暑い日が続くが、カネのかからない年寄りの健康法でとにかく歩くのだ。横浜の都心住いだから、買い物と徘徊が一致するのがありがたい。趣味の街並み景観見物が毎日できて、この街の変化をもう20年以上にわたり続けている。
徘徊とは目的の無い彷徨行為と定義されるが、それが日常買い物と景観見物と健康に資することになっている。これは徘徊から言えば本意ではない。目的の無い外出と、その他を厳密に分けて、それぞれあらためて出直すべきである、というご叱責もあろうが、まあ、先が短い年寄りのやることに、いちいち目くじらたてなくてもよいだろう。
さて、今日も今日とて横浜ご近所徘徊していて発見、おや、横浜チャイナタウン「中華街」の向こうを張って、福富町はコリアタウンの「大韓街」になったのか、と。
福富町の中央部に西通り・仲通り・東通りを串刺しにする南北の通りがある。この通りには沿道の両側に1950年代に防火建築帯として建てた共同建築群が立ち並ぶので、その変化に興味を持ってちょくちょく観察に通るのである。
その通りの南入口ともいうべきあたりに道路をまたぐゲート状の工作物が建っていて、そこに大きな字で「KOREATOWN 福富町国際通り」と書いてあるのだ。あれ、こんなのが前からあったかなあ、こんなに大きな文字だから気がつくはすだよなあ、いつの間にできたのだろうか。この通りは国際通りというのか、初めて知った。
KOREATOWNの大文字のゲート |
福富町については、以前からコリア系とチャイナ系の店舗が多くなってきたなあ、でも風俗系の店も多いなあと思っていた。この大看板を見て通りの店の看板を見まわしていたら、たしかにコリア系店舗がさらに増えている、一方で風俗系が減った感がある。
家に帰ってからGoogleストリートを見たら、去年11月撮影の同じ通りの風景があり、そこには同じ道路をまたぐゲート風のアーチがあるが、KOREATOWNの文字はないから、今年になってできたのだろう。
2022年11月撮影の同じゲートには文字がない google street |
チャイナタウンが中華人民共和国街つまり「中華街」ならば、コリアタウンは大韓民国街つまり「大韓街」というのだろうか。
それにしても横浜中華街のような横浜発祥の歴史を背負うチャイナタウンはともかく、福富町が中国系も日本系もある商店街でコリアタウンを名乗るには、それ相当の何かがあるような気がする。商店街組合がこのように名付けるのだろうか。
風俗の街にイメージがある福富町全体が、中華街のような大規模な横浜大韓街KOREATOWNに変身するのは、なかなか面白いと思う。期待している。
KOREA系店舗の看板が目立つ |
福富町KOREATOWN 北から見る全景 |
横浜橋商店街もコリア系の店がかなりあり、KOREATOWNのイメージがある。実は単なる遊びであるが、数年前にKOREA系と中華系の店の数をカウントして、この商店街の全店舗の中でどれくらいの割合を占めるか計算したことがある。12パーセントほどで、意外に少ないと思ったことがある。それらの日常性から離れた店舗風景に気をひかれてしまてて、イメージ先行するのだろうか。
さて、横浜都心部の関外に特に多い戦後復興の防火建築帯は、次々と建て替えられている。商店街としては関内側の馬車道の防火建築帯はかなり建て替えが進んだ。だが関外側の伊勢佐木町や福富町あるいは吉田町のような古い商店街では、建て替えが進まずに、いまも戦後復興期の姿であり、横浜の特徴ある街の風景として生きている。
生き残っている理由は、建築物の所有権が複雑化していることもあるだろうが、テナントの身代わりの早さがあるのかもしれない。福富町がかつては伊勢佐木町のような普通の商店街だったのが、風俗街へ、そしてエスニック街へと時代に対応して生き残り作戦で変遷しているのが興味深い。普通の商店街が地域でも有名は風俗街に変身して生き残っている例として、群馬県太田市南口商店街がある。
伊勢佐木町でも防火建築体に入る店舗が、コロナ以後その変遷が著しい。次々とテナントは変わっても意外に空き店舗は少ない。ただしわたしの観察によれば、物販店も飲食店もどうも安売り店舗へと変化する傾向がある。あまり変わらぬ商売を続けている元町商店街との落差が著しくなっている。
その変遷が一段落したころに、建て替えによる変化が始まるだろうと、それがいつ来るのかと、それも興味を持って待っている。(20230808記)
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