今日は3月3日、雛の節句である。わたしは男3人兄弟であったが、少年時の記憶では毎春には雛人形の段飾りが、床の間いっぱいにだされていた。もちろん端午の節句には、五月人形の武者飾りが登場したのは、その日がわたしの誕生日でもあるからだ。
そのどちらも飾られなくなったのは、少年の日のいつのころであるか忘れたが、雛人形の方が先に消えたような気がする。
ネットで拾った画像だが、このような雛段飾りだった |
今日が雛祭りの日とて、それを思い出していたら、急に気が付いた、そうか、あの雛人形の飾りは、父母の悲しみを背負っていたのだ、悲しみの雛飾りであったのだ、と。わたしの2歳上に姉がいたが、3歳で急逝した。その亡き姉のための人形だったのだ。
わたしにはその姉の記憶は全くないから、雛人形と関連して考えたことがなく、どの家庭でも3月には雛飾りをだすものだと思っていた。思えばあの雛飾りは、父母の悲しい思い出にある姉を祀るためで、雛祭りならぬ雛祀りだったのか。神社の宮司だった神道の父は、家族の死者を霊神として祀った。
姉は父母には初めての子であったが、3歳半で感染症により急逝した。しかも不運なことに、父が日中戦争の中国戦線で兵役についていて、その不在時の不幸であった。母の嘆きはいかばかりであったろうか。わたしが母から姉のことを聞いたのは、「英子はほんとに可愛らしくて賢い子だった」と、死んだ子の年を数えるような言葉だけだった。あの毎春に出現した真っ赤な雛段のたくさんの人形飾りは、亡き子を偲ぶ悲しい行事であったのかと、今にして思うのである。
わたしと姉 1938年夏 |
だが、あの雛人形や五月人形が父の遺品には無かったのは、定年退職後に故郷を出る時に処分してしまったらしい。さすがにその頃は雛人形に亡き子の思い出を託すほどではなくなっていたのだろう。
遠き日のひいなの飾り赤々とみとせのいのち姉を祀るや
(20240303記)
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伊達美徳=まちもり散人
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