2012/09/06

663白内障手術決行譚(その2)若返った右目で見る風景の軽薄なことよ


八五郎 こんちわー、ご隠居、お帰りなさい、目ン玉取り換え手術は成功ですかい、あ、なんです、そのゴーグルは、まさかこれから海にでも潜りに行こうってんじゃあないでしょうね、いけませんよ手術したばかりなんだから。

ご隠居 お、八っつぁんかい、海に行くんじゃないよ、白内障の手術の後はしばらくこうやって、何かぶつけないように、ゴミが目に入らないように保護眼鏡をかけるんだな。ああ、手術はもちろん順調にいってね、わたしの右目にはプラスチックレンズが入ったよ。

 プラ目人間ですね。よく見えますか。

 新しい右目だけで見るとね、なんだか色が鮮やかなんだよ。まだ治してない左目で見る風景と比べると、なんだか軽薄だね、若いころはこの色で見てたんだと医者は言うのだがねえ。その点、75年使い込んだ左目で見るとだねえ、色に深みがあっていいねえ、さすがに人生の深みがある、うん。

 なにいってるんです、若い頃の目に戻ったんでしょ、よかったねえ。視力はどうです。

 右の視力は1.2だよ、十分に良く見えるけど、問題は焦点がまだ定まらない。入れるレンズによって遠視か近視かその中間かとあるらしいが、受け入れる目の状態と相まって、どのへんに焦点が定まるのか、やってみないとわからないそうだよ。わたしは資料読んだりPCで書くことが多いので近視にしてもらいたいといったのだが、いまのところ遠視気味だね。さてどう落ち着いて行くのかね。

 あれ、なんだ、手術するともう眼鏡いらないと思ったら、そうじゃないのですね。で、次は左もやるんでしょ。

 ああ、左右アンバランスのこのままだと、右目と左目で色が違うから、それなりに面白いけど、どうも不都合だね。

 ご隠居は目玉が二つだけでよかったですね、三つ目小僧だったらあと2回もやんなきゃならない。

 ああ、ヤツメウナギが白内障になったら大変だね。

 ハハ、なにバカなこと言ってんです。ところで入院てあっしはやったことないんですが、ホテルみたいなもんですか。

 ホテルとは大違いだね、相部屋だから宿屋かな、でもね、サ-ビスがいいよ、しょっちゅうきれいなお姐さんがやってきて、触ってくれるんだよ。

 えっ、なんです、そりゃ。

 いやね、体温やら血圧を測ってくれるってことだよ。3食部屋食なんだけどねえ、この食事のまずいこと、どうやったらあの味になるのかねえ。

 しょっぱいとか、薄味すぎるとか、、。

 いやそれが丁度良いんだよ、なのにまずい、ありゃ調理がヘタとしか言いようがないね。米飯がまずい、安いコメだろうな。酒もつかない。左目の時はカップ酒持ち込みするかなあ。

 あのね、宴会旅行じゃないんですよ、しょうがないご隠居だね。でも、肝心の手術がうまくいってよかったですね。

 おお、そうそう、それを忘れるところだった、手術の一部始終を聞いてもらいたいから、こちらにおいでよ。スイカをおあがり、あ、ビールのほうがいいかね。

 あ、いや、スイカもビールもほしいけど手術の話は遠慮しますよ、あっしは痛いのとか血がでるのは大の苦手なんですよ。

 なんだ、見かけによらないね。でもいいからお聞きよ、涼しくなるから、、あのね、メスがグサーッと目玉の中に入って来るんだよ、、、、。

 サイナラーッ

 はは、八のやつ、逃げてしまったな、しょうがない、左目も終わった来週に、ここに一部始終を実況中継風に書くことにするか。

参照→白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1

665白内障手術決行譚(その3)そのうちボケたら脳味噌取り換えもできるようになるだろうなあ
http://datey.blogspot.jp/2012/09/665.html
662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事月間が始まる
http://datey.blogspot.jp/2012/09/662.html

2012/09/02

662白内障手術決行譚(その1)明日から左右両目のレンズ埋設工事月間が始まる

八五郎 おや、ご隠居、なんだかウキウキしてますね。
ご隠居 おお、八っぁん、そうなんだよ、明日から2泊3日おでかけなんだよ。
 旅行ですかい、どちらへ。
 病院に入院するんだよ、大手術するんだねえ、おまえのその顔も今日で見納めだね。
 えっ、なんです、その言い方は尋常じゃないけど、どこが悪いんです、なんでウキウキしているんです、ヘンですよ。
 いやね、白内障の治療だよ。
 なんだ、それなら知ってますよ、目が悪いと言ってた叔母がやったから。 今じゃあ珍しくない治療だそうですよ、脅かしっこなしですよ。目ン球を取り替えるんでしょ。
 乱暴だね、そうじゃなくて眼球の中の水晶体にプラスチックのレンズを入れるんだな。わたしは初めての手術体験だから、わくわくしていて海外旅行の前の晩の気分だな。

 大げさな。あ、そうそう、その叔母が言うには、それで景色がそれまでとは全く違ってきれいに見えるようになったそうですよ。ご隠居もそうなると思ってウキウキしてるんですね。
 そうなんだよ、だからおまえのその顔も見納めなんだな。わたしは眼鏡で今も普通に見えることは見えるんだが、この数年は明るいところではまぶしくてね、夏は黒メガネなしではいられないんだよ。
 そうそう、ご隠居は夏は風体が悪いですよ。
 ほっといてくれ。先だって同年の友人がその手術をしたというので、聞いてみると同じようにまぶしかったそうだよ。で、わたしも病院に行って診断してもらったら、両目ともに水晶体レンズが濁っている、濁りが光を乱反射してまぶしいのだそうだよ。 これはもう立派な白内障だとご宣託をいただいた、えへん。

 威張ることじゃないでしょ。で、ほっといたらどうなるんです。
 歳とると誰でも起こることらしいが、ほっとくと進んでいくばかり、歳とりすぎると水晶体の中の水が固まって取り換えが面倒になるとか、手術も難しいことがあるかもしれないそうだよ。
 そうそう、知り合いの母親が90歳で手術したら、水晶体を支える機能が衰えていて失明したそうですよ。
 だから今、後期高齢者になったばかりのわたしは思い切って、そのレンズ埋設工事を決行することにしたんだね。
 えらいもんだね、好奇心をもつ年寄りの好例で好奇好例者ですね。

 おお、座布団一枚。面白いことにね、友人は左目だけ手術したそうだよ。だから右目つぶってみる風景と、左つぶって見る風景とは色が違うんだそうだよ。
 それじゃあ同じ絵をひとりで2度鑑賞できるってことですか。同じものなのにこちらの目の都合で違うものに見えるってことは、、、へえ~、実はこの世は誰もが同じ景色みてるんじゃないんですねえ、う~ん。
 考え込んだね、そうなんだな、お前の見てる景色とわたしの見ている景色は、実は全然違う色かもしれないね。
 ちょっと怖いような気もしますね。
 わたしは両目手術するから、もう別の景色を見る人間に生まれ変わるんだよ、この歳で生まれ変わるなんて、ウキウキするのも当たり前だろ。

 どこかピントがはずれてる気もするけど、まあいいや。ご隠居が今日見ている景色を、手術後にはもう見ることができないんでしょ、今のうちに写真とっておいたらどうです。
 そうしようかね、あ、なに言ってんだい、違うよ、カメラはわたしの目とは関係なく写すよ。お前こそピントはずれだな。
 あ、そういやそうですね。で、いつお帰りですか。
 明日は右目で2泊3日、一時帰宅して5日後に再入院、今度は左目だな。
 なんにしても、お大事に。手術成功、景色が大変化というお土産を待ってます。
 ああ、そうなるといいねえ、でも心配なのはね、お前の汚い顔がますますはっきり汚く見えるようになることだよ。
 ほっといてくださいよ。
(図は手術する西横浜国際総合病院がくれたパンフレットの一部)

白内障手術決行譚(その2)へ

●白内障手術一部始終日記201209
https://sites.google.com/site/dandysworldg/hakunaisyo?pli=1

2012/09/01

661戦後復興期の都市建築の遺産価値について当時の自分の仕事から考えてみた

 9月13日に名古屋大学で、戦後復興期の都市・建築に関するパネルディスカッション(PD)があり、参加することはすでに書いた。
●全現代都市・建築遺産パネルディスカッション案内
http://datey.blogspot.jp/2012/08/657.html
 ここに載せたのは、そのPDでにわたしの話のレジュメである。


●前現代期都市建築の遺産価値について
   ―その設計者として―

       伊達 美徳(フリーランス 都市計画家) 

はじめに
 若くもなく研究者でもなく建築家でもない、ひとりの建築史ディレンタントである筆者が、このPDでのスタンスは、筆者自身の前現代期(1961以後だが)の都市建築らしきものの「設計者として」の体験と、後に1970年代中頃から都市計画家として生きた経験をもとに、若い研究者・建築家に問題提起をしたいと考えている。
 「前現代」とは聞きなれないが、簡単には1945年8月15日から1970年頃までらしい。出だしは戦機の空爆による都市炎上から都市復興への時期で分りやすい。筆者の体験から言えば、不燃建築による都市づくりから都市再開発が本格化する直前頃までとしておこう。
 その頃、筆者は当時20人ほどのRIA建築綜合研究所(現・アール・アイ・エー、以下「RIA」という)に所属していたので、その組織で筆者が担当した「都市建築」を中心に記すことにする。
 「都市建築遺産」がテーマであるが、建築界での建築遺産と言えば、「名」のつく建築や建築家による「作品」をもってするらしい。ここで筆者がとりあげるのは、前現代期に日本各地の都市で同時多発的に起きた市井の人々の活動でつくられた、「名」がつかないが、時代を象徴する都市建築遺産である。

1.失われた前現代黎明期建築遺産
 最近、前現代記の都市建築遺産が消えたふたつの身近な事件があった。ひとつは東京駅丸の内駅舎、通称赤レンガ駅である。復原したのだから消えていないと反論があるだろうが、筆者は消えたといわざるを得ない。
 1914年に創建、1945年に空襲焼夷弾で炎上、1947年に修復再登場したが、その姿はまさに前現代の始まりを象徴する姿であり、 1914年から31年間の創建時の姿よりもはるかに長く丸の内のシンボル景観であった。
 そしてまた第一第二次両大戦と戦後復興という西の原爆ドームにも匹敵する貴重な前現代の都市建築遺であったが、前現代の建築遺産としての価値を評価した様子はないまま、現代の人々は復原と称して消してしまった。
 これほど名のある戦後都市建築遺産でも消えるのである。

●これ以降と全文は
https://sites.google.com/site/dandysworldg/zengendai-tosikentiku

2012/08/24

660横浜港景観事件(12)どこが変更になったかわからぬ神技デザインでGOサインの結婚式場

 横浜みなとみらい21地区の新港地区でもめていた(?)結婚式場計画のデザインが、ようやく決定したと、横浜市から発表があった。
 事業者と協議した結果、都市美審議会でNOといわれたデザインをYESといってもらえる(?)デザインに変更したのだそうである。
(この件のこれまでのコラム一覧はここ)

八五郎 あ、ご隠居、まだまだ暑くってしょうがありませんね。
ご隠居 八っつぁんでも、やっぱり暑いかい。
 あたり前でしょ。ところでご隠居が見ているその絵はなんです、まさかご隠居がディズニーランドに行こうってんじゃあないでしょうね。
 これは違うよ、結婚式場だよ、横浜の港近くにできるそうだよ。
 では、お孫さんの結婚式ですかい、そんな立派なところでやるんですかい、おめでとうございます。
 そうじゃないんだよ、ある企業がこういう結婚式場を建てたいって、市の審議会に出したら、恰好が悪いって突き返されたんだよ。
 ああ、例の新聞にもでてた話題になったやつですね。へえ、恰好が悪いってだけでNOなんですか、そりゃすごいね、あんまり醜男じゃあ外も歩けないってか。でも、どこが格好悪いんですか。お姫様がいそうな西洋の宮殿だし、観覧車もあるし、なんだかディズニーランドみたいで楽しそうなのになあ、こういう建物で結婚式やりたってい人は多そうですよ。
 だから庶民には困ったもんだよ、あのね、こういうデザインは西洋様式ごったまぜ、テーマパークみたいでけしからんて、審議会の大学の先生たちから叱られてるんだよ。偉い建築家の先生も、商業主義で怪しからんと言っておられる。
 へええ、あたしゃテーマパーク大好きですよ、ご隠居のお孫さんたちも大好きでしょ、結婚式場って商売だから商業主義でしょ、なにがいけないんですか。
 いや、まあ、その、、なんだな、早く言えば、デザインがドヘタってことかな。
 そう言ってくれりゃ、ちっとはわかる気がするけど、それでもどこが下手なんですか。
 どこがって、、、そう、全部下手なんだな。
 それじゃあわかりませんよ。庶民のあっしたちは、こういうの大好きなんだがなあ、いけませんか。
 ああ、いけないね。で、先生たちにNO!いけないって言われたんで、横浜市と事業者とであれこれ協議して、デザインを直したのがこちらの絵だな、これでOKとなったらしい。
 へええ、この絵ですかい、で、さっきのとどこが違うんですか。な~んにも違わないような、、、ちゃんと観覧車は立ってるし、、、あ、ちょっと色が薄いかなあ、あたしゃ白内障で目が悪いので、そのせいですかねえ。
 う~ん、ま、八っつあんのいう程度の違いだな。正直なところほとんど同じだよなあ、どこが違うのかねえ。あ、ここに書いてあるよ。

●変更された外観デザインの概要
 変更協議では、建物のデザインコンセプトを見直した上で、外観デザインを修整したものが提案されました。
(1) 建物のデザインコンセプト
新港地区の建物群との調和を図るため、フレンチデザインを現代風にアレンジ。
(2) 主な変更箇所
ア 壁や屋根にガラスやメタル素材を採用してモダンな設えに変更し、開放性を高めるとともに、個性や風格を醸成した。
イ 建物全体の色調を淡く調整し、赤レンガ倉庫を引き立たせる色調とした。
ウ 低層部・中高層部で色調を変え、建物の圧迫感を低減させた。
エ 建物外周に設置を予定していたフェンスを取りやめ、開放感のある設えとした。
オ 夜間照明は低層部を中心とし、水面への映り込みを意識した魅力ある夜間景観を演出した。(横浜市の記者発表より)

 おお、前の案はハレンチデザインだったとはねえ。
隠 フレンチだよ。
八 え、あそうか、でも、なんでしょそれ、フレンチカンカンとかフレンチドレッシングなら知ってますけどね、あ、フレンチキスってのも、、、イヒヒ、なんかエロっぽいデザインだったりして。
 ばかだね、でも、なんだろうねえ、ちかごろ流行してるのかねえ。ほら、住宅展示場でみるちゃらちゃらしたデザインらしいよ。
 で、こうなるとハレンチデザインじゃなくなるんですかあ、へ~、どこが違うんだろ、形はほとんど同じでも、色を薄くしてガラスやメタルを使えば、ハレンチが抜けてモダンに変わるんだ、ふ~ん、こりゃ神技か手品ですね、建築家ってのはえれえもんだね、あっしにゃ何のことかわからんけど。
 濃い色だったのを淡い色にして、赤レンガ倉庫を引き立てるそうだよ。
 へえ~、でもね、これと赤レンガ倉庫とを一緒に見るのは、相当に難しい位置関係ですよ、なんで引き立て役になるんすかねえ。それじゃあ、ワールドポーターズやカップヌードルミュージアム、JICAなんかの真っ赤な建物は、赤レンガ倉庫の引き倒し役で邪魔をしてるんですかい、その審議会の先生とやらは、それらにイチャモンつけなくっちゃ。
 あ、いや、その、、、。ま、審議会の偉い先生はこうおっしゃてるよ。

都市美対策審議会(景観審査部会)の卯月盛夫部会長(早稲田大学教授)からは、「市・事業者双方が我々の意見を真摯に受け止め、この4ヶ月間努力して頂いた結果、デザインが大幅に修整されたことについては、十分とはいえないが、一定の評価をしなければいけない。ただ一方で、事前協議の進め方などには大きな課題が残ったので、今後このようなことが起きないように、制度の見直しなどについても早急に議論をし、改善を図っていきたい。」 とのコメントを頂いています。(横浜市の記者発表より)

 この「一定の評価」ってのは、どういう意味なんですかねえ。「評価」だけじゃあ上も下もないから「一定の」をつけてるんでしょうが、一定の方向は上なんですか下なんですか。
 あ、う~ん、そうだなあ、う~ん、「十分とは言えないが」とか、「大きな課題が残ったので」とかおっしゃっているので、これはやっぱり下のほうに向かって一定の評価をなさったと読むのだな、たぶん。
 それじゃあ、マイナス100点がマイナス70点かになっただけで、ちっともYESじゃないような気がしますよ。
 今日のお前は相当に理屈っぽいね。わかったよ、よくないけど、しょうがない、これからはちゃんとやれ、先生はそうおっしゃってるんだろうなあ、、、たぶん、、、。
 しょうがないで済むなら、審議会はいらないでしょ。そもそもなんでよくないのか、きちんと審議会が言うべきですよ、あっしにもわかるようにね。
 そうだけどね、デザインてものは感覚に訴えるのだから、どこがどう悪いと論理的には言えないものだよ。
 それじゃあデザインを偉い先生たちが集まって審議して決めるっていうのもおかしいですね。感覚的なことを合議で決めるって、とてもじゃないけど無理というか、おかしいでしょ。
 わかったわかった、もう暑いから西瓜でも食おう。ミカンもあるよ。
 おっ、逃げましたね、いいでしょ、そうしましょ、そうしましょ、スイカとミカンいいですねえ、、
   ♪酸いか甘いかこの美観(みかん)、、っと。

(このシリーズは、もうやめようと思ったら市からGOサインの発表があったので、ついつい続きを書く羽目になった、面白いので、続きをまたそのうちに書かねばなるまい)

このシリーズのこれまでのコラム一覧はここ

2012/08/19

659行く夏を惜しんで花火がビルの上に満開

 残暑のある夏の終ろうとする夜、横浜都心のビル群の向こうに花火が上がる。横浜港で打ち上げているらしい。音と光に若干の差がある。


 わたしの住む空中陋屋の外廊下から見える夏の年中行事だが、いまだにそばで見たことがない。
 あれは30年くらい昔だったか、横浜港の花火見物に友人たちとわざわざ来たことはあるが、10年前に近くに住むようになると、まあこれでいいっやって気分である。

 わたしがこれまで見た花火でいちばん満足したのは、小千谷市の若栃という小さな集落での打ち上げ花火大会であった。どうしてそんな小さな集落でやるのか知らない。
 狭い谷間の集落で打ち上げるのを、そばの丘の中腹の暗闇で見ていたから、目の真ん前でドカ~ン、ズド~ンと大輪の火の玉が満開、あたりは一瞬昼間の光景、すぐ闇に戻る。目の下の谷間の棚田の一枚一枚に映る花火の姿が美しい。

 少年時代の故郷の盆地では、河原で花火を打ち上げていた。
 今思えばそれは実にのんびりしたものだった。間を10分以上もあけて、一発づつ打ち上げていた。それでもみんな待っていたものだ。
 最後はナイヤガラの滝という仕掛け花火で終わるのが恒例であった。

 山の上の寺院で打ち上げる日もあった。これものんびりだった。
 盆地の街のどこからでも眺めることができるのだが、遠いから音がしてから見たのではもう終わっている。首を長くしてじっと山の上を見つめていないと、見逃すのであった。
 黒い山並みの闇の上に、小さく丸い花が咲くのは、幻想的であった。花火の遠さと記憶の遠さがわたしの頭でシンクロしている。

 今のように忙しく打ちあげるようになったのは、いつごろからだろうか。

658インタネット時代は自分の知らないところで自分の間違い情報が流れる

 インタネットで戯れに、自分の名前「伊達美徳」を検索してみたら、こんなページがあった。
http://orlabs.oclc.org/identities/lccn-n88-135089/
わたしが知らない間に、どこかの誰かがわたしを紹介する欄をつくっている。

 どうやってこの中の情報を採集したか知らないが、本人には何も問い合わせはないから、インターネットで拾ったのだろう。
 当然のことに間違いがある。「だてよしのり」で検索して拾ったらしく、著書の紹介には伊達吉徳さんとか伊達良則さんとかが執筆した本も紛れ込んでいる。

 China語の著書があるので、おかしいなあとクリックしたら、こんなページである。なんだろうこれは、、、。
http://www.worldcat.org/title/cheng-shi-zai-kai-fa/oclc/056411672

 どうやらわたしの著書の「都市再開発」(市ヶ谷出版社)のChina語版らしいが、そんなのがあったかしら。海賊版だろうか。

 伊達美徳をChinaの字で書くとこうなるのかと、しばし眺めた。「伊」はそのまだが、「達」は大違いである。「美」は同じだが、「徳」は「德」となっていて、これはChina漢字のほうが古いのがおかしい。わたしも戸籍名はこの旧字である。

 インタネット時代は、自分の知らないところで、間違った自分の情報が流れるおそれがあるとわかったが、どうやってこれを止めるかわからない。
なんにしても自分のつくるサイトで、自分ことを正しく発信しておくしか、ほかにやりようがないのだろう。
http://homepage2.nifty.com/datey/index3.htm#profile

2012/08/16

657歴史上の本人になってしまった古老のわたしが建築学会で語ることは

 来月のことであるが、名古屋に久しぶりに行くことになった。
 名古屋には1962年から5年間住んだことがあり、初めの2年が名古屋大学のそばのアパートに住み、ちょくちょく散歩に行った。
 広大な草原と低木の丘陵があったが、いまはもうキャンパスになってしまっているだろう。

 若い槇文彦の名作の名古屋大学講堂が、草原の向こうに白くまぶしく建っていた。
 名大の近くには南山大学があり、アントニン・レイモンド設計の校舎には、あの特徴的な赤い塗料が打ちはなしコンクリート壁に塗ってあった。

 あれから半世紀、しばらくぶりの名古屋大学では、日本建築学会の大会があって、そこでのパネルディスカッションに参加を要請されたのである。
 そのPDが、なんと学会で「若手推奨」なる研究会である。わたしが若手でないことは当たり前であって、実はその若手研究者から昔のことを語れと言われたのである。そう、古老の昔物語である。

 なんでも40歳までの若手研究者が集まって、「前現代」なる時代につくられた都市や建築について研究しているのだそうだ。「前現代」とは聞きなれないが、簡単に言えば1945年から1970年あたりまでを言うのだそうだ。
 つまりその頃がようやく研究対象の都市・建築史の範疇に入ったのである。だから、わたしもその研究範疇に入ってしまったので、お呼びがかかったというわけである。
 要するに「歴史上の本人」(これは南シンボウの命名)に、わたしもなったのである。

 何の話を期待されているかというと、戦後の都市復興時代の都市の建築である。
 戦争直後のころは、日本の多くの都市は戦中の空爆と、その頃たびたび各地で起きた大火によって破壊されていた。
 それを1950年代の半ばからようやく復興へと動き、土地区画整理事業による基盤整備と合わせて、不燃共同建築による街並み形成を進めたのであった。
 その全国各地に建った不燃共同建築は、今も各地の中心部に生きている。その頃の民と官との連携によって市井の人々の協同による努力の結晶として、都市の復興に寄与したのである。

 だが、それら市井の建築は、特に美しくもないから、当時の苦労を評価する人もなく、次第に建て替わっていく。
 あの50年代から60年代にかけての、市井の人々の都市復興にかけた動きを、ここで歴史的に評価しておくべき、今それをやっておかないとできなくなると、わたしは気にしていた。

 そしてここに幸いにして、若手研究者が目を向けようとしている。古老は語っておくべきであろうと、久しぶりの名古屋、久しぶりの学会大会出席である。
 そのパネルディスカションの概要は下記の通り(学会の告知よりコピー)。

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■前現代都市・建築遺産計画学的検討[若手奨励]
特別研究――パネルディスカッション
「前現代」の都市・建築遺産としての可能性を問う

9月13日(木)9:00~12:30 工学部7号館701室

司会  倉方俊輔(大阪市立大学)
副司会 中野茂夫(島根大学)
記録  小山雄資(鹿児島大学)・石榑督和(明治大学)

1.主旨説明 中島直人(慶應義塾大学)

2.主題解説
・設計者として語る前現代遺産
        伊達美徳(まちプランナー)
・昭和の都市、建物の魅力をどう伝えるのか
        鈴木伸子(編集者、ライター) 
・前現代の都市・建築遺産の都市史・都市計画史的意義とその現状
        初田香成(東京大学)
・身近にある前現代建築の魅力とその活かし方
        高岡伸一(大阪市立大学、ビルマニアカフェ)

3.討論
 コメンテーター:北垣亮馬(東京大学)・青井哲人(明治大学)・中尾俊幸(アール・アイ・エー)

 「前現代」は「現代」ではないが歴史として画期が確定したわけでもない、近過去のある時期を指す造語である。
 40歳以下の委員で構成される「前現代都市・建築遺産計画学的検討[若手奨励]特別研究委員会」では、戦災復興期以降、1970年前後までを「前現代」期と設定し、この時期に生み出された様々な都市・建築空間の遺産価値やまちづくりへの活かし方について研究を進めてきた。
 今世紀の都市は、そのありようを肯定するにせよ、否定するにせよ、事実としてストックに埋め尽くされている。そして、我が国における建築ストックの多くは「前現代」期に建設されたものである。
 しかし、そうしたストックは、エイジング=老朽化という図式の下、特に次なる大震災への備えの意識から、耐震性の不足という理由ですでに更新の対象となり始めている。
 我が国の都市の近代は「歴史を消し去る歴史」であったが、これからもその歴史を繰り返すのだろうか。少なくとも、今まだその多くが健在のうちに、それらの遺産価値について議論し、それらを使い続け、都市を成熟させていく、都市生活を豊かにしていくアイデアを用意しておきたい。
 近年、前現代の遺産に対するまなざしは確実に豊かになってきている。かつての近代建築の遺産評価の主流であった作家論や意匠論ではなく、都市論、生活論との結びつきをより強めている。日常生活の中に、これらの「少し古い」ものを自然と取り込む人が増えてきている。
 本パネルディスカッションでは、委員会での議論を土台としつつ、開かれた議論の展開を目指す。実際に設計した立場、魅力を伝える立場、それを日常生活に取り込み、活用を試みる立場、再開発事業に携わる立場など、異なる立場から、前現代の都市・建築遺産とは何か、それをどう評価し、どうまちづくりに活かしていくのかを議論したい。
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●参考
◆大阪立売堀:40年目の防火建築帯は健在
https://sites.google.com/site/machimorig0/itachibori
太田:わが30歳の大仕事・南一番街の30年後の大変貌2001)

https://sites.google.com/site/machimorig0/oota-minamiitibangai

◆横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/yokohama-sensai-fukko
◆戦後復興街並みをつくった市井の人々
https://sites.google.com/site/machimorig0/tosinosengo-syohyo
◆日本の都市再開発コンサルタント史(1991)
https://sites.google.com/site/machimorig0/saikaihatu-consul

2012/08/15

656古本41冊403円の寄付とは申し訳なかったなあ古本屋さん

 このブログの8月9日記事に、津波被災地の陸前高田市の図書館再建支援について、ささやかな寄付をするために、古本を送ったことを書いた。

 前に同じようなことで送ったのが、なんだかよくわからないままなので、こんどは試験的に安価な古本を送ったのであった。
●参照⇒653陸前高田市の被災した市立図書館再建プロジェクトに古本を送った http://datey.blogspot.jp/2012/08/653.html
 今日、きちんとした寄付受領書が来た。
 わたしの送った古本の買い取り金額は、なんとまあ403円で、これが寄付金額である。
安い、ささやかとは思っていたけど、41冊で403円とはねえ。

 これでは着払いで受け取って買い取った古本屋さんは、送料も出なかったことになる。
 以前に変なことがあったので慎重になったとはいえ、誠に申し訳ないことであった。
 こんな安いエンタテインメント系の本ばかり受け取っても、迷惑であったろう。

 次は専門書も入れて、少しは高く売れる本を送ろうと思う。 
 でも困った、わたしには古本のこちらの買値はわからぬでもないが、あちらの買値は見当がつかないから、さてどれにしようか。
 わたしがこれは貴重だ高いぞって思っている本が、世の中ではただの屑紙かもしれないからなあ。

2012/08/14

655邪魔なオリンピックがようやく終わってもまだ高校野球が、、

 今日(2012年8月14日)の朝日新聞朝刊の全36ページのうち、オリンピック記事がおよそ7ページ半も占拠した上に、高校野球の3ページを合わせると、なんと記事の3割がスポーツである。
朝日新聞はスポーツ新聞になったのかよ~。
わたしが読まないそのページ分を除いて、新聞購読料を7割にせよ。

それでもパラパラとめくると、目にひっかる記事もある。
韓国のサッカープレイヤーの一人が、竹島(独島)の領有に関する主張を書いた紙をもって、競技の直後に会場を歩いたとかで、オリンピックに政治を持ち込んでけしからんとて、罰せられそうだとか。

オリンピックてのは、筋論としては個人競技なのだそうだ。
それなら、国歌をなぜ流すのか、国旗をなぜ掲揚するのか、なぜ国旗をまとうのか、なぜ新聞は国別メダル個数を書くのか。
他の新聞やTVは見ないからどう報道されているか知らない。ほかじゃあオリンピック報道を全然やってなかったりして、、。

あのね、オリンピック競技を国別対抗にしてこれだけ煽っていながら、政治を持ち込んでけしからんなんて、チャンチャラおかしいじゃんかよ。
そもそも国家ってのは政治そのものなんだから、あおられたおバカにして純粋な?プレイヤーが、そんなことするのも当たり前でしょ。
そもそも国対抗競技会にしちまったのが大間違いなんだから。

そうだ、こうなったら、領土紛争をオリンピックで解決するってのはどう?
紛争国に所属するチームやプレイヤーが競技をして、勝ったほうが所属する国の領土にすることにするのはどうか。
それでもまだもめているなら、4年後に再競技でまた次の4年の帰属を決めるのだ。
8年後、12年後、16年後、20年後、、、あれ、紛争解決にはならないかもなあ、。
それでも、人殺し戦争で解決するよりも、はるかに良いだろう。

なんにしてもオリンピックがようやく終わってくれて、これからはちゃんとした新聞が来ると思うと、ほっとする。
アッ、そうじゃない、まだ高校野球があるんだ、いやンなっちゃうよ~。

2012/08/12

654オリンピックマラソンでTVロンドン見物したけどつまらない

初めてロンドンオリンピックをTVで見た。
正確に言うと、競技じゃなくてマラソンで走っているロンドンの風景を見た。

競技はどうでもよいので、音を消してロンドンの都市風景だけを見るのだが、奇妙なことに同じ風景がまた現れた。
あれ、録画したのを見せているのかと思えど、どうもさっきとは違うようだ。それが3回目ともなると、ああそうか、同じところをぐるぐる回らせているんだとわかった。

なるほど、こうすれば沿道の応援見物人たちは何度も見られるし、警備の人員数も減らせるし、道路の交通規制範囲も狭くて済む。
でも、風景を見たいこちとらには、つまらないことになった。

時々、半秒くらい選手たちがパッと止まることがある。さすがにオリンピック選手たちはすごい、こうまでみんな揃って一時停止姿勢は普通はできまい、すごいなあ、と思ったら、沿道の応援客も止まっているので、なんだ、電波のせいか。
画像がグラグラ揺れる時もあるが、ロンドンから日本に来る電波が、宇宙の人工衛星にでも引っかかるのだろうか。

3回も同じ風景となると、さすがに飽きて、TV見るのをやめた。
これを書いている今も走ってるが、もう興味はない。
風景を見ていて大して面白くもなかったが、街のビルに看板がほとんどないのが不思議なくらいだったのが印象に残った。

●参照
032オリンピックマラソンの風景
http://datey.blogspot.com/2008/08/blog-post_24.html
オリンピックで浮かれても戦争したイギリスと日本は複雑な間柄
http://datey.blogspot.jp/2012/07/644.html
645オリンピックをやってるらしい、その上に高校野球まで、困ったもんだ
http://datey.blogspot.com/2012/07/645.html
027オリンピックをやっているらしい
http://datey.blogspot.jp/2008/08/blog-post_08.html
008水泳競技特別措置法
http://datey.blogspot.jp/2008/06/blog-post_10.html