2008/10/20

052【横浜ご近所探検】横浜一番の繁華街だった伊勢佐木町からとうとう百貨店がなくなった

 横浜の伝統ある都心商業地・伊勢佐木町にある百貨店「松坂屋」が、2008年10月26日に閉店する。横浜駅前の三越が一昨年だったかに閉店したから、横浜の都心の百貨店は高島屋、そごうだけで、どちらも横浜駅前である。
 横浜松坂屋はその前身は「野沢屋」といって、生糸商から始まる横浜地元資本の伝統のある百貨店だったが、30年位前だったか横井英樹が株買占めで登場してごたごたの末にいろいろあって松坂屋となっていた。

 横井英樹といえば、東京日本橋の白木屋百貨店(石本喜久治設計・1926年)にも登場して、ごたごたの末に東急百貨店になってしまい、それも閉店(2000年)した後に今は外資による新ビルとなっている。
 関内、関外という横浜の伝統的と商業的停滞とみるのか、それとももう百貨店の時代ではなくなったということなのか。わたしはむしろ後者だと思う。

 わたしの横浜ご近所探検のコースでもあり、買い物はほとんどしないが4階にある郵便局にちょくちょくいく。
 いつ行ってもガラガラで店員のほうが多い。よくやっていけるものだと思ってはいたが、本当に閉店となると残念な気もする。

 戦前の様式建築なので、建物の表の顔は凝っている。建築保存運動がおきつつある。ただし、建物としてはつぎはぎつぎはぎで建てて来ているから、プランは悪いし、不等沈下しているし、耐震性もよくないとあって、多分、持ち主は建て直したいに決まっている。

 今の持ち主が建て直すならば、この建物の姿に愛着があるかもしれないから、なんらかの表顔だけでも継承した伸建物にするかもしれないと期待もしたくなる。
 この土地建物をそっくり他の企業、たとえばファンドとか不動産デベロッパーとかに売ってしまったら、通常はそうはいかない。保存なんて儲からない面倒なことはお断り、ってことになる可能性が高い。

 建築デザインとしては二流だが、戦前の建物は珍しいし長く市民に親しまれたから保存したいのも分かる。だが、保存運動はどのような戦略があるだろうか。
 わたしが思うには、最も効果的な保存運動は、毎日買い物に行くことである。
 この数日間は閉店セールの安売りをやっているらしく、店内にはものすごく大勢の客があふれている。いつもと大違いである。いつもこれほどの客が来るなら、廃業はしないで続けられるだろうから、当然に建物も保全されていくだろう。

 建物保存も地方の鉄道線の保存と同じようなことで、へいぜい利用しないでいて、廃止になったとたんにただただ保存をしてほしいといっても、それは無理というものだろう。
 もしもなんらかの保存をされるとしても、うまくいっても今の表の壁の一部を新らしい建物の一部に取り付けてお茶を濁すくらいかもしれない。もっとうまく行けば、今の半分くらいはどこかに再現するだろう。

 ファサードだけでも良いからきちんと保存するなら、なにか行政からインセンティブを与えるとしても、容積率の上乗せしかないだろうが、そうすれば超高層建築になるだろう。この街並みの中で超高層建築が果たしてどうなのか。
 床の使い方としても分譲共同住宅が一番可能性が高いだろうが、それはわたしの主義としては全くいただけない。公的賃貸住宅ならまだ良いが、。

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