2013/06/19

797【横浜ご近所探検】戦後復興期の防火建築帯がこのまま老朽立ち腐れの道をたどるのは惜しい

 ふらふらと長者町通りの商店街を歩いていたら、店にシャッターが下りて「閉店のお知らせ」と書いてある。
 その理由として、「建物老朽化に伴い、お客様の安全が確保できない為」とある。
え、ちょっとまてよ、この店は、その名も「長者町8丁目共同ビル」なる4階建て共同ビルの1階にあるんだぞ、隣の店もその隣もさらに隣も同じビルだろ、建築構造体は一体だろ、ということはこのビルもついに取り壊しか。
 当然に、ほかの店も閉めているのかと見ても、普通に営業していて、他に閉店らしいところはない。なかには、内装工事中で新開店するらしいところもある。

 
 外から見たところでは、共同ビルの1、2階は各店舗のコマ割りのままに上下が続いている店らしいが、3階から上の住宅は全く別のところから階段で登るのだから、下とは関係なさそうだ。
 となると、この閉店した店だけが老朽化したからといって、ここだけ取り壊して建て直すことはできないし、安全でないと言ってここだけ耐震工事しても意味がない。
 ここで安全でないと宣言されても、ほかの店や住宅から文句は来ないのだろうか、なんて、大きなお世話の心配をするのである。
 たしかにこのビルは年季が入っている姿である。一回も修繕したことがないかのように、汚れに汚れているが、倒れる程かどうかは分からない。

 長者町通りには、戦後復興期の防火建築帯の4階建て程度のビルががたくさん建っていて、いまも現役として使われている。
 このビルもそのひとつで、資料「横浜市建築助成公社20年史」(1973年発行)で調べてみると、土地所有者8人が共同しており、1957年度に融資したとあるから、次の年くらいに竣工したのであろう。。
 ということは、建ってから55年ほどは経っているのである。

 ここのような横浜都心で、これくらいの規模の建物で、これくらいの年数が経っていると、普通なら老朽化という前にでも建て替えられているだろう。
 それができないのは、たぶん、その共同化による権利関係が複雑であることが原因だろう。
 柱や梁が続いているから、建築構造的に一部だけを取り壊して建て直すことが不可能である。

 全部を建て直すには、土地建物の所有者や賃貸借者の全員が同意しなければならないが、数が多いとなかなか難しいだろう。
 当初は共同所有者が8名だったらしいが、いまは相続や賃貸借でさらに増えているだろう。
 日ノ出町駅前で、再開発ビルを建設中だが、そこにも同じような共同ビルがあった。たぶん、複雑だった権利関係を、時間かけて解きほぐしたのだろう。

 
 ここ横浜都心部では、戦後復興期に耐火建築促進法による防火建築帯という助成制度を使って、主要な道沿いに積極的に共同建築を建てて、戦災と占領による復興の遅れを取り戻したのであった。
 それはまさに模範的な復興事業であり、横浜の街並みが整って行き、現在の都心町並み景観をつくっている。
 そして半世紀以上が経ち、その共同化があだとなって時代に対応する街の更新ができないでいる。

 それが横浜の都心が、関内関外から横浜駅周辺へそしてみなとみらい周辺と移行してきている原因でもあるだろう。
 ちかごろ伊勢佐木モールの店舗の変りようは、場末感がすすむような雰囲気である。
 だが、考えようでは、これだけ長く使ってきた街並みだから、これからも使っていくことができる様に、今の時代に対応すように修復して、生き返らせる方法がありそうなものである。
 技術的に耐震化修復が可能だろうし、デザインもあらたにして街並み景観の再生をしてはどんなものか。

 その目でこの長者町8丁目共同ビルを眺めると、なかなかにモダンでプロポーションも美しいデザインである。
 2階から上のファサードを特徴づける、縦格子は当時としては新しいプレキャストコンクリート板らしい。
 全体にあまりに汚れているが、磨けばよみがえる美しさを秘めているようだ。このまま老朽化立ち腐れの道をたどるのは惜しいことである。

 ところで、この共同化と建て替え困難問題にかんしては、今はやりのマンションなる虚名で売っている分譲集合住宅、正確には区分所有型共同住宅ビルの住宅についても、まったく同じことが言えるのだ。
 ホイホイとアホノミクス宣伝に乗せられて、あんな「名ばかりマンション」を買ってると、いまに面倒なことになっちまうよ、老朽化する前に大地震がやってくるらしいからね。

2018年6月3日追記
 長者町8丁目共同ビルは、昨日前を通ったら、きれいに撤去されてしまい、敷地は白い工事用仮設塀に囲まれていた。もうすぐ新建築の工事が始まるのだろう。



(2023年12月追記)
 今はこのような10階建てのビルに建て替わり、上昇階に介護関施設(サービス付き高齢者住宅など)、下層階にドラッグストアが入る下駄履きビルになった。それはそれでかつてのように時代の先端を行く機能ではあろうが、先端を行くデザインとは言えない。


 
参照:横浜ご近所探検隊の横浜風景散歩コラム
http://datey.blogspot.com/p/blog-page_19.html
 ◆横浜B級観光ガイドブック
https://sites.google.com/site/matimorig2x/hama-b
 ◆横浜都心戦災復興まちづくりをどう評価するか
http://sites.google.com/site/matimorig2x/matimori-hukei/yokohama-sensai-fukko
 ◆関内地区戦後まちづくり史
https://sites.google.com/site/matimorig2x/kannai-kangai

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