現れた。正月だからこそ寿町だと思う人たちがいるのだ。
この公園で無料配布弁当を待つ人々であった。行列は一辺が50mほどの街区の周りをぐるりと取り巻く200mもの長さで、800人くらいだろうか。
寒空の下のドヤビルの日陰に、黒い防寒着で黙々と並ぶ。ほとんどが中年以上の男女で、なかには子供連れもいる。
この街は貧困者たちの住む簡易宿所(いわゆるドヤ)の街であるから、たぶん、ほとんどがその住人たちであろう。とすると、わざわざ来たのではないのだろう。
小公園での無料食事配布(いわゆる炊き出し)を行っているのは、貧困等の社会支援団体の活動らしく、各種相談のためのテント小屋もある。わたしはその活動のことを全く知らないが、ここに支援に来たとて山本太郎と雨宮処凛両氏のSNS投稿記事を見つけた。
寿町とその隣の松陰町あたりは簡易宿所(いわゆるドヤ)の街で、多くの低所得者たちが低宿泊料のその旅館の部屋を、実質的に住所としているドヤビルが立ち並ぶ。
1950年代からそうなった街だが、かつては横浜港湾労働者たち、今は老いて生活保護受給者となっている単身男たちが多いそうだ。そのような街にも、このような新年は訪れる。
参照:このブログの横浜寿町記事
・2019/11/13 横浜寿町ドヤ街ではこれまで増えてきたドヤ数もドヤ居住者数も頭打ちになりどう変るのだろうか https://datey.blogspot.com/2019/11/1427.html
・2019/01/05 B級横浜ガイド・寿町・松影町あたり:デラシネ日雇労務者が高齢化定住した貧困ドヤ街 https://datey.blogspot.com/2019/01/1180b.html
・2018/12/19・【寿町の繁栄】貧困で超高齢化する日本の縮図のようなこのドヤ街は縮図どころが拡大しているようなhttps://datey.blogspot.com/2018/12/1173.html
・2018/02/12・不良共同住宅ビル→不良民泊共同ビル→空き家ビル→ドヤビル:不良住宅再生産ドミノ現象の街https://datey.blogspot.com/2018/02/1317.html
・2015/01/05 横浜寿町ドヤ街は新築高層ドヤ建築が林立して周辺へも拡大中にて貧困ビジネス繁盛 https://datey.blogspot.com/2015/01/1046.html
・2007/09/03・横浜寿町ドヤ街宿泊体験記https://sites.google.com/site/matimorig2x/%E6%A8%AA%E6%B5%9C%E5%AF%BF%E7%94%BA%E5%AE%BF%E6%B3%8A%E4%BD%93%E9%A8%93%E8%A8%98
●若者たちで溢れる中華街
寿町を出て、線路を隔ててすぐ隣町の横浜中華街に行く。寿町は実態的には住宅街だから静かだが、中華街は観光街だから賑わいっている。遊びにやってきた大勢の若い男女が道に溢れ、うろうろと行儀の悪い歩き喰いしている。
中華料理屋の前からの呼び込み声は当然だが、この数年で占い屋の店が急に増えてきた感があり、その呼び込み声がウルサイ。中国料理と占いが相性が良いのだろうか、さっぱりわからない。
どちらにしてもコロナなんて知らない風情の賑わいだが、人々の姿が共通して白や黒のマスクをつけているので、ここもコロナ世であると思い出すのだった。
●元町商店街は大人の街
そこから川を隔ててすぐ隣はお洒落な元町商店街で、ここは元日は一斉に休日らしく、わずか3店を開けているばかりだった。それでも道はシャッターの壁ではなくて、店頭でウィンドウショッピングを楽しむ仕掛けにしているから、さすがにここは大人たちの街である。
実は3日にも訪れたのだが、初売りの街は大勢の大人たちでにぎわっていた。でも、街並み変化観察はしても、この街にはわたしが用のない店ばかり、街歩きの面白さがない。
●伊勢佐木モールの変化が面白い
伊勢佐木町の伊勢佐木モールは、同じ中心商店街でも元町とは対照的で、多くの店が開いていて、それなりに人出がある。元町の人出となんとなく違うのは、歩く人たちが元町よりも多様なことだ。
コロナ時代になる前から、店舗が次第に飲食系へ、安売り系、チェーン店系へと徐々に移る感じだが、コロナになってから特にその傾向が強まる気配である。庶民化とでもいうのだろうか。
中古品屋が特に目立つ。私がこの近くに移ってきた20年前は、いわゆる古書店が5~6件あったが、次第になくなりブックオフが威張ている。一般にも中古品の店が増えてきて、古着屋、中古電器屋、中古家具屋、古道具屋が何軒もできた。
物販店は元町のように行儀よく店内に収まるのではなく、店頭の道路に商品が乱雑にはみ出している店も多い。居酒屋は派手で大きな看板を容赦なく表に張り出す。
元町のようなある種の街の品格は消えて、飲食店街・飲み屋街的になりつつある。まあ、わたしの様な貧乏人には都合がよろしいが、この先もこの傾向で行くのだろうか。まあ、悪貨は良貨を駆逐するのデンで、飲み屋街になってしまうのだろうか、それも惜しい。
寿町も中華街も元町も伊勢佐木モールも、全体に見たところなんだか黒っぽい服装の人ばかりで、正月の華やかさが無いのはどうしてだろうか。華やかな色の和服姿は皆無、防寒着だってもっと明るい色でよさそうなものをと思う。コロナで暗い世の表現か。
思えば寿町・中華街・元町商店街のほかにも、野毛とか黄金町とか横浜橋とか馬車道とか、それぞれずいぶん性格の違う特徴のある街が、狭い盆地状地形の底に隣り合って押し合いする、横浜旧都心部のパッチワークが面白い。(2022/01/04記)
0 件のコメント:
コメントを投稿