北陸新幹線が東の金沢駅から西の敦賀駅まで延伸して営業することになったそうだ。なつかしいところだが、もう行けないなあ。
北陸と言えば、1993年から10年余りを、仕事で福井・石川両県にはよく行ったものだ。その伝統的な街と伝統的な地場産業を結ぶ仕事であった。特に鯖江市河和田の越前漆器の里づくり(「うるしの里会館」プロジェクトマネージャー)では、10年のうちの2年ばかりは毎週通った。足の故障で杖を引いていた。そこにはわたしの都市・建築計画の最後の仕事の成果が見える。
「河和田うるしの里会館」2006(設計:サンワコン 担当:林、尾野) |
北陸新幹線がまだないそのころは、こちら東海道新幹線に新横浜から乗り、米原で北陸線に乗り換えたものだ。これからは長野・富山周りの北陸新幹線の方が早いのだろうが、心理的にはむしろ長旅の感じがする。太平洋側から日本海側へと日本列島脊梁山脈を横断というか潜り抜けるのは、まことに厄介な旅の感がある。
下のルート図を見ると、小松駅から越前たけふ駅までの間には、在来線並みにずいぶん多くの駅があるように見える。長野と富山の間ではなんだかずいぶん大回りをしているのが奇妙である。敦賀から米原に接続しないで湖西を行くのもなんだか不合理に思える。どんな政治的我田引鉄事情があるのかしら、いや、土木技術で乗り越えられない地形的事情なんだろうなあ。
●超高齢者はコロナの4年で旅する力を奪われた
コロナで謹慎期間中にあれやこれやあって、コロナが終わっても旅行なんぞに行けない身になってしまい、新幹線が通ろうと鉄道経営者が変わろうと、もう関係がないのだ。わたしだけではなくて、超高齢者は誰もかれもが4年間も謹慎していると、足腰が弱ってもう元に戻らない。さらにこの間に介護家庭となる者もかなり多いから、介護する側も旅行に行けなくなる。そういえばコロナ以前から新幹線にもう7年も乗っていないなあ。
それなのにこのところ「北陸応援割」とか言って、北陸新幹線延伸開業と能登震災復興を合わせ技にして、税金をつぎ込んでの旅行支援で、観光金遣い推奨策が始まったらしい。
だが、超高齢者にはそういうわけでもう関係がないのだ。これだけだはなく、コロナ期間中にでいろいろあったらしい旅行支援策を、わたしは何ひとつ恩恵にあずからなかった。いま、コロナが明けたが、こんども何ひとつ使うことはないだろう。
えッ、20000円もくれるのかあ、行きたいなあ、けど足腰が、介護が、 |
日曜日のご近所徘徊は横浜中華街、足の踏み場もない若者の人出 |
他人のために納税するばかりの、バカに気前の良い耄碌爺に無理矢理にされてしまった。他人ためと言えば、わたしは医者知らずに過ごしているから、高い高い後期高齢者医療保険代も払うばかりで、保険金としてめったに戻ってこないのも、癪に障るものだ。このあたりで大病して一度に取り戻す策はないものかと、バカな思案をして悩む。
とにかくコロナによって、超高齢者たちは足腰がまだ立つ人生晩期の貴重な4年間の行動を奪われて、コロナが終わってももう復帰できない。旅行も集まりも飲み会も再開できないから、仕方なくZOOMで遊んでいる。
若い者に旅行支援だなんて遊びに助成金を出すのなら、その半分でよいから超高齢者にも何か屁理屈をつけて回してほしいものだ、うらめしや~。
(20240318記)
参照:伊達美徳の北陸に関する諸エッセイなど
まちもり瓢論「東海・北陸編」
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伊達美徳=まちもり散人
伊達の眼鏡 https://datey.blogspot.com/
まちもり通信 https://matchmori.blogspot.com/p/index.html
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