2019/07/21

1411【デジャビュ】また出会った60年代と90年代の人物と事件、日本列島は右へ右へと昔に戻る方向に回転中か

●デジャビュその1:また似た様な結果なんだな

 参議院議員選挙の結果が出た。よくわからないが、いつもと変わらぬ感が強いなあ、だから毎度毎度変ることを待つ身には、またかよってデジャビュだよなあ。
 全体として積極改憲派勢力を議席数3分の2に届かせなかったことが、大数の法則を維持してるのか。
 沖縄の抵抗の相変わらぬ一方で、あの核毒被災地の福島では相変わらぬ自民当選、この対比的なデジャビュ感はなんなんだろうか、地続きと島国の違いか、貧しい中にも矜持か。
 そしてまた、秋田・岩手・山形・新潟の野党候補者当選という、東北地方の大きい変化の中でも、福島の相変わらぬ自民支持のデジャビュ、この対比はなんなんだろうか。
 意外にも愛媛県で自民落選、あ、そうか、今治の加計学園大学問題の影響か、もう忘れそうになっていたがデジャビュ、地元じゃうんざりをなんとかしたかったか。
 れいわ新選組なるアナクロネーミング党は2人当選とて、ここだけはデジャビュ感一切無し、考えようによっては究極の良い意味でのポピュリズム政党かもなあ。

●デジャビュその2:野末陳平が生きていた
 
 参議院議員選挙、東京選挙区の開票結果に、「無所属 野末 陳平 元 87歳 当選:4回 元参議院大蔵委員長元放送作家 91,194票(1.6%)」、おお、なんだか懐かしいぞ、見たことあるぞ、デジャビュだぞ、
デジャビュ陳平さん 懐かしや、生きてますか
そう、あの陳平さんだよ~、1960年代のこと、野坂昭如と組んで黒メガネの不良振り知識人オッサン。
 そうか、87歳かよ、今や泡沫になりつつも、まだ生きてるのね、お互い高齢社会に生きてると、デジャビュが多くなるな。

●デジャビュその3:半世紀前極右の赤尾敏の再来か
参議院議員選挙、おお、飽きもせずに憲法改正を辻演説する自由民主党総裁の安倍晋三………え~と、なんだかデジャビュだなあ、。
 あ、そうだ、大日本愛国党総裁の赤尾敏を思い出した。
 1960年代からだったか、憲法改正して再軍備せよと辻説法を続けた人である。数寄屋橋公園でよく見かけたが、あのころは極右政党の親分の言うこととて、まともに相手にする人はいなかった。

 この懐かしの赤尾敏総裁の選挙ポスターを読めば、「紀元節復活」と「日米安保条約強化」は完全実現しており、「社会党打倒」と「憲法改正」そして「再軍備促進」はほぼ実現の方向にあり、おお、すごいなあ赤尾敏、時代の先駆け、早すぎた右翼かなあ。
 でも、共産党非合法化と創価学会撲滅はまだまだのようだな。

 あれから日本は右へ右へと回転して、う~む、あの極右ゲリラの赤尾敏総裁がの言説を、今やゲリラならぬ政権を握る安倍晋三総裁が、選挙演説で堂々と唱えている。
 う~む、すごいなあ、今や世は極右時代になったんだなあ、長生きすると面白いことに出くわすもんだ、こちとらはもうすぐ死ぬから、あとは適当にやってくれえ。

 実は3年前の参議院選挙でも、伊達眼鏡ブログに書いていた。
https://datey.blogspot.com/2016/07/1202.html
 

●デジャビュその4:四半世紀前湾岸戦争参戦の再来か

 おお、またアメリカから戦争協力要請かよ~………、え~と、なんだかデジャビュだなあ、そうだ、湾岸戦争だったな、あれは。
 1991年にアメリカのブッシュ大統領から湾岸戦争協力を求められて、当時の自由民主党政権の海部俊樹内閣は、なんと90億ドル、つまり当時のレートで1兆2千億円もの大金を出した。

 憲法上の制約があるからとて、そのカネで自衛隊派遣を勘弁してもらったんだけど、事実上の参戦だったなあ。
 今度もまたアメリカのトランプ大統領からの要請、さて、また何兆円かのカネ出して参戦するのかしら、それとも今や憲法解釈変更で自衛隊堂々派遣かもなあ。
 どっちにしても、カネあるの??、いや、つきあう義理があるの??

2019/07/17

1410【映画「主戦場」を観た】日韓の情報量の非対称が今の両国問題の傷を深くしているようだ

 近ごろは映画と言えば、うちで寝転んでタブレット画面で観るばかりだが、今日は久しぶりに映画館まで出かけて行って、大画面の映画を観た。
 ちょっと評判の様な映画「主戦場」で、2時間も椅子に縛り付けられて肩が凝った。

 タイトルの『主戦場』とは、日本兵への性的慰安婦の戦場と言う意味らしい。かつての実際の慰安施設のあった戦場と、現在の日韓慰安婦問題で争いの戦場である。
 戦争は今も続いていて、軍隊による強制連行・強制性交の有無について、当事者活動家学者右翼左翼政治家入り乱れて、乱戦乱交の中である。

 その乱戦乱交連中に映画監督が個人的にインタビューして、インタビュイーの語る映像と既存資料映像を、どちらもコマギレに組合せつつ、なにが真実であるかを探る映画である。
 と書くとドキュメンタリー映画かと言うと、そうではなくて、むしろノンフィクション・エンターテインメント映画と言うほうがよいような気がする。
 一種の謎説きの面白さを見せるからである。そして謎が解けて真実はこうだと結論するのだが、それが本当かとも思わせる節もかなりあって、その虚実の面白さもあるエンタテインメント映画である。

 インタビュイーたちの氏名一覧(全部ではない)。 
 トニー・マラーノ、藤木俊一、山本優美子、杉田水脈、藤岡信勝、ケント・ギルバート、櫻井よしこ、吉見義明、戸塚悦朗、ユン・ミヒャン、イン・ミョンオク、パク・ユハ、フランク・クィンテロ、林博史、渡辺美奈、エリック・マー、中野晃一、イ・ナヨン、フィリス・キム、キム・チャンロク、阿部浩己、俵義文、植村隆、中原道子、小林節、松本栄好、加瀬英明、、。

 わたしでも名前くらい聞いた有名人もいるが、へえ、あの妙な発言する人は、こんな顔でこんな話し振りかと、面白かった。
 例えば杉田水脈、藤岡信勝、櫻井よしこ、加瀬英明たち、他人の話を聞かない本を読まない自信に溢れた傍若無人発言ぶりに、ちょっと笑えた。
 櫻井よしこって人は、昔々わたしもTVを見ていた頃は、夕方のニュース読みネーチャンだったのが、今や右派論客オバサンなんだなあ、こんな顔してこう話すのかあ。

 日本軍による強制連行奴隷慰安婦は事実としてあったとする「事実派」と、民間業者がやった売春宿であって軍による強制はウソだとする「虚偽派」の言い分を並べる。
 映画としてのその結果は、監督の意図する「事実派」の優位方向に編集されているのだが、観ていて別の監督なら同じ材料をつかって、虚偽派の方向へ編集もできるかもなあ、なんて思った。

 「虚偽派」の大きな論拠は、政府がこれに関する文書資料を探したが、見つからないので証拠がないから、事実ではないとする。
 「事実派」の最大の論拠は、現にその現場で被害に遭った女性たち何人もの証人の証言があるから、虚偽ではないとする。
 南京大虐殺事件の事実虚偽論も同じようなものだろう。

 このギャップを埋めるのは、いったいなにだろうか。
 明確に事実なのは、軍隊には兵隊の行く先々に慰安婦のいる施設を設けたことである。わたしはこの施設とその利用について、戦争体験者である父からと、インパール作戦生き残りの人からも、直接に聞いたことがある。それらの体験記を書くために調べる途中でいろいろの資料にも性的慰安所は出てくる。

 それが軍の施設であろうと民間の施設であろうと、そこで性を売る女たちが居て、そこで男の兵たちは女から性を買ったことは事実である。
 それは戦争が女たちをして、性を売るべき境遇に貶めた事実があったということである。人間抑圧の事実を見つめる必要がある。
 人間の歴史の真実とは何だろうか、という永遠の大命題を考えさせるのが、この映画監督の意図だろうか。

 ところで、日本の若者たちは慰安婦問題をほとんど知らないことが、映画の中で強調されていたのが気になった。
 1993年宮沢内閣の時に、従軍慰安婦問題について河野内閣官房長官談話が出されてから、学校教育のために教科書にも慰安婦問題が載るようになっていた。
 ところがこれに対する右派からの反撃が強烈に起こり、1997年設立の日本会議などの右派活動団体の政治的圧力で、2000年代のはじめに教科書から姿を消した。
 この映画のインタビュイーたちにも日本会議の重鎮が登場する。今の日本の総理大臣と財務大臣が、なんとまあ、この会議の最高顧問であるらしい。

 その教育不在の結果としていまでは、日本の若者はアジア太平洋戦争に起因する慰安婦問題を知らない。その一方で、韓国の若者は大きな問題としていて、例えば慰安婦像建立運動にかかわる。
 この日韓教育における情報の量と質の大きな非対称が、現今の慰安婦から徴用工へと問題をひろげ、更に経済へと日韓対立に傷を深くしているのだろう。

 ところが、この映画のインタビュイーたちから、上映中止の訴訟がなされたとかなされようとしているとかである。
 インタビュイーとしてはコマギレに切りとられて、前後の別の映像資料から比較されて、結果としてバカにされた形に編集されると、怒るのも無理は無いとも思う。
 もっとも、その騒ぎは映画宣伝になるのだから、監督にはありがたいことだろうし、織り込み済みだろう。

 映画不振と聞いているが、100人ほど入る映画館に9割ほどの客席が埋まっていた。まあ、わたしがわざわざ見に行ったくらいだからなあ、次は「新聞記者」をみようかな。

2019/07/11

1409【誤報と偏見】ハンセン病誤報の新聞トップ3記事から偏見の歴史をちょっと考える

 2019年7月10日に政府側敗訴のハンセン病家族補償裁判について、政府は控訴しないことにしたのだが、その10日の朝日新聞朝刊は、政府は控訴する方針と「大誤報」した。
 朝日は慌てて、その日の夕刊に政府控訴断念の記事と誤報お詫び記事を載せた。新聞屋としては恥ずかしいことだろう。
 わたしは、誤報しても新聞代を返してくれないのが、おおいに不満であるが、そのかわりにヒマツブシに面白がってやるのだ。

 朝日新聞は慰安婦問題とか原発報道とかで、世間とくにネトウヨ筋が誤報新聞と叩いてきているから、今回もいい餌食にされるだろう。
 ネットスズメには、なにかと政府と対立する朝日新聞に対して、政府筋から誤報誘導情報を流して陥れる作戦に、朝日がうまくはまり込んだ、などという面白い話もある。
 なんだか政治小説のようだが、ちょうど映画「新聞記者」が上映中で、そこに似た様な事件が描かれているとも言うので、その映画を観に久しぶりに映画館に行きたくなった。
 
 7月11日の朝日新聞は、トップの政府控訴断念記事にお詫び記事ものせ、2面には誤報に至った経緯を載せている。
 実はそれを読んでも、誰になにを聴いたからこの記事になったと正確に書かないから、いや守秘義務とかで書けないのだろうが、どうして誤報になったかさっぱりわからない。
 
 朝日新聞はしばらく世間からバカにされるだろうけど、まあ、洋の東西とも中世以来の「癩」の長い長い偏見の歴史から見ると、ようやくここに至った一瞬の間の誤報である。
 だからこそバカと言うか、だからまあいいじゃないか、と言うか、誤報記事の背後には偏見の歴史がもたらした重さがあるかもしれない。

 「」を「ハンセン」と言い換えは、それも偏見の歴史なのだろうか、言い換えると偏見がなくなるものでもあるまいし、あ、そうだ、痴呆症を認知症と言い換えたら痴呆じゃなくなるわけじゃなし、ツンボ、メクラ、オシ、ビッコ、イザリなど(こうやって並べて気がついたが、いずれも超高齢者に充てはまるのだなあ、わたしのことか)の偏見言葉の言い換え歴史をちょっと考えていたら、同じ朝日新聞一面に登場している別の2つのニュースにも気がついた。

 誤報日の10日の朝日新聞一面には、10歳の女児がプロ将棋打ちになって1勝という記事が、誤報の下にある。
 こんなどうでもいいことが新聞一面に出るほどの記事かよ、と思ったけど、なるほどなあ、オンナコドモが勝負師の世界に生きることを社会が褒めるなんて、かつては考えられなかったもんなあ、これも偏見克服の歴史のひとコマだから、ハンセン訴訟勝訴に並ぶトップ報道なのだろうなあ~、いや、トップ記事ってこと自体が偏見かもよ。

 また11日には、誤報謝罪記事の隣に興行師が死亡したとの記事、え、TVをぜんぜん見ないから知らないけど、この人もオンナコドモ勝負師なみに、1面に載るほどの人なのかと、ちょっと調べてみた。
 ほお、なるほど、なるほど、21世紀初めの日本歌謡界を駆け抜けた天才興行師らしいな~、そうか、大勢の美貌男子タレントばかりを抱えて、男色好みとしても有名なのか、ふ~ん、面白いなあ、現代河原乞食の偏見克服記事だろうか、うむ、わたしがこう書くこと自体が偏見だろうかなあ~。

 天才興行師と言えば、今、たまたま「シカネーダー」(原研二、平凡社ライブラリー)を読んでいるのだ。
 18世紀末ウィーン劇壇を駆け抜けた天才興行師エマヌエル・シカネーダー、天才モーツアルト「魔笛」を世に出した人だが、その劇団は彼の女色の場でもあったらしい。

 男色女色の違いはあれど、洋の東西問わず天才は色好みなんだなあ、そして英雄も、、、面白い、偏見バイアスが新文化を生み出し、新展開させるのかもなあ、、。

2019/07/05

1408【参院選挙騒ぎ】なんだか面白い名前の泡沫政党がたくさん生まれているなあ

 産院じゃなくて山陰じゃなくて参院選挙だそうである。ながらく投票拒否をやっていたが、この数年はヒマツブシの種がなくなったので、投票に行くことにしている。
 だからと言って、ネットや新聞のツマラナイ選挙関連記事を読むことはめったにないが、新聞代がもったないから読もうとしたら、そのツマラナサを再確認してしまった。

 なんだか沢山のきいたことない政党があるもんだなあ。このブログ記事を検索して、これまでの選挙での政党名を挙げる。
 2010年の参院選挙の時は、「あきつ新党、改革党、共産党、公明党、幸福党、国民新党、自民党、社民党、女性党、スマイル党、世界経済共同体党、大地党、たちあがれ日本党、日本創新党、新党フリーウェイクラブ、新党本質、民主党、みんなの党」 

 2012年衆院選挙には、「日本民主、自民、公明、国民、生活、維新、共産、社民、大地、改革、社大、減税、反TPP、脱原発、消費増税凍結、太陽、未来、みんな、みどり、たちあがれ、きづな、さきがけ、緑風、農民、新自由、愛国労働、雑民、スマイル、幸福

 2017年衆院選挙では「自民、公明、維新、こころ、自由、共産、社民、幸福、希望、立民」であった。

 そして2019年今回の参議院選挙の政党名は、「自民、公明、立憲、国民、共産、維新、社民、れいわ、安楽死、N国、オリーブ、幸福、労働者」であるらしい。
 地方選挙区にはほかの政党名もあるかもしれない。

 そこで名前だけは面白い「泡沫政党」についてだけ、新聞記事を読むことにした。 今朝の朝日新聞に各候補者に聞いた考え方を、政党別にまとめた記事がある。

 聞いたことがあるのは「幸福党」だけだが、よくまあ長く泡沫を続けるものだ、泡沫王者だと感心する。
 その幸福党って意外にも、改憲、原発、女性天皇、夫婦別姓選択など、実はウルトラ保守党であると知った、へえ~、そうなんだ、ちゃんと立ち位置があるんだあ、立派立派、、、まあ、どうでもいいけどね。

 もうひとつ意外なのが、「れいわ新撰組」じゃなくて新鮮じゃなくて神仙じゃなくて新選組とかって、なんとも時代がかった名だから、さぞかしウヨクだろうと思ったら、なんとまあ、どの政策にも共産党とほぼ同じ立ち位置にいて、それなら共産党に入れば良さそうなものを、、、まあ、どうでもいいけど、。

 反対にまったく思想がないのが、「NHKなんタラカンタラ党」で、どの政策にも中立しかない、まあ、どうでもいいけどね。
 
 ちょっと気になる泡沫党名は「安楽死党」であるが、老人がこれほど多くなるとこういう党も伸びてくるのだろうか、そう言えば昔に「年金党」ってのがあったが、どうしたのだろうか。

 老人と言えば、東京地方区に無所属で「野末陳平」の名があり、あれまあ懐かしや、生きてましたか、おお87歳かよ~、泡沫候補と言っては失礼かもしれないなあ、お元気でね。

2019/07/01

1407【フェイスバカ狐乱夢6月まとめ】ポリ袋有料、横浜3塔パノラマ、50年代モダニズム建築保全、携帯電話就活、

6月3日【ポリ袋有料化】
近所の食料品量販店では、近ごろポリ袋を有料にした。会計おばさんに「袋お持ちですか」と聞かれると、持っていなくても「はい、持っています」と、たった小2円、大4円であるのに、貧乏人根性がドッと湧き出てくるが、これは環境保全のためだ、と心で自己弁護して、われながらオカシイ。

6月9日【ビルは緑の衣装、鉄の装束】


6月9日【横浜港パノラマ、横浜3塔パノラマ】


6月10日【1950年代モダニズム建築の運命】
鎌倉の鶴岡八幡宮境内にある「神奈川県立近代美術館」と、横浜中区の紅葉が丘にある「神奈川県立音楽堂」が、リニューアルオープンした。実はどちらの施設もわたしの住み家近くにあって親しんできた施設なので、その建築、環境、景観そしてそれが生れた頃の社会的背景について、甘口辛口の思い入れ感想を書いておくことにした。
 鎌倉の美術館は、宗教活動のできない異物だった公立施設を神社境内から排除して、ハード面もソフト面も原点復元と言うべきか、なかなかに興味深い事例である。

6月11日 
【横浜都心建築防火帯の建替えは有料老人ホーム】
横浜都心の関外にある1958年建設「長者町8丁目共同ビル」、8地主共同の典型的な下駄ばき住宅型の防火建築帯、できた時はかなり格好良かったと思われる4階建てビル(たしか創和設計だったような)。
 10年ほど前から空き室空き店だらけで、汚れた姿で立ち腐れするのかと気になっていたら、去年とうとう取り壊し、しばらく青空駐車場になっていたが、最近工事用囲いができて重機も入って工事が始まった。
 このビルについては2013年にこんなことを書いていた。


 どうせ店舗の上に高層住宅だろうと工事看板を見たら、店舗付き住宅ビルには違いないが、「有料老人ホーム」63室とある。う~む、これまで防火建築帯の建て替えのほとんどは高層共同住宅ビルになるのだったが、横浜都心も高齢福祉施設へと転じて来たか。
 そう言えば3年前にやはり同じ長者町通りの3丁目角では、下はクリニック3軒と薬屋、上は介護老人ホームの高層ビルになったから、都心部にも超高齢社会の津波だなあ。

6月15日【携帯電話も終活だあ】
ガラパゴス諸島型の携帯電話機の電池が弱ったらしく直ぐ空になる。ドコモねえさんに相談したら、「もはや生産していないから電池を替えようもない、諦めて『素魔法』を使うべし」と、ご宣告いただいたのは数か月前のこと。
こちとら、ガラパンで十分なのになあ。
 ところがさて先日、ドコモから葉書が来て、この6月末で今の980円/月の契約が切れるとのこと。コノヤロもういいや、この際『素魔法』なんてのに退化もシャクだから、ガラパゴス諸島から通信不能の無人島に移って、新たな終活進化するかなあ。
 でも、迷う、なんか安い柄箱携電ってあるかしら?

6月19日
【建築保全と都市景観の変化を考えさせる県立音楽堂】
紅葉ヶ丘の景観の主役であった県立音楽堂・図書館そして青少年センターは、その座をひきずりおろされてしまった。かつて東に大きく開かれて広場は、妙にデコボコスカイラインと色とりどり建築ファサードで塞がれた。たぶん今後も増加して変化していくだろう。
 それはひとりの建築家がつくりあげた紅葉ヶ丘の建築群のまとまりある景観に対峙して、何ともまとまらない景観を投げかける。この景観の大変化の中で、建築保全とはいったい何だろうかと、鎌倉の旧美術館の建築と都市景観の保全と比較すると、両者のあまりの違いに愕然として、保全の先の新たな景観形成について大いに考えさせられる。


6月21日【紅葉ヶ丘復元工事??】
横浜市中区にある県立図書館に行こうと、紅葉坂を登って行くと、おや、車の進入路の手前でその下をくぐって立体交差で入る歩行者路が、埋め立てられつつある。
 ふ~ん、歩車平面交差になるのか、で、上に回ってみると、階段の金属パイプ手すりなどもそのままに埋め立てられつつある。そうか、前川國男設計の歩車分離デザインを、将来は発掘されても分るようにしてるんだな。
 なんか、最近工事をしてると思ったら、前川国男の最初のデザインを復元するのだと、案内の紙がぶら下がっているが、これはその逆みたいだなあ。



6月28日ブログ新記事
【1950年代モダニズム建築の再生:3】
横浜紅葉丘の神奈川県立図書館・音楽堂は、本当に保存に値する名建築だろうか?
 音楽堂は保全しても、図書館の機能は近くの市立中央図書館(こちらの方が内容も建物も立派)にまかせて、現図書館は別の文化活動機能に移行してはどうか。
 今、紅葉ヶ丘ではの外構の広場や植栽の復元工事をしているが、1950年代の広場や緑のデザインは、環境の思想や景観の現状が当時とは大きく変った現代では、明らかに時代遅れになっているから、かつての緑の丘陵だった景観復元を目指すべきだろう。
 と、ご隠居と熊さんとの言いたい放題の長屋談議です。



2019/06/27

1406【1950年代モダニズム建築の再生】3:神奈川県立図書館・音楽堂は本当に保存に値する名建築か

【1950年代モダニズム建築の再生:2】からのつづき
紅葉ヶ丘あたり現況
熊五郎:こんちわ、ご隠居。もう梅雨ですねえ。
ご隠居:おや熊さん、いらっしゃい、まあ、おあがりよ。
:先日、紅葉ヶ丘に登ってきましたよ、神奈川県立図書館と音楽堂があるところ。
:おやそうかい、もうひとつ県立青少年センターもあるよ。どれも前川國男の設計のモダニズム名建築だよ。
神奈川県立青少年センター(1962年、前川國男設計)
横浜能楽堂もありますよ、これもその前川って人のモダニズム名建築ですかい。
:それは前川じゃなくて大江宏だね、モダニズムじゃなくて日本伝統建築モディファイの姿をしてるね、伝統芸の能楽堂らしくね。
横浜能楽堂(1996年 設計:大江宏) 写真は横浜能楽堂公式サイトより
:あのね、前川建築は西洋モダンで大江建築は日本伝統ね、え~と、同じところに並んでるなら後でできた能楽堂が前川に合わせてモダニズムデザインすべきでしょうに、建築家ってのは隣になにがあろうと関係ないんですかね。
:あ、ウン、いや、その、、。
:前川の図書館や音楽堂が名建築なら、なおさらそうすべきでしょうに、違うんですか。
:タジ、タジ、、
県立音楽堂はほんとうに名建築か?
県立図書館は本当に名建築か?(県立図書館公式サイトより)

:そもそも音楽堂やら図書館は、どこが名建築なんですかね。飾りもなくて骨と皮ばかり、仕上げは安物ばかり、どうみても貧乏建築にしか見えませんよ。
:貧乏建築と名建築とは対立関係ではないのだよ、豪華な材料を使ったり手間のかかる装飾をしなくても、美しい空間を作るのがモダニズムだよ、すっぴんの美しさだね。
:なるほど、でもねえ、あの音楽堂のホワイエ、案内のボランティアの方は褒めていましたが、あそこはどう見ても縁の下と言うか床下でしたよ。
:そうだよ、そこは客席の床の下だね、その構造を素直に空間として表現している、これがモダニズムだよ。
床下利用のホワイエは落ち着かない
:でもねえ、そのモダスムは美しいかなあ、コンクリむき出しの柱と梁がゴチャゴチャと交叉してて、なんだかうるさくて鬱陶しいなあ、天井を張ってほしい。
:でも周りが明るいガラス張りだから、鬱陶しいことはないだろ。
:それがねえ、ガラスの外の景色が庭園とか海とかならいいけど、表側は殺風景な駐車場、図書館側は石垣、隣の掃部山公園は向うが高いから緑が少ししか見えないし、何だか機械を置いてあるから、まったくもってガラスの向こうがちっとも美しくないし、あれじゃあ空調も不経済だろうし、設計が下手。
:ま、そういやそうだけど、いやいや、マイッタな。
音楽ホールは下から上まで歩いて登る
:ついでにもひとつ、音楽ホールの中はガイドの話では音楽家には音響が評判が良いとのことで、それはいいけど、全部が階段椅子席で1階から3階の上まで歩いて登るしかないのが、観客にとって今どきいいのですかねえ。
:う~む、まあ、若者が活躍する音楽堂にしてもらうかな。
:今じゃあ横浜には県民ホール、芸術劇場、関内ホール、みなとみらいホールとかいっぱいありますよ、更に横浜市立の芸術劇場計画もあるし、この音楽堂は要るのですかね。
:あ、そりゃ要るよ、ここに昔は超有名演奏家を招いてたけど、今はもっと良いホールがあってそちらに行くけどね、昔と大違いは音楽を自分でやる人たちがぐ~んと増えて、その市民活動の場としてもこの音楽ホールは必要だよ。この音楽堂が約千席、隣の青少年センターのホールが約800席で、興業には向かないけど一般市民活動にはちょうど良いよ。

:なるほど、そうですね、ガイドの話だと、音楽堂は建ってすぐに楽屋の増築、更に続いてリハーサル室や控室も増築したそうで、デザインはモダンでも機能は足りなかったらしいですよ。それでも名建築かなあ。
:そうだねえ、あの東と北の増築部分は道路際までぎりぎりに建ていて、まわりへの配慮に欠けるねえ。
:はは、ご隠居も悪口を言い出しましたね。その増築部部は裏側だからか、いろいろ機械が裸で露出していて、能楽堂と掃部山公園側の景観を悪くしてますよ。
柱や梁ばかりか機械も美しく露出させるのが、モダニズムの手法だけどねえ。
:じゃあ、裸の空調機が壁に幾つもぶら下がってるのも、広場がむき出し駐車場なのもモダニズムですかい。
リハーサル室などの増築部、あちこちにむき出し機械類
:いや、なに、その、、そういえば先日見たら、今、外回りの整備工事をしているね、あれが完成すればよくなるのかもね。むき出し機械を樹木を植えて隠すとかしてね。
:そうそう、図書館の周りの大きな木がバサバサ伐られて、お知らせの紙が貼ってあり、昔の景観に復元するから我慢して見ていてくれ、なんて書いてある。ところがねえ、そこにある完成イメージ図を見ると、ますます殺風景になるんですよ。
広場には木がたったの一本だけ
整備し直しても木は一本だけ
植栽の剪定と伐採についての貼り紙
写真では広場が砂利敷きだがこれも復元するのだろうか
:わたしも見たよ、そこは気になるね、あの広場には樹木がたった一本しかなくて、全部が駐車場に占められているし、広場から昔は海が見えたろうけど、今じゃあ周りは高層共同住宅でその上から超高層ビルに見下ろされて、なんとも鬱陶しいねえ。
:そう、広場はクルマに占拠されてるし、夏は暑くてたまんない、だから緑を植えて木陰のある庭にして人が集まるようにするのかと思ったら、この絵を見るとやっぱり駐車広場ですよ、写真見ると砂利敷きだから、水の浸透性をよくするように砂利を復活するのかな。

紅葉坂を登って行くと右手の歩道沿いに広い植栽帯があるだろ、花咲町の共同住宅の建替えの時にできたね、あれができて坂を登るのが少しは気分がよくなったね、途中で腰を下ろして休めるしね、で、紅葉ヶ丘の青少年センターまで登ってきたら、何だか土をいじって工事している、見れば張り紙があって「もみじ坂景観改善工事」と書いてある。
:そうか、あの坂沿いの緑地帯を、丘の上へも延ばしてくるんですね。
:わたしもそうも思ったら、そうじゃないんだね。
:あ、そうか、この絵のように広場に登る大きなL型の階段を作るんですね、でも、これって復元なんですかね。
:せっかく下から緑地帯が登ってきたのだから、それに続けてこちらにも緑地帯をつくって広場も緑地にする、なんてのじゃなくて真反対にコンクリの車優先広場にするって、公共事業として間違ってるでしょ、民間の事業を見習いなさいって言いたい。
紅葉坂沿いの緑地帯
紅葉坂の緑地帯を坂上から見下ろす
坂の上までこれを続けて整備するのかと思ったら、、
:アレレ、建築では違ったけど、緑の整備ではご隠居と同意見になった、なんでも復元ならいいんだと建築家はバカみたいですね。
:いや、建築家は人工の文化を大切にするけど、自然のことをよく知らないんだね。
:あ、そうだ、復元と言えばあの前川建築群が建つ前は、あそこらへんは緑がいっぱいあったんでしょうね、その緑の復元をしてもらいたいですね。
:あの紅葉ヶ丘は、図書館・音楽堂が建ったところには県知事の官舎のあって、広い敷地に庭や林があり、青少年センターの建ったあたりも広い官舎だったらしい。
:ほう、写真や地図を見ると緑豊かだったようだから、それを復元してもらいたい。

2018年紅葉ヶ丘あたり
:その前の幕末から明治開港時の紅葉ヶ丘は、横浜開港場を統括する幕府の奉行所があったんだね。その前は野毛山から伊勢山、紅葉ヶ丘から掃部山へとひと続きの山だったのを、このときに横浜道の開削と紅葉ヶ丘の開発で区切ったんだ。
:じゃあ、せめて掃部山から伊勢山に続くように緑の森の復元をしてもらいたい。
:広場に樹木を植えるのはできるだろうけど、掃部山とつなげるのは無理だね。
:じゃあ、まあ、音楽堂だけはせっかくの日本の歴史的モダニズム建築であるとしてこれからも使うことにして、図書館を取っ払って緑の森にしてはどうです。
:うわっ、図書館もモダニズム名建築だよ、壊せないだろ、だって図書館はわたしも時々使うんだもの。

:う~む、音楽堂にケチをつけたけど、こんどは図書館にケチをつけるかな、あれも名建築って、本当ですかねえ。東側は音楽堂につながるモダニズム建築なんでしょうけど、西側に回ると全然違う普通の白いビル、あれも名建築?
:あ、あの新館は本館に後で増築したんだね、あれは前川の設計じゃないね。
図書館新館玄関(左)と青少年センター荷物搬入口(右)
:ホレね、本館が名建築なら新館だって名建築として増築するべきでしょ、それがあの姿じゃあ、別に名建築の必要が無いと言ってるようなもんでしょ。
:う~む、本館の名建築とはわざと違うデザインにして、区別したのだろうなあ。まあ、音楽堂の北側増築部分も真っ白に塗ってわざと違ってみせているね。
:だからツギハギに見えるんですね、なんかうまくないなあ、そうか、最初に建てる時に、増築を予想しないで完結するデザインをしてるのがいけないんですよ。

:うむ、それはあるな、ほら、鎌倉の旧県立美術館では初めから増築予定してあったからあの本館と新館は実にうまく調和していたね。
:前川ってそこのところが坂倉より下手クソですね。
:う~ん、だから壊してもいいってのかい。
:あ、そうか、図書館を壊して緑の森にする話でしたね、そう、あの図書館の良いところは、利用者が少ないのでいつも静かなところだけですよ。言いすぎかな。
:うん、まあ、そのとおりだな、
:おや、なんだかおとなしくてヘンですよ、どこか具合が悪いのかな。
:いや、わたしはいつも熊さんに従順だよ、ハハ、でも、あの吹き抜けの閲覧室がいい空間だろ、そう思うだろ。
図書館本館の吹き抜け閲覧室(県立図書館公式サイトより)
:はいはい、一階閲覧室はたしかに天井は高いし、大きな透明ガラスが緑の庭に面して、空間としては気持ちがいいですよ、でもねえ、なんか落ち着かないんですよ、今どきの図書館は読書するよりも、資料を閲覧しつつ調べ物するところだから気が散らない空間の方がよいのですよ。気分転換には外の出てくればいいでしょ。
:じゃあ、2階の閲覧室はどうだい。
:ガラス窓の外に穴空きの焼き物が格子状に積んであるところでしょ、中から外の景色を眺めるにはその格子が邪魔ですよ、あれは西日よけのデザインらしいけど、部屋側にブランドを下ろしているから、ほとんど役立たずですよ。
穴空き陶器に囲まれる西側窓の外面(県立図書館公式サイトより)
:うむ、う~む、図書館ではガラス面よりも開架書棚を多くしてほしいところだね。実はわたしもこの図書館は不要なような気がしてるんだよ、本音としてはね、。
:なんだ、保存に値する名建築じゃないんですか。
:いや、そこのところは苦しいけど、もうこの図書館は役割が終わったように思うんだよ。実はこれまでに、何度も建て替えの検討があったらしいよ。
:ほれやっぱりそうでしょ。
:実際使ってみると新館と本館の連絡が悪いし、これまでいろいろな調べものするのに、蔵書検索するとたいていは市立の方で間に合ったしね。
:そうそう、だから県立図書館を壊して、山の緑を復元してもいいでしょ。
:う~む、壊さずに別の文化施設として使い続ける方法があるといいけどなあ、
:そうですねえ、う~む、そうだ、ここ紅葉ヶ丘には中小の劇場が3つもあるのだから、総合的に再編して舞台芸術創造活動の場にするってのはどうですか。
:図書館を廃止してもその建物を再利用するってわけか、それもいいなあ。
:そういえば隣の伊勢山には市民ギャラリーがありますよね、そうだ、こことも一連の活動の場として、舞台だけじゃなくてアート全般の創造活動の場にするといいですよ。
:おお、紅葉山市民アート活動センター構想だな、
:市立県立の壁を取っ払ってやりましょうよ。

:いいねえ、いいねえ、ところで、わたしは能楽堂にもちょくちょく行くのだけど、あそこはいかにも図書館の裏でございます、って感じがいやなんだな。
図書館(右)の裏の感じが強い横浜能楽堂(左)
:そうですね、いっそのこと図書館なくして、音楽堂の西側に中くらいの広場を設けて、能楽堂と音楽堂をひとつの空間にまとめるといいですね。
:おお、いいこと言うねえ、いやいや、図書館の本館の建物は残してほしいなあ。
:あ、そうだ、図書館の北の庭園を音楽堂と能楽堂の共同の広場にすればいいんですよ、音楽堂の正面をこちらにするんですよ。
:そうだな、その上でいまの駐車場広場の車を地下に入れればいいね。
熊:そうそう、今の広いコンクリ広場を樹林の庭園にすれば、掃部山から伊勢山に緑が続くことになりますね、掃部山の春の花見の場がひろがりますねえ。
:おお、いいねえ、はなしだけだとなかなかいいこと言うねえ。

:そう言えば、近くの野毛山の中腹に横浜市中央図書館がありますよ、どっちかと言うと、こちらの方が方がよほど充実してるし、利用者も断然多いですよ。
:そうだね、県立と市立両中央図書館が、ほとんど内容に違いが無くて、近くで張り合ってるのも奇妙なもんだね。わたしは両方を使えてありがたいけど、一般論としてはもったいないよな。
左の野毛山中腹に横浜市中央図書館、右の紅葉ヶ丘上に県立図書館
:市立図書館の方が新しいし、規模も大きいしね、これは誰の設計なんですか。
:県立と同じ前川國男だよ。
:えーっ、同じ人ですかあ、ずいぶん違うデザインですよ、建築家って器用なもんですね、まあ、それじゃあ県立図書館の方を壊しても、前川図書館はこっちにあるから勘弁してもらいましょうよ。
:そういうもんじゃないんだけど、まあ、いいか、。
坂を登ってたどり着いたらまた階段を登らされる横浜市立中央図書館
:もっとも、紅葉ヶ丘の県立図書館はアクセスが不便だけど、市立中央図書館も野毛山の中腹にあって、坂や階段を登るもんだから、けっこう不便ですよね。
:そうそう、まったくなんであんな不便なところに建てたのだろうね。
:建築家は与えられた土地で設計するしかないんですかね、建築家の前川は設計するときに、ここよりも市民に便利なところに建てろと提案しなかったんですかね。
:まあ、あそこは以前の図書館の建替えだったからなあ。
:じゃあ、もっと下のほうからトンネルとエレベーターでアクセスするように設計すればよかったのに、前川は下手だ。
:いや、まあ、、。
:それじゃあこの長屋談議の締めくくりに、今日のホラ話を戯造画像にしました。
広場:樹林にして伊勢山から掃部山に緑を連続復元
図書館:一部保存大改装増築して芸術創造活動の場に

参考:『「県立図書館の再整備に向けた基本的な考え方」の取りまとめについて』(2016年10月28日 神奈川県教育委員会)

2019/06/18

1405【1950年代モダニズム建築の再生】2:横浜の紅葉ヶ丘の今昔と神奈川県立図書館・音楽堂


【1950年代モダニズム建築の再生】(1)からつづき

 今年5月に鎌倉の八幡宮境内にあった神奈川県立近代美術館が閉館して、建築は復元的再生して別のミュージアムに生れ変った感想を、このブログの前の記事として書いた。続いて同じくこの春に復元的再生をした県立音楽堂について感想を書く。
 県立美術館は1951年開館、音楽堂は県立図書館と合せて1954年に開館、どちらもオーナーは当時の神奈川県知事内山岩太郎である。内山は会館知事と言われた程に沢山の開館を県内に建て、今でいうところの箱モノ行政をやって、あの貧乏な時代に人々の文化への希求をうまくとらえたともいえる。

紅葉ヶ丘の文化施設群
●驚くべき紅葉ヶ丘の景観変化

 鎌倉八幡宮で美術館を見てきた眼で、横浜市中区の紅葉ヶ丘に立って県立音楽堂を見ると、その景観のあまりに奇妙さに、音楽堂を可哀そうに思ってしまった。

左に県立音楽堂、正面は高層共同住宅群とMM21超高層建築群
左端に音楽堂、右上は青少年センター
音楽堂ができた頃はこのむこうには空だけだったはず
今ではそれなりに見慣れたが、それでも昔の景観を思いだすと戸惑う気分になるのは、ここは髙い丘の上なのに、丘の下に建つ超高層ビルから見下ろされているからである。
紅葉ヶ丘の音楽堂前の駐車場広場の標高は約25mの高台だが、その東側の丘の下は海を埋め立てて造った標高4m程の平らな街がひろがり、そこに建つ超高層建築群が丘よりも高くそびえているのである。

 紅葉ヶ丘の景観の主役であった音楽堂・図書館そして青少年センターは、その座をひきずりおろされてしまっているのである。
 かつて東に大きく開かれて広場は、妙にデコボコスカイラインと色とりどり建築ファサードに取り囲まれた。たぶん今後も増加して変化していくだろう。
 それはひとりの建築家がつくりあげた紅葉ヶ丘上の建築群のまとまりある景観に対峙して、何ともまとまらない景観を投げかける。
 この景観の大変化の中で、建築保全とはいったい何だろうかと、鎌倉の旧美術館と比較するとあまりの違いに、都市景観と建築について大いに考えさせられるのである。
  
紅葉ヶ丘を見下ろす丘の下の超高層建築群
紅葉ヶ丘は、横浜が開港した19世紀中ごろ、幕府はここに奉行所を設置して、横浜の街を管理した官庁街だった。戦後は県公舎用地となり、知事公舎と職員住宅が建っていた。その知事公舎跡地に1954年に立てたのが図書館と音楽堂だった。
 その頃は丘の上から東の横浜港を俯瞰すると、目の下には横浜造船所のクレーンやドックのある工場が広がり、その向こうに東京湾を出入りする船が見えていた。
 それが20世紀末になると造船所は引っ越し、海を埋立てて土地を作り、「みなとみらい21」プロジェクトの新市街形成が進んだ。横浜で最激変の地である。
1988年丘の下の造船所跡地等埋立大変化中
わたしは20年も前だったか、久しぶりに音楽堂にやってきた時に、ランドマークタワーが音楽堂にのしかかっているのに遭遇し、文字通りにビックリ仰天したものだった。えっ、こんなに近くてこんなに髙いのかと、ただ見上げるばかり。
 そのときは紅葉ヶ丘の景観に割り込んでいたのは、ランドマークタワー一本だけだったが、その唐突さに不思議な思いだったが、その後にまとまりなくあれこれと景観は乱れて行った。
 今では音楽堂のすぐ下の斜面地にあった、中層の花咲団地が建てなおされて高層建築共同住宅群になり、いまや海も見えないどころか、丘の上から見晴らす風景が消滅してしまった。

●“黒沢天国”の紅葉ヶ丘

 それを嘆くことではないが、あまりの景観変化に今でもまだ戸惑いがある。横浜だけではあるまいが、海や川沿いの低湿地と丘の上の高燥な土地との間には、自ずからそれぞれの品格の上下差があって、もちろん丘上が格が上で低地を見下ろしている。
 そこで思い出すのが、黒沢明監督映画「天国と地獄」(1967年)であり、その天国とは丘の上の住宅、地獄とは低地のスラム街であり、横浜がモデルになっている。あの凶悪犯は低地から丘の上を見上げて、そこにいる富裕層への劣等感をつのらせる。
 ところが紅葉ヶ丘は、見事に低地から見下されていて、なんだか逆転している感があるのだ。この現象は実に現代的で、興味深い。
映画「天国と地獄」の天国と地獄の風景
丘の上と下の関係で言うと、市民の利用する文化施設の図書館・音楽堂を、紅葉ヶ丘の上という駅からも街からも遠くて、急な坂を登る不便なところつくったのだろうか。
 たまたま県有地があったからとは言い切れないのは、美術館の例を見ても明らかだし、関内には空き地だらけで県有地もたくさんあったはずだ。

 思うに、昔は(今もか)文化施設は、猥雑な街なかを避けて丘の上とか郊外の緑の中とかに作っていたものだった。文化は高尚だからと思っていた節もある。
 利用する市民の不便さよりも、立地の環境が美しく建物も景観的に見栄えが良いようにつくり、行政トップの政治的見栄としての箱モノ行政だったようだ。今もその傾向があるのは、隣の横浜能楽堂がそうである。

 実は紅葉ヶ丘はわたしの今の住み家から近いので、図書館に調べものでよく訪れるし、趣味の能楽鑑賞で横浜能楽堂にもちょいちょい入る。音楽堂と青少年センターにも、たまによって音楽や演劇鑑賞もする。
 東の桜木町から紅葉坂を歩いて登るアプローチは、なんと高低差約20mもあって、歳とるとなんとも苦しいので、わたしは日ノ出町方面からバスで登るのだ。
桜木町から登る紅葉坂
桜木町方面から路線バス便は無くて、音楽堂のイベントに合わせての特別バスだけである。ぜひとも紅葉坂を登る路線バスを開設してほしい。
 桜木町駅から横浜美術館、MMホール、紅葉ヶ丘の図書館、音楽堂、青少年センター、掃部山の能楽堂、野毛山の横浜市立中央図書館、そして日ノ出町駅へと巡回してはどうですか。
 
●“黒沢地獄”の丘の下

 1950年代半ばに内山知事があちこちで箱モノを目論んでいた頃、鎌倉の美術館は高台ではないが、超一級の立地であることは確かだ。
 では県立図書館・音楽堂はどうかと言えば、まさに丘の上の“天国”立地だが、なぜ人々が利用しやすい横浜都心の関内や関外ではなかったのか。
 この問いに最も直接的な回答は、そのころは横浜の関内関外のほとんどが、敗戦と同時に進駐してきた連合軍の基地として占領されていたので、そこに建てるとは誰も考えようがなかったからだろう。
1954年開館当時の図書館・音楽堂 手前に県の公舎が見える
 図書館・音楽堂が開館した1954年前後の紅葉ヶ丘は、空襲による焼失を免れて、林の中に県の公舎が立ち並び、県知事公舎もあり、まわりも静かな住宅地だった。
いっぽう、丘の下の桜木町から関内・関外にかけての市街地は、空襲によってほとんど焼失した後に、敗戦直後から占領軍に半分以上を接収されて兵舎や軍用機財置き場等の用地になった。
 そこで、接収を免れた桜木町あたりから野毛、日ノ出町、黄金町にかけての大岡川から日ノ出川沿いに人々が移ってきて、戦後の横浜都心になた。つまり紅葉ヶ丘と野毛山の麓が新たな都心になったのだ。

 1950年に朝鮮戦争が始まると横浜港はその兵站基地となり、紅葉ヶ丘下の横浜港も横浜造船所もおおいに活況を呈して、多くの労働者が全国から集ってきた。麓の狭い土地に集る人々で、街は闇市と安宿の密集スラム街となり、街も丘も野宿者たちがあふれ、犯罪が横行していた。黒沢映画の“地獄”はその一部である。
 そして紅葉ヶ丘には、高尚なる文化の殿堂の図書館音楽堂が建った。まさに“天国”である。県都横浜の都心に作りたかったかもしれないが、地獄の街に文化施設はありえなかったのだろう。
1956年の紅葉ヶ丘(黄丸)と横浜都心北部
下中央部に占領軍接収地の兵舎群が見える
2018年の紅葉ヶ丘(黄丸)と横浜都心北部

●音楽堂は昔も今も超一級ホールか?

 それにしてもそのような時代なのに、いやそのような時代だからこそか、図書館・音楽ホールとよく作ったものだ。開館当時から西欧の名演奏家がこの音楽堂にやってきたそうだが、その聴衆は下界の労務者たちではなかったことはたしかだろう。
 もっとも下界のアメリカ軍キャンプでは、ジャズ音楽が響いていたことだろう。
 その頃の、レコードによる西欧クラシックの復活について、個人的な記憶がある。わたしの1954年頃は、住民が1万人程の城下町盆地で高校生だったが、LPレコードでクラシックを聴く会になんどか行った記憶がある。片面30分のレコード盤が出てきた頃で、田舎高校生でもクラシック音楽に憬れていたのだった。

 都会には本物演奏に憬れていた人たちが多くいただろうから、音楽堂への希求が大きかっただろう。実はこの音楽堂でもその頃にはLP鑑賞会があったらしい。
 まだ日本全体が若い時代、図書館だろうが音楽堂だろうが、文化を求めて丘の上に登るのは苦労ではなく喜びだったろう、ホールらしいホールはここしかなかったから。
 そしてこの音楽堂はクラシック音楽ファンに愛されて、竣工直後に改修や増築しているから設計所で不具合があったのだろう。90年代はじめの建替え話も乗り越えて、2008年には耐震工事を経て今回の大改修へと、今日まで生きてきた。

 わたしは音楽ホールの建築的なことも音楽的なことも知らないが、ちょっと思いつくだけでも今や横浜都心部には音楽系大ホールが、ここのほかに4箇所もある。音楽堂よりもはるかに設備は整っているし、便利な立地にある。
 そのような時代を迎えても、はじめの頃と今とはどのように使い方が変っているのか知らないが、この音楽堂は当初からそして今でも素晴らしい音楽の場なのか、復元保全に値する記念的モダニズム建築だろうか。

 ここではモダニズム建築の保全について書こうとしているのだが、まだ建築と言うよりも都市環境の話から抜け出せない。ほかにもここの建築外部環境への対応にいくつものハテナと思うところがある設計で、あの前川國男も初期の初めての公共建築では下手だったなあと思うのである。
 建築再生の話は続きで。
                 (つづく