2009/10/27

194【各地の風景】久しぶりの関西

 10月23日、7:22新横浜発新幹線ひかり号で岡山へ。岡山までならのぞみ号に乗るのが普通だが、3割安くなるジジ割引ではのぞみ号には乗れない。いいのだ、1時間くらい多くかかっても急ぐわけじゃなし、時間あたり運賃は断然安くなるのだ。
 11時半頃、岡山市内にある父母が住んでいた家に着く。隣家の方に挨拶して迷惑をかけている詫びをいい、建具を開けて風を入れ、簡単に掃除をする。
 
 もう15年も空き家のままである。でも基礎も骨組みもしっかりしているらしく、床も天井も屋根も建具の傾きもない。
 この建物は、わたしが45年前に設計した処女作であるから、教科書どおりにまじめに設計したし、大工もその通りに施工したからだろう。
 3時間ほどで切り上げて大阪に向う。そのまえに神戸に途中下車して、今日泊まるホテルにチェックインして荷物を置いて出る.
   ◆◆
18時10分前、大阪の地下鉄本町駅近くのTOTOデザインセンターなる会議室に着く。これから日本建築家協会近畿支部主催の講演会である。
 神戸にいる知人からこの春に連絡が来て、建築家山口文象について講演をしてくれとの依頼、喜んで参上したのである。

 それにしても、いまどき山口文象とは、しかも関西でどれほどの人がこの建築史上の人物となった建築家を知っているのかと、ちょっと不思議にも思った。建築史に興味ある人か特に関係あった人のほかは、今では覚えていないだろう。昔の建築家はどんどん忘れられていく。日本の建築家の地位はそういうものだ。
 それでも30人近くがわたしの話を聞いてくださった。山口文象が創設したRIAの現役社員やらそのOBで、知人も多くいた。

 若い人がいたので、話のはじめに山口文象を知っていますかと聞いてみたら、案の定知らないという。そうであろう、それが普通なのだ。
 講演題名は「建築家・山口文象の軌跡から日本の建築家像と建築保存思想を再考する」と大きく出たが、内容はそれほどのことはない。西に来たからちょっとくだけた話をしたいと思い、いくつかある“文象神話”の裏話を公開した。

 終わってから数名の知人たちと一杯。関西建築家3奇人(いや畸人)のひとり(後は誰かしら)といわれる渡辺豊和さんの、相変わらぬ怪気炎にも出くわして愉快であった。
   ◆◆
 24日10時、新長田駅前集合。今日と明日は「全国路地サミット」なる全国大会があるのだ。路地とサミットとは結びつきがたいがシャレである。今年は神戸大会である。
 
 まちづくりの好きな連中は、路地裏で一杯も大好きであることから始まって、道路を広げるのはやめて、狭い路地を生かした生活空間、遊興空間を守ろうよという運動である。毎年どこかの都市で開催していて、もう6回目くらいだろう。わたしは全部出席している。

 昨夜の会合で一緒だったRIAで先輩の稲地一晃さんが、今日は兵庫建築士会から世話役としてなっており、また出会う。
午前中は新長田駅の南北あたりを歩き回って、震災復興でできた新しい街の面白く無さをあらためて認識し、昔からの商店街や路地の街の面白さを再認識したのであった。

 震災直後に3カ月おきぐらいに定点観測で、長田の町も歩き回っていたことがあるのだが、その当時と今ではまるきり景観が変っていて、どこがどこであったか分からない。ひとつだけわかったのは水笠通公園となっているあたりであった。
 ぺちゃんこになって煙くすぶるケミカルシューズの町工場群と、それを睥睨して建ち並ぶ無事な高層住宅軍の対比が実に生々しい非常時都市風景であったのだが、公園と高層住宅群という日常的都市的風景に変っていた。

 しかし、道路や公園の広いこと、こんなに必要かしら、路地が懐かしい気分になるのは、災害を忘れて平和になった今だからだろう。
 午後から各地の路地の報告会、200人くらいはいただろうか。正統派都市計画と路地保全との対立と調和のあれこれは、なかなかに面白いものである。
 風邪気味なので、夕方に帰宅の途についた。

●参照→震災の記憶と都市風景

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