2013/07/19

809【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・3】谷底の落合坂を行く(その2)崖の上下の極端な出会いの風景

麻布我善坊谷・2】からつづく

3.落合坂を行く(その2)我善坊谷底街の北側風景

 この谷底街を東西方向に貫く幹となる落合坂から、東西方向の左右に枝となる幅1間足らずの路地が何本も出る。落合坂に面する各敷地の形は、間口が狭くて奥行きが深い短冊状なので、敷地の奥にも何軒も住宅が建っている。そこにアプローチするために路地ができたのだろう。
 その路地の奥行き長さ10~20メートル程度で、南北ともにそれぞれ飯倉台地と仙石山の崖下に突き当たって、行き止まりになる。

 この路地の奥から台地の上に登ることができる坂道は、北に我善坊坂、南に三年坂という名の坂道が、南北それぞれ一か所しかない。階段でも急坂でも技術的にはつながりそうなものだが、要するに歴史的に上下の街をつなぐ土地利用の必要がほとんどなかったのだろう。
 その谷底と丘上との社会的乖離の事情に、おおいに興味をそそられる。

 谷底の街並みは、木造家屋やアパートが多いが、建ててから年数の経ったような共同住宅ビルもいくつかある。
 なお、谷の東西の出口あたりに高層のビルが集まるのは、放射2号と桜田通りの広い道路があることと、その道路沿いの都市計画による容積率が谷の中よりも高いことによる。

 わたしは西側から入って東に抜けたのだが、だんだんと人の気配が無くなって、東に寄るほど空き家、空き地が多くなってくる。たいていの空き家には、「立ち入り禁止、巡回監視中、森ビル」との貼り紙がある。森ビルが買い取ったのか、それともなにかの都合で管理しているのか。

 空き家のままにしておく理由で考えられることは、法制度による市街地再開発事業をおこなうので、事業前に取り壊すよりも、事業が始まって壊すほうがいろいろと都合がよいということかもしれない。
 実は後で調べたら、この地区には市街地再開発準備組合が結成されているのであった。どのような街になるのかまでは分からないが、アークヒルズや六本木ヒルズのような、森ビルが主導する再開発予定の地域であるようだ。

 東京の高級住宅地イメージの麻布台なんて、しゃれた名前の街のくせに、谷底街だし、空き家だらけだし、人影はめったにないし、なんだか異界の感じもする。
 しかし、人はそれなりに住んでいるようだ。決してゴーストタウンではない。共同住宅のバルコニーには洗濯物があるし、路地の奥ではなにか家事をしている人の姿も見かける。
 ただ、人が住まない家に蔦が絡み、冒頭に書いたような緑の家がいくつの登場してくると、なんとなくゴーストタウンへと進んでいる(退行している)気配が感じられるのである。
 特に北側には、仙石山の上の超高層建築群が立ち並んで見えて、谷底の狭い路地と低い家々を覗き込む風景が続く。それはゴジラの群れが谷に足を踏み入れて、いまや踏み潰そうとしているかに見える。

 もういちど我善坊谷の地図である。

ついでに我善坊谷の空中からの全景も見ておこう。(いずれもgoogle earth)


では、我善坊谷北側の崖の上下の対比の風景をどうぞ。消えゆく風景の記録写真である。 わたしはこういう極端な対比の風景を、あちこちで面白がって蒐集しているのだが、ここではたくさんの収穫があった。




吉田苞竹記念館に付属する由緒ありそうな木造建築と後に土蔵が見える





 落合坂を西にやってきて我善坊坂を見上げる
 我善坊坂

我善坊坂の途中から振り返って南を見ると釈迦殿と東京タワーが見える

我善坊坂から東は空き地が多くなる


桜田通り近くになると北の仙石山は低くなり、城山開発あたりが見える
突き当りは大養寺の下あたり

 大養寺の下あたりは路地から更に狭い路地が派生する

路地の奥には空き家に挟まれて稼働している町工場もある



このあたりは空き家が増えてきて、それらにこの張り紙がある

こうやって北側の風景を見てきて、崖の上には超高層建築が建ちなら巨大開発があり、崖の下に中低層の建築群の町並みが立ち並ぶ、その風景のあまりに対照的なことを楽しんだのである。
 地形が複雑な東京という都市における、都市化の変化の歴史的動きを、実にわかりやすい対比で見せてくれている。

そしてその変化をリードしている企業がいる。このあたりのディベロッパーである森ビルによる事業であるらしいのだ。崖の上の超高層ビルの多くは、江戸時代から現代に引き継いできたいくつもの大名屋敷跡の広大な敷地を種にして、それらの周りの小宅地を合わせて統合しつつ広大な用地をまとめた現代都市再開発の現れである。
 そして、崖下の街もまた森ビルによる空き家巡回警備の貼りり紙で見るように、次の変化をリードしつつあるようだ。
 この森ビル再開発のことはことは後でまた考察したい。

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伊達美徳=まちもり散人
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2013/07/17

808「名ばかりマンション」をいまどき売る人買う人の気がしれない

 「マンション」(わたしに言わせると「名ばかりマンション」、マンションとは大邸宅のことだよ)が、南関東で好調に売れているのだそうだ。
 この区分所有型集合住宅(日本のマンションを正しくはこういう)を、いまどき売る人買う人の気がしれない。
 そりゃまあ、消費税が上がるとか、金利が上昇するかもとか、資材値上がりで高騰かもとか、あるんで心配してのことしょうけど、今するべき心配は、そんなことじゃなくて、大地震だよ。

 阪神大震災、東日本大震災で、被災したマンション(区分所有型集合住宅)の復旧や建て直しは、実に難しい問題があるんだと暴露されたのをもう忘れたのかい。
 姉歯事件てのもあって、賃貸型は解決が早かったけど、分譲型は未だ全部は解決してないらしいよ。

 この写真は、1995年神戸でわたしが撮ってきたもの。


 次は東海トラフが大暴れして、南関東から九州まで日本列島は大揺れ、大津波って、このところ脅迫的なニュースが出ている。大量の名ばかりマンション難民が出てくるぞ。
 本当に、そんな名ばかりマンションを買ってもいいんですか、みなさ~ん!

 とにかく金持ちも貧乏人も、区分所有ビルというひとつの船に平等に乗っていて、壊れて修繕するも、作り直すも、全員が平等に金を持ち寄ってOKしなきゃできないんですよ。
 必然的に貧乏人が足をひっぱって、大修繕も建て直しもできないってことになるんですよ。あなたはお金持ちですか。わたしは足引っ張り役になりたくない。

 壊して土地だけにしても、一戸の持分は猫の額もない狭さだし、共有地だからままならない。要するにどうしようもない不良資産になるんですよ。そして大借金も残るんですねえ。
 マンション難民が大量に出てくる次の大地震まで、わたしは生きていたくない。

 まあ、わたしは貧乏人だし地震がこわいから、借家に住んでますけどね。ここが被災したら、遠くにある戸建て持ち家に移るつもり。
 とにかく、名ばかりマンションを買うのは、おやめなさい
 もう買ってしまった人は、次の大地震が来る前に売り逃げしなさい。せめて、わたしのように、一棟すべてが賃貸借の集合住宅ビルに移りなさいよ、財産を失うことはないし、壊れビルと猫の額土地という負の財産を背負うこともない。
 大地震、明日来るかもしれないよ。

参照:くたばれマンション
https://sites.google.com/site/machimorig0/#tosikyoju

2013/07/16

807【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・2】谷間の底の落合坂を行く(その1)


(【麻布我善坊谷その1】のつづき)http://datey.blogspot.jp/2013/07/806.html

2.我善坊谷底の落合坂を行く(その1)

 では徘徊開始!
 六本木駅で地下鉄を降りて、駅付近の街の変化をウロウロと眺める。
 地下鉄駅上の「ラクロス六本木」というビルには、わたしも昔に開発にかかわったことがある。岐阜県が土地の一部所有者だったので、県のコンサルタントをしたのであった。現ビル内を見ると岐阜県は撤退したらしく、県のアンテナショップも観光案内所もミニシアターもなくなっている。
 当時の梶原さんとい県知事が主導した、岐阜県を東京を通じて全国に売り出すプロジェクトだったが、どうしたのだろうか。

    

にぎやかな六本木通りの裏道にはいると、墓場はまだ健在であった。繁華街のすぐ裏がこれだから面白い。向こうに見える超高層が墓石と競い合っている。すぐそばにも再開発ビルが建っている。
 もうこのあたりならビックリする程でもない変化の街を、プチ浦島太郎気分で眺めていた。
 起伏が多い街である。要するに山をそのまま街にしたのである。しばらく上り下りする細い裏道をヨロヨロ歩いて、アークヒルズの南、泉ガーデンなる巨大ビルの前までやってきた。

 もう10年以上前になったが、アーク森ビルに慶応大学院の教室があって(今もあるか)、都市空間論の講義をしに週1回、5年ほど通っていたことがあるから、このあたりは記憶にある街である。
 その記憶では、このあたりは坂道だらけの路地に、ちまちました家やらお寺が立ち並んでいたような気がする。巨大ビルと言えばアークヒルズくらいなものだった。今はたくさんの超高層ビルが立ち並んでいてずいぶん変わっているようで、浦島太郎気分になる。

 でも巨大開発にはもう興味がないので、そちらには背を向けて、今日のお目当ての街へとさらに南へ都道放射2号脇の「行合坂」を南に下る。
 
 行合坂の谷底から放射2号を背にして東に左折、ようやくにして本日の狙いをつけた「我善坊」に、西から入った。町名に台とついているから尾根かと思ったら、意外にも谷底の街だった。
 この谷底の中央を東西に走る道を、「落合坂」というらしい。坂と言ってもかなりなだらかに下って行く。左右の街並みの奥に急な崖が立ち上がって、谷底街を挟み込む。
 おお、この両側のゴチャゴチャ下町的雰囲気は、あきらかに高級住宅街イメージの麻布ではないなあ、丘も谷もいっしょくたに麻布台と町名変更したらしい。
 江戸時代は我善坊丁、近代になって麻布我善坊町だったけど、そりゃあ麻布台のほうがイメージは良いのだろうが、でも、なんだかなあ。

 なお、谷底街の東部の谷がおわって桜田通りの平地に開けるあたりは、かつては「西久保八幡町」といい、今も麻布台ではなくて虎ノ門と言っている。しかし、ここでは東西分けて呼ぶのが面倒なので、この谷底の全部を「我善坊谷」とよび、中央を東西に串刺しする道の全部を「落合坂」とよぶことにする。

 まず我善坊谷あたりの拡大図。

車のすれ違いも難しい谷底の落合坂が東西方向に通り、やがて東の飯倉、神谷町方面の桜田通りに谷を抜け出る。
 道の両側には低層の木造住宅やアパートが並び、一部に中高層の集合住宅ビルが挟まる。その背後は高さ30mほどの崖であり、その上の尾根から巨大なビル群が谷間を覗き込んでいる。
 この谷地の南側が飯倉台地、北が仙石山とよばれている。

 ここで記録としてわかりやすく写真を整理して載せる。実はグーグルストリートでこの道を見ればよく分るので、ここには精選して載せる。ただし左右の路地や坂などの面白さはグーグルストリートではわからないので、あとで詳しく載せる。

 まずは落合坂を、西から東へ向かって進みつつ見る風景

落合坂の正面に霊友会釈迦堂の大きな黒いピラミッド屋根が見える
この谷間の東のランドマークとなっているが、ちょっと不気味な感もある

左に仙石山の上にある集合住宅ビルが顔を出すのだが、
谷底から見上げるとかなりのスールアウトな風景
このほかにも超高層ビルが見下ろすのだがゴジラの群れみたい

低層の町並みの正面の霊友会の右に東京タワーが現れた
谷は前後左右からビルやら塔やらピラミッドやらに見下ろされる

途中にクランクがあるのは江戸期は警察官舎の街だったからか?
風景としての霊友会釈迦殿と東京タワーのとりあいは悪くないのだが、
あのスキャンダルで有名だった宗教団体のイメージがどうもなあ

手前も向こうも霊友会、このあたりは広い空き地、空き家が多い
ここから右に三年坂を登ると飯倉台へ、左に我善坊坂を登ると仙石山
  
ようやく霊友会から解放されて飯倉台の東端の八幡宮の森が見える


向こうに桜田通りが見えてこれで我善坊谷は終わり

今度は逆に落合坂を東から西に進んで見る景色

桜田通りから入ると道がクランクする
ここから右に路地を入ると大善寺、左の路地は八幡神社の森に登る

左の八幡神社の森が切れると霊友会の巨大施設が表れる
このあたりは一面の空き地で、開発を待つ雰囲気

左は霊友会、右に高く見えるのは仙石山の森ビルによる開発

この十字路を右に行くと我善坊坂で仙石山の森ビルによる巨大開発へ、
左に行くと三年坂で霊友会釈迦殿の裏から飯倉台へ
左右の山上の巨大ビルと谷間の低層住宅や空き地との対比が興味深い

西の向こうの奥に見える高いビルは六本木ミッドタウン開発
右の高層ビルは仙石山の上の開発

地名に台とついているのがおかしい谷間の町並み

高層の集合住宅もいくつかある

この下町らしい風景は近い将来に大規模開発によって消えるらしい


 というわけで、写真が多くなったが、近く消えてゆく風景の記録のためである。


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伊達美徳=まちもり散人
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2013/07/12

806【東京路地徘徊:麻布我善坊谷・1】谷底に緑に覆われた家々がひっそりと立ち並ぶ東京の秘境か

 建物をツタの葉で覆い尽くした建物に、街でときどき起き出くわす。なかなか恰好が良い。
実はわたしも鎌倉の谷戸の奥に住んでいた頃、自分の家をそうしたことがある。格好良いと悦にっていたら、実はこの蔦に木造建物を浸食されて、腐食しつつあることに気が付いて、あわててはエイヤッベリベリと引きはがしたら、外壁に貼った板壁ごと倒れてきたのには驚いた。

 さて、先日徘徊した街は、その緑の家の宝庫であった。これほども出会う秘境は少ないだろう。まずはその一部を公開して、この街を徘徊した話に入る。






1.東京麻布の谷間の街の興味深い現在から過去と未来へ

 健康のためというよりも、好奇心で街なか徘徊をよくやっている。
 基本的にはご近所での街なかを、ふらふら適当にやる。時に遠くに用事があって出かける場合は、用事のある目的地にまっすぐに至らないで、ちょっと離れた場所から、おおざっぱに見当つけて、徘徊寄り道して着くようにする。
 要するに、好奇心と有り余る暇とを同時に消費し、無い金を消費しないという、一応は合理的な行動のつもりである。

 この時、わざわざ徘徊する距離と時間が、事前の検討課題となる(大げさに言えば)。
 10年くらい前までは、仕事などで忙しくて時間のないことが問題だった。いまは時間はいっぱいあって、これは問題はきれいに解消した(きれいすぎてヒマすぎるという問題が発生た)。
 ところが距離については、かつてはかなりの距離を歩いても平気だったが(65歳の時、1日に30km歩いたことがある)、いまは肉体的衰えが持続歩行距離をどんどん縮めていくのらしい。今や2、3時間でへこたれるのが、なんともなさけない。
 つまり、時間と空間は反比例するという、物理学ならぬ生物学の新法則をわたしは発見したのである。

 そこで最近は、目的場所の3キロ程度手前の鉄道駅から歩くことにして、その徘徊路線を地図をにらんで考える。
 その路線選定基準は、以前によく知っているところで、長らくご無沙汰しているところがよい。その後の変化を見て、浦島太郎気分を味わうのである。乙姫の連れがいないのがキズだが。
 あるいは、まったく知らなくて、しかもゴチャゴチャグネグネしている街である。土地区画整理事業やら近頃の大規模再開発やらがされていないところである。そこでは、もしかしたら昔の日本の街の姿を見ることができるかもしれないと、老人らしく懐かしむ楽しみがある。

 そうやって選んだはじめて行く知らないところでも、ただ地図をにらむだけで決める。
 今ではインタネットで大方の場所について詳しい情報を事前に得られるのだが、ぶっつけで行く方が面白い。時には期待が空振りもするが、どうせ遊びだから、それでよい。

 今回の最終目的地は東京は港区の愛宕山の麓である。そこで夕方から飲み会がある。
 六本木あたりから出発が良かろうと、地図でゴチャゴチャグネグネ街を探したら、見つかった。麻布台一丁目あたりである。東京や横浜でこういうところは、たいていは尾根筋か谷筋かである。
 ここを中心にして前後によく知っているがご無沙汰の地の、六本木駅あたり、アークヒルズ付近、神谷町元パストラルホテル付近、虎ノ門環状2号線工事中あたり、愛宕下路地などをルートに組み込んで、その地図をプリントした。準備はここまでである。

 これから書くことは、いかにも知ったかぶりの記述をするが、現地写真のほかは、実は帰宅後にインタネットや図書館で調べた結果である。
 こういう徘徊はしょっちゅうやっているのだが、収穫があることは少ない。面白いことがあれば、このわたしの主宰する「まちもり通信」サイトや「伊達の眼鏡」ブログに載せることにしている。

 今回ここに載せるのは、知らないないままに入り込んだ谷間の街が、どうもアヤシク変だったからである。異界のごとき感じにおおいに興味がわいて、ここに記録に残すことにした。
 インタネットには、この街ことを書いたのページがたくさん出てくる。だがどれも踏み込みがない記事ばかりで隔靴掻痒の感がある。
 そこで自分で靴の中に手を突っ込んで痒い水虫を掻いて踏み込むことにした。ヒマなな徘徊老人のお遊びレポートである。

 とりあえず、これが徘徊した道筋である。青線が1回目、緑線が2回目。
   出発の六本木駅から目的地の愛宕までは、普通に歩けば30分くらいだろうが、ここを3時間もかけて歩いた。まんなかあたりに狙いの港区麻布台1丁目がある

 帰宅後に調べたら、この谷は「我善坊谷」というらしい、江戸時代は下級武士の与力同心の社宅地だったらしい、永井荷風正宗白鳥など文士が居たらしい、どうやら近いうちに消える街らしい、などなどを知った。
 そこで、興味がわいて、見落としたところを見に、もう一度行ってみた。この熱中症になりそうな猛暑の真昼間を、ふらふら2回も徘徊するわたしに、なにやってんだいと自分で言いつつ。                   (つづく


大きな地図で見る
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伊達美徳=まちもり散人
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2013/07/08

805【東京路地徘徊】愛宕下の路地は今や空き地だらけでもうすぐ超高層ビルでも建つのかも

 久しぶりに港区愛宕1丁目の日本都市計画家協会に行く。近くの神谷町駅からまっすぐ行っても面白くないので、わざわざ六本木駅で降りて、大回りしつつ山坂を越えつつ、3時間もこの暑い中を歩く。
 われながらご苦労なことであるが、徘徊は唯一の趣味だからしょうがない。この徘徊で「我善坊谷」という実に興味深い路地を発見したのだが、それは別に書く
 ●大回り徘徊コース

 一応は愛宕神社に敬意を表するために、参拝なんてしないが、講談でおなじみの(いまやおなじみじゃないかなあ)間垣平九郎の出世話の舞台である石段の前までやってきた。

  歩いて登ろうかとちょっとだけ考えて、足をエレベーターに向ける。森蛭と森虎が愛宕山のお寺を開発したときに造ったやつである。
 簡単に山頂のNHKの脇に着く。ここで日本はじめての放送をしたそうだ。
 エレベーターの目の下の愛宕山麓まで、巨大な空き地化が進行中で、もうすぐ開発が始まりそうだ。ここも森蛭か森虎かだろうか。

 神社境内には、平九郎さん花咲く枝を折って将軍に持って降りたという梅の木がこれだと、もう命枯れ枯れの木の根元に案内が書いてある。調べると1634年の出来事とあるから、あれから380年も経っているから、何代目かの梅だろう。
 石段を上から見下ろすと、これは怖い、ここを馬に乗って降りたなんて、ウソでしょ。


 下りは裏の車用のスロープをあるいて、愛宕下の路地に出る。ここはかつて都市計画家協会に通っていた頃に興味を持って観察してきたところである。
 虎ノ門から神谷町にかけては、次々と大きなビルに建て替えられてきているのだが、ここ愛宕山の裏麓は、小さな住宅が縦横の狭い路地にひっそりと立ち並んでいる。
 ここがいつまでこの姿のままだろうかと気にしながら、定点観察していると、ポツンポツンと空き地が増えていく。
 路地の表通りに面した一皮は、中高層のビルが建っているが、このあたりの再開発の勢いだと、それらも呑み込んでいくだろう。
 久しぶりに愛宕山から降りてきてその路地に足をふみれると、以前よりもずいぶんと明るい。ということは空き地がぐんと増えたということである。

雑草が生える路地に、黒猫が悠然と歩くだけで、人影はない。
 路地の向うの上空に、とてつもない巨大なビルが建ちつつある。環状2号線いわゆるマッカーサー道路の真ん中に立つ森蛭の再開発ビルである。




そうか、このあたりにも蛭か虎が蔓延しているのだなあ。ということは、ここの路地の表にある都市計画家協会のいる小ビルも、風前の灯なんだろうなあ。
 森蛭がやってきたら、しっかり立ち退き料をいただいてくださいよ、それで貧乏な協会財政の立て直しをして、再開発に協力して、、、なんて取らぬ狸か…。

 
 最後に、愛宕裏麓路地の1997~2012年空き地(赤点)進行具合いをご覧ください。