2023/08/06

1699 【広島原爆の日】ヒロシマ核爆弾被爆者だった親友がこの世を去った今年の夏

 今日は8月6日、1945年にUSAが広島に世界初の核爆弾殺人目的投下の日である。毎年この日が来るのは当たり前だが、今年は来てみて初めて特別な日であると気が付いた。それは、今年の春に亡くなったわたしの親友のひとり(とよぶ)が被爆者であったからだ。

 あの8月6日、Fは広島市内の自宅の庭で遊んでいて、何かを取りに家の中に入ったとたんに、閃光が走り被曝、家は半壊したが奇跡的に生きていた。爆心から約1.7kmだった。
 そこから凄惨なる被風景の中を、被した身の母子4人で苦難きわまる避難行、逃れた郊外で治療とも言えない治療の日々、それを彼は歩きながら一日中話してくれた。
 話してくれた場所は、5日で100キロ歩くという趣旨のウォーキング旅行の旅先のことだった。ほかにもあちこちに一緒に旅した。よく飲み会やった。

 そのFの死因が原爆病であるかどうか知らない。元気な遊び仲間だったFが、入退院を繰り返すようになったのは2年前だった。それは被曝による病かと聞いたが、化学者の彼の答えは「それがわからんのだよ」という。それには核被曝治療の諸問題もあるらしい。
 Fの直接の死因は血液の病だった。私は素人だから勝手に決めつけているのだが、これこそ核爆弾の故に違いない。
 Fが病床からくれたLINEメッセージの最期は4月1日のこと、「来年も花を見られるかな」であった。その月末からもうFは居ない。

Fは行ってしまった

 わたしにはこの日は普通の日だったから、広島原爆の日であるほかにとくに考えもしなかったし、とくにこの日にFと何かをしたこともない。
 そうか、Fにはこの日が特別に日であったのだ、そして今日はその日なのだ、Fがいない今年のこの日は、わたしにも特別な日としてやってきた。

 ヒロシマ核爆弾投下の故の今年までの死者数は、総数339,227人で毎年増えてゆく。この1年で5320人が新たに加わったそうだ。
 爆心から500mほどの兵営にいたFの父は、核爆弾で消滅させられたとて、確実にそのひとりである。その名簿のなかにFは加わったのだろうか。

Fの実妹によるその母の被曝物語

 あれから78年もたったが、核の恐怖は地球上から消えないままに、いや、それどころか、またもや核爆弾を投下する奴が出現の気配の中で、被爆者たちはもちろん、わたしもこの世を去ることになる。



 そして世界3番目の殺人用核爆弾投下する為政者がいつ出現するのだろうか。せめて私が死んだ後にしてほしい。エゴに聞こえるがそれでよいのだ、だって地球上の人間全部がこう考えると核兵器廃絶に進むだろう。(20230806記)

参照亡き親友Fへのオマージュ 2023


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