2009/11/22

203【世相戯評】臭いの暴力その3・香り風景百選

 香り風景百選というのがある。日本中で香りがある街を100箇所選んでいる。環境省大気環境局が肝いりというところが、意図を考えさせられる。http://www.env.go.jp/air/kaori/index.htm
 大部分が花のような自然植物が香るのだが、中にはせんべいを焼くときの醤油とか塗りものの漆、醸造する過程の酢や醤油などもある。

 これらは香りだから、嗅いで気持ちがいいところであって、だから臭い百選ではないのだろう。
 田畑では時期におうじて、肥料、焚き火などの臭いやら香りが漂うのだが、これは当たり前すぎるのか百選にはない。
 市場の漬物や揚げ物のにおいとか、路地裏の夕餉の香りも、もちろん選ばれていないのも、当たり前すぎるからだろう。

 街が臭うといえば、40年以上も前のことだが、大阪のある地区をバスで通ると強烈なにおいがいつもしていたことがある。そのあたり全部がそれはもう吐き気を催すようなすごい臭いである。
 聞けば、動物の皮をなめして靴などの材料にする町工場が沢山ある地区だそうである。ものづくりの過程で発生するのである。

 それがどこであったか思い出せないが、今はどうなっているのだろうか。ほかの都市にもそのような地区があるはずだがどうなのだろうか。技術革新で臭いを消す方法が今は発明されているだろうか。
 化学プラントやゴミ処理場からの悪臭も、なめし皮工場も基本的には産業の発する臭いであるが、大企業ではない零細な町工場群ではどうしているだろうか。
 いっそのこと「臭い風景百選」てのをやってみてはどうか。

●追記(2010.01.07)
 知らなかったけど、やっぱり危惧していることが起っている。
 今日の朝日新聞朝刊に、「人口の香り 街を漂う」との見出しで、アバクロなるアメリカ安売り屋が銀座に店を出していて、その店は全館に人工の臭いを流しているのだそうだ。そしてその臭いをトラックで町中にふりまいて走っているのだそうだ。無差別テロ行為そのものである。 嫌だ嫌だ、公害、香害、臭害である。
 どこやらの肉屋では、すき焼きの人口臭を流しているともある。勘弁してくれ~。


202【世相戯評】臭いの暴力その2・新製品「録臭器」

 昨日の臭いの暴力から思いついたが、録臭器」ってのを作るやつがそのうちに出るだろうか。
 つまり、臭いから香りまで色々な悪臭芳香を、ウォークマンみたいに貯めておくのである。
 
で、歩きながらその中から好きな臭いなり香りなりをかぐのである。好きなカップルは互いにかぎあいながらデートする。
 ジンチョウゲとかバラとか蒲焼きとかカレーとか、田舎の畑とか焚き火とか、まあ、気分に応じて鑑賞?するのである。

 で、嫌なやつが近寄ってきたら、悪臭を放つのである、それもボリュームを最大にして、そう、スカンクである。痴漢除け装置にもなる。
 両耳穴にイアフォン、両鼻穴にノーズフォン、これがおしゃれなスタイルになる。

 どうです、電器屋さん、こんなのを売り出しては、、。不況の折から売れますよ。
 いたずらも増えるだろうなあ、まったく、音害の次は臭害か、香害である。

2009/11/20

201【世相戯評】臭いの暴力その1・バックグラウンドスメル

 バックグラウンドミュージックとか企業ソングとか、音がもう街の中にも店の中にも溢れていて、例えば大型電器小売屋のサクラヤとかヨドバシとかの店は、つくづく嫌になるのである。企業ソングの流れない店を探していくようにしている。
  スーパーマーケットにいくと、ゴリヨーゴリヨーというドラ声がスピーカーから流れているのもやりきれない。市場での生の声なら景気よくていいのだが、録音では同じ調子の繰り返しで、ただやかましい騒音である。

 ところが最近は、バックグラウンドミュージックならぬ、バックグラウンドスメルって言うのかどうかしらないが、臭いというか香りがする店があるらしいのだ。
 いや、食い物屋のにおいじゃないよ、わざわざ何か臭いをサービスのつもりで発生させているらしいのだ。

 臭いと香りはどう違うのか。ウンコの臭いとは言うけど、ウンコの香りとは言わない。嗅ぎたくないのが臭いで、嗅ぎたいのが香りか。
 どこだったか忘れたが、ホテルのエレベーターに乗ると、何かホノカに臭うというか香りがするのであるが、相客はいないから降りた乗客の香水の残り香かと思ったら、また乗ったときに同じなので、これはわざと発している背景臭(とりあえずこう言うことにする)であろう。

 こんなのは困るのである。要らない音楽も困るけど、鼻から入る要らぬ臭いはもっと困る。
 呼吸は止められないのである。そっちは香りでも、こっちには臭いなのだ。
 まことに背景臭は迷惑せんばんである。

 臭いと香りの境目はどこら辺にあるのだろうか。騒音と音楽の境目みたいに、わからないのだ。
 エレベーターの中や電車で、きつい香水の女性と乗り合わせるのはたまらない。最近は外国人女性が多いからなおさらであるが、日本女も真似して多くなっている。

 電車の席で隣に座った音漏れウォークマン男(最近は女も多い)には、音を小さくしてくれとしょっちゅう言うのだが、香水プンプン女にその臭いのレベルを下げてくれといっても、どこにも臭量調節ボタンが無いので、こちらが逃げるしかない。

 今はなくなったようだが、昔、汲み取り便所に置くようにと、花の香のする液体の入った瓶を売っていた。
 あれはジンチョウゲのようであったが、おかげで本物のジンチョウゲを嗅ぐと汲み取り便所を連想するようになってしまった。

 香りとか臭いとか、息をする人間には防ぎようがないものは、できるだけないほうがよろしい。
 食べ物のように、それが必要なときに必要な香りがあればこそ、美味いのだ。食ってもいないのに、しょっちゅうカレーの匂いがそこらじゅうに漂っていては、たまったものではない。
 これを書くと嫌われるがといいつつ書いてしまうが、炊き立てご飯はウンコの臭いがする。もっとも、これを言ったのは深沢七郎であるとか、。

●追記(2010.01.07)
 知らなかったけど、やっぱり危惧していることが起っている。
 今日の朝日新聞朝刊に、「人口の香り 街を漂う」との見出しで、アバクロなるアメリカ安売り屋が銀座に店を出していて、その店は全館に人工の臭いを流しているのだそうだ。そしてその臭いをトラックで町中にふりまいて走っているのだそうだ。無差別テロ行為そのものである。
 嫌だ嫌だ、公害、香害、臭害である。
 どこやらの肉屋では、すき焼きの人口臭を流しているともある。勘弁してくれ~。

2009/11/17

200【ふるさと高梁】ふるさとでシンポジウム

 生まれ故郷の岡山県高梁市で、シンポジウムがあるとのニュースが都市計画学会から来た。ご無沙汰しているので行ってみたいが、もう遠いふるさとになってしまった。
 参照→◆高梁:日本のハイデルベルク 

 案内文中に「備中松山城や吹屋ベンガラ村で知られる岡山県高梁市」と書いてある。そうか、合併して吹屋も高梁市になったのである。吹屋のある成羽町には、安藤忠雄の設計した美術館があり、なかなか優れたコレクションがあった。
 もう10数年前だったか、高校同期会をこの近くでやって、伝統的建造物群保存地区の吹屋の街並みと美術館を訪ねたことがあった。あれも高梁市立美術館になったのだろうか。

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(社)日本都市計画学会メールニュースNo.639 (2009年11月17日)

シンポジウムのご案内
『歴史を活かしたまちづくりシンポジウム
 ―岡山県高梁市の「歴史的風致」を考える―』
備中松山城や吹屋ベンガラ村で知られる岡山県高梁市のこれまでのまちづくりの歩みを振り返り、
これから「歴史的風致」の概念をどのように展開し、活力のある地方都市を育てるかを考える。

日時:2009年12月6日(日)17:00~19:30
会場:高梁市文化交流館 3階中ホール
     (岡山県高梁市原田北町1203-1)
参加費:無料

1.基調講演:「歴史まちづくり法の意味とその生かしかたについて」
         西村幸夫(東京大学大学院教授)
2.経過報告:「高梁のまちづくりの今までの展開について」
         小林正美(明治大学教授)
3.パネルディスカッション
   近藤隆則 高梁市 市長
   西村幸夫 東京大学大学院教授
   土井富弘 「高梁の歴史的風致」を考える会 幹事
   石井雅之 たかはしフィルム・コミッション 会長
   小川 博 吹屋町並保存会 会長
   岡山県文化財関係者
   小林正美 明治大学教授 (コーディネーター)

個人申込:申込不要
団体申込:団体名、人数、代表者氏名・連絡先を明記の上、
     事務局までE-MailもしくはFAXにて申込ください。
問い合わせ:「高梁の歴史的風致」を考える会・事務局 
  E-mail:Takahashi-rekimati@etude.ocn.ne.jp
Tel:090-3179-5649(井上)/Fax:0866-23-0708

主催:「高梁の歴史的風致」を考える会  
共催:高梁市、高梁市教育委員会
協賛:(社)岡山県建築士会高梁支部
後援:高梁商工会議所、高梁青年経済協議会、(社)高梁青年会議所
    たかはしフィルム・コミッション
※本シンポジウムは「住まい・まちづくり担い手支援事業」の支援を受けて開催します。

2009/11/15

199【世相戯評】饂飩と蕎麦

 自動車のタイヤ屋のミシュランが、日本の料理屋のランク付けをしたガイド本を発行したとかで、そんな店に縁の無いコチトラはどうでもいいけど、文化論としては面白い話になるようだ。
 京都での店のランキングづけ作業では、取材お断りの店がずいぶん多かったそうだ。
 毛唐はんに京の味はお口にいあいまへんやろ、一見さんはおことわりどすえ、ヘン、イチゲンでわるかったねえ、なんて喧嘩になったかならなかったか。
 でもまあ、あれは観光客むけ、つまり一見さん用のガイドブックだから、それはそれで観光産業で食っている京都人が目くじら立てるものではあるまい。

 食い物の味は、地域文化のそのものである。
 わたしは西の饂飩文化圏育ちだから、関東に移り住んでから饂飩を食って驚いた。真っ黒の塩辛い汁にグジャグジャの緬が入っていて、あまりの不味さにこれって饂飩という食い物かいって言ったものだ。
 その後、半世紀ほどの月日がたって、今の関東では讃岐饂飩がはばを利かせているのは、さすがに関東人もあの真っ黒グチャグチャ関東饂飩は不味いと気がついたのだろう。

 蕎麦も、関東に来てはじめて食ったわけではないが、美味いとは思ったことがなかった。
 あるとき信州の大学生になった同郷の同期生を訪ねて遊びに行った。信州は蕎麦どころと聞いていたから、ここの蕎麦は美味いのだろうと思って、上田駅前の店に入ってくったものだ。
 これがまあ、真っ黒で、ボキボキ折れるやつで、口に入れてもぼそぼそして、ちっとも美味くない。
 こんな不味いものを喜んで食うやつの気が知れないと思ったものだ。

 わたしの人生ではいまだに蕎麦は不味いものである。
 気に入らないのは、うまい蕎麦だといわれる店のそれは、どういうわけか蒸籠の上に半禿げ男の頭みたいに薄くまばらに並ぶ蕎麦を出してきて、その一枚を千円以上も取ることである。それがうまいかといえば、わたしには全然美味くないのである。
 蕎麦好きは周りに結構いて、蕎麦屋に誘われることも多いのだが、行かないとは言わないが、蕎麦でない品物があればそれを頼み、蕎麦しかないと蕎麦掻きを食うのだ。この蕎麦掻きは好きなのである。

 そうやって抵抗してきたが、あるとき畏友が家で蕎麦をうつから食べにおいでと招いてくれた。蕎麦打ちが趣味だそうである。
 蕎麦は嫌いだから行かないというわけにおかず、これには困ったのだが、実はこのとき初めて蕎麦を美味いと発見したのであった。
 それはその年にできた蕎麦の新しい粉で、目の前で打ち、切り、茹でてくれたのである。
 蕎麦ってものは味よりも香りと喉越し感覚であることを、このときはじめて知った。これは大人の味である。60歳越えて始めて知ったのだ。
 ではその後は蕎麦食いになったかといえば、ならないのである。蕎麦はその畏友に手になるものに限る。
 相変わらず、蕎麦食いにたいして悪口を言う、蕎麦なんてそれしかできない荒地のビンボウ草だろ、ありゃビンボウ人の食いもんだよ、なんて。

2009/11/10

198【横浜都計審】事前に議題の現地を見て当日は画像を映写して意見を述べる愚直な委員なのに、

 昨日は朝から横浜市の都市計画審議会だった。
 一昨日は鎌倉で世界遺産登録促進の市民ワークショップがあり、コメンテーターとして参加していて、終わってから仲間と愉快に飲んだ。
 明日は都計審だから早く帰ろうと決めていたのに、飲み始めると忘れて遅くまで飲み過ぎて、昨日はちょっと二日酔い気味だった。
 でも審議会ではちゃんと意見は言えた(と、思う)。

 このところ数回の審議会のいくつかの議事で、わたしがかなり問題指摘の意見をのべても、現地を見ていない委員にはよく理解ができないらしいのであった。
 前々回の審議会で、廃棄物処理施設の立地と住宅立地が競合するおそれがあることに現地を見て気がついて、審議会でそれへの対処方策の提案を詳しく述べたのだが、分かってもらえなかった。
 そこで、今回は現地に行って写した写真等を使って意見を言うことにした。

 議題となっている生産緑地の各地区について、それらの現地で撮ってきた写真、市の都市計画サイトにあるその場所の都市計画図画像、そしてグーグルアースのその場所の航空写真、これらをひとつにまとめて各地区の映像としてhtmファイルに編集したものを映写しつつ意見を言った。
 それなりに議論になったのは、現地を見ていない委員もこれでよく分かったからだろう。

 この映像を使うことで、審議会の 3日前にちょっとしたことがあった。
 審議会当日にいきなりでは事務局が戸惑うといけないから、事前にメールして
「9日の都市計画審議会で、わたしの意見を映像を使って発表しますので、PC,プロジェクターをつかわせてください。映像データはhtmファイルにして、USBメモリーで持ってゆきます。よろしくお願い申上げます」(原文のまま)
と、いちおう仁義を切った のであった。

 ところがそれに対する市の都市計画審議会担当からの返事が、こうである。(公用の通信文だから公開してもいいだろう)
「ご依頼の件ですが、今回の都市計画審議会は案件数が多く、内容も多岐にわたるため、伊達委員の御意見の発表については、審議会の進行状況と会長の判断になると思います。審議会委員として、案件の審議を優先させていただきますようよろしくお願い申し上げます」(原文のまま、挨拶文は省略)

 えッ、委員の発表を制限しようというのか、“委員として案件審議を優先せよ”とのお説教は何を意味するのか。未だ言ってもいないのに何を根拠にわたしの意見は案件審議ではないというのか。映像を使って説明するほうがはるかに時間の節約になるはずを、何を考えているか。事務局は映像で説明するのに、委員には制限するのはどういうわけだ。
 猛烈に腹が立ったので怒りの反論メールを出しておき、当日強行するしかないと腹をくくって行ったのだが、会場ではもめなかった。

 どうもわたしはいつも意見を言い過ぎると、警戒されているらしい。
 でも自信を持って言うが、現地を見れば子どもでも分かるようなつまらない質問だけしかしない、なんてことは断じてしていない。
 それは、横浜市の都市計画審議会サイトに公開されている昨年11月以来の議事録を読めば分かるはずだ。
参照→横浜市都市計画審議会

  そりゃまあ、つまらぬ質問だけで、しゃんしゃんと終わるほうが、委員も役人も、そして私も楽だろうけどね。
 ちかごろは、「愚直」を座右の銘にしようと心がけているのだ。都計審委員も、毎回毎回きわめて愚直に勤めることにしたのである。
 任期の終わりまであと3回あるだろうが、愚かなほど真っ直ぐに気を抜かないでやるぞ~、カクゴせ~いッ、と、自分に言い聞かせているのだ。
 参照→都計審は何を審議するのか   173横浜都計審一人相撲

197【横浜ご近所探検】ミニ開発地を行く

 
 この1週間ほど、横浜市の郊外住宅地をまわって、街の中にある農地を住宅地に替えたところばかり、いくつかのミニ開発をみてきた。
ミニ開発とは、農地を小さく分割した建売住宅のことである。50坪程度に分割するのだが、そのまま小さく分割しては細くなってつかいにくかったり、道路に面しない裏宅地もできるの。そこで色々と工夫をしているのであった。

 農地だったところに行き止まりのみぢかい道路を突っ込んで、これに沢山の敷地をぶら下がらせる。この道路が路地のようになって、それなりに面白い空間となっている。
 あるいは裏宅地となる敷地から、細い棒のような敷地を表の道路までつけているものもある。これを通称で旗棹宅地といっているのは、まるで敷地が旗と旗棹のような形だからだ。

 土地だけでなく必ずといっても良いほどに、そこには建物も建てて売っているのは、そうするほうが開発事業者の利益が見込めるからだろう。
 その建物は敷地の真ん中に配置されていて、庭らしいところが少ないのが特徴的である。どうも買うほうは建物ばかりを見て買うらしい。
 狭い敷地だが、それでもここに分譲共同住宅(いわゆるマンション)が建って、もっと敷地分割をするよりもいいだろうとも思う。もしも災害で倒れても、敷地は独立して一応あるから、権利者が多くて敷地が共有の分譲マンションよりは復旧はしやすい。

 農地の跡に2階建て賃貸共同住宅(いわゆるアパート)も結構あちこちに建っているのを見た。
 賃貸住宅経営を請け負う事業者がいるらしく、なんだかいずれも派手なコケティッシュなデザインの建物である。
アパートといえば、裏宅地にあって木造モルタル塗りで錆びた鉄骨外階段がついているという貧困イメージがあるが、今やなんとなくオシャレ気取りであるようだ。
 参照→都計審は何を審議するのか
 

2009/11/04

196【老い行く私】昔々山岳部員だった頃(その2)

 ちかごろは各種同期会が多いのは、お迎えが近いからであるに違いない。
 大学時代の山岳部の同期生8人が集まった。そのなかのひとりが、半世紀前の大学時代、雪の北アルプス剱岳での1か月近い合宿時の仲間の写真200枚を、デジタルデータ化してスライドショーで見せてくれた。みんな、半世紀たってはじめてみる自分たちの姿である。
 あの当時、同学年の山岳部員は12人、学生時代に遭難と数年前にガンの2人が他界した。

 1960年3月雪の剱岳で、そのころ流行のポーラーシステムなる登山方法で、総勢20名近い山岳部が、出発から1か月近くかかって剱岳頂上にアタック隊を送り込んだのであった。当時の山岳部憧れのヒマラヤ高峰を、そのうちに極めたいという国内での実験的登山方法である。
 プロジェクターから映写幕に映し出されるその懐かしくも遠い白銀の山岳風景、そしてその中の自分の半世紀前の姿を見て、おお、若~いよなあ、、、。
 あの画面の中の若くて貧しかった時代の自分と、こうやって都内の料理店の一室で但馬牛のすき焼きで一杯やりながら見ている今の自分をひき比べて、なんとも戸惑いを隠しきれず照れくさくなって、おお汚いカッコウだねえ、なんて仲間の姿をけなしあってしまう。

 今の登山の装備と比べると雲泥の差がある。着ているものもテントなども、なにしろU.S.armyの放出品だったのだから、どれもカーキ色である。
 あのころのU.S.armyは、朝鮮へベトナムへとアジアで戦い、不要になった大量の物資を市場に放出していた。寝袋は、これに戦死者を入れて日本に送ったときのものだと言われていたが、本当かどうか知らない。戦場と山岳とは、環境も装備も似ているのだろう。
 今はarmy姿は、ファッショナブルなオシャレになってしまって、実はわたしも3年前にヨーロッパアルプスツアーのときは、unicroで買った迷彩模様のズボンをはいていったものだ。

 それにしても、仲間が画像を見ながら、あれは何峰これは何尾根と言うのだが、よく覚えているものだと思う。
 当時の自分を思い出しても、そんなことを知っていたかどうかさえ思い出せないばかりか、自分の映っている画面を見ても、あれ、オレはあんなところに行ったっけ、なんて思うのだった。
 今思うに、かなりいい加減な気持ちで参加していたのだろう、反省。

 

山行きは大好きで、3年生だった1年間の記録を勘定してみたら、100日近く山に行っていたという昔の記憶がある。
 特に岩登りは好きだったので、高所恐怖症は全然ない。なにしろ大学本館の高い塔の上のパラペットをぐるりと歩いた経験がある。
 それなのに昨年のこと、越後の山村で茅葺屋根に登ったら足がすくんだのであった。高さに恐怖は無いのだが、ふらついたときにとっさの動作ができなくなっていることに気がついて退散、、、無念。

 それにしてもと又思うのだが、「これ誰?」「お前だよ」「え?」なんていってしまったがこの写真、え、あのころの自分はこんなに格好よかったのか??知らなかったなあウッヒッヒ!!、今頃になって出会ってびっくり、とてもとても我が姿に思えないので、ここに公開してしまうぞ。
それにひきかえ今のオレは、、なんて思わないように努力するしかないのである。
 参照→156昔山岳部

2009/10/31

195【言葉の酔時記】女は悪いが男性は悪くない

 結婚詐欺というと、昔は男のほうが女をだますのが普通だったような気がする。
 近頃は逆になったのか、数名の男から金を騙し取って起訴中だとか、騙した上に殺したらしいとか、ある女性が犯人の結婚詐欺報道で賑わっている。

 いま、“女性が犯人”と書いたが、新聞記事は“女性”とは書かないで、どこの新聞でも“女”と書いてある。
 YOMIURI ON LINEには「東京都豊島区の無職(34)(詐欺罪で起訴)の知人らが相次いで不審死した事件・・・」とか、「を診察」とか、「がヘルパーと称して・・」とか書いてあるし、asahi.comには「知人男性不審死の」とか、「が約20人の男性と接触・・・」とか、「同県警がこれらの男性から事情を聴いたところ、とホテルの室内で・・」とか書いている。

 ここで変なのは、女はすべて“女”であり“女性”ではなく、男はすべて“男性”となっていて“男”ではないことである。
 どうも新聞用語では、“女”は悪いやつというか少なくとも怪しいやつであり、“男性”は良いやつというか少なくとも悪いやつではない、ということのようである。
 “男”と“女性”となると、この逆になるのだろうなあ。

    ◆◆

 男とか女の下に“性”がつくかつかないかで、悪いやつと悪くないやつを区別するなんて、いつから日本語はこうなったのだろうか?
 容疑者というには早いけどどうも怪しいやつだ、でも、報道としては呼び捨てにもできず、何とか容疑者と書くこともできない、そこで苦し紛れにこういう言い方を考え出したのだろう。

 でも、それでよいのか。普通名詞を固有名詞のように使うのは間違っているぞ。
 実際に長い記事で、女が女がと何回も悪事の話が出てくると、世の女は全部悪いやつのように読めてくるのである。

 今に日常会話に困ることになるぞ。
「あなたは女らしい方ですね」などと言ったら、「ふん、どうせわたしは悪い女ですわよ」ってひねくれられる。
「この仕事はやっぱり女でなくっちゃ」なんて言ったら、「え、何が悪いのよっ」なんてすごまれる。
 なんてことがこれから起きたらどうしてくれる? 新聞屋は責任とってくれるのか、。

 新聞屋は概して、和語は低級であり、中級は漢語、上級は西洋外来語という言葉遣いランキングで書き分けているらしいと、わたしは感じている。要するに古い古い舶来信仰である。

2009/10/27

194【各地の風景】久しぶりの関西

 10月23日、7:22新横浜発新幹線ひかり号で岡山へ。岡山までならのぞみ号に乗るのが普通だが、3割安くなるジジ割引ではのぞみ号には乗れない。いいのだ、1時間くらい多くかかっても急ぐわけじゃなし、時間あたり運賃は断然安くなるのだ。
 11時半頃、岡山市内にある父母が住んでいた家に着く。隣家の方に挨拶して迷惑をかけている詫びをいい、建具を開けて風を入れ、簡単に掃除をする。
 
 もう15年も空き家のままである。でも基礎も骨組みもしっかりしているらしく、床も天井も屋根も建具の傾きもない。
 この建物は、わたしが45年前に設計した処女作であるから、教科書どおりにまじめに設計したし、大工もその通りに施工したからだろう。
 3時間ほどで切り上げて大阪に向う。そのまえに神戸に途中下車して、今日泊まるホテルにチェックインして荷物を置いて出る.
   ◆◆
18時10分前、大阪の地下鉄本町駅近くのTOTOデザインセンターなる会議室に着く。これから日本建築家協会近畿支部主催の講演会である。
 神戸にいる知人からこの春に連絡が来て、建築家山口文象について講演をしてくれとの依頼、喜んで参上したのである。

 それにしても、いまどき山口文象とは、しかも関西でどれほどの人がこの建築史上の人物となった建築家を知っているのかと、ちょっと不思議にも思った。建築史に興味ある人か特に関係あった人のほかは、今では覚えていないだろう。昔の建築家はどんどん忘れられていく。日本の建築家の地位はそういうものだ。
 それでも30人近くがわたしの話を聞いてくださった。山口文象が創設したRIAの現役社員やらそのOBで、知人も多くいた。

 若い人がいたので、話のはじめに山口文象を知っていますかと聞いてみたら、案の定知らないという。そうであろう、それが普通なのだ。
 講演題名は「建築家・山口文象の軌跡から日本の建築家像と建築保存思想を再考する」と大きく出たが、内容はそれほどのことはない。西に来たからちょっとくだけた話をしたいと思い、いくつかある“文象神話”の裏話を公開した。

 終わってから数名の知人たちと一杯。関西建築家3奇人(いや畸人)のひとり(後は誰かしら)といわれる渡辺豊和さんの、相変わらぬ怪気炎にも出くわして愉快であった。
   ◆◆
 24日10時、新長田駅前集合。今日と明日は「全国路地サミット」なる全国大会があるのだ。路地とサミットとは結びつきがたいがシャレである。今年は神戸大会である。
 
 まちづくりの好きな連中は、路地裏で一杯も大好きであることから始まって、道路を広げるのはやめて、狭い路地を生かした生活空間、遊興空間を守ろうよという運動である。毎年どこかの都市で開催していて、もう6回目くらいだろう。わたしは全部出席している。

 昨夜の会合で一緒だったRIAで先輩の稲地一晃さんが、今日は兵庫建築士会から世話役としてなっており、また出会う。
午前中は新長田駅の南北あたりを歩き回って、震災復興でできた新しい街の面白く無さをあらためて認識し、昔からの商店街や路地の街の面白さを再認識したのであった。

 震災直後に3カ月おきぐらいに定点観測で、長田の町も歩き回っていたことがあるのだが、その当時と今ではまるきり景観が変っていて、どこがどこであったか分からない。ひとつだけわかったのは水笠通公園となっているあたりであった。
 ぺちゃんこになって煙くすぶるケミカルシューズの町工場群と、それを睥睨して建ち並ぶ無事な高層住宅軍の対比が実に生々しい非常時都市風景であったのだが、公園と高層住宅群という日常的都市的風景に変っていた。

 しかし、道路や公園の広いこと、こんなに必要かしら、路地が懐かしい気分になるのは、災害を忘れて平和になった今だからだろう。
 午後から各地の路地の報告会、200人くらいはいただろうか。正統派都市計画と路地保全との対立と調和のあれこれは、なかなかに面白いものである。
 風邪気味なので、夕方に帰宅の途についた。

●参照→震災の記憶と都市風景